第九楽章 女帝戯曲
確かに、オレとシェアはシャニーまで来る途中、いろんな街に寄ったさ。
シェアが高所恐怖症だから、なるべく、高い所は飛ばないよう、気をつけていたし……。
でも……ねぇ。タカ先生。
こーゆーのって、アリなんでしょうか?
え? なんですと? ……風で聞こえない?
………………そーでしょうね。このスピードじゃ。
まったく、おかしいと思いましたよ。どこにも寄り道しなかったとしても、たった数日で帝都からシャニーにつくなんて、普通の方法では『絶対に無理』だと思ってましたから。
まさか……ねぇ。こんな方法をとっていたとは。
「いやー、ジェムが火精霊と契約した直後だったとは、タイミング良かったですねぇ。もうちょっと、スピード上げてもいいですよ」
「……外部から水と火の精霊の力をドーピングするなんて。……機龍壊れても知りませんからね」
「大丈夫ですよ。サフィーニア殿の力でも、壊れませんでしたから」
地上は遥か彼方。障害物のまったくない、膨らみはじめた月の中を、オレはタカ先生にしがみつき、ある場所に向かい、まっすぐに、疾走した。
「ったく、ありえねー……」
音をたてないよう、ゆっくりと下水道の配管から外に這い出しながら、ペリドは小声でつぶやいた。
できることなら、マジで風呂に入りたい……。
「まったく、いい大人なんですから、我慢しなさいな。この私でさえ、臭かったのを我慢して、付き合ってあげているのですから」
つき合わせているのはどっちだ……と、ペリドはジト目で見下ろした。
「まぁ、見事に公邸の中には入れたのですから、よしとしますわ。……で、大公女の住まいは?」
「こっちだ」
ペリドは、ところどころ明かりが漏れている場所を確認しながら、歩み始めた。シェアがついてくることを確認しながら、見つからないよう、さらに声をひそめて問う。
「で、義母上に何の用だ?」
シェアは眉をひそめ、逆に問う。
「お母様から、聞いていたのではなくて?」
「オレは大公になる気なんて、さらさら無いからな」
「あなたの個人的希望は聞いていませんわ」
ペリドの言葉に、シェアはあっさりと切り捨てた。さすがにペリドもムッとくる。
しかし、シェアは彼の心情を察したか、眉間にしわを寄せ、頭を抱えた。
「まぁ、あなたの気持ちはわかりますけれど……」
でも……と、シェアは続ける。
「あなた、私が何故、十字銀剣紋章を持っていると思いますの?」
「……」
ペリドは言葉に詰まった。十字銀剣勲章は、皇帝から直接受け取るものであり、それを他人に勝手に譲り渡すことは禁じられている。
それを持っているということは、当然、彼女は皇帝から直接もらったということだ。
「十字銀剣紋章は全部で十二個。現在の所有者は、私を含めて五人」
当然、将軍であるお父様ですら、お持ちではないの。と、シェアはぎゅっと、自分の首にかかった紋章の首飾りを握り締める。
「そのたった五人の中に、子どもの私が入っているなんて、常識的に考えるとありえないことですわ」
でも……と、シェアはペリドを見上げた。
「頂いたからには、それに見合う行動をすると決めたの。体が小さくて非力でも、陛下のために、できる限り、思いつく限りの最善を尽くすことを……」
だから……。
「私は不穏分子を見すごすなどという行動を、とるわけにはいきませんのよ」
ペリドは少しだけ、彼女のことがわかったような気がした。
シェアが一見わがままに見えるのは、自分の考えを正直に、まっすぐ貫こうとするため。彼女のプライドが高いのは、自分の気持ちと思いに、自信と誇りを思っているから。
その心の第一は、強い信念と、国を治める者に対する、揺ぎの無い忠誠心。
それは、たった九歳の少女のものとは、思えないほどの強さ。
「お前、ただのタカビーなガキじゃ、なかったんだな」
一瞬、シェアの顔が引きつった。そして、なるべく平静を装うよう、つぶやく。
「……あとで、覚えときなさい」
シェアは真情に従い、任務を優先することにしたが、声が少し、怒りで震えていた。
「なんだぁー? サフィーニア。こんな時間に非常識だぞぉー」
折りたたみ式のディスプレイの向こうには、一人の男が立っていた。年齢はペリドと同じくらいだが、雰囲気はまるで違う。
体格は女性のように細身で繊細。クセの強い淡い赤の髪はもちろん、顔のパーツそのものが、向かい合うサフィーニアにどこか似ていたが、受けるその印象は対極のイメージだ。
緊張感のかけらもない間延びした言動と、独特の訛り、加えて大きなあくび三連発に、思わずサフィーニアは頭を抱えた。
「……ディスプレイの組み立てに時間がかかり、昼間に連絡を入れられなかったのはこちらの不手際だが……ソレ、なんとかならんのかバカイトコ」
「何度も言うけど無理だぁーよ。もともと田舎育ちのおのぼりさんなんだぁ。小さいころから染み付いた性格と癖と低血圧は、なかなか治らないだぁ」
男の言葉にだんだんイラついてきたのか、サフィーニアの眉間に深々とシワがよる。
「もういい。シトリアーナ叩き起こせ」
「うっわぁ。人として最低だぁ。寝ている女の子を『叩き起こせ』だなんてぇ。夜更かしは女性の最大の敵だべさ」
あくびをしながらの男の言葉に、サフィーニアのこめかみが、ぴくりと動く。
「私も女なのだが。しかも、シトリアーナと同い年の……」
「サフィーニアは生物学的には女でも、仕事とやってることは、ほとんど男だぁ」
「なんだとッ!」
ディスプレイに食らいつきそうな勢いで突っ込むサフィーニアを、後ろから羽交い絞めにして押さえながら、一人の女性が割って入った。
「ごめんナさイ、緊急事態ナのデス。話、進まナいデスかラ、サフィーニアの言うコト、キく。シトリン、起こしてクダさイ?」
もっとも、圧倒的にサフィーニアのほうが体力があるらしく、右に左にと振り回されて、あまり役に立っていないように見えるが、ホークの妻であるその女性が片言の言葉で割って入ったことで、男の表情がパッと変わった。
「おお、ホークどんの奥方殿。昨日から探してたんだぁ。ホークどんも一緒か? ホークどんは一体、どこにいるだ?」
暴れるサフィーニアをなんとか押しのけ、ディスプレイの前に立った友人の妻の顔を見て、男はぱぁッ! と、さらに表情が一気に明るくなった。眠気も一気に、しっかり覚めたようで、つぶらな瞳が、きらきらと輝いている。
「今、私タチ、帝都留守。ソレ、関係有りマス。シトリン、起こしてクダさイ。サフィーニアの話、聞いてクダさイ」
彼女は夫に比べて、やや言葉に不自由があるが、それでも、男は彼女の真剣な表情を見、事の重大さを感じたか、うなずいてその場を離れた。
「まったく、あの単純明快脳内年中常春男……いつかぶっとばすッ!」
男の態度の落差に、サフィーニアは頬を膨らませた。
それは、まるで幼子がダダをこね、すねている時のようで、ジュール夫人は、ついそれが微笑ましく思えて、思わずクスリと笑った。
公邸内は、とても静かだった。
あまりにも順調すぎて、ペリドは一瞬、守衛たちの怠慢さに思わず目眩を感じたほどだった。
二人は今、大公女の寝室の前に立っている。
館の主の部屋にふさわしく、大きな扉をかまえるその部屋の前で、ペリドは歩を進めることをためらっていた。
本当は、二度と会うまいと誓った養母。
騎士になりたくて……本心は、義兄と少しでも離れたいがため、何の相談もせず、帝都へ勝手に出て行った事。
途中で脱落して、故郷に帰ってきたものの、それから一切連絡をとろうとしなかった事。
何より理由は知らないが、どこの子とも知れない自分を、育てなければならなかった事。
彼女は一体、自分の事を、どう思っているのだろうか?
そんなことがぐるぐる頭の中を駆け巡り、あと一歩を進む勇気が出ず、扉の前で立ちすくむ。
隣に立つシェアは、そんな彼を見上げ、苦笑を浮かべながら一言。
「二十九にもなって……中身はガキですわ」
子供にガキ呼ばわりされ、沈痛な表情を浮かべていた彼は、思わず目を見開いて絶句。そして、言われたことを頭の中で反復し、ようやく意味をとらえて、鋭い淡緑色の目が怒りの色をたたえる。
彼の反応を見、シェアはにやりと笑った。
「子供と一緒ですわ」
「う……うるさ……」
思わず、血の気と一緒にボリュームが上がってしまい、ペリドは、しまったと、語尾を飲み込んだ。
しかし、時、すでに遅し。
「そこに……誰かいるの?」
扉の向こうから、か細い女性の声がした。
「あ……う……」
見事計算どおりに事が進み、勝ち誇ったような笑みを浮かべるシェアの隣で、ペリドはがっくりとうなだれ、そして、意を決して……半ばしぶしぶ、ドアノブに手を回した。
その部屋に入った瞬間、ペリドは顔をしかめた。
室内は、あるにおいに満ちていた。
それは、『におい』というほど、明確に解るものではなく、どちらかというと『気配』に近いものであり、隣に立つシェアには、言っても気づかないであろうものであったが……戦場に立った事がある者なら、何度も嗅いだ事のある、嫌なにおい。
其は、『死』のにおい……。
「誰……?」
声は、意外としっかりしていた。しかし、月明かりにぼんやりと浮かぶ彼女は、ひどく痩せており、かつての面影がほとんど無いほどやつれている。
「ペリドです……母上」
ちゃんと、話には聞いていた。
きっと、先は長くないと、誰もが言っていたのに。
自分はずるいと、ペリドは思った。
十年もシャニーに居ながら……数年前から母が病だという話を聞きながらも、自分で母に会おうとせず、こうしてお膳立てしてもらって初めて、事の重大さに気づくのだから。
……なさい。ごめんなさい。
「ごめんなさい」
無言だった大公女は息を飲み、そして深いため息をはいた。
「間違いなく、貴方ね。ペリド。……男の子が、そんなに謝るものじゃないって、いつも言っていたでしょう?」
大公女はガリガリに痩せた手を、ペリドの方へ手を伸ばした。
無意識のうちに、ペリドはその手をとっていた。
「会いたかったわ。本音を言うなら、もうちょっと早く会いたかったけど」
苦笑を浮かべる彼女の目に、光は無い。ペリドの記憶に残る彼女の鮮やかな緑色の瞳は、まるで、曇って濁った硝子のようで。
「貴方の顔、見たかった。私の大好きな、黄緑色の瞳……」
ペリドは口を開いたが、言葉にならなかった。
ただ、うつむいたら、涙がこぼれた。
「お取り込み中、申し訳ありませんけれど」
ゴホンッ……と、シェアがわざとらしいせきをした。
「ご無礼、失礼いたしますわ。ベリルナディエット大公女様」
「シェア……何を……」
黙りなさい! とばかりに、シェアはペリドの足を踏むと、シェアは十字銀剣紋章の細工部分を、大公女の手に触れさせた。
まるで、それが何なのかを、自分で確かめさせるように。
「わたくしは、ルーシェヴィア・マロウ・ステラー・フェルドスペア・ガジェットと申します。ペリド公子の『証』を、いただきに参りましたの」
証? いぶかしむペリドをよそに、大公女はただ一言、そう……と、つぶやく。
「執務机の引き出し……三段目の奥の下……」
独り言のようにつぶやく大公女の、言われるがままの位置を、シェアは探った。
取り出したるは、小さな鍵。
大公女はペリドに、自分の身に着けていた首飾りを差し出した。それは、彼の瞳と同じ色の石をあしらった、大公女という地位に着く者の持ち物にしては、明らかに安っぽくて地味なものであった。
それでも、それが、彼女がずっと大切に身に着けていたものである事を、ペリドは知っている。
「隣の資料室の、北側……本棚の、中央列、上から四段目の奥」
母に促されるままに、ペリドは隣の部屋に行った。北壁に並ぶ七つの本棚……その中央列の、上から四段目の本を、数冊ずつ、まとめて床に落とす。
「もっと静かにできませんの?」
そっと扉を閉めながら、鍵を持ってきたシェアが、不服そうに見上げる。本が薄かったことと、ふかふかの絨毯のおかげで、音が漏れることはなさそうだが、ペリドの行動は明らかに思慮に欠けており、見ててハラハラさせられる。
本棚の奥に、小さな鍵穴を見つけた。身長の足らないシェアに促されるままに、ペリドは鍵を差し込み、回した。
ズッ……と、本棚がゆっくりとずれる。
「隠し……扉?」
確かに、小さい頃にそんな話を、母から聞いたことがあった。
公邸には、誰にも知られない、秘密の隠し通路が、たくさんあるのよ……と。
秘密……という言葉に、ペリドの心は躍り、よく探したものであった。
ただし。
「……物置レベルですわね」
そう。目の前の空間は、隠し通路と呼ぶには、おこがましいほど小さい。奥行きはそんなに無く、三方すぐに、壁にぶち当たる。
物置……と、シェアは称したが、まさしく、そんな感じ。
明かりが無いので見えにくかったが、その『物置』の床の上に、丁寧に布でくるまれ、立てかけられた物があった。ペリドは手探りでいくつか取り出し、長い間降り積もった埃をはらいながら、窓のそばまで持ってゆく。
大きさと形から推測すると、絵画と一振りの短剣だろう。小さな木箱も目に入る。
「これ……ですわ」
木箱を手に取り、蓋を開ける。
「なんだよ。ソレ」
「ふふ……気になりまして?」
中身を確かめ、満足そうに頷くシェアを、なんだか不気味そうに見つめながら、一応、ペリドは首を縦に振った。
「これは、貴方の……」
言いかけ、シェアは口をつぐんだ。
ペリドも、武人特有の勘で、動きを止めた。
隣の部屋……廊下と大公女の部屋を繋ぐ、扉が開いたのだ。
「母上、お加減はいかがですか?」
低く、静かな男の声が響く。この声は、間違いなく義兄、ベリアル……。
「ふふ……悪くは無いわね」
先ほどとは打って変わった、冷たい大公女の声に、ペリドは切れ長の目を、大きく見開いた。
「そうそう、お前の思い通りに、なってたまるものですか」
「強がりはおよしになってください。この、くたばりぞこないが」
な……思わず声をだしかけるペリドの口を、シェアは急いでふさぐ。
ここで、見つかるわけにはいかない。そう、視線で訴える。
「それよりも、さっさと大公印を、お譲りください。後々面倒事になりますよ」
ベリアルの言葉に、大公女はフフッと、低く笑う。
「困るのは、お前でしょう? 私は、お前にだけは大公の位は譲れないと、何度も言ったはずです」
「……それは、私よりペリドのほうが、ふさわしいという事ですか?」
バンッ! 何かが倒れる音が響く。
「あの子は関係ありません。私は、貴方の統治能力に問題があると判断しただけです。少なくとも」
母の凛とした……冷たい言葉に、ペリドの背筋が凍った。
「母親を平気で殺めようとする男に、領地を治める資格はありません」
「貴方にしては、よく、頑張りましたわ」
平行線のまま口論を終え、足早に出て行ったベリアルの気配が、完全に消えたことを確認して、シェアはそっと、扉を開けた。
「……んで」
ペリドは、うつむいたまま、ゆっくりと立ち上がる。
「なんで……兄上は、母上の……血の繋がった子どもだぞ……」
自分はベリアルとも、ベリルナディエットとも、ましてや前大公とも、血が繋がっていない。
だから、自分が兄にいじめられるのは、しかたのない事だと、ずっと思っていた。
なのに……。
それなのに、なんで……。
「なんで、兄上は……母上を、殺そうと……」
雫が、ペリドの頬をつたって、絨毯にしみこむ。
「そんなの、気に入らないからに決まってるじゃありませんの」
「なッ……」
あっさり言ってのけるシェアに、ペリドは目を見開く。
「あの男は、気に入らないから気に入らない者を、殺そうとしているだけに過ぎませんわ」
「おまえッ……」
掴みかかるペリドに、視線をそらすことなく、シェアは続ける。
「だから、貴方のお母様は、嫡子不適当と判断した。そうじゃありませんの?」
そして、そんな母が、気に入らないから殺す……その、繰り返し。
「ひどい話ですわ。でも、それが現実ですの。いい加減、直視しなさいませ!」
「お嬢さん。そのくらいに、してくれませんか?」
先ほどとは、打って変わった優しい口調の母の声に、ペリドは大公女の元へ駆け寄った。
「母上!」
「ペリド……あなたが怒るのは、無理もない事だけれど。でも、こうなってしまったのは、私にも責任があるの」
「それは……」
自分が、兄上から母上を、とったから……小さな頃、そう言っていじめられた事を思い出し、ペリドは思わず口にしたが、母にはあっさり笑われてしまった。
「私は、双方同じように、愛情を注いだわ。ただ、それはあの子のプライドを、私の意とする事とは、別の方向で、傷つける事になってしまった」
私の過ち……それは……。
「ペリド……あなたの出自を、隠蔽したままにしてしまった事よ」
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