3.
昼休みの学食にて、
「「 う~ん…… 」」
片瀬先輩と僕は向かい合わせに座って、そろって頭を抱えていた。
原因はもちろん、飛鳥井先輩だ。
まさか飛鳥井先輩みたいなほとんど接点のない先輩から、面と向かって「興味がある」なんて言われるとは思ってもみなかった。
いや、本当に参った。
何だかマズいことになった気がする。
「これはマズいわね」
そう言ったのは僕ではなく片瀬先輩だ。
「そう?」
で、こっちは円先輩。
「だって、あんな美人が那智くんに近づいてきたのよ。由々しき事態だわ」
「いや、それを言うならアンタだってたいがいだと思うけど?」
だよなぁ。なんたって『学園一の美少女』だものな。
「周りが勝手に言ってるわたしの評価なんてどうでもいいわ。問題は飛鳥井さんが美人だってことよ。毎日フランス料理を食べていたら、飽きて今度は和食を食べたくなるというもの。いつ那智くんがふらふらっと飛鳥井さんのところにいってしまうか心配だわ」
片瀬先輩は言葉通り心底心配そうに言った。
が。
「……」
なんだ、その全文ツッコミ待ちみたいな発言は。
どこから突っ込めばいい? 例えとは言え自分をフランス料理に例えちゃったところか? それとも僕がぜんぜん信用されていないところか?
と――、
「食べたの?」
そこで不意に円先輩が聞いてきた。
「何をです?」
「フランス料理」
「いや、僕の人生で今まで一度もないですね。基本的に両親が和食党ですから」
何かの記念日に料亭にいったことはあっても、レストランという選択肢は皆無だ。
「あー……。いや、まぁ、いいや」
円先輩は僕の返事を聞いて、頭を掻いた。
「……アホ」
そして、横で一夜が小声でつぶやく。どうやら円先輩に向けられたものらしい。
何なんだ、いったい。
いつも通り不貞腐れたように肘をつきながら、一夜がさらに続けた。
「そんなに心配せんでええわ。どうせ半分は冗談で言うたんやろうし」
「そうかしら?」
仮にそれが当たっていたとしても半分は本気だということになるけどな。
「言い切るわね、遠矢っち」
「……別に」
と、そこで一夜は手元にあった缶コーヒーをひと口飲んだ。
「普通に考えて那智みたいなのを本気で相手せんやろって話」
……おい。
「あの……いちおう、ここに真剣に交際してる人間がいるんですけど……」
……。
……。
……。
「……悪い」
「……バカ」
今度は円先輩が一夜に言い放った。
それには僕も同意だ。
別にそれが理由というわけではないのだろうけど、一夜は椅子から腰を浮かせた。
「さき教室戻るわ」
「あ、そう?」
チャイムが鳴るまでまだ時間があるので、僕はもう少しここにいるとしよう。
「要するに――」
一夜は立ち上がると、さらに加えた。
「こいつがしっかりしてればええだけの話で、それならやっぱり心配ないんちゃうかと思います」
そう言いながら僕の頭をべしべし叩く。へぇーへぇーへぇー。
「そうね。ありがとう」
「……いえ」
一夜はそう短く片瀬先輩に返すと、飲みかけの缶コーヒーを手に取り、テーブルを離れた。
歩きながら残りを一気に飲み干し、途中にあったゴミ箱に空き缶を放り込む。
そして――、
入り口で飛鳥井先輩と鉢合わせた。
どうやら飛鳥井先輩は今から昼食らしい。
しばし向かい合って互いの顔を見るふたり。
かたや眼鏡の似合う知的美少年。かたや日本人形じみた和風美人。どっちも表情ひとつ変えないから、最強造形対決といった感じだ。
時間にして五秒たらず。
一夜が飛鳥井先輩の横を抜けていった。
特に何ごともなく、言葉もなかったようだ。
そういえば飛鳥井先輩は一夜が気になってるとも言っていたんだよな。そのあたりもまたこちらが真意を測りかねている原因でもある。
「那智くん」
名前を呼ばれた。片瀬先輩だ。
僕は顔を正面に戻した。
それを待って片瀬先輩はにっこり微笑みながら言う。
「浮気は、ダメよ」
「う、うぃ……」
フォークを握りながら言われると怖いものがあるんですが……
翌日、
「なに、それ?」
朝、教室に入って一夜と顔を合わせるなり、挨拶よりも先に思わずそう聞いてしまった。
一夜の机の上にファンシィな封筒が一枚、無造作に置かれていたのだ。
「……手紙」
本から顔も上げずに、一夜は面倒臭そうに答えた。
「そりゃ見たらわかるって。何の手紙なのさ」
「それこそ見てわからんか?」
「んー?」
かわいらしい封筒。
学校で受け取る手紙。
ぽくぽくぽく……ちーん。
「ああ、なるほど!」
僕も経験があるぞ。
「やっとわかったか。血の巡りが悪いな」
「ほっとけよ。……で、相手は誰?」
「それは那智でもおしえられん」
そう言いながら一夜は、本に視線を落としたまま片手で手紙を机の中にしまった。まぁ、確かにそこはプライベートっていうか個人情報みたいな領域だな。
とは言え、ちょっと気になるのは確か。
「因みに、何年?」
「三年」
「ふうん」
すごいよな。一夜だと三年生が相手でも普通につりあうものな。
「飛鳥井先輩だったりして」
「……アホか」
一蹴された。違うらしい。
だいたい飛鳥井先輩がこんなことするタイプに見えないし、仮にそうだったとしても刀か薙刀持って待っている姿しか想像できない。
手紙の主はきっと僕の知らない、そして、もらった一夜ですら面識のない人だったりするのだろうな。
と、まぁ、そんな朝の風景。
昼休み、
弁当を食べ、弁当箱を片づけ終えると、一夜が立ち上がった。
「ちょっと行ってくる」
「ん? どこへ? って、ああ、例の。昼休みなんだ」
聞いている途中で自分で答えに気づいた。
今朝の手紙で指定してきた時間というのが昼休みなのだろう。
「がんばれよー」
「……面倒なだけや」
一夜は心底面倒臭そうに言って、教室を出ていった。面倒だけどほっておくわけにはいかない。そんなところなのだろう。
一夜が面倒と思わない行動って何なんだろう? 想像がつかないな。
それからしばらくして、僕がトモダチでも誘って学食に何か買いにいこうかと考えていると、円先輩が姿を見せた。
勝手知ったる後輩の教室。ズンドコ入ってくる。
「あれ? 遠矢っちは?」
「ちょっと前に用があって出ていきましたよ。一夜に何か用ですか?」
本日の円先輩はクラブのジャージ姿だった。
「遠矢っちに借りた本を返そうと思ってね。学食で待ってたんだけど、今日はこないみたいだったからさ」
言いながら僕の前の席に座った。ついでにファンシィショップのものらしいカラフルな紙袋を見せてくれる。
「先輩って一夜から本借りたりするんだ」
「まぁね。と言っても、これが初めてだけど。……そっか。遠矢っちいないのか。にしても、あれも用事でどこかに出かけたりするのね」
あれ=一夜。
あれ扱いされる一夜、哀れ。
円先輩も僕と同じように、目的を持って動く一夜が想像できないらしい。
「今回は実に受動的な用事ですよ。女の子に呼び出されて出て行きました」
「てーことは、あれ?」
「あれです」
「ふうん。返事なんか最初からわかりきってる気もするけどね」
先輩の声には同情したような響きがあった。
やる前から結果が見えていても、実際にそれを突きつけられないと諦め切れない人もいるということだろう。僕はそう思っている。
円先輩はちょっと考え、それからぐっと顔を寄せてきて言った。
「面白そうだから見にいこうか、なっち」
「はい?」
目を輝かせてなに言ってんだ、この人は。
「いや、それは普通にダメでしょう」
「そう? 相手がどんなのか気にならない?」
「ま、まぁ、なるかと言われたらなりますけど……」
絶望的に愛想がなくて、クールを通り越して単に冷たいだけの人間である一夜とつき合いたいと思う人がどんな人か気にはなるな。
「おっし。じゃあ、決まり。いくわよ」
「……」
まずは昇降口に行き、そこで円先輩に靴を履き替えろと言われたので、その通りにする。
合流して向かう先は中庭だった。
「どこかわかってるんですか?」
僕は指定の場所がどこか一夜から聞いていないし、当然、円先輩も知らないはずだ。にも拘らず、先輩は明確な目的地を想定して歩いているように見えた。
「これでもアタシは三年も聖嶺にいるのよ。そういうスポットくらい知ってるってーの」
「つまり先輩はダブり、と」
「……二年とちょっと。つまんない揚げ足取ってんじゃないわよ」
「すみません」
ちょっとした冗談です。
要するに、そういう密会に適した場所はいくつもないから、だいたいの見当はつくと言っているわけだ、円先輩は。
で、辿り着いたのは、中庭を抜けた先にある、校舎の陰に隠れた一角だった。木登りができそうなくらい大きな木が一本ある。
そして、その木の下に立っていたのは一夜と、なんと飛鳥井先輩だった。
僕らはぎょっとして、慌てて身を隠した。
「ちょっ、ちょっ、ちょっ……。なっちなっちなっちなっち……」
あ。円先輩が軽く言語崩壊を起こしてる。
「相手ってあれなの?」
「さ、さぁ……」
僕は何とも言えなかった。
実際、相手が誰なのか一夜は教えてくれなかったし、冗談で飛鳥井先輩の名前を出したときも、明確な否定の言葉はなかったように思う。つまりそういうことなのか?
僕らはふたりの様子を窺った。
それは告白というにはほど遠い雰囲気だった。
飛鳥井先輩はそれこそ果し合いに挑むかのように、苛烈に一夜を睨めつけている。生来の釣り目気味の目がたまたまそう見せているのではなく、明らかに睨んでいた。
対する一夜は、視線を合わせないようにしながら、面倒臭そうな表情を浮かべて立っているだけだった。
と、いきなり――、
ぱん、と頬を張る音が高らかに鳴った。
もちろん、平手を撃ったのが飛鳥井先輩。
張られたのが一夜。
そして、それを見て飛び出したのが円先輩。
「って……」
おいおいおいおい。
「ちょい待ち」
円先輩はふたりに近づいていく。
「何ですか、貴方は」
「出歯亀。それについちゃ謝るけど、それにしても振られたからって怒ってビンタはないんじゃない?」
「私が……?」
飛鳥井先輩は、一瞬、何を言われたかわからないといった顔になり、しばし考え込んだ。
「ああ。貴方、今きたばかりでぜんぶは見ていないのね。私は友人の付き添いでここにきて、そばで見ていただけです」
「じゃあ、なんでアンタが怒ってんのよ」
「断るにしてももう少し言い方を考えなさいと叱ったまでです」
そう言って飛鳥井先輩は一夜を見た。
一夜は何も言わない。
あー。だいたい話が読めたぞ、このやろう。
たぶん交際を断って相手の女の子を泣かせちゃったりしたんだな。一夜のことだから柔らかい言葉を選ぶことなくストレートに言ったんだろうけど、それがキツい当たりに感じる人もいることだろう。
でもって、横でなりゆきを見守っていた飛鳥井先輩が怒った、と。
「でも、だからって――」
「もうええよ。先パイ」
反論しかけた円先輩の言葉を、一夜が遮る。
「俺が悪かったのは確かやしな」
そして、大人しく引き下がった。
思うところがあったのか、それともただ単に見解の相違、意見の食い違いに妥協点を見出すことを放棄しただけか。
一夜は踵を返し、隠れている僕に気づかないまま、その場から去っていった。
「「 まったく、もう…… 」」
円先輩と飛鳥井先輩が異口同音に呆れの言葉を零した。
同時にふたりの先輩から呆れられるとは、なかなかウルトラCだな。
「ところで、もうひとり隠れてるんじゃない?」
「!?」
バレていたか。
どうする? ここは巨大ハムスターになり切って誤魔化すか? いや、まぁ、無理に決まってるけど。飛鳥井先輩だって確信した上で言っているのだろうし。
仕方なく僕は見えるところに出ていった。
「千秋君?」
「す、すみません……。一夜のやつが気になったもので」
本当に気になったのは相手の方だけど。
「そう。だからと言って覗き見は感心しないわ」
「すみません……」
僕はもう一度謝った。
せっかくの機会なので、今抱えている問題を解決すべく話を切り出す。
「えっとですね、飛鳥井先輩。実は僕、つき合っている人がいまして……」
「そうなの?」
先輩はわずかに驚きの表情を見せた。
「それはここにいる四方堂さん?」
「い、いや、こんなタワーリング・インフェルノな人じゃなくて……」
そんなおっとろしい冗談は勘弁。
「何でそんな表現になったのか知らないけど、後で覚えてなさい」
隣で円先輩がつぶやいた。
「じゃあ、きっと片瀬さんね」
「えっ!? いや、その……まぁ……」
軽いジャブの後にストレートが飛んできた。
「それでですね。先日、先輩は僕に興味があるとか何とか言ってたと思うのですが、そういうことなので……」
内容が内容だけに終始不明瞭な説明。これでわかってほしい。
が――、
「……」
飛鳥井先輩からは何の反応もなかった。日本人形めいた顔は表情に乏しく、何を考えているのか読み取れない。飛鳥井先輩を前にすると誰もが緊張を強いられるというのは、このあたりが理由だろう。
「そう。確かにそういう解釈も成り立つわね」
「……」
いちおうわかってくれたっぽい。でも、なんか雲行きが怪しくなってきてないか?
「ごめんなさい。どうやら曖昧な表現をしてしまったようね。私はただ純粋に千秋君がどんな人間か知りたいだけよ」
「……」
今度は僕が黙る番だった。
つーか、穴っ。どっか隠れる穴はないかっ。すっごい恥ずかしいんだけど……。
救いは飛鳥井先輩がそのことを気にした様子もなく、本当にちょっとした間違いを訂正するかのように言ってくれたことだろう。
まぁ、いいや。心配したようなことはなかったわけだし。これで片瀬先輩も落ち着いてくれることだろう。
「でも、興味があることには変わりないわ」
「そ、そうですか……」
別にそれほど面白い人間でもないですけどね。
「だから、またひとつ千秋君のことを知ることができたのは収穫と言えるわ」
「はあ……」
「今度うちへいらっしゃい。招待するわ」
「……」
「では、私は先に戻らせてもらうわね。さようなら、千秋君」
そうして去っていく飛鳥井先輩。
残される円先輩と僕。
「……」
「……」
「いちおう問題は解決しましたね」
「……そうみたいね」
「でも、なんか妙なことを言ってましたね」
「……そうね」
「どうしましょう?」
「……さぁ?」
「そんなこと言わずに」
「……」
「……」
「……とりあえず司には黙っててあげるわ」
「……お願いします」
「……」
「……」
結局、やっぱり問題が残ったような気がするな。
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