第十一楽章 審判葬送曲
「
これはまた……と、深い緑の目を細めて男は考え込む。
「まさか、余が此処に居る事、奴らにバレたのではあるまいなッ!」
情報を持ってきた部下に対し、声を荒げる友人の言葉をあっさりと受け流し、彼は腕を組んで長椅子に腰掛ける。
この男に、帝位を得る資格があると思えない事は、ベリアルにも解かっていた。
しかし。
「これは、逆に好機と捉えた方が、よろしいのではないでしょうか?」
ベリアルの一言で、クリスはあっさり納得した。
良い意味でも悪い意味でも、前向きな男だとベリアルは感心する。
「そうだな。転地療養というくらいだ……それはそれは、随分と悪いのだろう……場合によっては、死んでしまうほど……」
躊躇なく物騒な言葉を口にする友人を一応たしなめながらも、べリアルは内心、ほくそ笑む。
あとは、大公印を見つけ出し、邪魔な母が死ねば、何も言うことはない……。
「これはこれは、ようこそおいでになられました両陛下」
一国を治める皇帝の行幸……と思うと、ずいぶんと少なく、質素にみえる一行を出迎え、べリアルは深々と頭を下げる。
チラリと見上げると、馬車の小さな窓から、鉄の仮面をかぶった皇帝と、心配そうに彼に寄り添う皇后の顔が見えた。
彼の仮面は顔全体を覆うもので、彼の具合がどれほど悪いのか、一見しただけではよくわからない。
「病気の母の名代としてべリアル=ラジスティア、ご挨拶申し上げます。どうぞごゆるりと、ご静養ください」
「お出迎え、ご苦労様です」
皇帝夫妻と向かい合う形で座っていた、侍女と思われる淡い赤の巻き毛の女性が、小窓から顔をのぞかせ、皇帝の代わりにべリアルに応対した。その奥にも同じく侍女と思われる黒髪の女性が同席しており、静かに座っている。
「急な申し出にも関わらず、丁寧なご準備、ありがとうございます。陛下もとても、お喜びになっておられますわ」
女性の言葉に、皇帝が無言で首を縦に振った。
一行は滞在先である大公家所有の別邸へ向かう。彼らを見送りながら、べリアルの口が、ふっと緩んだ。
これで、皇帝は、我が手の内だ。
「……とまぁ、そういうわけで、めでたくヤツらの懐に入れたわけだ」
「……無茶苦茶ですわ」
満足そうに笑う侍女……否、サフィーニアに対して、彼女の足元……スカートの中に隠れていたシェアは、ふくれっ面でため息を吐いた。
そんな母娘を見て、サフィーニアの隣のジュール夫人は、思わず苦笑を浮かべている。
「あとは、アンタの目論見通り、アイツらが仕掛けてくれば、そりゃー万々歳ですけどー……ホントに仕掛けてくるワケ?」
皇后……シトリアーナは胡散臭げに金の瞳でサフィーニアを睨む。
庶出の皇帝であるサフィードとは幼なじみであり、一般中流家庭出身。かつ、女性でありながら騎士隊所属経験者であるという異例の経歴をもつこの皇后は、公的な場では丁寧かつ優雅さを心がけているものの、人の目の少ないプライベートな場では、大体こんな感じである。
「仕掛けてくるさ……あの、クリスタニアヌスという名の単細胞ならね」
不敵にほほ笑むサフィーニアに、シトリアーナは「さいですか」と、深くため息を吐く。
「まぁ、そんなわけで……本調子出せないアンタには悪いけど、頑張って撃退してね」
「期待していますわ。皇帝陛下」
心配して見上げるシトリアーナと、まるで他人事のように微笑むサフィーニアに、鉄の仮面の男は無言で深くうなずいた。
『た……ただいま……』
へろへろのよれよれになって、神殿の門をくぐるジェムの身体を、アイネは慌てて支えた。
『お、お帰りなさい……』
スイネから差し出された水をぐびぐび飲みほしながら、同じくヨロヨロと足元のおぼつかないホークが答える。
『いやー、なかなかの長距離移動でしたねー。関係書類を集めるのも大変でしたが、各種証言者を探し、なおかつご当人から証文とサインをいただくのが、これまた難儀でして……』
ホークの滑らかな日本語に、アイネとスイネは目を見張る。
『あぁ、オレ、君たちと同じ「あちら」出身。国籍はアメリカだけど、日本在住歴の方が長いからね。ホーク・ジュール。一九九四年生まれで、十歳の時に旅行先のインドネシアで津波に呑まれて、こちらに来た……ってワケ』
思わずアイネとスイネは目を丸くした。
アイネは一九八五年生まれ、スイネは一九八二年生まれであり、彼の言葉が正しいとするなら、彼は自分たちより十歳近く年下ということになる。
しかし、目の前の彼は、明らかに自分たちより年上だ。混乱する二人に、ホークは軽く笑う。
『時々、こういう事が起こるみたいだね……オレの奥さんも、本来なら年上だし……そういえば、君たち、お名前は?』
『彩家翠音。と、妹の藍音』
スイネが目をぱちぱちとしばたたかされながら口を開く。二人とも、まだ、完全には理解が追い付いていないようだ。
そんな二人をよそに、ホークは面白いことを発見したように、目を見開いた。
『へー。オレの奥さんの姓も彩家っていうんだ。名前は、茜音』
へ……二人の思考が、一気に固まる。
二年前の冬の日、いなくなってしまった妹の名と一緒だった。
皇帝サフィードへの襲撃は、その日のうちに起こった。
それは、ある意味サフィーニアの予想を上回る速さであり、彼女も思わず舌を巻く。
「てっきり、一息つく暇くらい、あると思っていたのだが……」
到着後、何らかの理由をつけて皇帝と面会……そこを襲撃と想定していたサフィーニアであったが、別邸に到着し、玄関のドアを開けた途端、そこに数十名の手下を従えたクリスタニアヌスが待ち構えていたのだ。
「かかれッ!」
クリスタニアヌスが命じると同時、黒服の男たちが、一気に仮面の男めがけ襲い掛かった。
しかし。
「何ッ!」
思わずクリスタリアヌスは目を見開く。
皇帝は、自らの体を支えていた杖を慣れた手つきで器用に振り回し、男たちを軽々と吹き飛ばした。ある者は装飾の施された階段の手すりで頭を打ち昏倒、ある者は豪奢な花瓶に叩きつけられ、またある者は飾り窓のステンドグラスに頭から突っ込んだ。
「あーあ……ちょっとちょっともう、大公家所有の家なのに……」
シトリアーナが呆れたようにあんぐりと口をあけた。が。
「……どうせ弁償とか言って、修繕費はウチに請求されるだろうから……まぁ、いっか」
あっさりと納得し、自らもあっという間に、スカートとヒールの高い靴を脱ぎ棄て、三人を叩きのめした。
「準備万端じゃないか」
ヒュゥッと、サフィーニアが感心したような口笛を吹く。
「まぁね。一応、襲撃前提って話だったから、最初から準備はそりゃーしとくでしょう?」
スカートの下は柔らかい布のズボンに、革のベルトで固定された短刀が二本。彼女はその短刀を抜くと男の剣戟を受け、身体をひねって、サフィーニアに襲い掛かろうとする別の男の頭を蹴り倒した。
「武器! 剣! お持チしまシタ!」
ジュール夫人改めアカネは、重そうに二本の剣を抱えて走り寄る。そんな彼女に狙いを定め、一人の男が襲い掛かる。
しかし。
スパーンッ! と、男の顔面に何か硬いものが勢いよくぶつかり、男はそのまま後ろに昏倒した。
「あーら、ごめんなさい……乙女のたしなみといいますか……的当ては、得意な方でしてよ?」
サフィーニアの長いスカートをめくりあげ、スリングショットを手にしたシェアが、ふふんと得意げに、にやりと笑った。
サフィーニアは、アカネから二本の剣を受け取る。それは、長柄の剣と、大太刀……。
サフィーニアはその剣を、皇帝サフィードへ投げて渡した。普通、一本を振り回すのがやっとなその剣を、皇帝は慣れた手つきで両方の鞘を抜き、振り回してバタバタと襲い掛かる男たちを切り伏せる。
「なッ……」
ありえない……クリスタリアヌスは唖然と口を開いた。
そう、それは、まさしく、話にきいた、ガーレアフィードの破壊神……。
最後の男を切り伏せた皇帝が、クリスタリアヌスに大太刀を突きつける。それは、まるで「最後はお前だ」とでも言いたげな威圧感を感じた。
「まさか……お前は……」
尻餅をつき、後ずさりながらも仮面の男をにらみつけ、クリスタリアヌスはギリッ……と奥歯を噛む。
「はぁーい、注ぅー目ぉくー!」
突然、間延びした男の声が響いた。みると、館の入り口に、見慣れない一人の男と、縛られたべリアルの姿がある。
そのさらに後ろには、ぞろぞろと、帝国騎士団の制服を着た人間の姿が、何人も確認できた。
「なッ……」
クリスタリアヌスはもちろん驚いたが、隣の皇帝も、何故かビクッ……と、一瞬たじろいだような気がしたのは、気のせいではないだろう。
ふと、サフィーニアが皇帝の横に立ち、クリスタリアヌスを見下ろした。
「久しいな。クリスタリアヌス」
「……誰だ?」
「将軍ウィラメット=ガジェットの妻」ということで、存在と名は知ってはいるが、クリスタリアヌスは、サフィーニアの顔を知らなかった。
意外なリアクションに、目に見えてムッと、サフィーニアが眉間にしわを寄せる。
「そんなことより、サフィードはどこだ! そこの仮面の男、中はぺリド=ラジスティアだろう?」
青筋を立てて怒るクリスタリアヌスに、皇帝とサフィーニアは思わず顔を見合わせた。
「……よくわかったな。単細胞の分際で」
「まぁ、我ながら、あれだけ派手に暴れれば、そりゃーバレるだろう」
ため息を吐きながら、仮面を外そうとぺリドは左手を後ろに回した。右腕は剣を突きつけたままなので、サフィーニアが外すのを手伝う。
ふぅ、と、息苦しかったのか、仮面を外したぺリドは、小さく深呼吸した。
サフィーニアは、その鉄の仮面を受け取ると、それを持ったまま、冷たい視線でクリスタリアヌスに口を開く。
「サフィードはどこか。……そうだな。タネを明かすなら……タイトニス帝に、直流傍流どこを探しても、「サフィード」という名の「皇子」はいない」
「は……? いったい何を……」
言っている? 妙なことを口走る女を、クリスタリアヌスはいぶかしんで睨む。
「ただし、「サフィドニスティア」という名の「皇女」なら、傍流の……タイトニスが手を付けた、侍女の産んだ娘の中にいる。そう……しいて言うならば」
サフィーニアは、鉄の仮面を自らの顔に重ねる。
「サフィードは「私」だ」
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