第四楽章 月と星の夜想曲

 え? なんで、シェアと旅をしているか……だって?

 うーん、そうだなぁ。

 一番の理由は、母ちゃんに追い出された事だな。

 あ、別に怒らせたからとかじゃないぞ。

 ……そうだなぁ、一言で表すなら、母ちゃんなりの、教育方針。

「強く、気高く、賢き人であれ」……だって。おもしろいだろ?

 あとさ、こんな事も言ってた。

「自分の力量を知り、自分の力を過信せず、自分のできる事を、精一杯の自分の力で、自分の思うように行動しろ」……だってさ。

 そして最後に……「絶対に、諦めるな」。これが、オレの母ちゃんの、口癖なんだ。



 星見酒の約束を、ペリドは忘れかけていた。いや、正確には酒場の主人に言われるまで、すっかり忘れていた。

 ここのトコ、忙しかったからなぁ……と、誤魔化すように頬をかく。

 実際まだあの約束をしてから五日ほどしかたっていないが、すでに半期一月以上過ぎたような錯覚さえ覚えてしまう。

 そのくらい、充実した日々を送っていたのだ。いろんな意味で。

「今日当たり、どうですか? いつものメンバーで」

「あー……あぁ、そうだな」

 しばらく、腕を組んで考えた。

 昨日のラルダの言葉……気にならないわけはないのだが。

 考え込むペリドだったが、すぐに首を横に振った。

「そうだな。今日くらい、いいだろう」

 エーメラルダの言う「あの男」と自分は直接面識があるわけではなかったが、個人的には彼がシャニーにいるということは、実のところあまり実感として湧かなかった。

 むしろ確率として、きわめて低いのではないかとペリドは考える。

 こうして、ペリドの夜の予定は確立した。



 というわけで、だ。……と、ジェムに頭を下げ、ペリドは言った。

「悪いが今晩、遅くなりそうだ。お前の武勇談はラルダから聞いた。そこで……だ」

 声をひそめ、じっと、まじめな顔でペリドは言う。

「ラルダの身辺警護、……てか、ラルダが一人にならないよう、オレがいない間、一緒についててくれないか? んで、何かあったらすぐオレに連絡」

「いいけど……なんで?」

 エーメラルダが作ってくれたケーキを食べながら、ジェムはペリドに問う。

「あー、具体的にはちょっと言えない。ただ、ちょっとラルダには、相手にしたくない嫌な奴がいる……ということだけは、伝えておこう」

「ストーカーってやつ?」

 ちょっと違うが……まぁ、似たようなものだ。と、ペリドはうなずいた。

「おっけ。泥船に乗ったつもりでまかせとけ」

「沈むぞ。それじゃ」

 くだらん……と、ペリドは眉間を押さえた。

「ってゆーかさぁ、シェアには言わないのか?」

 ジェムの言葉に、ペリドの眉間に深い皺が刻まれた。

「奴の世話にはなりたくない」

 数日前の悪夢がよみがえったのか……ペリドはさらに険しい表情を浮かべる。もっともだ。と、ジェムも内心そう思った。



 夕食後、シェアとジェムの二人は、エーメラルダと一緒にいた。

 帝都出身である彼女はやはり気になるのか……現在帝都が、どのようになっているのか、気になっている様子である。

「十年前……っていったら、現皇帝が即位された前後くらいかしら?」

 シェアの言葉に、エーメラルダはにっこりと微笑み、うなずいた。当然であるが、シェアとジェム、二人が生を受ける前の話である。

「陛下が即位する、一期半三カ月前だったかしら? ……あの人と一緒に、帝都を出奔したのは」

「ねぇねぇ、もしかしたら、駆け落ち?」

 ボッ……ジェムの言葉に、エーメラルダの顔が、一気に真っ赤になる。

「ち……違ッ……違うわよッ」

 とは言ったものの……改めて思い返してみると……。

「……ちが……わないのかなぁ……」

 恥ずかしさのあまり、エーメラルダの頬が、改めて朱に染まった。

「ねぇ、ラルダとペリド、何時出会ったの? 何処で?」

 エーメラルダはジェムの問いにクスリと笑い、

「内緒」

「あー、ずるいッ!」

 こうして、エーメラルダと双子たちは、比較的何事もなく穏やかに、この日を終える事ができた。



 一方、酒の席のペリドである。数人で金を出し合い、高級葡萄酒を一樽、丘の上に持ってゆく。

 天気は快晴。加えて朔夜で、満天の星が、本当に美しい。

 最高の宴となるはずであった。

 そう、あの男さえ、現れなければ。

 その男は特徴のみなら、ペリドに似ていたかもしれない。茶の短い髪に、緑の切れ長の瞳。背の高い、白い肌の男。

 ただ、体格はペリドよりも細く、華奢な部類に入ると思われる。瞳の色も、黄緑ではなく、深い、青みがかった緑色。

「久しいな。ペリド。……十年ぶりか」

 男はペリドに向かって、にっこりと微笑んだ。

 何故、十年も経って、自分の前に現れたのか。てっきり自分は見限られ、勘当されたものだと、ずっと信じて疑わなかったのに、それは違ったのか……疑問がぐるぐると、頭の中で回っては消え、消えては浮かんでくる。

 自分がシャニーにいる事など、とうの昔に知っていただろうに。

 何故……今頃になって……。

「元気そうで、なによりだよ。ペリド……可愛い、我が弟よ」

「……」

 男の名はベリアル=ラジスティア。シャニー大公女ベリルナディエット=ラジスティアの長男にて、ペリドの、義理の兄である。



 会わせたい人物がいる。と、宴の席からペリドを一人連れ出し、ベリアルはある店に来た。それはペリドがよく行くあの主人の店ではなく、別の酒場。

 来たことはなかったが……あまりこの店の雰囲気は好きではない……とペリドは席に着きながら思った。店の中には数十人の客が居たが、堅気の人間は少ないような気がする。

 ペリドの胸にかかる首飾りの赤い石は、照明の明かりで鈍く光るが、いつものような輝きではなく、どこか、濁ったような……まるで、血を固めたようであった。

 しばらくすると一人の男が入ってきた。淡い金の髪に、透き通るような瞳。あの時の……双子を拾ったときに、常連の店にいた男だ。

 彼はベリアルよりも華奢で、肌も白い。しかし、その白さはまるで病的ともいえ、店の照明の暗さもあって、青白くすら見える。

 顔も美しいと思われる部類には入るのだが、神経質そうで気難しそうだと、ペリドは思った。

「この男が、ガーレアフィードの破壊神……か?」

「あぁ、そうだ」

 男はベリアルの言葉に、まじまじとペリドの顔をながめた。

 昔の通り名を出され、ペリドは顔をしかめた。そんな彼に気をとめる事なく、「私の弟、ペリド=ラジスティアだ……」と、改めてベリアルは紹介する。

「やはり、似ていないな。血がつながっていないという話だから、しょうがないとは思うが」

「……一体、何の用だ」

 不機嫌そうにペリドは問う。実際、あまり良い気分ではなかった。自分の知らない所で、知らない人物に、自らの出生の話をされるという事は。

 男は話をさえぎられ、ムッとした表情を浮かべたが、「まぁ、いい」と、ペリドの向かいに座った。

 ベリアルは男の隣に座り、用件を口にしだそうとした。しかし、男は大切な事を思い出したかのように、ベリアルをさえぎり、口を開く。

「十年前、お前は何をしていた」

「十年前?」

 ペリドは眉をひそめる。言っている意味が解らない。

「十年前の、あの革命の日さ」

「……あぁ、あの頃か」

 十年前、この大国は混乱期に陥っていた。

 原因は、前皇帝タイトニスの崩御。そして、その後継者争いである。

 当初、皇太子はタイトニスの正妻の第二皇子がそのまま即位するはずであった。が、タイトニスの第二皇子、クリスタリアヌスは権力のみに縛られ、愚かな男であったと聞く。

 父帝のタイトニスは賢君であったが、唯一女癖が悪く、彼の子である事を認知され、なおかつ死産した者を含めた皇子皇女の数は三十人を軽く超えていたと伝えられている。

 故に彼に代わる候補者はたくさんおり、クリスタリアヌスは失脚。混乱が続いたものの、最終的に現皇帝であるサフィードが即位したとのことだ。

 彼はその認められた皇子の中には入っておらず、後ろ盾もほとんどない状況から治世を始めた。結果的には現在、その争乱の面影はなく、平和な世が続いているので、よかったのではないかと、ペリドは思う。

 しかし、この事件に、ペリドは直接関わってはいない。たしかに、その数ヶ月前までは、皇帝の騎士隊に所属はしていたが……。

「あの事件が起こる前に、オレ、退役したからなぁ……」

「ふむ……何故だ?」

 む……今度はペリドが顔をしかめた。

「何だっていいだろ。……プライバシーの侵害だ」

「フラれたんだよ。女に」

 この兄は、一体何処で情報を集めてくるのだろう。冷静的な頭の中ではそう思ったが、体は兄の言葉にしっかり反応、ペリドは思わず兄につかみかかった。

 その行動が、肯定している事を、しっかり物語っている。

「相手は現アリストリアル将軍の一人、ウィラメット=ガジェットの細君、サフィーニア殿。……まったく、我が弟ながら高嶺の花を……」

「あの頃は、まだ彼女も独身だッ」

 ギリギリギリ……締め上げる手にだんだん力が入る。

「あの女か。……年上ではないか」

「いいんだよ。オレは年上好みなの」

 おや? ……と、ベリアルは弟を見た。ペリドも男の言葉に乗せられた事に気づき、ハッと表情を引きつらせた。

「君の細君は、年下であろう? それも、五つも」

「……それがどうした」

 ギロリ……と、ペリドは兄と男を交互ににらみつける。兄を締め上げていた手を放し、そして席に着く。

「……何が言いたいんだ。一体」

 本気で怒っていた。最近、誰かさんのせいで、たしかに頭に血が上る事が多かったが、ここまで怒ったのは久しぶりかもしれない。

 男はベリアルと顔を見合わせ、ふっと、笑った。

「なかなか気に入ったよ。女の趣味も含めて。サフィーニア殿はともかく、細君を娶った事に関しては、私と気が合いそうだ。……ペリド=ラジスティア」

「そりゃどうも。……って、どういう意味だ? そりゃ」

 ペリドは二人を見上げるかたちで、なおも睨みつけた。

「無礼だぞ。ペリド」

 兄が自分の隣の席に移り、そして耳元でささやくようにたしなめ、男を紹介した。

 ペリドの目が、だんだん、大きく見開かれてゆく。

 何故なら、この男は。

「この方は、クリスタリアヌス・アルジッラ・エクリュ・メルキュール・ランヴォルム様。正当なる、この国の皇帝陛下である」

「余に……我が手に、王座を取り戻す。その、手伝いをしてくれぬか。ペリド=ラジスティアよ」

 沸点まで上がっていたペリドの血の気が、氷点下まで一気に下がった。

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