終章 世界に響く行進曲

「サフィードが……女?」

 クリスタリアヌスは、クックッ……と、サフィーニアを見上げて笑う。

 可笑しいのは自分か? 否。おかしいのは、この女……。

「この簒奪者め! そもそも女に、皇位を継承する資格は……」

 ない……。そう口にしたクリスタリアヌスの顎を、サフィーニアは盛大に蹴り上げた。

 ぺリドも、シェアも、アカネも……べリアルでさえ、思わず目が点になる。

 ただ、シトリアーナだけが、苦笑を浮かべていた。

 サフィーニアは怒りの形相で、一気にまくしたてる。

「誰のせいだこのスットコドッコイがッ! あぁ、そうだ! 本来なら、「皇女」が皇位についた前例はない。が。「皇子」を名乗る連中が、どいつもこいつも使えん無能だから、巡り巡って私が「やる破目」になったんだろうッ!」

 だぁれが好き好んで、こんな鉄仮面つけるかぁぁぁぁ! 再びサフィーニアの右足が、クリスタリアヌスの顎に炸裂した。



 白目をむいて倒れたクリスタリアヌスを縛り上げ、騎士団に引き渡した後、「さて……」と、ぺリドは縛られた義兄と、彼を連行して来た男に向き直る。

「……どなたで?」

「はぁい。サフィルス=シャガールブラウと言いますだ。あ、フルネームはちぃーっと長いンで、省略っつーことで」

 妙な訛りのその男は、ニコニコと人懐っこい笑みを浮かべてぺリドに頭を下げる。淡い赤のくせ毛に、どこかサフィーニアに似た面差し……。

「……私の産みの母の姉の子で、普段「男としてのサフィード」が必要な場合、頼んでいる……いわゆる『影武者』だ」

 んだんだ。と、サフィーニアの言葉にうなずく。

 彼曰く、ぺリドが扮した皇帝の行幸一行とは別に、シトリアーナが選んだ騎士団の精鋭部隊を率いて、シャニーに入り、皇帝一行を出迎え、見送ったべリアルを、そのままふんじばって、イマココ……とのこと。

「よく義兄上あにうえが、おとなしく捕まったな……」

「しかたないだろう! 突然コイツに十字銀剣紋章を見せつけられ、大勢の騎士に囲まれたら、言われるがまま縛られるしかないじゃないか!」

 怒りが収まらないとでも言いたげに、べリアルはギロリとぺリドをにらみつける。

「それに、どこの馬の骨ともわからない癖に、なれなれしく兄と呼ぶなとあれほど……」

「あぁ、そのことですけれど」

 べリアルの言葉を遮り、シェアが彼に近寄る。

「こういうものが、実はあっちゃったりしましたりして……」

 縛られたべリアルに見えるよう、シェアは手に持つ物を差し出す。それはあの日、大公女の資料室の物置で見つけた、小さな木箱……。

 シェアが得意げに、その箱を開けた。中には紙が細長く丸められ、小さなリボンで結ばれている。

「なんだコレ?」

 興味深げに、ぺリドも思わず覗き込んだ。そんな彼に、シェアはあっさりと答える。

「貴方の出生証明書」

「なんだと!」

 思わずぺリドはシェアの手から紙を奪い取り、無造作にリボンをほどく。

 ほどなくして。

「ま……マジかよ……嘘だろ……」

 肩と声を震わせるぺリド。はらりと彼の手から紙が落ち、床をすべって、べリアルの足元で止まった。

 文字を見る前に紙に描かれた紋章に目が留まり、べリアルは目を見開く。

 その紋章は、アリストリアル皇家の……皇帝印。

「この者、アリストリアル皇帝タイトニスと、セージ家当主クロムの長女オリヴィアの間に生まれた男子であることを認め、ペリドラディウス・レマン・ジューンバッド・ランヴォルムと名付ける……って、書いてありましてよ?」

 二人のリアクションが予想以上に面白かったのか……シェアが追い打ちをかけるように声に出して読み上げた。

「よかったですわねー。身元ルーツが判明しまして」

「うわーッ! うわーッ! 聴こえないッ! 知らないッ!」

「み……認めない……認められるか……こんな……」

 ぺリドは耳を塞ぎ、べリアルはうわ言のようにブツブツとつぶやく。

「……そろそろやめてやれ。傷をえぐるな」

 サフィーニアが苦笑を浮かべて、娘をたしなめた。

「じゃぁ、アレか……十年前、オレがアンタに振られた理由って……」

 ぺリドが声を震わせ、サフィーニアに問う。

 当時自分なりに、色々理由は考えた。ガジェット卿と比べて、性格的なところとか、身体的な強さとか、顔とか、身分とか……。

 が、実際は、恋敵にどこか負けたわけでも、なんでもなく……。

「まぁ、さすがに弟からの求婚を受けるわけには、いかなかった……って事だ」

 あっさりと言ってのけるサフィーニアとは対照的に、恥ずかしさや当時の悲しみ、様々な感情が入り乱れ、思わずぺリドは床に突っ伏した。

 正直知らないほうが、幸せだった……かもしれない。



「おかえりなさい! 首尾はいかがでした?」

 神殿の向かい……ぺリドの自宅にて、満面の笑顔でラルダが一同を出迎える。彼女の後ろには、神殿の二人の少女と、ジェム、ホークも一緒だ。

 が。

「あの……どうか、しましたか?」

 なんとなく元気のない夫に、ラルダは駆け寄る。

「まさか、傷がまた……」

「あー、違う違う。そうじゃない……ちょっとその……ショッキングなことがありまして……」

 ぺリドの視線が泳ぐ。正直まだ立ち直れていない。

 と、突然ぺリドは尻を叩かれた。見ると、じっとシェアがぺリドを見上ている。

「……なんだよ」

「……いいんですの? 大公女との約束」

 あ……ぺリドは思わず息を呑む。

 予想外の出来事で、思わず思考が吹っ飛んでいたが、義兄も廃太子もめでたく騎士隊に身柄を預けられ、異常な事態は収束したのだ。

 今ならフリーパス……とまではさすがにいかないだろうが、母に会える。

「あ、あの」

「行って来い!」

 サフィーニアの言葉に、ぺリドはラルダの腕を引っ張り、そのまま抱き上げた。

「あの、どこへ?」

「決まってる!」

 走りながら、ぺリドは叫ぶ。

「母上のところ! オレの奥さんを、紹介しに」

 真面目な、ためらいの無いぺリドの言葉に、ラルダは思わず赤面してうつむいた。



 シャニー大公女ベリルナディエット=ラジスティアがこの世を去ったのは、翌日の朝のこと。

 息子と、義理の娘に看取られ、静かに息を引き取ったという。



「……ご苦労だった」

 サフィーニアはホークから書類の束を受け取り、満足そうに微笑んだ。

「ホント、疲れましたよ」

 そりゃーもう、タテマエではなく、正式な休暇を願いでたいほど……と、ホークはニヤリと笑いながら言う。

「嫌味だな。……いいぞ。もう半期一カ月ほど、此処に居ても」

「どうせ雑務云々やらせる気でしょ?」

 ご遠慮申し上げます……と、ホークは両手を上げる。

「で、「彼」を、本当に大公にするつもりなんですか?」

 ホークとジェムがかき集めてきたのは、ぺリドをシャニー大公に就任させるための推薦状と委任状。「皇弟」「前大公女の甥」という「出自」はあるものの、大公として経験、後ろ盾のまったくない彼を「支援できる力のある者」は限られる。

「アイツなら、良い統治者になる。そう、思わないか?」

 サフィーニアの問いに、ホークは再び両手を上げた。

「……政治に関わるには、少々、馬鹿正直すぎる気が、しなくもないですけどね」

「そこは、同意しよう」

 フフッ……と、サフィーニアは微笑んだ。

「ところで、細君は?」

「彼女なら、姉妹のところですよ。……そりゃ、彼女にとっては十五年ぶりの再会ですけれど、もう、ほったらかされて、寂しくて悲しくて……」

 ブツブツとぼやきはじめるホーク。しまった……と、珍しく自爆したサフィーニアは、しばらく彼から延々と愚痴を聴かされる羽目になった。



『でね! ……ちょっと、聞いてるの? おねえちゃん』

 スイネはうんうん……とうなずく。が、ちょっと疲れてきたことは、否定できない。

 だがしかし、スイネ的には二年……アカネ的には十五年、離れ離れになっていた故、話し足りないのか、アカネのマシンガントークはなかなか止まらなかった。

 確かに、昔から、よくしゃべる子ではあったけれど……。

『あんたがサフィーニアさんにお世話になってたことは、よーくわかった』

 頑張ったね……と、スイネがアカネの頭を撫でた。アカネは昔と同じように、にっこりと笑い、ぎゅっと抱きしめてきたが、いかんせん九歳……本来なら十一歳であるハズの妹は、現在二十四歳になっている。

 違和感が、全力でスイネの脳裏をよぎった。

『そういえば、お姉ちゃんたち、今までこの神殿で下働きしてたって話してたけど、これからどうするの? このまま、此処でお世話になる?』

 ふと、アカネがスイネに問う。

『あのね、帝都になら、言葉が通じる人が、もう少しはいるの。学校もあるのよ? ……もし、よければ、私たちと一緒に、帝都にこない?』



 ふと、ジェムは目を開けた。いつの間にかうたた寝していたのか、寄りかかった隣には、アイネが、ニコニコと笑っている。

 神殿の敷地の林の中。ここは精霊の力が満ちて、ジェムにとって、とても居心地がいい。

『お母さんからの頼まれごとで、いろんなところに行って、疲れてるんでしょう? もう少し、寝ててもいいのよ?』

 アイネの言葉に、ジェムは首を横に振った。アイネから体を離し、うんっと伸びをする。

『ねぇ、アイネちゃん……アイネちゃんって夢、ある?』

 突然の問いに、アイネは一瞬、言葉に詰まる。

『……夢、かぁ。……ここに来る前は、看護婦さんに、なりたかったな』

『看護婦?』

 ジェムの問いに、アイネはにっこりと笑う。

『お医者様のお手伝いをして、怪我をした人や、病気になったりした人を、助ける人』

『アイネちゃんらしい、優しい夢だね……』

 ジェムはアイネに向き直る。

『オレはね、みんなの『通訳』になりたい。言葉がわからなせいで、いがみ合ったり、喧嘩になったり……そういうのを、無くしたいんだ』

 だから、いろんな国を回って、いろんな言葉を覚えて、それで、いろんな言葉を記録して、みんなに伝えたい……。

『大きな、夢だね』

 アイネはにっこりとほほ笑む。そして、昔、アカネにしていたように、ジェムの頭を優しく撫でた。

『でも、きっと、ジェム君ならできるよ』



 数日後。

 ベリルナディエット大公女の葬儀を終え、ぺリドは深くため息を吐く。

 サフィーニアの行動は実に早く手際が良く、あっという間に、自分が大公になることが決まっていた。

 が、今は、それが嫌ではない。以前の自分なら反抗していたかもしれないが、母と最期の時間を持てた。……理由として、それが大きいかもしれない。

「……どうした? そのふくれっ面」

 公邸の廊下の隅で、シェアを見つけた。彼女は実に不機嫌そうで、ぺリドは逆に、思わず彼女をいじりたくなった。

 ……のだが、割と早々に、自分のその考えが間違っていたことを思い知り、後悔することになる。

「母さまの意図通りに事が運びすぎて、面白くないんですの」

 シェアの逆に潔い発言に、ぺリドは呆れた。

「……反抗期か?」

 ぺリドは茶化したつもりだった。が、意外とあっさり、シェアは認めた。

「そうですわね……そうかもしれません。私、母さまのされてることが、立派な事なのはわかってるんですの……でも、そう思えば思うほど、母さまには負けたくないって思ってしまって……」

 それは、親に対する反抗期というよりは、志を同じくする者が抱く、ライバル心のように思える……と、ぺリドが内心思っていたその時、シェアが突然、「そうだ!」と叫んだ。

「決めました! あなた、早くラルダさんとの間に、子どもを……男の子を、産みなさい!」

「はぁ?」

 唐突に突然な事を九歳児に言われ、あんぐりとぺリドは口をひらいた。

 色々な意味で、開いた口が塞がらない。

「そうね……従弟になりますし、十歳年下なら、頑張って許容してさしあげます」

 おい……シェアの無茶苦茶な思考回路についていけず、ぺリドは止めに入る。が、シェアは自分の世界に入り、帰ってこない。

「私、この国に嫁いで、この国をお母様に負けない、立派な公国にしてみせますわ!」

「何、勝手に決めてんだー!」

 ぺリドの怒声が響きわたり、例によって、年齢差二十歳の大喧嘩が始まったことは、言うまでもない。

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