第三楽章 運命の円舞曲

 シェアとジェム。双子の兄弟がペリドに拾われ、三日が経過。その間、二人はどうしていたかというと、神殿前の修理屋……ペリドの家に厄介になる事となった。

 苦い表情を浮かべるペリドに、エーメラルダはにっこりと笑って、二人の滞在を説得。

「まぁ、修理屋? ガサツな貴方が?」

 と、シェアが言って、ペリドを再び怒らせた事はさておき……。



 箒を振り回す姉を横に、アイネは日課となっている神殿門の前の掃除を始めた。

『いざ、尋常に勝負ッ!』

『手加減してくれよ……。こっちは病み上がりなんだぞ』

 箒と箒を打ち合う音が響く。どうやら言葉が通じ、加えて自分の相手をしてくれるということもあり、スイネはジェムが気に入ったようであった。

 アベリオン……自分たちのように、異世界からやってきた人間が他にもいると言う事を、二人はあのあと、ジェムから聞いた。この辺りはそうでもないが、帝都には結構な人数がおり、アベリオンたちだけで形成する町もある……とジェムは言った。

 ジェムはその中の数人から、言語を教わったらしい。日本語だけではなく、英語、ロシア語、ドイツ語、中国語……などの会話ができる。と、本人は言っていた。さすがに読み書きは無理との事だが。

 外見……黒い髪に大きな黒い目、そして黄色い肌という特徴で、とりあえずいちばん得意な日本語でしゃべってみた……との事。通じなかったら中国語や韓国語も試してみるつもりだったとジェムは言ったが、一回目で見事、どんぴしゃりだったらしい。

 相手は体力のない病人だと言っているにもかかわらず、スイネはすばやく箒を振るう。彼女は中学の剣道部に所属し、大会の上位常連者であったが、そうは言うものの受けるジェムもなかなかのものだ……と、アイネは見ていて思う。

 もっとも、剣道を始めたばかりで、まだ素振りしかしたことがない初心者のまま、異界に飛ばされてしまったアイネの考えなので、実際はそういうレベルではないのかもしれないが。

 と、あまりの猛攻に耐え切れず、ジェムがしりもちをついた。

『姉さん。……年下相手に大人気ない』

 ハァ……とため息を吐きながら、アイネはつぶやいた。十五歳のスイネに対し、ジェムはわずか九歳。わかりやすく説明するなら、中学最上級生が、小学校三年生の男の子をいじめているようなものである。

『そうねぇ。アイネがぜんぜん相手してくれなかった、ここ二年の鬱憤も晴らさせてもらった事だし。そろそろ休憩しましょっか』

 スイネは大きく伸びをした。腕を振り屈伸を三回。そして再び伸びをする。

『ふぅ……ありがとうございました』

 お尻についた土をはらうと、ジェムはぺこりと頭を下げた。アジア圏の言葉で、日本語がいちばん得意であると自分で言うだけあって、文化もなかなか詳しいらしい。

 エーメラルダに作ってもらったのだろう。ジェムは神殿の階段に座り込み、お弁当の包みを開いた。中には、肉の燻製や野菜、果物などがパンにはさまれた、サンドウィッチが大量に入っていた。スイネやアイネにもと、多めに作ってくれている。

『そういえば、お姉さんは?』

『シェア? さぁ……たぶんその辺、散策してるんじゃねーの?』

 ほおばりながら、スイネはジェムに聞いた。小さな少年は、少年らしい大きな口で、サンドウィッチをほおばった。アイネもジェムより一段下に座り、サンドウィッチに手を伸ばす。

 と……。

「だぁー! じゃかぁしいッ!」

 ガシャーンッ! 修理屋の工房で、ペリドの怒声と、得体の知れない振動と爆音が響く。

『……いや、工房っぽい』

『ですね』

 ハァ……と、ジェムはため息を吐き、立ち上がった。

『様子、見てきます。あ、食べといてください。二つ三つ、残しておいてもらえると、嬉しいんだけど』

 返事をする代わりに、アイネは手を振ってジェムを見送った。



 もくもくとあがる白煙の中、シェアとペリドはにらみ合っている。この三日間、二人は何度も衝突していた。年齢差二十歳を、ものともせずに。

「オレのやり方に文句をつけるなッ! ガキの分際でッ!」

「なんてガサツなんでしょう。貴方のような乱暴者を、技術者の端くれとして認めるわけにはいきませんッ!」

 たいていの場合、ほのぼの癒し係のエーメラルダが仲裁に入るのだが、あいにく、本日は出かけている。

「てめぇが後ろから、ぐちゃぐちゃゴチャゴチャ言うから、手が滑っただけだろうがッ!」

「まぁ、人のせいにするなんて、殿方のなさる事ではありませんわッ」

 あの姉とあそこまでやりあうなんて……と、ジェムは苦笑した。

 わがままで自己中……弟の自分ですら手を焼く姉は、当然、他者から見れば、実に扱いにくい人間であると言える。

 それ故に、関わりになりたいと思う者も少なく、自然と孤立する事が多かった。彼女を本当の意味で理解しているのは、両親や自分を含め、両手の指の数より確実に少ないであろうとジェムは思う。

「あー、シェア、落ち着こうよ。ここは研究所じゃないんだし」

「黙ってなさい。ジェム。技術を理解しない貴方には関係のないことです」

 ……と、言われてもねぇ。もうもうと上がる白煙に目をやられながら、ジェムは口を開く。深呼吸すると、空気が悪いのか、少し喉がひりひりした。

「でも、ペリドさんはペリドさんの仕事なんだし……邪魔しちゃ悪いだろ?」

 服の裾を引っ張りながら、ジェムは姉を外に出そうと促す。しかし。

「まったく、地方にはろくな技師がいないのですね。おしまいですわ」

「なぁーんだとぉ」

 シェアにつかみかかろうとするペリドの間に割って入り、なおかつその手を回避した後、ジェムは姉の背中を問答無用で外に押し出した。

「失礼しましたー」

 にっこりと笑いながら、ジェムも後を追い、ドアを閉めた。

「……」

 深呼吸を一度したあと、ペリドは窓を開けた。そして振り返り、部屋の惨状をみて改めて絶句。

 もくもくとあがり続ける白煙に、その原因……ここ数日調子が悪かった我が家の釜。時々バチバチ火花が散って、白い煙に黒い色が混じっている。これ以上触ると危険だ。

 この仕事を始めた頃は、ごくまれに失敗をしたものだ。だが、我ながら、ここまでやった事は一度もない。「修理してくれ」と持ち込まれた他人の持ち物ではなくて、本当によかったと、ペリドは心底思う。

 ……と、ペリドは顔をしかめた。

 たぶん、胃潰瘍の一つや二つは、できているかもしれない。



 真っ白になったエーメラルダに思考に、最初に浮かんだ言葉は「何故」であった。

 買い物に出ていた彼女は、思わず身を隠した。

 何故、ここに、あの男がいるの……。

「あら、ラルダさん」

 ギクッ……物陰に座り込んだエーメラルダは、隣の奥さんに間抜けな格好を見られ、思わず赤面した。

「どうなさったの?」

 しーっと、エーメラルダは口の前に人差し指を立てる。そして、恐る恐る物陰から、男の方に視線を向けた。

 が、先ほど見たその男の姿は、影も形も見当たらなかった。

 見間違い……? ううん。そんな事はない。

 だって、あんなに鮮やかな金の髪……。

「ラルダさん?」

 いぶかしげに問う奥さんに、エーメラルダは、はっと顔をあげた。

「あ、なんでもないんです。ちょっと……」

 ちょっと……ヤな奴に似た人がいたもので。エーメラルダは微笑んだが、少し、青ざめているようでもあった。



 苦笑を浮かべながら、スイネとアイネは双子を出迎えた。

『あの、筋肉マッチョ……本当に、失礼しちゃいますわ』

『いや、マッチョじゃないと思うけど……』

 怒るシェアに、ジェムはぼそりとつぶやいた。

 確かにペリドは体格がよく、鍛えられている事が、素人目でもよくわかる。しかし、マッチョというほど、筋肉ムキムキというわけではない。

 帝都の武人たちと比べれば、明らかにまだ、細い部類に入ると思われる。

『雰囲気ですわ。雰囲気! あの、明らかに考えの足らなさそうな頭!』

 それ、偏見……。口には出さないが、一同絶句。

『はいはい、これ食べて、機嫌なおしてください』

 二人は結局、ジェムが帰ってくるのを待っていた。おかげで、エーメラルダのサンドウィッチのほとんどが、シェアの腹の中におさまることになったのだが。

 向かいのペリドの工房を見ると、黙々と白い煙が絶えることなく上がっていた。珍しい……と、アイネはつぶやく。

『そうなの?』

『ええ。言葉は通じないけど、腕は確かですよ。私も何度か見てもらいましたし。これとか』

 そう言って、アイネは袖をまくった。

 ピンク色が可愛い、合皮の小さな銀の腕時計……。数少ない、あちら側での持ち物である。

 二年前のある冬の日。普段と同じように眠ったはずであるのに、二人が目覚めると、まったく言葉の通じないこの世界に二人の姉妹はいた。一緒に眠ったはずの末の妹の姿はなく、荷物はおろか、毛布一枚すらなかった。

 最初は外国だと思ったが、鳥のように大きな翼を持つ人間を見たとき、その考えは吹き飛んだ(ジェム曰く、それは鳥族という亜種の人間である……とのこと)。

 この時計は、この世界にやってくる前の日、母親に買ってもらい、嬉しくて、つけたまま眠っていたものであった。

 アイネは袖を元にもどすと、にっこりと微笑んだ。

『神殿の方も、ちょくちょくお世話になっているみたいですし』

 なるほど。ジェムが神殿の方を見ると、神殿関係者が生活する塔の窓から、ペリドの工房から、なおも立ち上る煙を指差し、何事かと話し合っている様子が見える。

 と、再びジェムが工房の方へ視線を戻したその時、ボンッ……と、再び低い爆発音が響いた。

『まったく……あの釜、手遅れでしたのに……余計な配線をいじくりましたわね』

 色が変わって白から真っ黒になった煙を見ながら、シェアがサンドウィッチをまた一つ、口に運んだ。

『ねぇ、ジェム君もだけど、ホント上手だよね。日本語』

 スイネがふと、口を開く。二人の言葉は実に流暢で、言葉やイントネーションにも特に変な特徴があるわけでもなく、なんら変わりなく聞こえた。

『生まれたときから聞いてるから、自然に憶えてしまいましたの』

『生まれたときから?』

 シェアの代わりに、ジェムが、どこか嬉しそうに答える。

『うん、ウチの先生夫婦が、一番よく使ってる言葉なんだ。……って、シェア、食べ過……』

 ゴツッ! ……ジェムの側頭部にシェアの拳がクリーンヒットした。



 家に帰ったエーメラルダは、つかつかとペリドに駆け寄った。煙は何とかおさまったものの、ペリドの着ていた作業着はもちろん、顔や手、加えて部屋中がススで真っ黒になっていたのだが、彼女の目には入っていないようで、ペリドは逆に虚をつかれたような表情を浮かべた。

 エーメラルダはペリドの腕をつかむと、そのまま二階に上がり、寝室に直行した。

「な……」

 それこそワケが解らないペリドは、目を白黒としている。

 エーメラルダは窓を閉め、カーテンを引き、そしてペリド以外、周りにだれもいない事を確認する。そして、足早にクローゼットの奥から、布にくるまれた一対の剣を取り出し、ペリドの胸に押しつける。

 唖然とするペリドを前に、エーメラルダはようやく、堅く閉ざしていた口を開いた。

「依頼を……改めて、十年前と同じ依頼をするわ。ペリド=ラジスティア」

 それだけの言葉で十分であった。

 ペリドは切れ長の鋭い緑の目を細め、そして、震える彼女を抱きしめた。



 サンドウィッチを完食後、しばらく食休みをとった後、スイネとジェムの模擬試合が再開された。シェアはほう……と、意外そうにスイネの技量に見入り、アイネは諦めたようにため息を吐いた。

「すみません、お嬢さん。ちょっとおききしたいのですが」

 男が立っていた。声をかけられるまで本当に気配がなかったので、アイネとシェアの二人は、思わず目を見開いた。

「は……はい」

 ちなみにくどいようであるが、アイネには男の言葉は通じていない。と言う事で、必然的にシェアが男の問いに答える事となる。

「こちらはペリド……さんの、お宅でしょうか?」

「えぇ。でも、彼を訪ねるのは、後にしておいた方がいいですわ。さっきまで、大惨事でしたたから」

 その大惨事の原因の約七割が自分にあるという事を、シェアはまったく自覚していない。

 シェアはじっと、男を見上げた。茶の髪に切れ長の緑の瞳。この辺りに多い、ペリドやエーメラルダと同じ人種。

 しかし、どうも彼には違和感があるように思えてならなかった。

「そうですか。それでは、後ほど、訪ねる事にいたしましょう」

 子ども相手と侮ることなく、男は礼儀正しく頭を下げた。この作法、もしかしたら彼は、長い間帝都にいた人間ではないだろうか……と、シェアは直感的に思う。

 男はにっこりとシェアに向かって微笑み、傍に立つアイネの頭を、優しくなでた。

『シェアちゃん……私、あの人にあったこと、あるよ』

 ポツリ……と、アイネがつぶやいた。シェアがシャニーにやってきたあの日……たしか、ペリドの庭でエーメラルダを見ていた男……。

 アイネの言葉に、シェアも眉をひそめた。

『よくない事が、起きなきゃいいけど』

『え?』

 アイネの問いに、シェアは首を横に振った。

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