第一楽章 愚者たちの序曲
ガイドマップ片手に、少女はご機嫌だった。鼻歌まじりにページをめくり、気になるお店の名前の下に、赤いペンでアンダーラインを入れた。
少女の目指す目的地、アリストリアル帝国の南部……大陸から見れば東部に位置するシャニー公国は、『光射す大地』……ラディアータと呼ばれるだけあって、気候は温暖。災害も少なく、人が住むには最高の土地であると言われている。
かの地の特産は果物。その果物を使用したジュースやシャーベット、ゼリーなど、加工品も有名。甘いもの大好きな乙女にとっては、楽園のような場所。
しかし、その地に行くためには、野を越え山を越え、森を越えてゆかなければならず……。
「ジャスパー、ぶつけたらシメるわよ」
少年は、へいへい……と、気のない返事をかえした。恐ろしいのであえて口には出さないが、不平不満はそれこそ、山のようにある。
たとえば何故、彼女の乗る機龍を、自分が手押しで歩かなければならないのか……とか。
機龍……というのは、
アベリオン……というのは、元々この世界に住む術と剣の種族『カーネリアン』と区別される、異世界から事故や災害によって飛ばされた、知と技術の種族の事。
元々住んでいる世界が違うので言葉が通じず、言霊術、精霊術をはじめとする術の素質が根本的に無い事や、肉体(主に体力や運動神経、持久力等を示す)的にも劣っている部分が多く、生活文化の違いにより、長い間、機械技術に依存する彼らの行動は、奇異と嘲笑の対象となっていた。
が、その認識を払拭させたのは、アリストリアルの現皇帝サフィードの即位後のことである。かの皇帝は、髪や肌の色の違い等外見の違うアベリオンの子どもたちを数人選び、言語教育を行ったのだ。
大人に一から言語を教える事は難しいが、成長過程の途中である子どもたちはどんどん言葉を覚えてゆき、皇帝即位から十年経った現在では、第一期生の子どもたちは通訳として、帝都で重宝されている。
通訳による意思の疎通によって、機械技術の将来性を知った皇帝は、自らすすんで彼らの支援や援助を行った。こうして誕生したのが、アリストリアル公式機械類種と呼ばれる、機械道具の数々である。
公式機械類種第参号……機龍は、異界で言う自転車やバイクに相当する。
しかし、相当するだけであって、そのまままったく同じ……というわけではない。こちらでは石油の採掘が行われておらず、代わりの燃料の確保がまず必要なのだ。
機龍の場合、動力はカーネリアン側の得意分野である『精霊術』を応用し、微弱な火精霊と水精霊の力をぶつけ、発生した副産物である熱量を利用する……ようするに簡単に言えば、蒸気機関の原理とほぼ一緒である。
ちなみに、機龍の大半はその名が示す通り、異界の架空の神獣、龍をモデルに製作されている。長い龍の髭を模したハンドルに、ぎょろりとした目のようなランプ。筒状のくねった胴体に車輪はついておらず、代わりに地の精霊の嫌う石が、各所に取り付けられていた。
石による反重力作用により、基本的に機龍は空中に浮遊している。もっとも、操縦者の安全を考慮し、リミッターを標準装備。元来、そんなに高くは飛べないのだが。
ジャスパーは、少女……シェアと、彼女の師によって製作された小型の機龍であった。シェアはカーネリアンだが、術より機械技術のほうに何かと興味があるらしい。幼い頃からアベリオンの工房へ出入りし、たしかに師も修正程度の手伝いはしたが、わずか九歳で機龍の設計、組み立てをやってのけてしまうあたり、さすが……としか言いようが無い。
見た目は愛らしい、いたって普通のあどけない少女なのであるが。
「ジェム、ほら、きびきび歩く!」
……もとい、黙っていれば。
少年……ジェムは、シェアの双子の弟である。淡い……という点では一緒なのだが、帝国北部に多いシェアの赤みがかった淡い色の髪と瞳ではなく、彼の場合は、シャニーよりさらに南にある、山岳地帯出身者に多い青がかった淡い色の髪と目を持っていた。しかし、男女の双子……二卵生なので、とくに気にする必要はないであろう。実際、両親の祖先が、北と南の極端に離れた地域の出身である……といった程度の話であるし。
二人とも首にはおそろいの首飾りをかけ、髪を一房みつあみにして、リボンでまとめている。元々は少数民族に多いまじないの一種なのだが、帝都で流行し、本人たちは普通に気に入っていた。
「くそぅ……ジャスパー使えば楽だと思ったのだが……迂闊」
ジェムの印象は、どちらかというと猪突猛進で考慮して動く事は苦手っぽい雰囲気を持ち合わせてはいたが、好奇心旺盛でマイペースで、トラブルを呼ぶどころか、むしろトラブルを自らつかみにゆき、放さないような危険な性格の姉の影響故に、意外と彼の中味はしっかりしていたりする。
帝都を出発して、
しかしここ数日は機龍に乗る事ができないほど、山沿いにグネグネと曲がった細い道が続いている。腐っても街道なので、獣道よりは幾分ましだが、機龍に乗る事は不可能。いや、乗れる事は乗れるのだが、転倒や衝突の覚悟は必要であろう。
もっとも、先に述べたとおり、転倒の後は、それ以上に怪我をする事になりそうだが。
「なぁ、あとどのくらいだ? シャニーまで」
「そうですわねぇ……今の調子だと、あと
汗だくなジェムと対照的に、涼しげな表情でシェアは答えた。そして、ガイドマップをぱたりと閉じ、シェアはジェムに微笑む。
「ほら、早く行きますわよ。甘味所が私を待っている!」
「……そーですね」
言っても無駄なのであえては言わない。しかし、ジェムはハァ……と、ため息を吐いた。心の中で、大量の血の涙を流しながら。
少年の腹の虫が小さな音で鳴いたが、結局、最後まで、姉の耳には届かなかった。
神は、大地を創り、植物を創り、動物を作られた後、気まぐれに自分によく似た姿の動物……人を御創りになられた。そして、神に似た故に孤独な彼らを守るため、神は精霊を御創りになられた……。
「さて、どこまでが本当やら」
青年は向かいの神殿から聞こえる説法に苦笑した。信仰は個人の自由であり、故に信仰を端から否定する気はないが、彼自身、神というものを信じていないのは事実である。
赤い石が、彼の胸元で日の光を反射し、鈍く光る。
「あら……、なら、神殿の前の家、借りなきゃよかったのに……」
「オレも、後になって後悔したさ」
なんとも、間抜けな話である。
青年……ペリド=ラジスティアはハハハ……と、乾いた笑いを浮かべた。本当に、なんで神殿の前の家を借りる事になったのか……十年経った今となっては、もう思い出す事ができない。
彼の妻、エーメラルダは、パッチリとした緑の目を細め、にっこりと微笑んだ。彼女の美貌……というより愛らしさはご近所でも有名で、茶色のふわふわとした巻き毛は長く、白い肌によく映える緑の瞳の人形のような彼女は、十代半ばの娘さんに見えると言っても過言ではない。
もっとも、彼女の実年齢は二十四歳。十分若いと言えるのだが。
「そうですわー。思い出しました。私、お掃除したいので、そこ、どいてくださいませー」
見た目もだが言動も少し幼いラルダに、じっと上目遣いで見つめられ、ペリドはあせって彼女から目をそらせた。
何のことはない。ラルダのその表情が可愛かったので、思わず照れてしまっただけだ。
「……あぁ、それじゃあ、邪魔にならないよう、オレは少し出かけてくるよ。ラルダ。帰ったらお茶の用意、しといてくれ」
彼らが結婚して十年経つが、子どもがいない事もあり、傍から見ていると初々しい恋人同士のようである。額にキスをし、ひらひらと手を振ってお勝手口から出てゆく。
ペリドは、基本的人種としてはラルダと一緒で、白い肌に茶の髪、そして緑の瞳をしている。しかし彼の場合、茶の髪は直毛で短く、目は緑というより黄緑色で、しかも目つきの悪い三白眼。『美女と野獣な夫婦』と、友人たちから酒の席でよくからかわれたりする。失敬だと、ペリドは言われるたびに言っているが。
商店が並ぶ通りをしばらく歩き、なじみの酒場のドアを開け、ペリドは思わず眉をひそめた。
見慣れぬ客……男が、一人。
旅行者だろうか……脇目で見ながら、ペリドはいつもの席に一人座る。たしかに酒は好きだが、別に昼間から酒をかっくらうつもりは無い。
「やぁ、ペリド」
カウンター越しに、酒場の主がにっこりと笑う。主……といっても、去年父親から店を継いだばかりの若い青年で、元々いえば飲み仲間の一人である。加えて言うならペリドより年下だったはずだ。
「おう。ちょっと時間つぶさせてもらうぜ」
「いつものですか?」
改めて言おう。昼間から酒を飲む気はない。
「奥さんの掃除の邪魔になりそうだから、散歩ついでに寄っただけだ。でもまぁ、近いうちにどうだい? 星見酒でも」
「いいですねぇ」
二人はハハハ……と笑った。と、ペリドは例の客に視線を向ける。
男はこの辺りでは珍しい、淡い金の髪だった。後ろ姿しか見ていないのでその他の容姿は判らないが、それでも、この辺りで淡い色合いの髪にお目にかかれるのは、少々珍しい。
「観光客ですかねぇ」
「さぁ……でも、なんかひっかかるんだよなぁ……」
主の問いに、ぽつりと、ペリドはつぶやいた。
神殿前で、若草色の簡素な服を着た、二人の少女が掃除をしている。いや、正確には掃除をしているのは一人。もう一人は地面に座り込んで、あくびをかみ殺していた。
『姉さん……』
『ゴメンゴメン』
再び小さなあくびをすると、少女はヨッと立ち上がり、手に持つ箒を剣のように振り回す。
『……』
妹はあきれ……半ば諦めて、黙々と掃除を続ける事にした。
アイネとスイネ。彼女たち姉妹は、異界人である。
彼女たちがこの世界にやってきたのは、姉のスイネが十三歳、妹のアイネが十歳の時。それから二年、この神殿で世話になりながら、下働きとして生活をしている。
しばらくアイネが黙々と掃除を続けていると、向かいの家から、女性がひょっこり顔を出し、視線が合うとにっこりと微笑んだ。彼女はよく、二人にお茶やお菓子をご馳走してくれる。
言葉は通じないので、名前は知らない。しかし、茶色の長い巻き毛の、西洋人形のようなその女性の事が、アイネは大好きであった。
箒で素振りをしていたスイネも女性の存在に気づき、ぱっと表情が明るくなる。
女性の手招きを見て、二人はお言葉(?)に甘える事にした。
女性は体格の良い男の人と、一緒に暮らしている。彼はどうやら修理を専門とした技術士らしいが、傍から見ると、黒服サングラスのボディーガードがよく似合う……と、映画好きのスイネは言う。
彼と彼女がどういった関係かは厳密にはわからない。兄妹……にしては、似ていないと思う。たぶん、恋人同士か、夫婦じゃないかな? と、二人は思っていた。
どうやらその彼は、出かけているらしい。普段は彼も一緒にお茶を飲んでいるのだが、今日はその姿が無かった。
女性は家の奥から、果物の甘い香りのするお茶と、冷たいシャーベットを、透明な硝子の器に盛って運んできた。アイネがペコリ……と頭を下げると、女性は緑の瞳を細め、微笑んだ。
掃除が終わり、向かいの神殿の女の子たちとお茶を楽しんでいたエーメラルダは、ふと、顔を上げた。
ペリドの工房を兼ねた家は通りに面しているが、正確に述べると家と通りとの間には庭があり、背丈の低い樹木が敷地と通りとの境を示している。
その庭で、エーメラルダたち三人はお茶を楽しんでいたのだ。
……しかし。
顔を上げると、一人の男が立っていた。男の外見は、この辺りに多い、茶色の髪と緑の瞳。一瞬目が合うと男のほうから視線をそらし、そのまま通り過ぎてゆく。
偶然……であろうか。
しかし、エーメラルダは、彼の顔に見覚えがあった。
ただ、何処で会ったか……ということに関しては、どうしても思い出すことができなかった。
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