第五楽章 皇帝の独唱歌

 私たちが出会ってしまった事、後悔しているよ。

 何故、こうも、惹かれあってしまったのだろう。

 知らなければよかった。私が本当に無知な娘なら、どれほどよかった事だろう。

 私には私の、やるべき事がある。

 お前はお前の、すすむべき道を進め。

 ……私なんかより、ずっと、いい娘を娶れ。

 ……私なんかより、ずっと、幸せになってくれ。

 ……ペリド。



 エーメラルダの頭は、ぐるぐる回っていた。何故なら。

「あーん、もうッ! 何処にいっちゃったのよぉッ!」

 そう、ペリドが朝になっても帰ってこないのだ。

 確かに夜中ぶっ通しで飲む事は、この十年間、多々あった。

 それでも、彼は非常に酒に強く、また、理性が飛ぶほど飲む事など、今までほとんど無い。

 なにより必ず、明け方になったら帰ってきたのに。

 今日はもう、昼になろうとしているのに、まだ、帰ってくる気配がない。

 頭と一緒に、エーメラルダは今朝からずっと、玄関とお勝手口を、往復している。

「……私、探してきますわ」

 オレ、行ってくる……といいかけたジェムは、シェアの意外な言葉に驚き、あんぐりと口だけあけた。

「なんですの? その顔は」

 ムッとシェアが弟の顔をにらんだ。

「……いや、シェアがそんな事言うなんて……」

 なんだか意外……と言いかけ、ジェムは口をつぐんだ。

 急に行く気をなくされ、さらにごねられでもしたら、ちょっとどころか結構困る。

「ま、いいですわ。とりあえず、行ってきますわね」

 腑に落ちなさそうな表情を浮かべつつも、ラルダさんを、頼みましてよ。と、シェアは弟に小声でささやき、ジャスパーを押しながら、お勝手口から外に出て行った。



 シェアが出て行ってから、エーメラルダはいつものように、家の掃除をすることにした。

 が、突然、どこか魂が抜けたように、ボーっとしている……なんてこともあった。

「好きなんだな。ペリドの事」

 ジェムの言葉に、ボーっとしていたエーメラルダは、はっと顔を上げた。

 幼い子どもに言われ、からかわれたと思い、コラッ……と怒ろうとしたが、ジェムの目を見て、やめた。

 ジェムの目はずっとまじめで、じっと、ラルダを見上げている。

 エーメラルダはジェムの隣に座って、視線を合わせると、彼ににっこりと微笑んだ。

「……昔話、聞いてくれる?」

 ジェムはコクリ……と、うなずいた。

 彼女の笑顔は、ジェムには泣いているように見えた。



 むかしむかし、ある所に、お姫様がいました。

 お姫様は本当にお小さい頃から、婚約者がいらっしゃいました。

 あ、婚約者ってわかる? ……結婚相手のことよ。

 お姫様はその婚約者が大嫌いで、父上様に「あの人と結婚するのは嫌」と、頼みましたが、父上様は聴いてくれませんでした。

 母上様にも言いましたが、やっぱり聞き入れてくれません。

 お姫様には、お姉さんがいらっしゃいました。

 お姉さんは、お姫さまとは、血がつながってらっしゃいませんでした。どこかの有力貴族の姫で、長い間子どもが生まれなかった父上様が、養女として引き取った……との話です。

 あ、お姫様は、両親が諦めかけたちょうどその頃、生まれた待望の子どもだったのね。

 だから、小さいときから婚約者がいたのかしら……。親としては大切にしていたつもりだったのかも。

 子の幸せを願ったつもりが、子の足かせを作っていたなんて皮肉な話よね……。


「それで、お姫様とお姉さんはどうしたの?」


 あぁ、そうだったわね。

 お姉さんは、お姫様にこう言いました。

 貴女は、どうしたいの? って。

 自分の、思うとおり、行動しなさいって。

 絶対に、あきらめちゃだめだ……って。

 だから、お姫様は家を出る事にしたの。大嫌いな、婚約者から逃げるために。

 で、旅をしている途中で盗賊に襲われていた所、通りすがりの騎士様に助けてもらい、恋をして、彼と結婚しました。

 ……って、とこかしら。



 ジェムはぽろぽろと涙を流し始めたエーメラルダの頬をぬぐいながら、にっこりと笑う。

「幸せになれたのなら、お姫様はよかったじゃない。オレの知ってる昔話は、悲恋なのが多いからさ」

「……そうなの?」

 うん……と、ジェムはうなずく。

「なら、今度はオレが話してあげる。……聞いた話なんだけど」



 ある所に、やっぱりお姫様がいました。

 お姫様のお父さんは、とても位の高い人で……お姫様のお母さんは、美人だったけど、とても身分が低い人だったんだって。

 だから、お姫様は別の人の子どもになる事になった。

 お姫様には、たくさんの兄弟がいたんだ。

 もっとも、その事を知ったのは、もうずっと後のことなんだけど……。

 あるときお姫様は、城に仕える騎士の中に、ひときわ目立つ男を見つけたんだ。

 お姫様よりずっと若くて、荒削りだけど、すごく凛々しくて……。

 細い剣と大太刀の二本を、涼しい顔して振るう姿は、戦の神のようだとさえ思ったって。

 二人は次第に惹かれあい、恋におちた。

 でも、二人は出会っちゃいけなかったんだ。

 身分違い? ……うん、たしかにそれもある。

 でも、それ以上に理由がいくつかあった。

 その理由の一つに、お姫様にはやっぱり婚約者がいて、お姫様の場合、そこまでその人を嫌っているわけではなかったし、その彼が戦で怪我をしてしまったんだ。

 だから、お姫様はその人と結婚する事にしたんだって。

 お姫様はその人と結婚して、子どもも生まれた。

 でも、お姫様はずっと、過去にとらわれて悲しい目をしてた。



 結局さ……。ジェムはにっこりと笑う。

「いい話になるかと悲しい話になるかの違いは、自分が後悔しないように、行動するかしないかって事じゃないの?」

 ジェムは立ち上がり、そしてエーメラルダに手を差し出した。

「オレも手伝うからさ……その……心配なら一緒に、探しにいこうぜ」

 小さな手をとり、エーメラルダはこくりとうなずいた。

 自分で、涙をぬぐいながら。



 シェアはその頃、駐留署の門をたたいた。

 昨晩、ペリドと共に酒の席に呼んだあの主人は、宴開始早々、ある男につれて行かれた。と、言った。

 男の名はベリアル=ラジスティア。シャニー大公女の息子にて、ペリドの義兄……。

「うかつでしたわ。ペリドの名字を聞いたときに、気づくべきでしたのに」

 まさか、あの下品なマッチョが、公子だったとは……。まぁ、養子である……とのことだが。

 だからといって、下々の者と同じように生活する事もないだろうに。と、待たされた間中、シェアはぶつくさとつぶやいた。

 ふと、あることに気がついた。帝都で流れるうわさの一つ。

 十年前に活躍した、二刀流の騎士の話……。

 たしか、彼の出身は、シャニー公国を治める一族だったはず……。

「お待たせしました。小さなレディ」

「あら……貴方は」

 数日前、神殿前で声をかけてきた男。ペリドを尋ねてきた、あの男だ。

「ベリアル=ラジスティアです。……弟のことで、なにか?」

「そう……貴方が」

 なんとなく、あのときの嫌な予感がシェアの脳裏によぎる。

「私はシェア。ペリドさんのうちにお世話になっておりますの。さっそくですけど、昨日、ペリドさんに会われましたわよね」

「はい、会いましたよ。十年ぶりに」

 妙な話だ……。こんなに近くに暮らしているのに、本当の兄弟ではないということにしろ、十年も会わないものなのだろうか。

 いぶかしげな表情を浮かべる、シェアに、男はにっこりと微笑む。

「実は、大公女である母上が、数年前から床にふせっているんです。私はその世話をしつつ、代行政務を行っておりました。が、いよいよここのところ、危なくなってきたので……」

「ペリドさんに、面会をさせよう……と?」

 シェアの言葉に、男は初めて眉をひそめた。

「えぇ、その通りです。実の母子ではないとはいえ、母上はペリドを可愛がっておりましたからね。実の子である、私よりも」

 男は、自分の目の前に立つ、不可思議な少女をじっと見た。

「わかりましたわ。エーメラルダさんには、私が伝えておきます。でも、なるべくはやく、奥様の下へお返しくださいね。あの人も、心細いでしょうから」

「心得ました。レディ」

 礼儀正しく、男は頭をさげた。



 気持ち悪い……シェアは身震いをしながら、ジャスパーの背にまたがった。相手の腹を探ろうと、最初にけしかけたのは自分だが、あの男に見られるとそれこそ、腹の底まで見透かされそうであった。

 ろくな奴じゃありませんわ。つぶやきながら、シェアは機龍の金属でできた腹を蹴り、スピードと高度を上げる。

 本来の機龍は安全を考慮し、あまり上空まで飛ぶようにはできていない。しかし、ジャスパーはリミッターを解除してあるので、鬱蒼と茂るシャニーの木々よりは、高い位置まで飛ぶことができた。

 今までそれをやらなかったのは、シェア自身、高い所が少し苦手であったし、ジェムに乱暴に扱われたくなかったからだ。が、今はそんな事を言っていられない。

 家や道の上空を、一気に突っ切って、ペリドの工房前に下りる。

 そして、勢いよく扉を開け、エーメラルダと弟の名を呼んだ。

 しかし、家にはだれもいなかった。



 エーメラルダは、一瞬、真っ青になった。しかし、今までみたいに、逃げるわけにもいかない。

 目の前に立つ男は、金の髪に、名が示すとおり、濁りのない、透き通るような瞳をしている。上等な生地の白い服は、彼によく似合う。

 ジェムとつないだ手に、ぐっと力が入る。少し、震えているようにも見えた。

「……久しぶりね。クリス。二度と会いたくなかったけど」

「ラルダ……か。十年前も十分美しかったが、まぁ、見事、綺麗になったな」

 頂点に立つ権力を約束され、なんでも手に入ると思っていた男。

 気に入ったものは、たとえ他人のモノでも奪い取り、気に入らなくなったモノは、即座に打ち捨てる、気まぐれな男。

 自分の、大嫌いな婚約者……クリスタリアヌス=ランヴォルム。

「北部で幽閉生活してんじゃなかったかしら」

「友人に会いに来たのだよ。彼とは帝都でなんでも語り合った仲だからな」

 にっこりと、男は微笑んだ。年はとったが、その笑みは変わらない。エーメラルダにとって、不快感を覚えるだけ。

「そうなの。だったら、さっさと帰ることをお勧めするわ」

 私の目の前から消えてッ……そう、エーメラルダは睨んだ。が、男はジェムの手を握る、エーメラルダの反対側の手をとった。

「まぁ、そういうな。エーメラルダ=ベラミント。……余は、そなたを気に入っているのだ」

 即座にエーメラルダは手を振りほどく。ゾッと悪寒が走り、腕には鳥肌が立つ。

「近寄らないで。私、もう結婚したんだから」

「……知っている。ペリド=ラジスティアとであろう?」

 なッ……。エーメラルダは緑の大きな目を、さらに見開いた。突然出てきたペリドの名前に、隣のジェムも驚く。

 クリスタリアヌスは、不適に笑うと、エーメラルダとすれ違う際、彼女の耳元で甘く、囁くように言った。

「皇帝の位も、もうすぐ我が手に戻る。……忘れるな。お前が何と思おうと、お前は、余の物だ」

 高笑いをしながら通り過ぎる男を背に、エーメラルダは腰が抜けたように、ペタリ……と地面にお尻をついた。

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