第八楽章 恋人たちの鎮魂歌
「私を、守りなさい」
たまたまその時出合わせただけの、世間知らずな家出娘の私を、彼はずっと守ってくれた。
その頃の彼の口癖。
「お姫さま。貴女の望みは何?」
私はいつも、こう答える。
「行き先はあなたと一緒でいい。私を、守りなさい」
そして、彼の故郷である此処にたどりついた。
ついたその日も、彼は問いかけた。
「お姫さま。貴女の望みは何?」
私は、答えた。
「形だけでいい。あなたが本当に好きな人ができたら、出ていくから。……私を、あなたの妻にして」
彼は無言だったが、結局「否」とは言わなかった。
神殿の目の前に家を借りたのは、あなたとあげる挙式を、夢見ていたからかもしれない。
「やっぱり、ここにいましたのね」
二階のドアを開けると、寝台にエーメラルダが座っていた。
「外は危険でしてよ」
ラルダの手には、鞘と布に包まれた、二本の剣が握られていた。
「ふーん。それが、ガーレアフィードの破壊神の剣の、オリジナルですのね」
二本は、まったく違う形をしていた。むしろ、対極と言っても過言ではない。
すらりと長い、細身の長柄剣と、片手剣にしては重硬で太い、大太刀。
「……オリジナル?」
「まぁ、知りませんの? ガーレアフィードの破壊神に憧れる若い騎士は、いまだ多いんですの。あの筋肉マッチョが退役して十年が経っても、真似して長柄剣と大太刀をぶら下げる輩は、数を増やすばかりですわ」
エーメラルダは目を丸くした。知らぬは本人ばかりなり……である。
「強くなるのは本人の努力の成果であって、真似してもしょうがありませんのに」
「私、あの人の通り名、シャニーに来て、初めて知ったわ」
ぽつり……と、エーメラルダは口を開いた。シェアが顔を上げると、彼女の緑水晶の色の目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「あの人の、退役理由も、こっちに来て聞いたウワサで初めて知ったの。部隊長と、一人の女の人を取り合って、フラれたんだって……」
最初は、なりゆきだった。クリスタリアヌスから少しでも逃げたくて……。でも、シャニーまでの旅が楽しくて。少しでも長い間、彼の側に居たいと思った。
何より、彼には幸せになってほしいと思った。
ささやかではあっても、自分の存在が、彼の望む幸せに導ければと、思った事もあった。
でも……。
「お姉様なんかに、勝てるワケがないよね」
まさか恋敵が、自分の義姉だったとは、少しも思わなかった。
「お姉様みたいに……何でもできて、美人で、素敵な人。そうそう忘れられるわけ、ないよね……」
「……それで?」
シェアは、見上げてエーメラルダに問う。ふいに問いかけられ、エーメラルダは虚をつかれたように、一瞬、きょとんとした。
「それで? 貴女は、どうするつもりですの?」
貴女は、どうしたい? ふいに、シェアの言葉に、姉の言葉が重なる。
まったく気がつかなかったが……姉に瓜二つのこの少女は、ジッとエーメラルダの顔を見上げた。
そう。これは、姉の口癖。この後には、こう続くはず。
絶対に、あきらめるな……。
「あなた、お姉様にそっくりね」
「ありがと。……よく、言われますわ」
嬉しかったのか、シェアはうつむき、そして頬を赤らめて、口を開く。
「……お礼ってワケじゃありませんけれど、可愛そうだから、教えてさしあげますわ」
「何を?」
「お母さまが、あの筋肉マッチョを選びたくとも選べなかった理由を」
え……? 絶句するエーメラルダに、シェアはにっこりと微笑み、「女同士の、内緒ですことよ」と、人差し指を口に当てた。
それは、エーメラルダが初めて見た、彼女の年相応の笑顔だった。
ジェムが病室のドアを開けると、そこにはペリドの姿しかない。
「あれ? 母ちゃんは?」
ジェムに続き、スイネとアイネも室内に入る。
「……騒ぎまくって、追い出された」
ペリドが膨れっ面で、返事を返すと、ジェムはやっぱり……と、頭を抱えた。
「……いや、正確には騒いだのはオレとタカだ」
「あれ? さっきも思ったけど……知り合いなのか? 先生と」
天井を見上げながら、ペリドはますます、頬を膨らませた。
「……帝都にいた頃からの、腐れ縁だ。そもそも、オレの通り名の名付け親みたいなモンだし」
「通り名?」
こぽぽ……アイネが、部屋に備え付けられていたコップに水を注ぎ、スイネとジェムに手渡す。ペリドの分も注いだが、後で起き上がった時に飲めるよう、寝台の横の、小さなテーブルの上に置いた。
「……ガーレアフィードの破壊神」
「ブッ」
ゲホゴホッ……。ジェムが、派手に咳き込んだ。
「どうした?」
しばらくゴホゴホ咳き込んでいたものの、気を取りなおしてジェムが問う。
「え……だって、その……。ガーレアフィードの破壊神って、あの?」
「知ってるのか? あんな十年以上前の、昔の話……」
「知ってるもなにも、いまだに帝都では有名だよ」
帝都の南西、ガーレアフィード地区に、規模の大きな盗賊団が根城を構えていた事があった。
事の事態を憂いた皇帝タイトニスは、騎士団の派遣を決定する。
その際、まっ先にアジトに突っ込み、徹底的に盗賊団を壊滅させた功労者として、名を轟かせた二刀流の若い騎士がいた。
「その功績を讃えて、ガーレアフィードの破壊神って、その若い騎士は呼ばれるようになったって。あれ? でも、よく考えたら、なんで功績讃えて破壊神なんだ?」
実は、その話には後日談がある。
翌日、現場の後片付けをする為にかり出されたペリドは、そこで、残党の襲撃を受ける事となる。
不意打ちとはいえ、所詮は先日の残党である。勝てない相手ではなかったのだが……勢いあまってついうっかり、隣の
その時、通訳兼研究者としてその場に居合わせたのが、若き日のホーク・ジュールその人である。
「……まぁ、若さ故の、過ちってヤツだ」
できる事なら、二度と思い出したくないほど。
シェアとエーメラルダの姿を見て、サフィーニアはホッと安堵の表情を浮かべた。
「ごめんなさい……その、お姉様。……私」
「その剣……懐かしいな」
エーメラルダの持つ、二振りの剣。彼女の華奢な腕では持つのがやっとで、重たいのか、少々足がふらついている。
サフィーニアは、目を細め、大太刀の鞘を持った。
「片方、私が持とう」
「いえ……大丈夫ですわ」
エーメラルダは、姉の顔を見上げた。小さな頃から、ずっと姉の姿を見上げていたが、その距離はいつの間にか、少しだけ、短くなったような気がする。
いつか、並べるかしら……? そう、エーメラルダはふと思った。
「……そうか。それじゃぁ、持っていってやれ」
お前の、夫の所へ。
「お姉様は、こられないのですか?」
サフィーニアは、隣に座るホークと顔を見合わせると、苦笑を浮かべた。
「私は先ほど、騒ぎ過ぎだと追い出されたばかりなのでな」
残念だが。と、サフィーニアは笑った。
さて……と、サフィーニアは、娘に向き直り、目線が合うよう、しゃがんだ。
「シェア。旅に出してからは、何があっても手を出すつもりはなかったが……今回は特別だ。……というより、今回は私たちが動かねばならぬ」
ポンッと、娘の頭を軽くなでる。遠目から見れば、仲の良いよく似た親子に見えるが、その母の瞳は冷たく、子を前にする表情とは、とても思えない。
「……母様の言いたい事、わかるな」
「ええ……。お父様に、お知らせすればいいのね」
う〜ん……と、サフィーニアは苦笑を浮かべた。
「それじゃぁ、及第点はあげれないな」
母の言葉に、娘は少々眉をひそめた。
「……あら。国家転覆を企む要注意人物が巣食ってるのに、騎士隊や軍部に連絡をせず、誰に連絡を入れればいいのかしら」
「では、容疑はなんとするつもりだ? ……今の所、奴らはほぼ、表面的な行動は起こしていない。「ある一件」をのぞいて」
サフィーニアは、娘に耳打ちをした。一瞬、シェアの大きな目が、これでもかと言うほど見開かれたが、小さな少女は、一瞬で表情を改める。
「本気……ですの?」
「えぇ。一番、妥当な方法じゃないかしら」
微笑む母を見上げ、娘は納得できないとでも言うように、唇の端をかんだ。
……しかし。
「わかりましたわ」
娘はしぶしぶ、了解する事にした。母以上の妙案があるのなら、徹底的にでも食いついてやるつもりであったが、悔しい事に、こういうときに限って、よい考えが思い浮かばない。
「ジェムに、伝えて参りますわ。……それでは」
娘はそう言うと、くるりと回れ右をし、神殿の中へ駆けていった。
「……んっとぉに、そっくりですね」
「我ながら、末恐ろしい子だと、私も思うよ」
ぽつりともらすホークに、サフィーニアは言葉とは裏腹に、慈愛をこめた表情で娘を見送った。
いよう。剣を持ってきたエーメラルダに、ペリドは右腕を上げて微笑んだ。
「やっぱ、それがないと安心できないか?」
エーメラルダは、首を横に振った。予想外の彼女の反応に、ペリドは思わず、眉をひそめる。
「この剣もそうだけど……一番安心できる場所は、あなたの側だわ」
「な……」
突然の言葉に、思わずペリドは赤面する。と、同時に、エーメラルダはペリドに抱き着いた。
「バカッ……人がいるだろうが」
最初は痛みと恥ずかしさで、顔を歪ませていたペリドだったが、彼女の背に手を当てたとき、初めて気付いた。
「……おまえ、泣いてるのか?」
まさか……あいつらがまた来たのか……? 一瞬、ペリドは表情をこわばらせたが、エーメラルダはペリドの包帯だらけの胸に顔を埋めたまま、首を横に振る。
気を利かせたつもりなのか、スイネが妹とジェムの服を引っ張り、部屋を出るよう、促した。
二人きりになったところで、ペリドは改めて、エーメラルダの顔を覗き込んだ。
「じゃ、どうした?」
「……怒らないでね。私、お姉様にヤキモチ、やいてたの」
一瞬、ペリドは目が点になった。
……なんで?
サフィーニアの事を、エーメラルダに話した事はない。むしろ、ペリド自身、二人が姉妹である……と言う事を知ったのは、本当につい先ほどの事で、昔の事を話す余裕など、無かったハズである。
これが、女のカン……というヤツなのだろうか。先ほど一部始終を、エーメラルダに覗き見されていた事を知らないペリドは、ぽりぽりと頬をかく。
「馬鹿だな……ホント。……オレも」
本当に……。
「……すぐに回復する。二、三日待ってろ。そしたら、また、守ってやるから……」
「悪いけど、そこまで待ってる余裕、ありませんの」
突然、ドアが勢い良く開かれ、シェアが大股で入ってきた。何かあったのか、いつも以上に、どこか不機嫌そうである。
「今すぐ……とは、さすがに言いませんわ。これから
「はぁ?」
二十歳年下の少女が放つ偉そうな言葉遣いに、思わずペリドは眉間にしわを寄せた。
「五刻って……真夜中じゃねーか」
「えぇ。これから五刻後、日付けが変わると同時に、シャニー公邸へ忍び込みますわ」
「………………」
突然の言葉に、ペリドはあいた口が塞がらない。エーメラルダにいたっては、理解できず、目を白黒している。
「な……ちょっとマテ……。一体ナニする気だ」
「それは、実際行ってみてからのお楽しみですことよ」
あ、そうそう。忘れてましたわ。……と、絶句している二人に、シェアは、首飾りをはずし、ペリドに投げて渡した。
柔らかな布団の上に落ちた首飾りを、エーメラルダが拾い上げた。銀製のそのペンダントトップは、どうやらロケットになっているようで、エーメラルダは金具をはずし、中をひらいた。
「え……」
「ゲ……ッ」
普通、ロケットの中には絵姿等が入っているのだが、その中にはそれらしいものは一つも入っておらず、小さく複雑な紋様が、所せましと刻まれた彫刻が入っていた。
その彫刻の中央部には、黒き蛇が絡まる三本の十字剣。
エーメラルダは噂には聞いた事があったが、目にするのは初めてであった。
ペリドは、以前、まったく同じものを、帝都で見た事があった。
現代に生きる者では複製不可能とされる、細やかで美しい彫刻のロケット。アリストリアル建国当時に伝説の細工師が残した、この世に十二しかない美しいその飾りは、代々アリストリアル皇帝が、近く、もっとも信頼のおける者に直接手渡す至高の紋章。
これを持つ者の言葉は、皇帝の言葉と同等の重さを持つ……。
「それでは、また五刻後に、お会いしましょう」
シェアはエーメラルダの手から、首飾りを受け取ると、入ってきたときとは対照的に、静かに、部屋を出ていった。
「……なんで、あのクソガキが、あんなもの持ってやがんだ」
信じられない物を目にした二人は、しばらく、狐につままれたように、呆然と、シェアの消えたドアを見つめていた。
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