第二楽章 悪魔と隠者の協奏曲

 何の因果か、子どもを拾ってしまった。

 子ども二人を連れて帰った自分を見て、妻は、近所の女の子二人と共に緑の瞳を、これ以上もないくらい見開いて驚愕し、絶句した。



 時は、四半刻三十分前にさかのぼる。

 酒場で時間をつぶした後、ペリドはご機嫌で我が家への道を歩む。

 何度も言うように、飲んではいない。ただ、主人秘蔵っ子の葡萄酒を、分けてもらったのだ。格安で。

 その帰り道の事。

 ペリドの家まであと一歩、というところに、人だかりができていた。

 関わりになりたくない……という思考も働かなくは無かったが、野次馬的心理もわからなくはない。

 というか、ペリドは元々、好奇心旺盛なアウトドア派である。今でこそ、修理屋として引きこもり生活を余儀なくされていたが、元々は騎士として、帝都へ駐留していた経歴もあった。

 ペリドは自分より頭一つ低い、三軒先の奥さんに、何事かと問いかけた。彼女はあらあら……と、ふくよかな顔をペリドに近づけ、小声で言う。

「行き倒れらしいわよ」

 人が多すぎて前が見えないが、倒れた者の連れらしい、甲高い声が聞こえていた。

 声の主の姿はわからないが、やれ、「情けない!」だの、「軟弱者!」だの、罵倒が続く。倒れた人物に対しての、哀れみや労わりの姿勢は、小指の先ほども見られず、とても病人に対してかける言葉とは思えない。

「まだ小さいのにねぇ」

 何? ……奥さんのつぶやきに、ペリドは人を掻き分けて前へ進んだ。

 罵倒を浴びせていたのは一人の少女だった。後ろを向いているので顔はわからないが、帝国の北の地方に多い、やや赤みがかった淡い色の髪を、背中まで伸ばしている。

 彼女の足元に転がっている『行き倒れ』は、少女と同じくらいの年頃の少年であった。少女の脇にはこの辺りでは珍しい、機龍が待機するように浮遊している。

 少年に罵倒を浴びせる少女は、ふと、自分の頭上で日の光をさえぎる、大きな人影にビクリ……と反応した。しかし、自分を見下ろすであろう、大柄な影の主の顔を見ようと、いぶかしげな表情で振り返り、見上げた。

 ちなみに、影の主は言わずともペリドである。

「なんですの?」

 唇をとがらせ、少女はじっとペリドの顔を見つめた。が、ペリドはとりあえず少女を後回しにし、膝をついて少年を抱き起こした。

 少し熱がある。軽い脱水症状のようだ。

「あなた、お医者様?」

「いや」

 首を横にふるペリドに、少女はこれ以上も無いくらい不信な視線を向ける。

「……でも、応急処置ぐらいはできるさ」

「ありがとう。でも、結構ですわ」

 少女の言葉に、ペリドは思わず唖然とした。すでに倒れている者に対し、結構もクソもないだろうに。

 この小さな少女の尊大な態度には、少しペリドもムッとした。いつもの彼らしくない……と、目撃者は後に語る。

「ちょ……なんですのッ!」

 驚く少女の顔をよそに、ペリドは、少し顔をしかめながら、右のサンダルを足早に脱ぎ、酒瓶のはいった袋に突っ込んで、龍のひげを模した機龍のハンドルにそれを引っ掛けた。そして、否応なしに、左側の肩にぐったりと倒れた少年を担ぎ、あろう事かその反対側に、暴れる少女を軽々と抱え、機龍にまたがった。

 そして、機龍のコントロールパネルをたたく。

 右足の指で。しかも器用に。

「いやぁ、ジャスパーに何をッ! ばっちいですわッ!」

「失礼なッ!」

 ペリドは機龍のコントロール設定をオートに変更。その後、家までのデータを入力。

 データ……といっても、走行スピードと、『三つ先の十字路を右に曲がる』程度の、簡単な情報を設定しただけであるが。

 そして、エンジンがかかって爆音が響くと、振り落とされないように足を固定。

「どいたどいたぁッ!」

 ペリドの声を聞くまでもなく、聞きなれぬ爆音に一同は振り返り、そして、当然の事だが皆、轢かれたくないので次々と道を明け、機龍が疾走するスペースは、あっという間に確保された。

「ゴーッ!」

 龍の胴を蹴飛ばし、ひときわ轟音が響くと、機龍は前進をはじめた。

「おッ……ちょっと早かったかな……」

 徐々にスピードを上げ始める機龍から振り落とされないように、円柱状の胴体に足を絡ませながら、ペリドは少し後悔した。子ども二人を抱えての手放し運転なので、バランスを崩すと大惨事、大変危険である。

 赤い石のついた首飾りが、風に吹かれ、チャラチャラと音をたててなびく。

 ちなみに気絶していた少年……ジェムはともかく、シェアはこのとき、これ以上もないくらい生きた心地がしなかったと、後に語った。



 ……というわけで、ペリドの自宅である。

「あ……あなた?」

 おろしなさいーッ! と、甲高い声で叫ぶ少女を右肩に、対照的に、ぐったりとした少年を左肩に抱えたペリドが、見慣れぬ機械に乗って戻ってきた。

「おい、ちょっと氷と水、もって来い。あぁ、天然のやつな。精霊術使って手を抜くなよ」

 ペリドはそのままドアを足で開け、家の中へ入ってゆく。あわててエーメラルダも彼の後を追い、庭には言葉の通じない二人の子どもが取り残された。

 二人の姉妹は、思わず顔を見合わせ、そして……とりあえずエーメラルダが戻ってくるのを、お茶を飲みながら待つ事にした。



 何軒目だったか……とある酒場の扉を開けると、ようやく男は目的の人物に出会う事ができた。

 この辺りでは珍しい淡い金の髪をしているので、すぐにわかる。そう、四半刻前までペリドがいた、あの酒場の男である。

「いらっしゃいませ」

 主人と思われる青年が、にっこりと微笑み、入ってきた男に注文を問う。男は首を横に振り、金の髪の男のとなりの席に座った。

「……さがしたぞ」

 男は鋭い緑の目を細め、金の髪の男に言った。相手はちらり……と、自分を見、手短に話す。

「ここはお前のお膝元なのだろう? もうちょっと、早く来てほしいものだな」

 無愛想ながら微笑む親友に、男は相変わらずだ……と、静かに笑う。

「……久しいな。十年ぶり……か」

「あぁ……そうだな。そうか……」

 金の髪の男は、改めてその長き年月に気がつき、ほう……と、深いため息を吐いた。

 その、ため息に隠された思い……それは、地位、権力、その他すべてを失った自らの不運と絶望感。その元となった人物に対する恨みと妬み。

 そして……復讐心。

 緑の目を細め、男は不敵に微笑んだ。

「……協力しよう。我が、友よ」

 金の髪の男は、親友の言葉に、満足そうにうなずいた。



 目を覚ますと、知らない顔がそこにはあった。

 細くて小柄で、真っ白な肌。帝都に住む、貴族の女児がよく所有している、愛玩人形のようにくりくりとした大きな緑の目を細め、女性はにっこりと微笑んだ。

「大丈夫?」

 こくり……女性の言葉に、ジェムはゆっくりとうなずく。

「……あなたは?」

 女性はゆっくり丁寧に、一つずつ答えた。

「私は、エーメラルダ=ベラミント。長いからラルダって呼ばれているわ。ここは、私の家で、位置的に言うなら、シャニーの神殿前。脱水症状で倒れていたあなたを、ウチのだんな様が突然つれて帰ってきたの……」

 微笑むエーメラルダの言葉に、ジェムはきょろきょろとあたりを見回した。

「連れは?」

「多分、下の階で、そのだんな様が相手をしていると思うわ」

 エーメラルダは「ゆっくり養生してね……」と、にっこりと優しい笑みを浮かべ、ひやりとした柔らかい手を、ジェムの額にそっと乗せた。

 昔語りに出てくる『聖母様』というのは、きっと、このような人のことを言うのかもしれない……と、ジェムはふと思ったが、目を閉じると再び、ゆっくりとまどろみの中へ落ちていった。



 ペリドは台所で少女と対峙していた。お勝手口の向こうで、神殿の少女たちが、はらはらとなりゆきを見守っている。

 少女は相変わらずのふくれっつらで、ペリドの顔を見ようともしない。

 何かオレ、悪い事したか? 思わず眉間にしわを寄せ、ペリドは考え込む。が、まさか機龍のコントロールパネルの設定を勝手にいじくり、なおかつその行為を足でしたことが、製作した技術者として許せない。それに加えて、自分たち……いや、自分をまるで荷物のように抱えての移動……という、ちょっとした今回の事情と彼女の性格を知るものがいたならば、真っ先に思いつくような考えまでは、さすがに及ばないようである。

 もっとも、機龍の製作者がこの少女本人など、面識のない者は絶対に、思いつきもしないだろうが。

「なぁ、いい加減にこっちの質問に答えろよ。名前は? 何処から来た? ……いい加減にしないと、駐留署につれてくぞ」

 ペリドは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。駐留署……というのは帝都から派遣された騎士や役人が常駐する役所で、異界でいう、議会と市役所と警察所を足して割ったようなものである。大抵の場合、決定した書類のサインや印もらう作業を円滑に進めるため、地方の長となる、役人や領主が生活する公邸の一部に存在する場合が多い。

 シャニーも例外なく、大公女ベリルナディエットの公邸内に存在し、ペリドは個人的に近寄りたくない場所なのである。

 少女も、さすがに駐留署のお世話にはなりたくないらしく、ギロリ……とペリドをにらみ、短く答えた。

「……名前はシェア。出身は帝都ですことよ」

「……本名は?」

 早くに亡くなった夫から、領主の任を継いだ大公女のベリルナディエットやエーメラルダのように、帝都出身者の名は長い者が多い。おまけに、それだけだと何処の家の者かがわからない。

 故に、ペリドは頭を抱えて再び問う。

「本名は?」

「……名乗る必要ありませんわ。私たち、今回の旅では何が起ころうと、家には極力頼らないつもりですの。なにより、めんどくさいだけですし」

 むかぁ……さすがにペリドの額にも、青筋が浮かんだ。言葉はわからないが、入り口の少女たちにも、寒々とした、嫌な空気が伝わる。

 質問を変えよう……と、ペリドは深呼吸を二回し、頭に上った血を冷やそうと努力した。が、そんな彼の努力を無碍にするように、少女は一言。

「まぁ言ったとしても、所詮、あなたの頭では覚えきれないでしょうから」

 何だとぉー! 普段子ども相手にはめったに響く事のない、大人気ないペリドの怒声が、ご近所中に響き渡った。



 男の怒声で、ジェムはまどろみの中から、一気に目が覚めた。

 エーメラルダも普段聞かれぬ夫の怒声に、「あらあら……何かしら?」と、あわてて様子を見に降りようと、立ち上がる。

 しかし、ジェムには大体、予想がつく。

「すみません、ちょっと……行ってきます」

 少しふらつきながら、ジェムは立ちあがり、そしてゆっくりと階段を下りる。

「シェア、また何かやらかしただろ」

 ジェムはエーメラルダに支えられながら、よろよろと台所のドアを開けた。双子の姉が、知らない大柄な男とにらみ合っている。どうやら、後ろに立つ柔らかな女性の夫という、声の主は彼のようである。

 シェアは、あら……と、自分の方へ視線を向けた。

「別に。この無礼者に事実を述べただけですわ」

「すみません。姉が迷惑をかけました」

 シェアの言葉を無視し、ジェムは頭を下げた。突然の事に、ペリドはあぁ……と、あっけにとられる。

「駄目だろ。毎度毎度ケンカ売っちゃ」

「売ってませんわ」

 シェアは、ぷいっとそっぽを向く。相変わらず、自分の言動で他人を怒らしている自覚が無いようでハハハ……と、ジェムは乾いた笑いを口に出した。

 ふと、顔を上げると、お勝手口の向こうに、四つの黒い目があることに気がついた。ジェムはにっこりと、淡い青の目を細め、笑った。

『すみません、お騒がせしました。……あの、言葉、わかりますか?』

 少女たちは眼を見開き、顔を見合わせた。なぜならそれは、この世界にやってきて、初めて自分たち以外の口から聞く、日本語であったから……。

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