外伝
外伝1 黄水晶の溜息 ~シトリアーナ~
「私……が、教官、ですか?」
シトリアーナは目を見開いて問う。騎士として上官に当たるウィラメット=ガジェットは、彼女の反応に、意外そうな顔を向けた。
「教官……といっても、先輩騎士が、新入りに基本的な礼儀を叩き込む……って話だ。お前が新入りの時、オレがやっただろう?」
それに、このくらいお前にも……そういうと、彼は書類に視線を戻してしまう。
「そりゃー、そのくらいは。でも……」
と、彼女は口ごもった。自分の意見ははっきり言う方だが、あのー、そのー……と、珍しくもごもご。
「……なんだ?」
「女の私に、勤まるでしょうか?」
そういう事か。ハァ……と、ため息を吐き、ウィラメットは上目づかいに見上げるシトリアーナの頭をポンポンと撫でる。
「子ども扱い、しないでください!」
そういって頬を膨らませる彼女のその仕草は子どもそのものなのだが、特に気にした様子もなく、ウィラメットは答えた。
「大丈夫だ。お前なら、やれるさ」
丁寧に整え、ピンでまとめていた前髪をウィラメットにくしゃくしゃにされ、シトリアーナは悲鳴に近い声を上げる。
タイトニス帝の御代二十年。シトリアーナ=ゾンネンゲルプ(見習い含めて騎士歴五年)、十六歳の春の日であった。
大体、予想はしてましたけど……ね……。と、シトリアーナは頭を抱えてため息を吐いた。
「女が一体何しに来た!」
「そーだそーだ! 女から教わることなんて、何もないぞー!」
下は十歳、上は自分と一歳しか違わない、十五歳の男子十名が、やんややんやと騒ぎまくった。
アリストリアル帝国において、「女」の地位は高くなく、むしろ低いといっても過言ではない。
農民はともかく、帝都に暮らす女性はの大半は主婦であり、仮に共働きであったとしても、目上の人間……いわゆる貴族階級や大商人と、その家族の身の回りの世話が、主な勤め先であり仕事内容である。
騎士団に所属する「女」の数も、ごくごくたまに例外がいて決してゼロではないにしろ、数は少ない。
(早くも学級崩壊の危機……)
眩暈を感じつつ、シトリアーナは耐える。「お前なら、やれるさ」と、ウィラメットの声を思い出し、よし、と、自分の量頬を軽くたたいた。
そして。
ダンッ!
ぶぁきッ!
凄まじい音に、一同、一瞬で静まり返った。
主に率先してはやしたてていた年長の男子の机に踵を落とし、シトリアーナはにっこりと笑う。
「やっと、静かになりましたね」
穴が空いて真っ二つに割れ、机として機能しなくなった「ソレ」から、一同、視線をそらせられない。
硬直したままの十人に、シトリアーナはにっこりほほ笑む。
「一応我が騎士団は、「上官の命令は絶対」であり、「それが嫌なら出世してみろ」って暗黙のルールがありまして……」
次やったらお前の頭に叩き落とす……笑っていない目が、そう語っているようで、一同、唾をごくりと飲み込んだ。
シトリアーナは頭を抱えながら、書類と格闘していた。
初日の挨拶以降、女だからと馬鹿にする者はいなくなった。が。
「なんなのよ。もう……みんな、基礎体力がなってないわ……」
がっくりと肩を落とす。シトリアーナが担当する見習い騎士は、全員、帝都の貴族か地方豪族の子弟であった。
基本的に、彼らの跡継ぎは一人であり、候補から漏れた子供たちは、騎士隊に所属させられるのが通例となっている。
実力があれば軍で偉くなれるし、無くてもハクがついて、運が良ければ、娘しか生まれなかった貴族や大商人の婿養子になれる……との目論見からだ。
そんなわけで、皆が皆、軍人に向いているとは限らない。と言うことはわかっていたのだが……。
(ないわー……たかだか
シトリアーナが得意とする短刀など例外はあるが、金属の剣は木刀よりも重いものがほとんどだ。軍に所属する以上、体力は必ず求められるし、持久力や忍耐力など、様々な能力が必要になる。
それなのに……。
(……いちいち文句が多いのよあのヘタレども!)
何かするたびに「疲れた」とか「もうやだ」等、弱音の多い甘ったれお坊ちゃんがたの言葉を思い出し、はぁぁぁぁ……と、ため息を吐いた。
中には真面目な者も、もちろんいる。が、「悪い言葉」は伝播し……その場の空気が悪くなる。
と。
「あ、あの……」
突然声がし、シトリアーナは部屋の入り口に目をやった。小柄な一人の少年が、シトリアーナをじっと見上げている。
たしか……。
(シャニー公国のぺリド=ラジスティア……か)
シトリアーナが受け持つ十人の見習い騎士の一人。
十三歳にしては小柄で華奢な彼は、最初に声をかけてから、何か言いたそうに何度か口を開く。が、どうもハッキリしない。
「なぁに? 何の用? 早く言って!」
ビクッ……と、肩を震わせる。
「あ……あの、その、お……」
「お?」
ぺリドの黄緑色の瞳から、じわじわと涙があふれてきた。
「お願いです! オレを、こ……ココから、追い出さないでください!」
声を上げて泣きじゃくりだした彼に駆け寄り、その体を支えながら、「どうしたもんだか……」と、シトリアーナは再び、ため息を吐いた。
「はぁ……それで……」
しばらく泣いて、落ち着いたぺリドは、事の詳細を話し始めた。
曰く、彼は実家で、ずっと兄にいじめられていたこと。
曰く、騎士になって強くなりたいと思い、家出同然で帝都へ出てきたこと。
曰く、仲間から「騎士として能力が見合わない者は、早々に追い返される」といった話を聞いた……とのこと。
彼はどちらかと言うと、真面目な部類だ。苦しい表情はしても、弱音は吐かない。
……もっとも現状、「基礎体力がなってない」のは、認めざるを得ないが。
「今すぐ……って、話じゃないのよ。それは、もっともっと、先の話」
シトリアーナはぺリドが話し終わると、彼の話をまずは否定した。
「あなたは「騎士」を志したばかりだし、できないのは、当たり前よ」
シトリアーナ自身の本音としては、もう少し基礎的な能力は欲しかったりしたのだが……無いものはしょうがないし、一応、フォーローはしておく。
「あぁ、そうね。あなたの言葉、一つだけ、訂正するわ」
じっとぺリドの目を見た。彼は純粋で、真面目で、それでいて……。
「「騎士になって、強くなる」んじゃない。「強くなった者が、騎士になる」のよ」
あの……と、ぺリドはシトリアーナに問いかける。
「あなたはどうして、騎士になったんですか?」
シトリアーナはよくそう聞かれる。その場合、皆大抵、「女のクセに」とつけるのだが、彼はそう聞かなかった。
そこは、気に入った……と、ぺリドの硬い茶色の髪の毛を、わしゃわしゃと撫でる。
「手の届かない場所に行ってしまった幼なじみに、もう一度会うために……かな?」
「私に会うため……か」
嬉しいことを、言ってくれるじゃないか。くだんの幼なじみは、本を片手にニコニコと笑う。
淡い赤い巻き毛は艶々と輝き、身に纏うドレスもリボンも、上等なものだった。
本来彼女……サフィーニアが、自分と同じ……否、シトリアーナより貧しい家の出身とは、誰もが思わないであろう。
「そーよ。アンタがなんの予告もなく、突然帝都のお貴族様の家にもらわれていったとき、私ホントショックだったんだから」
いつものように遊びに行くと、まるで嵐が通り過ぎたように散らばった家の中に、一人呆然とたたずんでいた彼女の母の姿を思い出す。
彼女から事情を聴いたシトリアーナは、三日三晩泣きはらし……。
「で、無い頭フル回転で、考えた結果が……」
「「騎士になる」……か」
随分、
「あら。考えは邪道でも、努力は人一倍どころか人十倍、ちゃーんとしたわよ?」
「……そのようだ」
サフィーニアは知っている。
確かにシトリアーナは運動神経が昔から良い方であったが、だがしかし、彼女も「女」だ。元々、そこまで体力がある方ではなかった。
でも、「女」である彼女が努力の結果、「見習い騎士」から「正騎士」となった。その話は、嫌でも人々の噂になる。
だから、サフィーニアも、すぐに彼女を「見つける」ことができた。
「それにしても、私に会うために、
「別に、お前に会うために来ているわけではないぞ。純粋に、「戦術」の勉強をしに来ている」
実に、面白い……と、サフィーニアは目を輝かせ、読んでいる本をシトリアーナに見せた。
「騎士でもない女のアンタが、いつ戦術使うのよ」
「人生、何があるかわからんぞ。何事も、勉強して、損はない」
いつか、役に立つ日が来る……かもしれない。フフン……と調子よく笑うサフィーニアに、シトリアーナは相変わらず……と、ため息を吐く。
ふと、サフィーニアが窓の外を見ると、夕暮れの中、誰もいない中庭を、一人走り込む小柄な少年の姿があった。
「……あぁ、あの子。シャニー公国のぺリド=ラジスティア。なんでも、家に帰りたくないらしくてね」
あの日、あの後、彼はシトリアーナに問いかけた。
「どうやったら、あなたみたいに、強くなれますか?」
どうやったら強くなるか……そんな事、シトリアーナにもわからない。
だから、とりあえず、自分の「日課」を、教えてあげた。
「まだ未熟だし、私が教えてあげたメニューを、完全にはこなせてないみたいだけど、確かに、だんだん体力ついてきたのよあの子」
「ウチ」の、一番の出世頭……かもね。と、嬉しそうにシトリアーナは笑った。
人生、何があるかわからない……確かにそう、サフィーニアは言った。
サフィーニアが「男」として皇帝に即位したのも、シトリアーナが『皇后』になったのも。
家に帰りたくないと泣きじゃくっていた少年ぺリドが、「ガーレアフィードの破壊神」と呼ばれ、退役以降も騎士たちに長く憧れられる存在になった事も。
この時誰も、未来を予測することはできなかった。
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