2.

 朝、教室に入ると、隣の席の居内さんがゴン太君を解体していた。


 ゴン太君というのは、もちろん、のっぽさんの隣にいる怪生物のことだけど、これまたもちろん、本ものを解体しているわけではない。


 机の上にはゴン太君の外殻とともに、ネジやバネ、歯車といったパーツが転がっている。


「何やってんの、居内さん」


 僕が聞くと居内さんはドライバを握る手を止め、一度こちらを見た。が、答えはなく、またすぐに作業をはじめた。


 居内さんは、見ていればいずれ答えがわかる質問に応じるほど親切ではないのだ。


「あれ何やってるの?」

「家庭科部の先輩に、目覚ましの修理を頼まれたんだって」


 ボリュームの小さな声で教えてくれるのは、居内さんの後ろの席の女子生徒。名前を砂倉さんという。声が小さいのは別に周りに気を遣っているわけではなく、これが彼女の初期値(デフォルト)だからだ。


「ふうん」


 ゴン太君は目覚まし時計だったのか。


 それにしても精密ドライバのセットを携帯している女の子ってどうなんだろう?


「その先輩って、わざわざあれを家から持ってきて居内さんに頼んだのかな?」

「らしいよ」


 つまり居内さんはこういう部分で周りに頼られているということか。僕の知らない彼女の一面だ。


「おはよう、一夜」


 それからようやく着席した。


「今日も飛鳥井先輩が校門に立ってたぞ」


 ぴたり、と一夜の動きが止まった。

 とは言っても、もとから動きなんてないに等しいのだけど、意識が本から離れた――そんな感じ。


 一夜が僕を見た。


「……なぜそれを俺に言う?」

「いや、別に。他意はないよ」


 ちょっとカマをかけてみただけ。このところ飛鳥井先輩の名前を出すと、一夜が必ずといっていいほど、妙な運動をするものだから。


「でもさ、風紀委員の仕事って遅刻の取り締まりだろ? だったら予鈴が鳴る前くらいから立っていればいいんじゃないの? けっこう早くからきてるよね」

「あれはいちおう服装のチェックも兼ねてる。ネクタイがないやつとか、体育科のジャージ登校とかもとっ捕まる」

「あ、そうなんだ」


 後者は当然のこと、前者もやったことがないので気がつかなかった。そう言えば夏服になる前、時々校門手前で慌ててネクタイ締めてるやつを何回か見たな。


「意外に詳しいな、一夜」

「……まぁな」


 直後、一夜は外界からのアクセスをシャットアウトした。これ以上のコミュニケーションは受け付けませんよというオーラが出ている。


 もっといろいろ聞いてみたいことがあったけど、仕方ない、またの機会にしよう。


 と――、


『ふごっ ふごっ』


 突然の怪音。

 何かと思ったら、ゴン太君だった。修理が完了したらしい。……すごくどうでもいいことだけど。





 昼休み――、

 教室で弁当を食べてから、一夜と一緒に学食に足を向ける。


 目的地に着くと僕らは真っ直ぐに隅の自販機コーナに向かった。


 中に入ってからぐるっと見回したけど、今日は片瀬先輩はきていない模様。残念。


「お先」


 ひと言断って先に硬貨を放り込む。本日はリッチに缶ジュースだ。

 出てきたジュースを取り出して一夜と交代。プルタブを開けながら、もう一度学食の中を見回してみる。


 と――、


「おい、一夜。飛鳥井先輩だ」


 窓際のテーブルで飛鳥井明日香先輩がひとりランチを食べていた。


「だからなぜそれを俺に言う」

「あ、いや、今回のは純粋に感嘆の声だと思ってくれ」

「今回のは、な」


 おおっと。軽く口が滑ったか。


 いつもの缶コーヒーを買った一夜が僕の横に並ぶ。


「それにしても飛鳥井先輩、昼食べるの遅いよね」


 僕らが教室で弁当を食べて、それからここにきて――で昼休みがはじまってかれこれ三十分近くになる。


「風紀委員って昼休みも忙しかったりするのかな?」

「いや、あれは……まぁ、そうかもな」

「……」


 なんだ? やたらと歯切れが悪いな。否定したのか肯定したのか、どっちだ。


 そんなことを言っているうちに飛鳥井先輩が食事を終えた。

 立ち上がってトレイを手に取り、それを持って食器返却口へ向かう。食器を返した後は一直線に学食の出入り口へ……と思いきや、直前でかくっと折れ曲がり――、


「うわ! 一夜、こっちきたっ。どうしよう!?」

「別に喰われはせんやろ」


 確かにそうだ。それに何も僕らに用があると決まったわけじゃない。自販機に用があるのかもしれないし。そうだ。きっとそうに違いない。


 だったら知らない振りしてすれ違ってしまおう。


 が。


「待ちなさい」


 しっかり呼び止められた。


「貴方、カッターのボタンはちゃんと上までとめなさい」


 捕まったのは一夜だった。


 飛鳥井先輩は一夜の胸元に手を伸ばし、はずしていたボタンをとめはじめる。

 一夜は居心地悪そうに、わずかに顔を歪めた。


 その横で僕は、僕も一夜と同じくボタンをはずしていたので、こっそり直しにかかった。……が、缶ジュースで片手がふさがっているせいで、なかなかうまくいかない。


「これは風紀委員としての注意ですか?」

「単に気になっただけよ」

「……」


 ばつの悪そうな一夜の顔。


 やはり一夜でも飛鳥井先輩は苦手なのかもしれない。


「それから千秋君。貴方もみたいね」

「うぇーい」


 間に合わなかったー。


 飛鳥井先輩は、今度は僕のほうにすっと寄ってきて、ボタンに手を伸ばした。


「……」


 やはりどうしようもなく緊張する。

 片瀬先輩に近寄られても当然緊張するのだけど、飛鳥井先輩だともっと別種の、威圧されているようなプレッシャを感じる。釣り目気味の目とかキツい感じの顔の造作がそうさせるのだろうか。


 今の僕は嵐が通り過ぎるのをただただ待っているような気分だった。大自然の脅威の前にはちっぽけな人間など無力なのだ、みたいな。


「はい。できたわ」


 そう言うと飛鳥井先輩は踵を返した。


 背筋のぴんと伸びた、優雅な歩き姿。十二単を着せて、板張りの廊下を歩かせても様になりそうだ。


 先輩が学食を出て姿が見えなくなると、僕は安堵のため息を吐いてから、ようやく口を開いた。


「僕、あの人苦手だ」

「……俺も」


 なんと。珍しいこともあるものだ。一夜が弱音を吐くなんて。

 思わず一夜を見る。


 が、一夜は僕の視線から顔を背けるようにして、すっとそっぽを向いた。


「……」

「……」


 あいかわらず掴みどころのないやつ。





 放課後――、


「あ。今日、僕、掃除当番じゃないか」


 終礼が終わって帰る直前になって初めて気がついた。すごい損した気分。


「一夜、待っててくれ」

「断る」

「うあ゛……」


 即答ですか。


「何か用でもあるの?」

「いや、なんか嫌な予感がする」

「何だそれ」


 普段から言葉にデコレーションが少なくて、人間の感情なんか電気信号くらいにしか思っていないくせに、今日はえらく感覚的だな。


「んじゃ、また明日」

「ああ、うん。また……」


 帰るって言うのなら無理に引き止める理由はないし、仕方がないのでちゃっちゃとやってしまおう。





 で、結局、なんだかんだでふざけながら掃除をしていて、ずいぶんと遅くなってしまうわけだ。


 もともと特進クラスは七時間授業でほかのクラスよりも帰りが遅いのに、その上掃除当番だった日には気分は浦島太郎だ。


 そうしていつもより三十分以上も遅く帰る。当然のように誰とも会わないものだと思っていたが――、


「あ……」


 なぜか昇降口で飛鳥井先輩とばったり会ってしまった。


 そう言えば飛鳥井先輩も特進クラスだったな。つまり帰りにここで会う確率自体はそれなりにあるわけだ。


 しっかし、こんな状況で会うとは……。

 周りには誰もいないし、さっき声を上げてしまった手前、逃げるに逃げられないし。


「あ、飛鳥井先輩も今帰りですか?」

「ええ。……丁度いいわ。貴方に聞きたいことがあるの」

「……何でしょう?」


 実は僕が知らないだけで、風紀委員には職務質問する権限が与えられていたりするのだろうか?


「一夜さんのことを教えて欲しいの」

「い……っ!?」


 一夜、さん?


「そんなに驚くこと? お友達なのでしょう?」

「もちろんそうですけど……何でそんなことを?」


 場合によってはこっちから職務質問した方がいいかもな。


「そうね。一夜さんのことが気になるから、かしら」

「……」


 飛鳥井先輩らしいと言うべきか、すごく直球だな。


 情報を整理しよう。

 飛鳥井先輩は一夜のことが気になっている。確か一夜は三年女子の間で人気ナンバーワンという話だから、こういう事態もあり得るのだろう。もちろん、それが飛鳥井先輩であることは強烈に意外だけど。


 それで僕に一夜のことを聞こうと思った――そんなところか。


「一夜のこと、ですか……」


 そうは言っても何でも知っているわけじゃないし、それにおしえていいことと悪いことの選別も必要だ。


「千秋君、貴方から見て一夜さんはどんな感じ?」

「ん? 普通ですよ? いや、まあ、普通と言うには『普通』を大きく逸脱している感はありますが」

「普段はどんな話を?」

「改めて聞かれると答えに困りますけど、くだらない話をしたり、勉強の話をしたり。基本的に話すこともやってることも、普通に友達同士でするようなことばかりですよ。弁当のおかずを取り合いしたり」

「まあ。そうなの」


 お。何かが先輩の琴線に触れたようだ。驚きながらも嬉しそうだ。


 このあたりの話題でいいならいくらでもあるけどね。


「三年の先輩方のところに流れていく噂からじゃ想像もつかないと思いますけど、一夜って意外と面白いですよ」


 そんな感じでいくつか話しながら昇降口を出る。


 と――、


「あれ?」


 出たところで片瀬先輩が立っていた。

 もしかして何かの用事で帰りが遅くなって、そのついでに僕を待っていてくれたのだろうか。


「先輩」


 ぼうっと余所見をしていた片瀬先輩に呼びかける。


 先輩はようやく僕に気づき、それから隣にいる飛鳥井先輩を見て――、


「うは……」


 半眼のジト目になった。


 僕が遅いから怒ってる……んだったらいいなぁ……。


「いや、先輩、これはですね……」


 いきなり言い訳に走る僕。


「そこでたまたま飛鳥井先輩と会いまして――」

「へぇ。那智くん、いつの間にか飛鳥井さんと仲良くなったんだぁ」

「じゃなくてっ。一夜のことを聞きたいって言うから答えてただけですってば」


 顔は笑ってるのに目だけが笑ってなくて、普通に怖いんですけど。


「遠矢君のことを?」


 片瀬先輩はそこでぴたりと動きを止めた。

 さすがに女の子というところか、それだけでだいたい事情を察したようだ。飛鳥井先輩に体を向ける。


「飛鳥井さん。そんなに遠矢君のことが知りたいのなら千秋くんに聞かずに、直接本人に聞いたらどうかしら?」


 何でそんなに高圧的なんだろうな、片瀬先輩は。


 だけど、飛鳥井先輩も負けてはいない。


「それができたら苦労はしないわ。それに――」


 そこで飛鳥井先輩は言葉を切り、一拍おいた。


「千秋君にも同じ程度に興味があるのよ」

「はい?」


 我が耳を疑いつつ、思わず聞き返す。


 しかし、飛鳥井先輩はにこりとも笑わず、いたって真面目な表情。


「さようなら。またね、千秋君」

「あ、はい。また……」


 って、言ってしまっていいものだろうか。

 できれば会いたくない気もする。


 片瀬先輩と僕は、去っていく飛鳥井先輩を呆然と見送った。

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