外伝2 鳥籠の中の翠玉 ~べリアル~

「これはこれは『皇帝陛下』」

 仰々しく首を垂れる男に、看守はいぶかしげな顔を、面会に来たその「女性」に向けた。

「気にするな。戯言だ」

 女……サフィーニアは、フンっと鼻で笑い飛ばし、同席している看守に「さがれ」と命ずる。

 しかし……と戸惑う看守に改めてサフィーニアが「さがれ」と命ずると、しぶしぶ、看守は席を外した。彼の持つ明かりが牢から遠ざかり、完全に二人きりになったところで、牢の中の男……べリアルに、サフィーニアは改めて視線を向ける。

「それで、何の御用でしょう?」

 背筋を伸ばし、べリアルはサフィーニアに問う。

 件の一軒で彼女が「皇帝サフィード」であることを知った際、確かに驚きはした。しかもご丁寧に、べリアルの罪状……ぺリドへの傷害を発端に、クリスタリアヌスへの教唆と、母ベリルナディエット殺害未遂の証拠を、しっかりと集めてくる始末。

 彼女の手際は、「見事」としか言いようがない。

 弁解の余地もないレベルに証拠を固められ、故に、べリアルは抵抗しても無駄とみなし、大人しく帝都へ護送され、監獄の牢の中へ送られ、現在に至る。

 べリアルの元々の身分……シャニー公国の元大公後継者であったことを配慮してか、彼の牢は一般的な罪人が入るような牢ではなく、ふかふかの絨毯や寝台に、細やかな細工が施された調度品と、貴族の私室を一室を丸々移築したかのような豪奢な部屋であった。

 とはいうものの、部屋に窓はなく、部屋が地下に存在していることから全体的に湿度が高く、快適……とは、やや言い難いのだが。

 サフィーニアが乗り込んでくる直前まで読んでいたのだろう本を机に置いて、深々と椅子に座ったまま、サフィーニアを見上げるべリアルに、サフィーニアはじぃっと見定めるように見つめる。

「何の、御用でしょう」

 再び、べリアルはサフィーニアに問う。

 丁寧ながらも、やや尊大な態度が垣間見える彼の態度に、意外にもサフィーニアはにっこりと笑う。

 そして、思いもよらない言葉を口にした。


「お前、私の下で、働く気はないか?」


 ◆◇◆


 べリアルが帝都に留学したのは、血のつながらない弟、ぺリドが騎士見習いとして帝都に留学した三期半年後のこと。

 べリアルもまた、次期シャニー領主となるべく最先端の勉学と教養を身につけるよう、数年前から留学の手続きを行っていたのである。

 ただ、寄宿生活で朝から晩までしごかれ続けたぺリドとは違い、べリアルは帝都にある母の実家に滞在し、優雅かつ、退屈な日々を過ごしていた。

 その退屈な日々の中、学友たちの紹介で出会った、あの皇太子。

 彼を見て、べリアルは、すぐに器の小ささに気付いた。おまけに内心、べリアルでさえ思わず呆れかえってしまうほど自意識過剰なうえに、我がままで傲慢で、暴力的で手に負えない……。

 とても、次期皇帝の器とは、思えなかった。

 それでも、当時彼の周囲が人であふれていたのは、皆、彼の「皇太子」という身分に目がくらんでいたからだ。

 故に、サフィード即位後、クリスタリアヌスは悲惨だった。彼を称えていた人間の大半が、手のひらを返したようにサフィードにすり寄り、彼の周囲は一気に誰もいなくなる。

 生母……タイトニス帝の皇后とともに、帝都から北部に位置する皇帝直轄地の別荘に幽閉され、面会を制限された孤独な元皇太子に対し、大して親しい間柄ではなかったものの、「学友」という立場を使い、ある「思い」を胸に、べリアルは彼に手紙を送った。

 はたして。

 べリアルの予想通り、すぐに返事が届いた。

 検閲の可能性を考え、べリアルは手紙に大した内容を書かなかったものの、クリスタリアヌスから送られてきた封筒の封蝋は、皇族のみが使用するシールが使われていたせいか、破られた形跡がなく、中には頭の悪い内容が、ダイレクトに記載されていた。

 べリアルはほくそ笑む。

 そして、シールのないこちら側は、開封して読まれても問題ないよう、当たり障りのない時候の挨拶と世間話を交えながら、さりげなく「しばらく時が必要である」ことをクリスタリアヌスに説いた。

 べリアルとクリスタリアヌスの「文通」は、頻度を抑えながら続けられ、そして、十年の時が経ち……。


 ◆◇◆


「どうして、そのようなことを?」

 自分の下で働け……訝しむベリアルに、サフィーニアは「簡単な話だ」と笑った。

「矢面に堂々と立つ根性はないくせに、クリスタリアヌスを使って「国を動かしたい」という貴様の判りやすい野心は、日和見の役人どもに比べて、逆に好感が持てる」

 おまえの望む通り、私が代わりに矢面に立ってやろうではないか……と、ニヤリとサフィーニアは笑った。

「なによりやり方は悪かったが、口先だけではないという決断力に実行力……貴様が間違いなく「有能」であるということは、認めざるを得ないからな」

 サフィーニアは、ずいっと牢の鉄格子へ顔を寄せ近づける。

「どうだ?」

 サフィーニアの言葉に、べリアルは思わず噴き出した。そしてそのままひとしきり笑った後、彼女を静かに見つめた。

 べリアルの表情に、サフィーニアは満足げにうなずく。

「……決まり。だな」

 べリアルは椅子から立ち上がり、恭しく彼女に跪いた。

「仰せのままに」


 こうして彼女の籠は、再び鳥を得た。


 ◆◇◆


 べリアル=ラジスティア。

 罪人として、人生の大半を牢で過ごしたというこの男は、風変わりなサフィードの部下たちの中で、一際異彩を放つ人物として記録されている。

 彼が牢から出られたのは、生を終えた亡骸となってからであったが、彼は何故か皇帝からの信頼が厚く、「牢の中の宰相」「影の指揮者」と呼ばれ、夜な夜な牢を訪ねるサフィードの相談に乗り、彼に助言を与えたという。

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