第六楽章 魔法使いの舞踏曲

 母上、どうして僕の目は、みんなと違って薄いのですか?

 母上、どうして、みんな僕のことを、嫌うのですか?

 母上、どうして……僕は、母上の子ではないのですか?



 ざまぁないな……戒められた鎖を見ながら、ペリドはつぶやく。

 あの男の望むモノ……権力という奴に、いかほどの価値があるというのだろうか。

 腕をだらりと下ろすと、鎖が床とこすれ、ジャラリ……という音をたてる。

 暗くてじめじめする、この場所……地下牢に入れられたのは、別に初めてではない。小さな頃は、あの兄にいじめられ、兄の一派に見て見ぬふりをされ、探しに来た母親に救出されるまで、この中でほぼ一日を過ごしたこともある。

 ごめんなさい……ごめんなさい。泣きながらつぶやく自分に、母はやさしく抱き上げ、頭をなでてくれた。

 さすがに慣れはしたが、あまり長期間、居たいと思う場所ではない。

 どのくらい経ったか……身体から流れる血のほとんどは止まり、赤黒い塊となって皮膚にこびりついている。

 酒場の客として、手下数十人を店の中に紛れ込ませ、断ったとたん一斉に袋叩きにするなんて、まったく卑劣極まりない……とても獲物をもたない一人の人間に対する攻撃じゃないぞ……と、今更ながら恨み言を愚痴ってしまいそうになる。

 というか、あの兄は一体、何がしたいのだろうと、思わず考えてしまう。しかし、すぐに頭痛がしはじめたので、首を横に振り、やめた。

「さて……。久々に使ってみるか」

 よいこらしょッ……と、ペリドは立ち上がった。戒めている鎖は両手両足、あわせて四本。じっと目を瞑り、そして集中する。

 ほう……筋がいいな。騎士にしとくのはもったいない。術士に転職しないか? ……と、あの人に言われたのは、いつの頃だっただろうか。

 懐かしい……と、ペリドの顔が一瞬ほころんだ。が、すぐに首を横に振り、まじめな表情に戻る。

 そして、ゆっくりと目を開いた。黄緑色の瞳の中に幾色もの光の筋が現れる。しかし、それは一瞬の事で、すぐに元の黄緑色に戻った。

 その代わり、こんどは胸元の石が、淡く、赤く輝き始めた。

 ペリドは、小さくつぶやく。それは、この地の人間……カーネリアンの言葉でも、異界人……アベリオンの言葉でもない、第三の言葉。

[火精霊よ……踊れ]



 ドアを開くなり、ジェムは額に何かの直撃を受け、そのまま後ろに転倒する。

「この、大馬鹿者ッ! 一体、何処に出かけてましたのッ!」

 スパナを投げたシェアは、怒りに肩を震わせ、仁王立ちで立っていた。思わずヒィッ……と、ジェムは柱の陰に隠れ、弁明。

「いてもたってもいられないから、オレたちも探しに行ってたんです、ペリドさんを。そしたら、途中で変なおっさんに会って、ラルダさんが倒れちゃったから、背負って帰ってきたんだよッ」

 激痛が響く額を抑えながら、半泣きで。

「倒れた?」

「今、神殿のアイネちゃんたちに頼んできたの。で、ジャスパー止まってたから、シェア、戻ってるかなぁって、呼びにきたんじゃないか」

 わかったわ。言い訳は後で聴いてあげる。と、姉はツカツカと神殿の方へ向かった。

 しかし、シェアは急にジェムに腕をつかまれ、立ち止まった。ジェムが持って入ったのか、すぐ近くに、ジャスパーが止まっている。

「何よ?」

 急にジェムは声を潜め、シェアの耳元で囁く。

「……あいつが、出てきた」

「あいつ?」

「クリスタリアヌス=ランヴォルム」

 何ですって? シェアは眉をひそめ、そして考え込むように腕を組んだ。

「まさか……幽閉されてたんじゃなかったの?」

「見たんだよ。オレ。……そりゃ、話に聞いてただけで、実物見たのは初めてだから、本人だっていう確証はないけど」

 でも……ジェムも眉をひそめ、そして口を開いた。

「……友人に会いに来たって。そして、皇帝の権力が、もうすぐ手に入るって」

 ジェムのその言葉で、シェアはパズルのピースがつながったように、一気に仮説を組み立てた。なるほど……それなら、わかるような気がする。

 あの男……ベリアルの物腰は、帝都の者に近い。もしかすると、ベリアルとクリスタリアヌスは、繋がっているのではないだろうか。

「ジェム……母様の言葉、覚えてる? ……自分の力量を知り、自分の力を過信せず、自分のできる事を……」

「精一杯の自分の力で、自分の思うように行動しろ。……だろ? で、最後に……」

「絶対に、諦めるな」

 ジェムは満足そうに微笑み、そして、二人はパンッと、手をうった。

 まるで、お互いの健闘を祈るように。



 夢を、見ていた。

 否、これは昔の……十年よりもっと前の、記憶。

 義姉のところに、一人の異界人の少女が居た。そばに仕えてくれる侍女の一人である……と、姉は自分に紹介した。

 言葉が通じぬから、言葉を教えてあげるんだ……と、姉は優しく微笑んだ。

 少女は黒髪で、大きな黒い瞳の、愛らしい少女であった。小柄で幼く感じたが、自分と同い年であると、姉は言う。

「時々、遊んでやってくれないか? 皆は異界人を忌み嫌うが、私はむしろ、好意を持っているのでな」

 少女は言葉の意味を、まだ正確には理解していない……とのことだが、エーメラルダに向かって、彼女はにっこりと微笑んだ。

 異界人は皆、そのように笑うのだろうか……。自分を心配そうに覗き込み、目が覚めたことに気がついた神殿の姉妹は、にっこりと微笑んで神殿の医務長をつれてきた。その笑みが、姉の傍にいた少女に何処となく、似ていると思った。



 十中八九、彼は公邸にいますわ。と、シェアは断言した。こちらの情報は口にしたものの、「時間がないからさっさと行け」とシェアに尻を叩かれ、ほとんど情報のないまま出発したジェムは、ワケがわからないままシャニー公国の公邸へ向かう。

 大公女ベリルナディエットは数年前から病気で政務を行っておらず、嫡子が代理として政務を行っている……と、ジェムは聞いている。一応、旅をするにあたって、その辺りの情報は、くまなくチェックしているから、間違いはないであろう。

 彼がジャスパーを飛ばすと、なにやら人々がさわいでいる。どうしたか……と問うと、公邸が火事である……と言う事らしい。

 一応大公女の屋敷も兼ねているその建物は広く、燃えているのはその一部であろうと思われるのだが、なぜかその炎は、いくら水をかけても消えることなく、燃え続けているという。

 言霊術より強力な精霊術は、術士の力が強ければ強いほど、力に任せて狂いまくる。その制御は難しく、意識を乗っ取られてしまうものも少なくはない。精霊を鎮めるためには、我を取り戻した術士が命じるか、術士以上の力を持つ術士の命令が必要……。意を決し、ジャスパーのエンジンを噴かして、ジェムは公邸の中に入っていった。

 願わくば、『術士が心中してませんように』……と、祈りながら。



 何も知らぬ者たちは混乱していた。

 火元は駐留署の地下牢。しかし、ここのところ、しばらくは大した犯罪もなく、留置されているものはいなかったとのこと。

 ジャスパーを建物から離して止め、ジェムは建物に駆けた。もくもくと上がる黒煙の量は、この間のペリドの工房の比ではない。

 人目を避けながら、ジェムは地下牢へ通じる建物の中に進入。くずれかけた石柱をよけながら、その中にいたであろう、人物の影を探した。

「見つけた」

 ジェムは、背の高い大柄な人影が、煙に揺らめくのを見た。ごほごほと咳き込みながら、一歩、歩を進める。

 が、ジェムは歩むのをやめた。

 あれほど燃え盛っていた炎が割れ、道ができた。正面に立っていたのはペリドであったが、彼の黄緑色の瞳は、紅蓮の炎よりなお深い、深紅に染まっている。

 胸元には、炎を受けてどんどん輝きを増す、赤い石……。

 思ったとおり……。

「あー、やな予感的中しちゃったなぁ」

 ジェムは二度屈伸をした。そして、ポケットから石を三つ、取り出す。

 精霊石……術者と精霊をつなぐ媒介で、精霊との契約内容を書き込んだ石である。別に書き込むといっても、文字が書いてあるわけではないのだが。

「ペリドさん……痛かったらごめんなさいッ!」

 地を蹴り、狂える精霊の攻撃をよけながら、ジェムはペリドに体当たりした。打ち所が悪かったのか、元の傷がひどかったのか……ペリドはそのまま前のめりに倒れ、動かなくなった。

[狂える精霊よ、落ち着け]

 精霊の言葉で叫ぶ。しかし、ジェムの言葉に、精霊はただ、笑うだけ。

[炎の精霊、落ち着けってば]

 ジェムは、再び叫んだ。すると、見当違いな言葉が返ってきた。

[踊ろう?]

 ジェムは思わず苦笑した。踊るなんて……なかなか洒落た事を言う精霊だ。

 少し虚をつかれたが……強気に出てみることにしよう。ジェムはにやっと笑う。その笑みは、大人びた姉とはまるで違い、歳相応の、いたずら小僧のようだ。

[水精霊呼んじゃうけど、いい?]

[ヤダ。駄目]

 二度三度、炎の渦がジェムにぶつかる。しかし、ジェムの纏う薄い風と水に、渦は相殺される。

[駄目だっていったのに……]

[だって、きみたちにぶつかると、オレ、燃えちゃうんだもん。火精の守護、持ってないんだ]

 クスクス……精霊は笑った。

[君、面白い。だから名前、教えて?]

 精霊は笑いながら、ジェムにきいた。

[オレの名前? いいけど、教えたらちゃんとおとなしくしてよ]

 人間が精霊に名を教える事。それは、術者と精霊との、『契約』を意味する。

[で、どの部分? 精霊名だけ?]

[全部]

 しょうがないなぁ……。苦笑して、ジェムは口を開いた。

[ルージェヴィム・アズア・シュネー・ボルテール・ガジェットだよ]



 ガジェット将軍……と、三十代半ばの男は、金の髪の男に呼び止められ、立ち止まった。

「どうなされた。ホーク殿」

 宮殿で、彼と会うのは珍しい。

 彼、ホーク・ジュールは異界人の技術士。幼い頃にこちら側にやってきて、皇帝の言語教育を受けた第一期生の最年長者で、将軍……ウィラメット=ガジェットの娘の、教育係であった。

「いえいえ、ちょっとしばらく、留守にする事になりますので、挨拶でも……と」

 男はにっこりと笑う。金の短い髪に、人なつっこそうな青の瞳を持つ彼は、大柄で背が高く、技術士より騎士の方が似合うのではないかと、時々将軍は冗談半分でスカウトしていたりしたのだが。

「留守……? 奥方は?」

「はい、だから、妻と一緒に」

 珍しい……あんぐりとガジェットは口を開いた。この夫婦、引きこもりもいい所で、ウィラメットが知る限り、遠出らしい遠出は、したことがない。

「まぁ、うらやましい限りですわ」

 突然の声に、ウィラメットは心臓が飛び出るほど驚いた。背後にいつの間にか立っていたのは、自分の妻、サフィーニア。

「ねぇ、あなた、私もホーク様と、ご一緒してよろしいかしら?」

「な……」

 あんぐりと口をあけ、絶句したウィラメットを尻目に、サフィーニアとホークはにっこり。

「いいですねぇ。三人で、シャニー辺りでもどうですか?」

「まぁ、それはいいですわね。今は何の季節だったかしら? おいしい果物がたくさん食べられますわね」

 自分をおいてどんどん進んでゆく話に、とりあえずウィラメットは待ったをかけた。

「私を置いて行くというのか? サフィーニア」

「あら、あなた。仕事は? 休めますの?」

 ……将軍は思わず絶句し、うなだれる。どうやらしばらく、休めそうもないらしい。

「楽しみね。出発はいつかしら?」

「突然なんですが、明日の早朝にしようかと」

「まぁ、それじゃぁ、急いで準備をしなきゃ。それじゃぁあなた、先に失礼いたしますわ」

 パタパタとサフィーニアは駆けた。淡い赤の彼女の巻き毛が、くるくるとゆれ、曲がり角に消える。

「それじゃぁ、私も失礼いたします。将軍」

 突然の嵐にあったように、あっけにとられるウィラメットを尻目に、ホークは頭を下げ、先ほど、サフィーニアが消えた角をまがった。

 と、走り去ったはずのサフィーニアが、ホークを待ち構えていた。そして、親指をぐっと立て、

「ぐっじょぶ!」

「……ぐっじょぶ」

 ホークが同じように親指を立てると、サフィーニアは髪と同じ色の目を細めてにっこりと笑い、パタパタと再び、駆けていった。



 突然の出来事に真っ白になった頭をかかえながら、ウィラメットは皇帝陛下の執務室へ向かった。なにげに、ダメ元で、明日から休暇をもらえないだろうか……というお願いをしてみようかなぁと、思いながら。

 が、しかし。

 なぜか執務室の鍵はかかっており、陛下のプライベートルームには、白衣の人間がずらりと並んでいる。

「一体何事だ」

「は……ガジェット将軍。陛下が突然お倒れになり、面会謝絶とのことです。なお、その間の仕事は、すべて将軍および宰相に任せる……とのことでございます」

 ……再び真っ白になって固まったウィラメット=ガジェット将軍に、休暇は確実に望めないということが判明した。

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