挿話 「とあるバスケ少女の復讐喜劇」
時間は戻って、
はじまりはゴールデンウィークが明けて間もないあの日、中学時代からのライバルである宮里晶に勝負を挑んだときだった。
彼女がチームメイトとして連れてきたのは、ショートシャギーでかわいらしい感じの小柄な男子生徒――千秋那智だった。
そのときの3on3の勝負には勝った。
だが、個人技では文句のつけようもなく完敗だった。
かくして、その日から
●○●第1クォーター●○●
翌日の昼休み、さっそく音子は千秋那智のいる一年七組の教室へ行った。
ガラリ、と扉を開ける。
教室は昼休みということもあって賑やかだった。喧騒に包まれる教室を縦断して千秋那智の席へと向かう。
そして、びしっと指を突きつけて言い放った。
「千秋那智、私と勝負よ!」
「……」
食事中だった千秋那智の動きが止まった。
突然挑戦状を叩きつけられて恐れおののいているのだろう。音子は自分が精神的に一歩リードしたことを確信した。
千秋那智の大きくてきれいな瞳が音子を見つめる。
「……っ!」
音子は一瞬、彼を持って帰りたい衝動に駆られたが、辛うじてそれを押し留めた。
(でも、せめて目だけでも……)
そんなささやかで望みが頭に浮かぶ。
やがて止まっていた時が動き出したかのように千秋那智がもっきゅもっきゅと咀嚼を再開し、口の中のものをごっくんと飲み込んだ。
「今そこ誰もいないから、よかったら座って」
「……ええ、そうさせてもらうわ」
音子は勧められるままに前の席のイスに座った。
「それで?」
千秋那智が話を促す。
「昨日の勝負、私たちが勝ちましたわ」
「うん、そうだね。改めて言われるとむかっとくるけど」
その言葉通りわずかにむっとした表情を見せ、再び弁当に箸をつけた。
「でも、私は貴方に負けた」
「そうだっけ?」
はて? と千秋那智は箸の先をくわえたまま目だけを天井に向けた。
「そうなのよ。このままでは私の気がすまないわ。だから、今度は一対一で勝負よ。私が勝ったら一生下僕になりなさいっ」
「一生かよ!?」
「じゃあ、その目をもらうわっ」
「怖いわっ!? 帰れ! この若鶏の竜田揚げやるから、とっとと帰れ!」
あろうことか音子の挑戦を、千秋那智は逆ギレでもって応えた。
仕方がないので音子は日を改めて出直すことにした。あと、若鶏の竜田揚げはけっこう美味しかった。
●○●第2クォーター●○●
別の日――、
またも昼休みを襲撃する。
「千秋那智、今日こそ勝負よっ」
「えぇー」
のっけから不満全開の顔をされてしまった。
「嫌そうね」
「だって、負けたら目えぐられるんだろ? 君、いったいどこの部族の戦士だよ」
「……そ、それは忘れて」
顔から火が出るような思いで、音子はそれだけ言った。
昨日、ヒートアップしすぎていたとは言え、勢いで目が欲しいなどと乙女チックなお願いを口走ってしまったことを改めて恥ずかしく思う。
「その代わりに別の条件を用意したわ。私が勝ったら貴方のことは『なったん』と呼ばせてもらうわ。そして、貴方は私のことをかわいく『ねこちゃん♪』と呼ぶのよっ」
「……」
「……」
「……ごめん、もう一回言ってくれるかな」
「私が勝ったら私のことは『ねこちゃん』と呼んでもらうわっ」
「……今、気まずい空気を感じて半分削っただろ?」
「気のせいですわっ」
音子は否定した。と言うか、否定しようのない事実を力で押し切ってなかったことにしようとした。
「まあ、いいけどね。……しかし、あれだ。前回の個人の尊厳と人権を踏みにじったり、
「ダ、ダメよっ。そんな、いきなりだなんて……」
「何を悶えとんのだ、妖怪」
那智が白色を多分に含んだ目で音子を見つつ、冷ややかに言った。
「つーか、そんな条件お断りだ」
「何でよっ」
「いや、言った瞬間霊長類として何か大切なものが欠落してしまう気がするし。……そんなわけで僕は逃げるよ。今から行くところがあるんでね。じゃっ」
弁当箱を片づけた那智は立ち上がって、しゅたっ、と片手を上げた。そして、次の瞬間、脱兎の如く駆け出していた。
●○●第3クォーター●○●
三度――、
「千秋那智っ!」
ガラリ、と扉を開けると同時に言い放った。当然、教室内に那智がいない状況などこれっぽっちも考えていない行動である。
「げっ……」
那智はちょうど昼食を食べ終えたところだったらしく、弁当箱を鞄に片づける手を止め、小さく呻いた。
「千秋那智、今日こそは『ねこちゃん♪』と呼んでもらうわよっ」
「もはや勝負ですらないのかっ!? ……居内さん、あとよろしく」
そう言いながら那智は手早く弁当箱を片づけた後、教室後方の扉に向かった。
那智の声に隣の席の女子生徒が無言で頷くのが見えたが、音子はかまわず教室を縦断して那智を追いかけた。
と、そこに――
横から、すっ、と足が伸びてきた。居内と呼ばれた女子生徒の足だ。
「ぇ……? きゃあああーーーっ!」
絶対回避不能な絶妙のタイミングで出された足につまずき、音子は頭から床を滑った。二メートルほどの距離を滑走してから音子の身体が止まる。
「すげぇ。見たか、今の」
「見た見た。野球部も真っ青のヘッドスライディング」
「バッカ、お前、称賛すべきは居内さんだろ」
「俺もそう思う。あのタイミングでやられたらきっとキングコブラでもこけるね」
周りでそんな会話が交わされる中、音子はむっくりと立ち上がった。振り返ると無言、且つ、無表情のまま両手を上げてクラスメイトの歓声に応えている居内がいた。
「あ、あなたねえ……っ」
「……」
怒りに任せて掴みかかる。
が、居内は黙って目を逸らしただけだった。そして、そのまま彼女があまりにもじっと一点を見つめるので、気になってそれを目で追うと教室の扉があった。
「はっ、しまった……」
ようやく自分が那智を追っていたことを思い出す。
「この借りは必ず返しますわ」
ずびしっ、と指を突きつけポーズを決めると、音子は再び走り出した。
●○●第4クォーター、或いは、遅れたハーフタイムとコートチェンジ●○●
日曜日。
いつもより遅い起床と、いつもより少し凝った食事。それから洗濯と家中の掃除をして――
ちょうど十一時。
「ばっちりだな」
今日の僕の予定は教会に行くこと。
近々催されるバザーの手伝いを頼まれているので、先生とその打ち合わせ、というか、いろいろ詳しいことを聞いておきたいのだ。
この調子なら午後には教会に行く時間くらいは作れそうだ。
とりあえず今から買いものだ。昼食になりそうなものがない。ついでに晩の買いものもしておけばいいだろう。
さっそく戸締りを確認して、マウンテンバイクを持ち出す。目指すは駅前のスーパーだ。
そして、事件はそこで起こった。
「お」
人の行き来が激しい休日の駅前で、ふと見かけた女の子の横顔がかわいかったので、僕はつい見惚れてしまった。
自転車に乗りながらちょっと余所見。
そしたら女の子のほうも、そんな僕に気がついて言ったのだった。
「あら。こんなところで会うなんて奇遇ですわね」
お前かっ!
「って、おおおぉぉぉーーー」
辛うじて人にはぶつからなかったものの、僕は自転車でゴミ箱に突撃した。
「貴方、自転車は苦手ですの?」
春らしい淡い色のワンピースを着た彼女は、悠然とこちらに寄ってきて、呆れたように問うた。
「……いや、そういうわけじゃないけどね」
そう思われても仕方ないかもな。僕としては蛇行しながらも人にかすりもしなかったあたりに曲乗りの才能を垣間見た気がする。ほら、あれだ。『ローマの休日』でアン王女がベスパを乗り回すシーンだ。
「憂鬱な顔をしていますのね」
「……まぁ、ね」
姫崎さん。君は気づいていないだろうけどね、僕は今、君に負けたんだよ。
まさか彼女に目を奪われるとは。
明日、片瀬先輩に会ったら謝っておこうかな。きっと先輩、わけわかんないだろうな。
「そんな敗北感に打ちひしがれた顔をしていないで、わたしと勝負なさい」
ここぞとばかりに追い討ちをかける気か。
「あのさ、学校なら兎も角、今ここでどう勝負するつもりだ」
「それもそうですわね」
それすらも考えずに脊髄反射で勝負云々言っていたのか。
「このあたりじゃリングをおいてある公園なんてないからね」
「日本でバスケットボールが流行らないのも、それが原因ですわね。手軽にできないからマイナーなままなのですわ」
「そりゃ同感」
確かにバスケは野球やサッカーのようにメジャーになりきれない。
理由としては、バスケのゴールは野球のバットやグローブみたく簡単に調達することができなくて、肝心要のゴールがないと遊べないからだろう。
だけど、そんなものは工夫次第でどうにでもなる。
僕は幼いころ、公園でバスケットボールを拾って以来、ずっとそれで遊んでいたし、ひとりでもいろんな練習をしたものだ。……まぁ、ガラスも割ったけど。
しかし、今は工夫以前にボールすらないわけだ。
「そういうわけで諦めてくれ。じゃあ、また」
僕は再びペダルを踏む足に力を込め、この場から去ろうとした。
「待ちなさい。話がありますわ」
「話? なに? 手短に頼むよ」
「むりですわ。聞きたいことがいくつかありますもの。時間は取れませんの?」
きっぱりと言い切る。
こういうところは姫崎さんらしい。
「だけど、そのはっきりした言い方は嫌いじゃないな。……いいよ。どこかそのへんでお昼でも食べながら話そうか」
「お昼? 私と貴方が、一緒に?」
途端、姫崎さんは神妙な顔つきで思案しはじめた。
「深い意味はないよ。単に僕がお腹減ってるだけだ。それに君の用事だからって奢らせるつもりもない」
「ならいいわ。行きましょう」
そう言って彼女はスタスタ歩き出した。
いったいどっちで納得したのだろうな。まぁ、いいけど。
五分ほど後、僕らは近くのファーストフードショップにいた。
カウンタでそれぞれ注文をする。
「ここは僕が出すよ」
「何を言っていますの? 私が出しますわ」
「いや、奢らせるつもりはないって、さっきも言ったし」
聞いていなかったのだろうか。
「だったら、私も貴方に奢ってもらうつもりはありませんわ」
「こういうとき奢ってもらうとか割り勘とか、男としてどうだろう?」
「そういうのは、こっ、恋人と一緒のときに心配なさい」
姫崎さんは一部の単語に詰まりつつ言い返してくる。
「なるほど。それもそうか。じゃあ、ここは割り――」
「私が払いますわ」
「何で!?」
「私の用で呼び止めたのですから、私が払うのが当然ですわ。それに奢られるのはもちろんのこと、割り勘でも私の負けを認めるようなもの」
「アホかっ」
こんなときまで変な対抗意識を持ち出すなよ。話が堂々巡りしてるじゃないか。
「あの、お客様。後ろにも他のお客様がお待ちですから」
割り込んできたのは店員の声。
支払いの段階になってあーだこーだ言っている僕らは、さぞかし迷惑な客だろうな。さすがにスマイル0円の店員さんもむっとしている。
「よし。ここは普通に割り勘だ。これ以上の文句はなしの方向でよろしく」
「仕方ありませんわね。わかりましたわ」
姫崎さんは不承不承返事をした。きっと納得していないのだろうけど。
格好悪いがそれぞれ別に会計をすませると、僕はトレイを持ち上げた。
「ちょっと、それ、私の分も入っていますわよ」
「知ってる。そして、僕のもある」
トレイの上にはハンバーガがふたつ、ドリンクが2本、そして、ポテトがひと袋あった。要するにふたり分がひとつのトレイに乗っているのだ。
「つべこべ言わず、これくらい男だからって理由で僕に持たせろよ」
「あ……」
「ほら、行くよ」
「い、いいでしょう。持たせてあげますわ」
「へいへい。ありがたき幸せですよー、お姫様」
まったく。あいかわらず負けず嫌いなお嬢様だな。
空いたテーブルに着くと、しばらくの間、僕らは黙ってハンバーガを口に運んだ。
しっかし、まぁ、まさか散々追い掛け回されている姫崎さんと、こうして落ち着いて話すときがくるとはね。しかも向かい合って食事。世の中わからないものだ。
食べながら正面の姫崎さんを見る。
制服姿しか見たことがないだけに、私服というのは新鮮だ。彼女はハンバーガみたいな大雑把な食べものを上品に食べている。
と――、
姫崎さんが意識を僕に向けた。
「貴方、中学のときスタメンじゃなかったって本当ですの?」
食べるのが一段落ついたのか、彼女はそんなことを聞いてきた。
「とりあえず本当。でも、なんで姫崎さんがそんなこと知ってるのさ?」
「こんなのちょっと聞いて回ったら、すぐにわかることですわ」
「なんだそりゃ。情報源はどこだよ。同じ中学のやつらか?」
特進科は居内さんと僕だけだけど、確か普通科の方に数人いたはず。
「それもありますわね」
「くっ。個人情報の保護はどうなってるんだ……」
「ミーハーな女子高生にそんなものを期待しても無駄ですわ。他にもいろいろ聞いていますわよ」
ふふん、と勝ち誇ったように言う。
もう好きにしてくれって感じだ。僕は思わずがっくりと項垂れた。
と、そこで気づく。
――いろいろ?
つまりそれはあれのことも知っているということか?
同じ中学のやつに聞いたというのなら、彼女の耳に入っていてもおかしくないだろう。あの噂はけっこう広まった。かなりの人数が知っていることだ。
「情報源なんてどうでもいいことですわ。それよりも貴方が顧問の先生に嫌われていたから、スタメンから外されたというのも本当ですの?」
「さぁ、どうだろうね。先生に嫌われていたってのは事実だよ」
それは換言すれば差別と言う。
「だけど、それが理由でスタメン入りできなかったかは不明。単純に僕が先生の望むものを持っていなかっただけかもしれない」
「そんなことあるわけないじゃない。私は貴方ほどのプレイヤをほかに知らないわ」
姫崎さんは語気を強めて言う。
「評価してくれるのはありがたいけど、残念ながらそれは君が知っている世界が狭いだけだと言わざるを得ない。僕より上手い人はいくらでもいる。現にひとつ上の小南先輩なんて――」
「それは先輩でしょっ。貴方が三年のとき、貴方以上のガードはいたの?」
「……」
「……」
「……パス。その質問はパスさせてもらう」
「いいけど、もう残りはないわよ」
「少なっ」
一回で終わりか。七並べでも三回はあるぞ。
「技術ってのはある程度絶対的なもの差しで測れるけど、そのプレイヤが試合で使えるかは別の基準があるわけだ。チームの傾向とかね。特に僕みたいな、すぐに切り込んで半分くらいの確率で潰されるガードは使いにくいんじゃないかな」
「あら。いいじゃない? 貴方に合わせれば超攻撃的なチームのでき上がりですわ」
「で、速攻でガンガン攻める?」
「もちろん」
姫崎さんは、ほかに何があるのかと言わんばかりにうなずいた。
「君らしいね」
僕は思わず小さく笑ってしまう。実に彼女らしい。
「どういう意味ですの?」
「そのまんまの意味だよ」
宮里(通称サトちゃん)だって同じ感想をもつだろう。
「心なしかバカにされてる気がするわね」
「それは被害妄想ってもんだ」
「まったく」
そうつぶやいて彼女は苦笑した。
が、それがはたと止まる。
きっとこんなふうに和やかに話していることに疑問を覚えたのだろう。何を隠そう僕もそうだ。僕らはこんなに仲のいい関係ではなかったはずだ。
姫崎さんが咳払いをひとつした。
「兎に角、その先生は顧問としては失格ね。実力のあるプレイヤを使いこなせず、その上、個人的な感情を挟んでいるんだとしたら尚更よ」
「僕を評価してくれてるんだ」
ちょっと嬉しくなるな。
「べ、別に貴方を褒めているわけじゃないわよ。私は優れたプレイヤだから、ちゃんと人の実力も測れるだけ」
「それもひとつの美点だ」
「……」
黙った。
あれだな。負けず嫌いで勝つことに拘っているわりには、褒められることに弱いんだな。
「……」
「……」
再び食事タイム。
僕はポテトに手をつけ、彼女は残っているハンバーガを食べる。
「話を戻すけど、不当な扱いにクラブを辞めようとは思わなかったの?」
少し間をおいて、姫崎さんが口を開いた。
「それは考えなかったな。さっきの話じゃないけど、日本はバスケがメジャーじゃないからね、辞めたらほかにやる場所がないんだ。それ以前に扱いが不当だと思わなかったから」
「……」
今度の沈黙の理由は不明。
やがて――、
「そう。つまり、貴方は純粋に……」
思考が口から零れるようなひとり言が紡がれた。
だんだん発音が小さくなっていく。
「なに?」
「前にも感じたけど、今日、改めて痛感したわ。貴方、ただのお人好しだわ」
確信を持ったようにきっぱりと言い切る。
「まぁ、そうかもね」
多少自覚する部分もないでもないし、別にそう思われてもかまわない。否定しなくてはならないほどのものでもないし。
姫崎さんは、これ以上聞くことはないのか、再びハンバーガに口をつけ、程なく食べ終えた。
僕はさっきからポテトを一本ずつ食べていた。
「姫崎さんも食べる?」
ひとりで食べているのも悪い気がして、ポテトの袋を彼女の方に向け、聞いてみた。
「けっこうですわ、そんな油の塊」
「油の塊て……」
ポテトも嫌われたものだな。
「あ、やっぱり姫崎さんも体重とか気にするほうなんだ」
「当たり前ですわ。そうでないとスタイルは維持できませんもの」
「スタイルねぇ」
と、僕は彼女の胸元に目をやる。
「だったらもう少し食べたほうがいいかも」
起伏らしい起伏が見当たらない。
「貴方、さり気なく失礼なこと言って、あからさまに失礼なことをしますわね」
「あー、うん。ごめん……」
さすがに話題としては不適切だったな。
と――、
不意に姫崎さんが思案顔になった。
「やっぱり、貴方も、その……あった方が……」
視線を落とし、ぼそぼそとつぶやいた。
「なに?」
「いえ、いいわ。何でもありませんわ」
そして、すぐにキャンセル。なかったことにされた。
「……」
彼女、時々言葉が不明瞭になるよな。
「それにしても、貴方でもそういうところに目がいくのね」
「謝ってるのにまだ責めるか、君は」
「そうじゃないわ。純粋に感心しただけ。クラスの男子がそんな話題で盛り上がっていたり、女の子が階段を登っているとすぐに下に集まってきたりするのを見たことがあるから。貴方も同じなのねって」
「ああ、そういうことね。開き直るわけじゃないけど、僕だって似たり寄ったりだよ。階段で女の子が先を歩いていたら、多少は気になるからさ」
これはこれで健全な成長過程に立っていると思っている。
僕がそう話したところで、姫崎さんがくすりと笑った。
「笑いたけりゃ笑えよ。そんなの興味ありませんみたいな顔をしたところで、いつかはボロが出るんだからな」
我ながらここまで開き直るのもどうだろう。
「そういう意味で笑ったんじゃないわ。貴方って本当に正直だと思って」
「男はそんなやつばかりじゃない、とでも言えばよかった?」
「そうね。それはそれで信じたかもしれないわ。あぁ、千秋君だけは違うのねって」
と、姫崎さんは真面目な顔で、言った。
「……あっそう」
僕はそう返すのでやっとだった。
何だろうな、この気恥ずかしさは。面と向かって『千秋君』なんて言われたからか。
「……」
「……」
お互い黙ってドリンクを飲む。
この沈黙の中で、どうやら僕ひとりだけが気まずい思いを味わっているようだった。
それに耐え切れなくなったわけではないけど、今度は僕から話の口火を切った。
「あのさ、姫崎さん。僕からもひとつ聞いていいかな?」
そう。聞いておかなければならないことがある。
「何かしら?」
「さっき、僕のことを聞いて回ったって言ってたけど、あの話も聞いたの?」
「あの話……?」
「僕に関する噂」
「噂……」
そう発音して彼女は思案する。
やがて――、
「あぁ、あの話ですわね」
「……」
それだけで充分だった。思い当たるものがあるということは、つまり知っているということに他ならない。
それは僕という人間のデザイン。
もとより隠すつもりはなかった。一夜なんかにはちゃんと言っていることだ。
だけど、言う必要がないと思った人間に、予期せぬタイミングで自分以外の人間の口から伝わってしまったことに戸惑いを覚える。
「……それで、どう、思った?」
聞いた僕の声は思った以上に硬かった。
「どうって、別になんとも思いませんわ。私には関係ありませんもの」
「……」
「貴方がどういう種類の人間でも、ひとりのプレイヤとして優れているのは事実。その貴方に私は勝ちたいだけですわ」
「そっか」
再び繰り出された姫崎さんらしい発言に、僕は頬を緩めた。
彼女はどこまでも自分を貫く。
その姿勢はとても好ましくて――なのに、彼女に僕という個人はどうでもいいと言われたことが、不意に寂しくなった。
僕はドリンクに手を伸ばし、ストローに口をつけた。
すでにさっき飲み干してしまっていたので、口の中に流れ込んできたのは溶けた氷だけだった。薄くジュースが混ざっていて、何とも言えない味だ。
やがてそれもなくなると、間抜けな音とともに空気を吸い上げた。
それが合図だった。
「じゃあ、私は帰りますわ」
姫崎さんはトレイの上のゴミを捨てやすいようにまとめていく。
「時間を取らせて悪かったわ」
「いや、いいよ。けっこう楽しかったし」
「勘違いしないで。私は貴方と一緒に有意義な時間を過ごすために呼び止めたんじゃありませんわ。単に聞きたいことがあっただけ」
「それもそうか。じゃあ、今のは僕の心の中だけの感想として留めておくよ」
「……」
姫崎さんは黙ってトレイを持って立ち上がった。
「あ、いいよ。僕が片づけるから」
僕も後を追うようにして腰を浮かせた。
「つべこべ言わず、これくらい女だからって理由で片づけさせなさい」
「や、別につべこべ言うつもりは……って、まあ、いいか。ここはお言葉に甘えておくよ」
「ええ。じゃあ、さよなら」
「うん。また……」
明日学校で、と言いかけて口をつぐむ。
本当に会っても困るわけで。
そんな中途半端な挨拶をする僕を気にした様子もなく、姫崎さんはトレイを持ったまま踵を返した。
僕は素直に片づけを彼女に任せて、ひとりで店を出た。
姫崎さんとはこれで別れる。
もともとこの程度の仲だから。
思わぬところで昼食を取ることになったけど、その後は予定通りスーパーで買いものをして、教会にも行って一日を終えたのだった。
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