第七楽章 塔の中の狂想曲
私が生まれる前、皇帝陛下が亡くなった。
今の陛下は、その亡くなった陛下の、子どもの一人。
何番目かは解らない。だって、陛下には、たくさんの子どもがいらっしゃったから。
あまりにも多すぎて、その方はまったく、見向きもされていなかったそう。
いちばん有力だった跡継ぎは、皇帝陛下の正妻の長子。賢い子どもだったんだけど、この人、体が弱くて、幼少時に亡くなってしまったんですって。
次に有力だったのは、その方の同母弟。でも、この人、血統はよくてもあまり賢い人物ではなかった。当然、様々な反対者が現れる。
その反対したものを、あろうことか皇太子は殺してしまった。それも、たくさん。
その皇太子を廃したのが、現皇帝サフィード。結果として彼は帝位を継ぐ事になり、その治世は今も続いている。
サフィードは帝都の一部の人間から、『仮面の王』と呼ばれている。その通り、彼は常に鉄の仮面をかぶり、素顔を人前でさらさない、変わった人物。
私はサフィードの秘密を知ってる。
そう。きっと、ほとんどの人間が知らない、サフィードの秘密を。
公邸の火事の翌日。火事は不審火として始末され、あの場に人はいなかった……と、公邸関係者から公表された。
そして、さらに翌日。
例の火事で、火傷した頬を冷やしながら、ジェムはむくれていた。
「気を抜いた隙に火精霊にキスされて、火傷したなんて間抜けは、あなたくらいですわよ」
「うるせー」
ジェムは姉をギロリとにらんだ。が、たしかに、我ながら間抜けすぎる。
ユーモアあふれる炎の精霊は、わざわざキス・マーク型の火傷の痕を、頬に作ってくれた。
「ほら、動かない。湿布貼れないわよ」
吹き出すのを我慢しながら、エーメラルダがジェムの前に立った。ジェムはむっつりとしながら、おとなしく頬に軟膏と湿布を貼ってもらう。
ちなみに、ここはペリドの工房ではなく、神殿の医務室である。今工房に戻るのは、危険であると判断した。ベリアルとクリスタリアヌスに居場所を知られているのだ。きっとまた、やってくるに違いない。
神殿は、アリストリアルを守護する神の使いである黒蛇を祭るもので、帝都はもちろん、各公国にも、必ず一つは存在する。しかし、国に依存をしているわけではなく、神殿の中に農場や果樹園等、しばらくの間は自給自足生活が行えるような施設がある。加えて、その敷地はかなりの規模を持つものが多い。
独立した組織、機関、国の中にある『小さな国』と考えていいだろう。しかも、その都市国家のネットワークは、アリストリアル国家そのものに匹敵をする。
神殿は、弱き者に手を差しのべる場所であり、神殿側が断固拒否すれば、たとえその相手が皇帝であっても、その土地に踏み込む事はできない。
そんな場所である。
「まぁ、立地場所が場所なんで結局、あまり大差ないような気もするけどな」
姉の苦策にジェムは苦笑を浮かべたが……まぁ、そのまま工房に居るよりはマシだろう。
「ったく、ざまあないな。何もしてないのに、こっちは大打撃だ」
火傷はもちろん、義兄と廃太子にギタギタにのされた時に負った怪我で、包帯だらけの身体。忌々しく思ったのか、ペリドはチィッと舌打ちする。
「原因はあんたですわッ。ろくろく回復してないのに精霊術使って。「精霊さん、暴走してください」って、自分から言ってるようなもんじゃないですの」
かっこつけるなッ! ……とばかりに、ベッドに寝たきりのペリドをシェアは蹴った。痛みで顔をしかめ、いつものように、ペリドは反論したかったが、ハァ……と、ため息を吐いた。
「……その通りです」
「な……なんですの……気持ち悪いですわ」
いつものペリドらしからぬ反応に、シェアは身震いした。ペリドはペリドで、失敬だなぁと、ジト目で睨んだが。
「精霊術、正規な所で習った事ないんだよ。……使った事もほとんどないし」
は? 双子は絶句した。話を聴くまで精霊術が使えることを知らなかったエーメラルダも、あんぐりと口をあける。
「あ、その……基本は習ったぞ。名前教えて、契約して、召喚するって……。で、その……」
実に言いにくそうに、ペリドは一言。
「それだけ」
フォーローとばかりに口を開くも、三人は頭を抱えた。
「誰ですの? この無責任マッチョに、いい加減な方法教えたの」
「でも、オレも最初精霊術教えてもらったとき、あとは自力でなんとかしろ……って、言われた事あるんだけど……」
沈み込む姉に、わざとらしいくらいにジェムが明るい声を出す。エーメラルダも、視線をそらしながら、一言。
「でもさぁ、精霊術士って、帝都だけでも結構いるから、さすがに知り合いじゃないと思うわ……」
ははははは……乾いた笑いが部屋中に響く。
そう、たぶん、知り合いではないはず。
たとえ、思い当たる人物が一人、それぞれの脳裏に描かれていたとしても。
「……サフィーニア」
は……。ほんのり頬を赤く染め、まるで恋する乙女の如くポツリと呟いたペリドの言葉に、一同の笑いが、ぴたりと止まった。
「な……なんてこと言いますの、この、筋肉マッチョ」
「そうそう、なんであんたが知ってるんだ。母ちゃんを」
「え……えぇ? ……サフィーニア……お姉さま?」
「呼んだか?」
突然ぬっと、窓から一人の女性が顔を出した。赤みがかった淡い色の髪を、高い位置でまとめている。そこから流れる巻き毛は長く、顔はと言うと、ちょうど、シェアが成長して、年とったような感じ。
思わず一同、目を見開く。
「な……母さまッ!」
「母ちゃんッ!」
双子がぎょっとのけぞった。ちなみにここは二階である。
「母ちゃん、足場は?」
「ほれ。機龍だ。ホーク殿の最新作」
女性はペンペンっと、機龍の鱗状の装甲を軽くたたいた。
「タカ先生?」
はいはいーと、女性の後ろから金髪の青年が手を振る。その声に、ペリドが反応した。
「た……タカだってぇ? てめぇ、ホーク・ジュールかッ!」
思わず飛び上がって起き上がりそうになり、顔をしかめた。どうやら、傷に響いたらしい。
そんな彼の隣で、エーメラルダもエーメラルダで、あんぐりと口を開いている。
「ほ……本当にお姉さまだ」
「ラルダ。……元気そうで何よりだ」
よっこらしょッ……狭い窓をくぐって中に入ろうとするサフィーニアに、「一階から普通に入れ」と、一同同時に突っ込んだ。
帝都からやってきた三人の珍入者は、大体の事情は知っている……と、微笑んだ。どうやらジャスパーに盗聴器を仕掛けていたらしい。
なんて事してんだこの人たちは……とペリドは思ったが、シェアの母親や師であることを踏まえてしまうと、なんとなく納得してしまうのは、何故だろう……。
「ペリド。……久しいな」
「あのガキどもの母親が、貴女だったなんてな」
大きな枕を背もたれ代わりにし、寝台に座ってペリドは微笑んだ。
再会するとは夢にも思わなかったし、もし、再会してもどのような顔で会えるのか……実のところ、想像できなかったのだが、意外と冷静に会えたことに、内心自分でも驚いた。
気を利かせたつもりか、この部屋にはペリドとサフィーニア以外、席をはずしていた。
「可愛いだろう? もっとも、お前たちの会話は、実に面白く聴かせてもらったが」
ジャスパーはたいていの場合、工房の中に入れていた。……と言う事は、シェアとペリドの口論は、筒抜けだったわけだ。
あこがれていたこの美しい女性は、十年経った今でもやはり美しく、そして、まぶしく感じる。
と、ふいにサフィーニアは顔を伏せた。
「ペリド。関係のないお前を、巻き込む事になってすまない。あの男……クリスが、幽閉先から脱出するなど、思ってもなかった」
おかしなことを言う。と、ペリドは眉をひそめた。それではまるで、彼女があの男を、幽閉させていたように聞こえる。
サフィーニアはその、ペリドの表情に気がついたのか、微笑んで言った。
「私は今、陛下にお仕えしている。文官の一人として。まぁ……騒動になる前に、なんとかするつもりだったから、此処には休暇と称してやってきたわけだが」
しだいに、しどろもどろになってゆくサフィーニアに、ペリドは思わずふきだしてしまった。
「わかりました。……そういうことにしておきましょう」
昔から、この人は嘘をつくのが苦手だった。嘘ではないにしろ、サフィーニアがまだ何かを隠しているのは確実と思えたが、ペリドはあえて、きかない事にする。
サフィーニアは微笑むと、ありがとう……と、ペリドの手をとった。
「……再び会うことができて、私は嬉しい」
少し赤面しながら、ペリドは彼女に微笑む。
そう、再び会う事ができるなんて、思わなかった。
「オレも……です……」
二人は、遠目から、複雑な心境で自分たちを眺める人物の存在に気がつかなかった。
足早に、その人物は扉から離れ、駆けていった。
神殿の敷地内にある噴水の前で、ホークはほう……と、つぶやいた。
「ちゃんと毎日、メンテは欠かしていないようだね。えらいぞ」
ポンっと、ホークはシェアの頭を撫でた。目の前にあるジャスパーは、帝都で見た時と変わらず、傷やへこみがまったくない。
「と……当然ですわ」
シェアは目をふせ、ホークから視線をそらした。別にやましい事があるわけではない。ただ、ほめられた事を素直に受け入れられず、照れてまっすぐ顔を見られないだけである……という事をホークはよく知っている。
「ジェムがぶつけないよう、しっかりと目を光らせてますもの」
ぷっと、ホークが吹き出した。
「なにか?」
「いや……その様子が、ありありと想像できたモノで……」
ホークはバシバシとシェアの背中をたたき、最後にはお腹を抱えて大爆笑してしまう。
『あらあら、どうなさいました?』
『あ、奥さん。聞いて下さいよ』
たまたま通りがかった妻に、ホークは手招きした。黒い艶やかな長い髪をゆらして、ホークの妻は駆けてくる。
笑いのツボがよくわからない異界人夫婦に、もう……と、シェアは頬をふくらませ、プイッと横を向いた。と、目に入るのはよく見知った人物。
神殿の門に向かい、足早に歩くその人物は、間違いなくエーメラルダ=ベラミントその人である。
「……もう、一人で神殿の外に出ちゃ、危ないって、言ったばかりですのに」
シェアは、異界語で話し、爆笑する技術者夫婦を置いて、ラルダの背を追った。
ジェムは、スイネとアイネとともに、神殿の敷地内にある、林の中を、ぶらぶらと歩いていた。
『ジェム君ってさ、魔法使い?』
『マホウ? ……なにそれ』
スイネの言葉に、逆にジェムは問う。
『え〜っと、テレビゲームとかの主人公みたいに、呪文を唱えて何もないところから火を出したりとか、自由に風を操ったりとか……できるんでしょ?』
う〜ん……ジェムは腕を組んで、ちょっと違う……と、答える。
『万物には、精霊が宿ってるの。おおまかに分類すると、火、水、木、風、地、光、闇の七種類。まぁ、
精霊術は、その精霊と友達になって、お願いするんだ。ジェムはそう言うと立ち止まり、そしてポケットから小さな石を取り出した。ビー玉くらいの大きさで、不透明な白緑色。全体的に丸みをおびているが、綺麗な球形をしているわけではなく、自然に、河原で転がっている石のような、そんな感じ。
何やらつぶやくと、ほんのりと淡く、石が光った。するとその石を中心に、ざあっと、風が吹いた。
木々の枝や、葉が、心地よさそうに揺れる。
『それは?』
『精霊石。精霊と友達になった印みたいなものかな。この石を媒体に、精霊術士は術を発動させる』
『……マジックアイテムみたいなモンね』
スイネの言葉の意味が分からず、ジェムは苦笑を浮かべた。アイネはとりあえず、ゴメンと頭を下げる。
『えっと、スイネちゃんのいうマホウってのは、多分、言霊術に近いんじゃないかな。……言霊術は、言葉に力を込めて、その言葉の意味を、現実にする方法。精霊術より簡単なんだけど、それ故にとても危ない』
どちらかと言うと、オレは嫌いだな。そう言うと、ジェムは再び、何かをつぶやいた。すると、石の光がだんだん弱くなり、それにつられるように、風もおさまっていった。
完全に風がおさまると、ジェムは石を、ポケットに戻した。他にも何かが入っているのか、コツンと、固いものがぶつかりあうような音がした。
『そういえば、お母さん……きてるんだよね』
さっきの騒動を耳にしたのか、アイネがぽつり……と、口を開いた。
『一緒にいなくて、いいの?』
んー。ジェムは困ったような表情を浮かべた。
『まぁ、ね。きっと、あっちはあっちで込み入った話とか、あるだろうしさ』
『……どういう事?』
『ん〜、子どもは子どもらしく、遊んでろって事かな?』
突然、ジェムはスイネの肩を、ポンッと叩いた。
『スイネちゃん、鬼ね』
『だぁッ! 何、突然ッ!』
『ゆっくり十数えたら、動いていいぞ。……いくぞ。アイネちゃん』
ちょっと待てぇー! 叫ぶスイネをよそに、ジェムはアイネの腕を引っ張り走る。
『なんで十五にもなって、鬼ごっこ、しなきゃならないワケ!』
スイネの声が、空しく響いた。
一瞬、ペリドの思考は真っ白になり、一気に停止した。
何……今……なんて……。
「なんって言った……今……」
目の前で不適に笑うサフィーニアを凝視し、そう声を出すのが精いっぱいだった。
「聞こえなかったのか? ペリド=ラジスティア」
はたして、このような冷たい笑みを、十年前に見た事があっただろうか。
「義兄を廃し、お前がシャニー大公の任につけ……と、言ったのだ」
「そんッ……そんな事、できるわけがない。第一、オレは……」
「大公女の息子ではない。か」
サフィーニアの言葉に、ペリドは視線をさまよわせた。
「確かに、多くの場合、アリストリアル帝国に属する各公国は、後継者の対象を実子もしくは婿嫁の中から選ぶ等、血を重要視するフシがある」
サフィーニアは立ち上がると、ずいっと、ペリドに顔を近付けた。
「が、それがどうした」
は? ……思いもよらぬサフィーニアの言葉に、ペリドは絶句する。
「血にどれほどの意味がある。確かに、肉親であれば、他人より公国の長たる者の仕事を、身近に見、知る事ができるという利点があるが、私に言わせてみれば、それだけだ」
「は……はぁ……」
呆気にとられたペリドは、わかったような、わかっていないような……よく分からない返事を返す。しかし、次のサフィーニアの言葉を聞き、息をのんだ。
「何より、国家転覆を企む輩を野放しにするほど、アリストリアルは甘くはない。十中八九、クリスタリアヌスの潜伏先は、シャニー公邸だ。……違うか?」
「……」
ペリドの無言を肯定と受け止めたのか、サフィーニアは不敵に笑った。
「まぁ、そこまでされても義兄を信じたがる、お前の気持ちもわからなくはないんだけどな」
ドアほんの少しだけ開け、滑り込むように入ってきた男は、ようッ……と、挨拶をすると、音を立てないようにドアを閉め、ペリドの座る寝台の側までやって来る。
「ホーク殿」
「……タカ。……ノックしろやノック」
こりゃ失礼……と、ホークは舌を出す。
「でもそういった物騒な話をする時は、もうちょっとボリューム下げた方が、よろしゅうございますよ」
う……言いたい事はたくさんあったが、思わずペリドとサフィーニアが、口籠った。
ホーク・ジュールは、折り畳み式の椅子を引っ張りだすと、サフィーニアの隣に座った。
「嬉しいねぇ。あの、ガーレアフィードの破壊神と呼ばれたお前が、技術者の道に進んでくれたとは。……誰のおかげかな」
「じゃっかぁしぃッ。任務遂行中に巻き込んで壊した物、直すまで帰さんと、徹夜で修理手伝わせたのはどこのドイツだコンチクショウ! おかげで手先も器用になるわな」
「オレはドイツ人じゃなくて、アメリカ人だ。日本在住歴十年だけど」
「誰もそんな事は聞いていないッ!」
ぎりぎりぎり……。最初は睨み合っていただけだったが、次第に双方、手が出始める。
「血、にじんでるぞ。大丈夫か?」
サフィーニアがぽつり……とつぶやく。が、時既に遅し。
ただでさえ厄介ごとを持ち込んで迷惑だと言うのに、参拝者を顧みず大声で騒ぎまくる連中を、見るに見兼ねて駆けつけた神殿の関係者に怒られ、その直後にペリドが貧血で倒れ、結果的にサフィーニアとホークが部屋から追い出されるまで、そう時間はかからなかった。
中庭の椅子に座ると、はぁ……と、ため息を吐きながら、サフィーニアはホークに問う。
「……そういえば、一体何しにきたのだ?」
「あ、そうだった。ラルダちゃんが、神殿の外に出ちゃったんだよ。シェアも追っかけてっちゃったし。……言いそびれちゃったな」
やっぱ、危ないよね……。つぶやくホークの隣で、サフィーニアは頭を抱え、思わず突っ伏した。
先に言え……と思ったが、しかし、サフィーニアの立ち直りは早かった。
「……いや、むしろ幸運と考えたほうがいいだろう。もし言っていたら、奴は探しにいくと暴れた挙げ句、倒れたに違いない。当時のガーレアフィードの破壊神ならともかく、そんな奴は足手纏いだ」
「なんだ……。結局倒れるんじゃないですか」
「………………」
立ち直ったとたん、背後からひざかっくんをかまされたような……そんな気分で、再びサフィーニアが突っ伏した事は、言うまでもない。
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