第十楽章 女教皇の聖譚曲

 この子を、貴女の子として、育ててくれないかしら?

 そう言われた時は、さすがに驚いたけれど。

 でも、今なら解る。あの時の、あの子の気持ち。

 あの子はきっと、息子には自分とは違う生き方を、してほしかったんだ……。



「ペリド……その肖像画を、もっていらっしゃい」

 肖像画……母に言われたものの、ペリドは先ほど『物置』から見つけた絵の事だと、すぐには解らなかった。

 ただ、隣の部屋から、シェアが重そうにあの絵画を抱えてきたので、慌ててそれを受け取る。

 丁寧にくるまれた布をゆっくりとほどき、月明かりに照らすと、簡素だが上等な額に納められた、微笑む一人の女性の絵だとわかった。

 薄暗く、さすがに具体的な色まで判別はできなかったが……優しそうな、それでいて、若い頃のベリルナディエットに似ているような……そんな女性だった。

「私はもう、見えないけれど……オリヴィア……それが、彼女の名前……」

 ふと、絵画の中の彼女の胸元を飾る首飾りが、ペリドの目に入る。

 それは、ずっと母が身につけており、先ほど母から渡された、あの首飾りと同じ……。

「私より、三月早く生まれた異母姉で、貴方の、本当のお母様」

 ペリドは、目を見開いた。額を持つ手が、無意識に震えた。

 何度も口を開くが、声が出ない。

「貴方は、どう思っていたのかは知らないけれど……貴方が思っているほど、私たちは他人ではないのよ」

 その証拠に……大公女はゆっくりと、震える息子の髪に触れる。

「貴方のその真っ直ぐな髪質は、オリヴィより、私の方が似ているわ……」

 描かれた女性の豊かな髪は、エーメラルダの髪のように柔らかそうで、ゆるく曲線を描いている。

「……の、この人……今は?」

 ペリドの言葉に、大公女は首を横に振った。

「彼女は、生まれつき体が弱かったの。晩年は、ほとんど寝たきりだった」

 それでも……。

「あの子は、かたくなに貴方を生むことを望んだわ」

 その言葉から、ペリドは直感的に思った。

 たぶん、この女性は、自分を生んだために、亡くなったのだ……と。

 そんなペリドに、大公女は意外な反応を示した。

「……なんだか勘違い、してない?」

「え……」

 クスクスと笑う母に、ペリドは複雑な表情を浮かべた。

 何がなんなのか、もう、さっぱり解らない。

「あの子は、ちゃんと幸せだった。それは、私が保証する」

 何故なら……。

「あの子は、いつも笑っていたわ……それこそ、臨終の間際でも」



「考えてみると不思議だけど、あの子は、貴方と同じような境遇だった……」

 彼女は、まるで懺悔でもするかのように、ペリドに語った。

「オリヴィは、誕生と同時に母を亡くしたの。だから、私の母親が、私と一緒に育てて……」

 少し、違ったのは。

「私のほうが、皆から疎まれる側だったって事……かしら?」

「え……」

 思わず息を呑むぺリドに、大公女はやさしく微笑む。

「元々父の正妻は、オリヴィの母親だったの。もっとも、すぐに私の母親が、後妻に納まったみたいだけど」

 もちろん、オリヴィは何も言わなかった。それどころか、母には本当の母親に接するように甘え、私にも、本当の妹に接するように、成長した……。

「私は、オリヴィが大好きだったわ……」

 父が亡くなり、シャニーに嫁いで、しばらく会えない時期が続いて……。

 彼女は、貴方を身ごもっていた……。

「本音を言うと、私は貴方を産む事に、反対だった。医者も口を揃えて無理だって言うし、オリヴィには、生きててほしかったもの……それでも」

 まるで、当時を懐かしむかのように、大公女は目を閉じた。

「あの子は、貴方を産む事を望んだの」

 自分の命を、天秤にかけても。

「オリヴィは、貴方を産んで間もなく亡くなってしまった。私の実家には、母と弟がいたけれど……母も歳だったし、弟はまだ結婚前だった。だから、私がシャニーに連れて帰ったの」

 ふぅ……と、大公女はため息をはいた。

「私は私の母がしたように、貴方を私の息子と同じように愛し、育てたつもりだった。貴方の出自をあえて明確にしなかったのも、実の息子と……弟と思って欲しかったから」

でも……。

「ベリアルは、そうは思わなかったのでしょうね……」

 はっきり出自を言わなかったことで、ベリアルはペリドを「他人」と認識し、拒絶してしまった……。

「あの子は……自分が大公位を継ぐことを、「当たり前」だと思っていた。確かに私も、最初はあの子に譲るつもりだった……けれど」

 大公女はふぅ……と、もう一度深くため息をはいた。長くしゃべりすぎたことで、体力の消耗が激しいのかもしれない。

 彼女を止めようかと一瞬ペリドは考えたが、大公女はそれを遮って続けた。

「ペリド……貴方が帝都へ行ってすぐ、ベリアルも帝都に留学したの。そこであの廃太子に近づいたことで……あの子の野心に火がついてしまった……」

 きっとあの兄は、クリスタリアヌスという男と接し、直感で彼を御しやすい人間と考えたのだろう。

「親友」の顔をして近づき、自らがのし上がるための「駒」として見る本心を隠して……。

「私もベリアルも、十年前に貴方がシャニーに帰ってきたことは知っていたの」

 大公女は荒い息の中続ける。もういい……ぺリドはそう思ったが、大公女は首を振り、彼の腕を、力強く握る。

「でも、貴方は私たちの元に帰ることを選ばなかった。だから、私から貴方に無理に接触することはしなかった。……貴方には自由に……自分で選んだ幸せな道を、生きてほしかったから」

 ねえ、ぺリド。教えて頂戴……。

「あなたは、今、幸せ?」

「………………はい」

 ぺリドはうなずき……目の見えない彼女にわかるよう、声を絞り出して答えた。

「オレは、今、幸せです……。愛する妻が毎日傍にいて、貴女のような「母の息子」で、いられるのだから……」

 そう、よかった……。大公女は手探りでぺリドの顔に触れ、あふれる彼の涙を、そっと拭う。

「あなたの奥さん、いつか、会わせてね。……きっと、素敵な人でしょう?」

 だって、私の、「娘」になるんですもの……。優しく微笑む大公女に、思わずぺリドの言葉が詰まる。

 本当なら、「もちろん」と、即答したかった。

 しかし、彼女に残された「時間」を考えると、ぺリドには確約できる自信がない。

 彼の想いを察したか、大公女は苦笑を浮かべ、ぺリドの頬を軽くつねった。

「こういう場合、嘘でも「ハイ」って、自信をもって答えなさい」

 ……約束、しましたからね。母は息子の頭を優しく撫で、にっこりとほほ笑んだ。



「……サフィーニア」

 あんたねぇ……と、眉間にしわを寄せたその女は、ディスプレイ越しに開口早々、ため息をはいた。

「悪かった」

「……って、絶対思ってないでしょ。あんた」

 サフィーニアを金の鋭い目で睨んだ女……シトリアーナは、寝起きの不機嫌さも相まって、サフィーニアの言葉をばっさり切り捨て、手短に用件を問う。

「お前も今すぐ、あの馬鹿従弟をつれてシャニーに来い」

「はぁ?」

 何考えてんのよ……と、目を丸くする女に、今度はサフィーニアがたたみ込むように早口で答える。

「口実は……そうだな。病気療養中の皇帝陛下の転地療養。規模は……できるだけジミハデでよろしく」

「まったくもって、ワケわかんないわよ。ソレ」

 一体全体何する気よ……と、シトリアーナはジト目でサフィーニアを睨んだ。

「不穏分子の一斉排除」

「………………はい?」

 開いた口がふさがらない……そんな表情を返すシトリアーナに、サフィーニアはクスクスとまるで悪戯を仕掛ける子どものように笑う。

「そういうワケだから。なるべく少数で精鋭選んで来てくれ」

「あんたってヤツは……」

 また勝手に動いて……と、シトリアーナは頭を抱えた。

 サフィーニアという人間は、行動力とそのスピードは人一倍強く素早く、しかも一度決めたその意志は、自分がどう頑張ってもそうそう動かないということを、シトリアーナはここ十数年の付き合いで、嫌というほど思い知っている。

 おまけに情報通……否、地獄耳。

「どっから仕入れてくるのやら。本ッ当に、あんたの情報網には感心させられちゃうわ」

 りょーかい。と、シトリアーナは手をひらひらと振る。

「今から人選して、朝イチで出発できるよう、頑張ってみるわ」

 あきらめたように答えたシトリアーナに、サフィーニアは満足げに微笑んだ。

「頼んだぞ。皇后陛下」



「大公女様。……貴女の意思を、聞かせてもらえないかしら?」

 ふいに、シェアが口を開いた。そんな彼女に、コクリと大公女は頷く。

「ペリド……資料室の東側本棚、一番左の棚の上から三段目に……赤色の、分厚い皮表紙の本に偽装した箱があるから……中身を取っていらっしゃい」

 母に言われるがまま、ペリドは隣の資料室に移動。指示された本……否、箱を取り出し、中をひらく。

「これは……」

 小さな布の袋が入っていた。すぐに母の元へ戻り、彼女にその袋を手渡す。

 大公女の震える手が、袋の中から小さな金属製の印章を取り出した。

「大公印……そして大公位を、帝国にお返しいたします。そして……すぐにでもこの都を、『帝国が選んだ相応しき者』に継いでいただきたい……」

「わかりました。五日……いえ、四日、絶対に死なないでくださいませ」

 無茶なことを……しかし、大公女はシェアに静かに微笑む。

「心得ました。では……」

 突然訪ねた自分ぺリドに対して、どんなに苦しくても母は、最後まで優しい母の顔をしていた。

 シェアは、大公女に向かって深々と礼をする。名残惜しそうにたたずむペリドの手を引き、扉の方へ一歩、歩を進めたところでふと、彼女は大公女に呼び止められた。

「……何でしょう?」

「お嬢さん。この子は、強くて、優しい」

 綺麗な、心でしょう? 私の自慢です……大公女は、誇らしげに微笑んだ。

「ええ。……貴女にとても、よく似てらっしゃいますわ」

 振り返るシェアは、穏やかな表情で彼女にそう答える。

 うつむき唇をかんではいたが、母にそう言ってもらえたペリドは、これ以上もなく嬉しかった。

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