第3話 暗闇
翌日は、秋晴れの爽やかないい天気だった。雲はほとんど無く、遠くまで良く晴れ渡っていて、日差しも優しく、頬を撫でてゆく風が心地良い。
「行ってらっしゃい!」千冬が玄関まで見送ってくれる。
「ああ、行ってくる。ちゃんといい子にしてるんだぞ、ちゆ」
「はーい」可愛らしい笑顔。
今はまだ、精神的に不安定な千冬を家で一人にしておく訳にはいかなかったので、夜月は姉の依子に、自分が帰ってくるまでは千冬と一緒に居てくれるように頼んで仕事に出掛けた。本当は仕事などには出掛けずに、自分がずっと千冬の側についていてやりたいところだったのだが、そういう訳にもいかない。正直言うと、側についていてやるというよりも寧ろ、千冬がまた変な気を起こさないかどうか見張っていたいという気持ちの方が強かったのだが。
依子は、夜月の二つ年上の姉であり、夜月のたった一人の姉弟である。二年ほど前に、彼女は同い年の今の旦那と結婚し、現在は一歳半の女の子がいる。
千冬は、一応の人並みの社会性は有しているものの、実際的にはほとんどの人間に心を開かないのだが、幸いにも依子には気を許しており、彼女と居ると安心していられるようだった。また、依子がいつも子供を連れてくるため、千冬にとっては赤ちゃんの世話が出来るせいもあって、彼女は依子と会えるのをいつも喜んでいた。
「じゃあ、姉ちゃん、ごめん。よろしくな」
「うん、大丈夫よ。ちゆちゃんも、もう大丈夫みたいだしね。全然心配要らないわよ。ねっ、ちゆちゃん?」
「うん」
千冬が元気に返す。
「じゃあな、ちゆ。行ってくるな」
「早く帰ってきてね」
彼女がひらひらと手を振る。
明るく笑う千冬の笑顔を見ていると、夜月は、彼女がその胸の中にあれほどの深い暗闇を抱え持っているということが、どうにも信じられなくなった。どこをどう見ても、今の彼女が病んでいるようには見えない。
そして、夜月はいつも不思議に思うのだった。
……何故、生まれながらにして、彼女はあんなにも重たい暗闇を背負わされる羽目になったのだろうか? と。
誰が許したんだ、一体?
アパートの階段を下りて、上を見上げると、千冬と依子が手を振って見送ってくれていた。千冬の腕には赤ん坊が抱かれている。
千冬は本当に子供が大好きで、度々、夜月との子供を欲しがるようなことを言ったりもしていたのだが、夜月には、まだ彼女が母親になるには早いような気がしていた。何故なら、千冬自身がまだまだ愛情を貰い足りていない状態だったからだ。
夜月が彼女と付き合い始めて、かれこれ五年が経つ。
その間に、夜月はありったけの愛情を彼女に注いできたつもりだった。ただの恋人として与える愛情だけではなく、時には彼女の兄として、時には彼女の父親として、出来得る限りの愛情を千冬に与えてきたつもりだった。
けれども、それでもまだ全然足りてはいないような気がする。千冬の心を愛情で満たしてやることは出来ていない。実感としてそう感じる。それでなくても、千冬が今回のように、未だに自殺を考えなくてはならないというのが、そのことを雄弁に物語っているように思えた。彼女は、まだまだ愛情を貰い足りていないのだと。
夜月は時々、とても不安になることがあった。自分なんかに、彼女の心を愛情で埋めてやることが出来るのだろうか、いや、それ以前に、自分の愛情は果たして彼女の胸に届いているのだろうかと。
夜月は、彼女の心を愛情で満たしてやるどころか、まだ彼女の中に居座った暗闇を追い出すことすらも出来ていないのかもしれないと感じていた。そして、悲しいことに、今までの彼の感触からいって、その暗闇は、この先も当分の間ずっと、彼女の心の中から追い出せそうになかった。
けれども……一旦植え付けられてしまった暗闇が、その人の中から出ていってくれるということなど、果たしてあり得るのだろうか。
どちらにしても、千冬は今もってなお、不安定な状態にある。とてもではないが、彼女の方から誰かに愛情を注げるような状態ではない。たとえ、その対象が愛する我が子であろうとも。
我が子を見て、自分の幼少時代の記憶が甦ることで、反射的に子供に対して憎悪や嫌悪感を抱いてしまうといったような事は、ひどく病んでしまった母親には時として有り得る事ではあるが、千冬に限っては、それはないように思えた。彼女は決して誰かを傷つけたり出来るような人間ではなかったからだ。それを分かっていたからこそ、依子も赤ん坊の世話を千冬に安心して任せているのだった。
千冬が、自分の子供を虐待したり、殺してしまったりするような事は無いだろう。ちゃんと愛情を注いでやることも出来ると思う。自分が愛情をもらえなかった分、普通の人以上に子供を可愛がってやることが出来るかもしれない。
そういう点で見れば、千冬はかなりいい母親になれそうだった。
けれども、そうすることで却って千冬自身がまいってしまうような気がした。子供を愛するというのは、愛情が満ち足りた人間にとっても、かなり精神に負担の掛かる作業となる。自身の愛情が足りていないのに、千冬が子供にそれを与え続けて平気でいられる筈がない。
そういった諸々の理由から、夜月は千冬のその望みを叶えてやることは出来なかった。しかしまた、そのことについては、千冬自身も少しばかり認めているところだった。
最近でこそいくらか安定した状態だったとはいえ、彼女の精神が、もう二度と異常を来したりしないというような完璧な保証はまだどこにもなかったからだ。
千冬は病んではいるが、性格は素直だし、人付き合いも世間並みに出来る。頭だって相当にいいし、変に偏った考え方もない。日常的な精神生活には何の問題もない。
しかし、何かのきっかけで、一旦彼女の胸に闇が舞い降りると、一変して病的な重症患者に変わってしまうのだった。
自傷行為、被害妄想、正常な思考の喪失、極度の鬱状態。
吐き気、めまい、倦怠、虚脱、厭世、無情感。
そして――自殺衝動。
その、鬱蒼とした暗い闇の森の中に入り込んでしまえばそれで終わり。彼女はその森からは、もはや一人では出てこられなくなってしまう。
夜月は、千冬が自分と出会うまで、よくも彼女が生きてこられたものだと思っていた。夜月がいつも側に付いていても、自殺未遂だのなんだのと、あれだけのひどい状況に陥っているのだ。彼女はそれまで、どうやって一人で生きてきたのだろうか? 精神が分裂した訳でもなく、特異な宗教に執心していた訳でもない。彼女のそれまでの人生の、一体どこに救いがあったのだろう? 死なないまでも、彼女の精神は、回復不能なほどに壊れていてもおかしくはなかった。
だが、千冬の精神構造は、自殺の衝動を除けば、至って正常な状態に保たれていた。彼女をそれほど全うな状態のままで生かしておいてくれたものは何だったのか?
けれども、やはり夜月と出会っていなければ、彼女は今頃、本当に死んでしまっていたのかもしれない。
千冬の自殺未遂が、周囲への自己アピールといったような軽々しいものであってくれれば良かったのだが、それはないように思えた。
一般に、自殺未遂を何度も繰り返している人間の傾向としては、自殺を図ってみせることが、自己に同情を向けてもらうためのディスプレー的な行動であることが多い。若年層の自殺は、時には「憧れ自殺」と呼ばれたりすることもあるように、老齢者に多い「諦め自殺」とは違って、どこかに「あたしを助けて!」というメッセージが含まれている場合が多分にある。
しかし、千冬の場合は、その気を起こす度に、本気で死のうとしていた。今までにも、実際に死んでもおかしくないような危険な状態の時が何度かあった。
夜月はそれらを思い出すと、いつもぞっとして、ひどく悲しくなった。
彼女が本気で死にたがっていただなんて。
もう生きていたくはないなんて。
それを考えただけでも、夜月は嫌になるぐらい沈んだ気持ちになった。
その日は、天気が良かった為、駅までの道のりを歩くのは、たとえそれが出勤の為であっても、本来は気持ちのいい事である筈だった。だが、夜月の気持ちの中にはちっとも昂揚してくるものがなかった。
――千冬にずっと生きていて欲しい。
定期券で改札を抜け、いつもと同じ電車に乗り込む。秋にさしかかり、朝が寒くなってきたせいもあってか、車内では中途半端に暖房を効かせてあって、満員の電車の中は暑苦しいことこの上ない。
十分ほど経ってから、彼は大勢のサラリーマンや高校生達と共に電車を降りた。
職場は駅からはそう遠くない。五分も歩けば着いてしまう。家からの出勤にかかる時間は、ほんの三十分程度のものである。千冬のことも考えて、彼はわざわざ家から近いこの職場を選んでいた。
重苦しい気持ちを抱えたまま、夜月は彼の職場であるスーパーストアに到着した。
「おはようございまーす」
既に来ていた社員の板倉桃香が、寒そうに腕を組みながら夜月に向かって会釈してきた。
「井本さん、今日は珍しく遅かったですね」
「ごめんごめん。すぐに開けるから」
今朝は朝番に当たっていたので、店の裏口は夜月が開けることになっていた。いつも朝番の場合は、誰かを待たせたりすることなく、大抵彼が一番に来て、真っ先に開店の準備を始めているところなのだが、今日は千冬が心配だった為に、ぎりぎりまで家を出るのを遅らせて来た。
夜月は今から五年ほど前の、大学一回生の中頃からずっと、ここのスーパーでアルバイトをしてきた。千冬と知り合ったのも、ここのバイトがきっかけであり、たまたま大学が同じであったこともあって、彼女とはすぐに親しくなった。
ここに勤め始めて、社員としてはまだ二年も経っていないのだが、長年のそのバイト経験も手伝って、今はフロア主任兼副店長になっている。彼の大学の偏差値であれば、もっと別の、いわゆる一流と呼ばれる企業に就職するのも訳無いことだったが、色々と考えて、彼は職場にこのスーパーを選択したのだった。
とはいいながらも、条件はそう悪くもない。かつてはバイトだったとはいえ、彼はこの店ではもうトータル六年目のベテランということになるし、店内の事も、店長である古田幸人と同じぐらいに良く知っていた。早くから要職に就けたために、給料も同世代の友人達と比べればわりと多く貰っている方だったし、変則的ながらも完全週休二日制などの待遇も含めると、夜月にとってはかなりベストな職場だと言えるのだった。更に、千冬も今もここでパートとして継続して働いていたので、二人がいつも一緒に居られるという利点もあった。
初めは、千冬も夜月と一緒にここの社員になりたがっていたのだが、社員になれば苦労も増えるし、精神的な負担があってもいけないと思い、夜月は彼女にパートのままでいることを勧めた。千冬はそれに比較的あっさりと納得し、今は気楽なパート生活を楽しんでいた、筈だった。
しかし、夜月がちょっと目を離した隙に、千冬は手首を切り、またあの世へ行こうとした。
夜月の居ない世界へ。夜月の手の届かない世界へ。
自殺する前の、千冬のバイトのシフトがたまたま三日間開いていたというのも、その原因の一つになったのかもしれない。だが、そんなことは今までにも何回もあった。ならば、その三日の間に彼女に何かあったのだろうか?
そうやって色々と夜月が考え事をしている内に、バイトやパートの人達が続々とやって来て、更には搬入のトラックが続けざまにやって来たりと、夜月の思考は仕事に忙殺されていった。
平凡な一日の仕事が終わり、みんなに挨拶して、七時頃には店を出た。朝番の日は早めに仕事をあがることが出来るため、夜月は古田に申し出て、ここしばらくの間は朝番に回してもらっていた。
それから、電車以外の全ての道程を走って帰り、七時半には家に帰り着いていた。
玄関前まで来て、充分に呼吸を落ち着けてからチャイムを鳴らす。
千冬の為に走って帰ってきた事が知れれば、彼女にまた余計な心配をかけてしまうことにもなりかねない。今は、彼女に無用な気遣いはさせたくなかった。
チャイムの音を聞きつけて、ドアの向こうからは、ばたばたと走ってくる足音が聞こえた。まるで、ご主人様の帰りを今か今かと待ち受けていた室内犬のよう。施錠が外されると共に、勢い良くドアが開かれた。
「おかえりなさい!」
千冬が嬉しそうに夜月に飛び付いてきた。
首根っこにしがみついたままの千冬を引きずりながら、彼は家に入った。
部屋の中には既に、ホワイトシチューのいい匂いがしていた。
キッチンでは、依子が鍋の中身をお玉でかき回している。
「ちゆ、いい子にしてたか?」
「うん! してたよ。あたしはいつだっていい子だよ。ねえ、依子さん」
やはり、夜月には、千冬のその様子が少し気になった。まだあまり回復はしていないようだ。機嫌が良過ぎる。予断を許さない状態といったところか。
千冬は……自分の事が大嫌いだ。
落ち込んだ時や素直な気持ちを喋っている時は、彼女は自分の事をいい子だなんて言ったりはしない。いつも、自分に対して否定的な事ばかり言う。私のここが駄目だ、自分のこんな所が嫌いだ。彼女がそう言い出すと、夜月はいつも千冬に、そんなことはないと慰めてやらなくてはならなくなる。
だから、千冬が自分の事に関して、こんな風に肯定的な言い方をする時は、少し危ない時だと言えた。
しかしまた、千冬が今はかなりご機嫌で、はしゃいで冗談でそんなことを言っているのだということも同時に考えられた。ここら辺りは、長年一緒に居る夜月にでさえ、正確な判断が難しいところだった。
「店のみんなが、ちゆのこと心配してたぞ」
それを聞いて、彼女は素直に嬉しそうな顔をした。
「ほんとに? 嬉しい。早くお店に戻れるといいなあ」
「シチュー出来たわよ」依子がキッチンから二人を呼ぶ。
「夜月、早く食べよ」千冬が夜月の腕を引っ張った。
「ああ。手、洗ってくる」
「早く早く」
夜月は、洗面所に手を洗いに行った。ワイシャツや靴下などの汚れ物を洗濯かごに放り込んで、蛇口を捻りながら鏡を見る。
目の下に少し隈が出来ている。夜月は、本来はあまり疲れが顔に出る方ではなかったのだが、ここ最近の疲れ具合は、やはり相当なものらしい。
千冬は、こちらが自分でも気が付いていないような身体の変調もすぐに見抜いてしまうため、出来れば疲れた顔などしていたくはなかったのだが、目の下に居座ってしまった隈ばかりはどうしようもなかった。
夜月はその部分をゆっくりとマッサージして、少しでも隈が消えてくれるようにと無駄な努力を試みた。思わず溜息が漏れる。洗面台に手をつき、鏡に更に顔を近づけてみる。良く見てみると、白目も少し赤い。やれやれだ。
「夜月ー」
千冬の呼ぶ声が聞こえる。千冬は今は、精神状態はどうだか怪しいが、気分がいいのは本当のところのようだ。
「うん」
返事をしながら、夜月はダイニングに向かった。
「いただきまーす」
依子の旦那はいつも帰りが遅いため、夜月の家に来た時は、彼女はこうして一緒に夕飯を食べて帰ることが多い。
三人で手を合わせて、熱いシチューを軽く焼いたロールパンと共に食べた。夜月はにんじんを口に運びながら、千冬の様子を窺った。夜月のその視線に気が付いて、知ってか知らずか、彼女はにっこりと笑い返した。そして、彼に向かって言った。
「依子さんの作ったシチュー、やっぱり美味しい」
「ありがと、ちゆちゃん。いっぱい食べて早くお店に復帰しないとね」
「うん」
……夜月は考えていた。
千冬がこの間よりも以前に、最後に自殺を図ったのは、もう一年半以上も前のことになる。ここ最近、千冬の精神状態はずっと安定していたし、千冬自身ともそう話していたように、もう自殺を試みたりすることもなく、この先の人生を安寧に暮らしていけると思っていた。千冬の心の暗闇は、ほぼ回復したのだと。
しかし、今回の一件で夜月は、そんな考えがとんでもなく甘かったということを思い知らされた。どだい、闇が回復するなどとは穿った考えだったのかもしれない。
今回、千冬が自殺に走った動機について、夜月には思い当たる節が全く無かった。
一体、何が千冬の精神を再び壊しにかかったのか?
いくら考えても、何も思い付くことは出来ない。
千冬は本が好きだから、最近読んでいた本の中に、彼女の過去の琴線に触れるような内容の箇所があったのだとか、テレビドラマに記憶を惹起されるようなシーンがあったのかとか、予想はいくらでも立つが、だが、その辺りは千冬はとっくの昔に克服していた筈だった。もうそんな事ぐらいでは、気が挫けるようになってはいなかった筈なのだ。しかし、それだって夜月の甘い考えに違いなかったのかもしれないのだが。
夕飯を食べ終わり、食器を千冬と一緒に洗って、一服した後、依子は自分の家に帰って行った。
夜月は炬燵に入って、食後のデザートを食べながら、千冬と話した。
「ちゆ、今日は一日どうしてた?」
「ん? 今日はねえ、朝は依子さんと一緒に買い物に行って、お昼からは少し部屋の掃除してた。見て、ちょっとは綺麗になったでしょ? それでね、夕方からシチューを作り始めて……あっ、そうだ。ねえ、夜月聞いて。今日はあたしが依子さんの車運転してたんだけど、その時にね……」
それからしばらくは、千冬の楽しげな話しが続いた。千冬が一方的に喋り、夜月は聞き役に回った。
話しを聞いてやることも、弱った人間にはとても有効なことだ。心の内に溜まった澱を吐き出させてやる。それは、悩み事そのままの内容でなくてもいい。とにかく何でもいいから、相手に話しを聞いてもらっているという安堵感が、その人を楽にする。
だが、もう一方では、千冬は夜月に喋らせたくないが為に、今こうして一生懸命に喋っているのかもしれなかった。夜月に、自殺の理由を聞かれたくないという訳柄の為に。
彼女は喋っている間ももちろんずっと、夜月の手を撫でたりさすったり揉んだりして、彼の身体からほんのひと時でも離れようとはしなかった。それはまるで、母親に肌の触れあいを求め続ける幼子の様だった。
夜月は、千冬が熱心に話し入っている間も、彼女の今の精神状態が分かるような情報がないかどうか、その言葉の中に必死で探した。しかし、これといった確かなものは何も見つけることが出来なかった。
敢えて診断を下せと言われるなら、彼女は至って普通に見えた。
やがて、話し疲れたのか、千冬は夜月の胸に凭れ掛かってきた。夜月は、千冬をきつく抱きしめてやった。千冬を安心させてやるには、それは最も良い方法の内の一つとなる。
今はどれだけ彼女の事を強く抱きしめてやっても足りないぐらいだ。彼はずっと長い間、腕が痺れるぐらいに千冬の身体を抱きしめ続けた。
人は、誰かにぎゅっと抱きしめてもらうと、殊の外安心することが出来る。だから、誰かが落ち込んでいたら、その人のことを強くしっかりと抱きしめてやるといい。強く抱きしめるのには、結構力が必要だし、割に大変なことでもあるのだが、しかし、そうすることで、相手に対しては、こちらが想像も出来ない程の安心感を与えることが出来る。また、背中やお腹などをゆっくりと撫でさすってやるのもいい。それは、気落ちしている相手には、言葉などで慰めてやるよりもずっと簡単で、それでいてとても効果のある方法になる。
相手を強く抱きしめてやるだけで、たったそれだけの事で、相手に愛情を分け与えてやることが出来る。
夜月が背中を撫でてやっている間、彼女は彼の腕の中で大人しくしていた。
やがて、千冬が顔を上げ、夜月にキスを求めてきた。夜月はそれに応え、二人はそのまま寝室の方に向かった。
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