第16話 My Beloved
漆黒の影が風の様に彼らの前に飛び込んできた。室内をぐるりと取り囲むコンソールの上に立ち、九重達を睨む。それは、先程コノミとの戦いで突如として現れたツインテールのMGだった。
両腕を黒い刀に変貌させ、怒り狂った猛獣の様に荒く息を吐いている。ぼろぼろになった黒いシャツは擦り切れており、陽に焼けた肌がその隙間からのぞいている。彼女の瞳を隠す様に、緑色に発行するバイザーが装着されており、顔の全貌は見えない。
だが、九重は今やそのMGの正体を知っていた。
「お母さんに……!触れるな……!」
がらがらになった喉から、怨嗟の叫びが出る。直後、漆黒のMGは勢いよく二人へと飛び掛かった。両腕の刀が二人を捉える直前、九重とアヤメは左右に散開する様に転がって斬撃を回避する。
その際にアヤメは素早く右腕を突き出すと、着地の隙を見せた黒いMGへと向かってライフルを放った。
「――撃つな!」
九重は思わずそう言いかけた。だが、それを喉の奥へと飲み込むよりも早く、放たれた弾丸は凍てついた空気の中を疾走する。
ライフルの射撃音と共に、黒いMGのバイザーの前面部が打ち抜かれた。壊れたバイザーは黒いMGの頭から吹き飛び、金属音を奏でながらコンクリート張りの床を滑る。
「ぐぅっ……!」
アヤメの放った弾丸は、バイザーを破壊するのみに留まった。着弾の衝撃を振り払うように頭を振り、忌々しげに唸りながら黒いMGは立ち上がる。バイザーが外れたその素顔を見た時、九重の心の中に「ああ、やはり」と諦観の声がこだました。
「――雛」
そこには、一年前のあの日、戦争に巻き込まれて会えなくなった娘の雛が立っていた。
だが雛の足は、アヤメの様に禍々しい鋼鉄の脚に挿げ替えられており、かつて九重をに抱きついたか細い両腕は血に濡れた刀に変貌している。
あの愛らしかった丸い目は、今や殺意と憎悪に塗れており、不気味な光を湛えていた。唯一、雛が好んで結んでいたツインテールだけが、面影を残している。
「雛……お前なんだな……」
九重はよろよろと立ち上がると、雛に呼びかける。だが彼女は全身から殺気を迸らせ、赤く光る瞳を九重へと向けた。
「雛……私は……雛」
うわ言の様に、彼女は呟く。
「ほら、お父さんだよ……大丈夫だったか……?痛くないか……?怖くなかったか……?」
気が付けば九重の目尻には一杯の涙がたまっていた。雛と出会うことが出来たからなのか、それとも雛がこんなにも惨たらしい見た目に変わり果てたからなのか、あるいはその両方なのか。
だが彼女は、九重を見据えるとゆっくりと飛び掛かる姿勢を構えた。
「私は雛……そう、私は東日本連合所属、ロールアウト直前モデルの……」
ぶつぶつと低い声で呪詛の様に唱える。彼女の全身が俄かに軋み、体が低く沈んだ。
「違う!そうじゃない!お前は、雛はMGなんかじゃ――」
「――MG、ヒナだ」
九重の叫びを遮り、ヒナは溜めていた力を爆発させるかの様に勢いよく飛び跳ねた。足元の床はその衝撃で抉れ、コンクリートの欠片が宙に舞う。
息を継ぐ間もなく、一瞬で九重の眼前に迫った。
ヒナの真紅の目が九重の黒い瞳を射抜く。その一瞬だけ、時間が止まったような感覚に包まれたかと思うと、ヒナの瞳には泣き顔を晒す九重の顔が映った。
直後両腕を前に突き出すようにして、二本の刀を九重へと突き出す。九重はよろける体を後ろに倒れこませながら左腕を掲げて斬撃を防ごうとしたが、鋼鉄の刃は紙でも突くかの様に腕の肉を裂き、骨を貫いた。
「ううっ……!」
赤熱する溶けた鉄を流し込まれたかのように、尋常ではない熱が九重の腕を駆け巡る。突き刺された二本の刀が引き抜かれたかと思うと、九重は蹴落とされる様に地面に倒れた。
次の瞬間、血が吹き上がるよりも素早くヒナは両腕を高く掲げる。激痛の最中、仰ぎ見たヒナの目には、純然たる殺意のみが宿っていた。
「栄一郎!」
直後、凛と響く声と共に重い銃声が鳴り響く。両腕を掲げていたヒナは、一瞬動きを止めたかと思うと、銃声の鳴った方へとゆっくり振り向いた。彼女の背中には、赤黒く開けられた銃創がはっきりと残されている。
だが、その疵痕から弾丸が押し出されたかと思うと、すぐに流れ出る血は止まり、傷口が塞がれていった。
「栄一郎!アタシがやる!」
アヤメがそう叫んだ時、すでにヒナは両腕を振りかざしながら宙へと飛び上がっていた。アヤメはすぐさまライフルの照準を向けると、宙に浮かぶヒナへと弾丸を叩きこむ。銃弾は全て過たずヒナの体へと突き刺さり、彼女の体を食い荒らした。
だが勢いを緩めることなく、ヒナはまっすぐにアヤメへと降下する。落下の勢いを生かし、渾身の力を込めて両腕の刀を振り下ろしてきた。
「くそっ!」
空気を揺らがせながら振り下ろされる二本の刀を、アヤメは転がるように回避した。直後、刀が床を打ち砕く。破砕されたコンクリート片が、転がるアヤメに飛び跳ねた。
再度ライフルをヒナに向かって叩き込む。だがあっさりと側転を何度も打ち、音速で飛来する弾丸を避けて見せた。そのまま側転を繰り返したかと思うと、途中で勢いよく飛び跳ねてアヤメにまたも飛び掛かる。
未だ床の上に転がっていたアヤメに避ける選択肢は無く、咄嗟に左腕の刀を掲げ、上空から襲い掛かる二刀を受け止めた。
刃同士が切り結ばれ、火花の閃光が二人の間を駆ける。勢いよく押し付けられるヒナの全身を押し返す様に、右腕のライフルをヒナの腹部に思い切り突き立てた。
だがヒナは動じない。
間髪入れず、銃口を密着させたまま銃撃を叩きこむ。マズルフラッシュは雛の黒いシャツに包まれて見えず、代わりにくぐもった銃声が数発だけ聞こえた。硝煙を上げるヒナの腹部から、どろりと血が流れ出す。
だがそれでもヒナは動じずに、力任せに両腕の刀をギチギチと鳴らしながら押し付ける。
「くっ……そ……!全然平気なの……!?」
「私はヒナ……東日本連合の……!?ぐぅっ……お母さんから離れろ……!」
人格調整のせいだろうか支離滅裂な文脈になりながらも、しかしヒナは呪うように呟いた。どろりとした感情が、アヤメの心をざわつかせる。
ヒナに突き立てていたライフルを一際強く押し出し、その勢いで後ろに飛ぶようにアヤメは距離を取った。銃身は血にまみれ、後ろに飛び跳ねた勢いでその滴が宙に舞う。
逃げるアヤメをヒナは即座に追い回した。アヤメは後ろへと飛び跳ねながら、休まず銃撃を続行する。薄暗い室内にマズルフラッシュが瞬き、アヤメの顔をにわかに照らす。宙を突き進む弾丸は全てヒナの全身に命中し、おびただしい量の血を流させるが、彼女の動きが止まることは無い。
食い込んだ弾丸はすぐにネクロメタルの再生機構に押し出され、傷口が塞がれてゆく。
「銃じゃ駄目だ……!直接ぶった切らないと……」
後ろへと距離を取っていたアヤメは、一転、着地と共に前方へ跳ね跳んだ。追いかけてきたヒナとの距離は一瞬で詰まり、懐へと飛び込む。直後、前へ飛び込んだ勢いと突っ込んできたヒナの勢いを生かし、左腕の刀をなびかせる。
「がああぁぁぁっ!」
ヒナのがなり声が響いたかと思うと、彼女の左腕が根元から宙へ吹き飛ぶ。くるくると回りながら飛ばされた彼女の腕は、室内のコンソール端末に突き刺さり動きを止めた。宙でぶつかり合った二人は、直後地面へと落下し、互いに距離を取り合うように床の上を転がった。
「殺す……殺す……殺さないと私は……!」
体勢を立て直したヒナの左肩からは、血が流れ続けている。しかしそれでもなお、彼女の目から殺意と憎悪の炎は消えていない。
一方のアヤメは、地面に屈んだままヒナを睨みつける。一瞬、息を整えたかと思うと、すぐさま前方へと飛び跳ねた。
ヒナもまた後ろへは一歩も引かず、彼女も前へ駆け出した。再び両者の距離は一瞬で詰まる。
「今度は……一撃で仕留める……!」
共に相手へ飛び掛かるタイミングをコンマ一秒の世界の中でうかがっていた。
時間が圧縮される感覚の中、アヤメには、自分に向かってくるヒナの一挙手一投足すら冷静に見ることが出来た。ばね仕掛けの様に床を蹴りつけた足が、関節を軋ませながら宙へと浮かび上がる。やがて圧縮された時間が、急に思い出したかのように勢いよく元に戻った。
「うらああぁぁぁっ!!」
左腕のリーチにヒナが入る直前、アヤメは叫びながらさらに前へと踏み込む。研ぎ澄まされた剣圧を纏い、彼女の心臓を貫こうと鋼鉄の刃の一閃が煌めいた。
だがその刃先がまさにヒナの命を奪おうとした刹那、ヒナは突如アヤメの前で地面を蹴って跳躍し、彼女の真上へと翻る。
「なっ――!?」
アヤメの放った刀の切っ先は、心臓の代わりに飛び上ったヒナの右足を深々と抉った。しかしヒナは顔を歪めることなく、アヤメの真上に一瞬飛翔したかと思うと、残った右腕でアヤメに剣戟を繰り出す。
刀を振った隙を完璧に取られ、アヤメはガードすることも出来ずまともにヒナの攻撃を受けた。アヤメの刀剣と化した左腕に深々と黒い刀が食い込み、一瞬の間と共に彼女の肘から先がもぎ取られる。
「うわああぁぁぁっ!」
アヤメの鉄骨の様にいびつな左腕は軽々と宙に吹き飛ばされ、黒いオイルをまき散らしながら床の上を滑る。切り取られた部分からは、僅かに火花が散った。
アヤメの真後ろへと着地したヒナは、間髪入れずアヤメの背後から切りかかろうと再度駆け出す。アヤメは咄嗟に振り向き、残った右腕のライフルで飛び掛かって来たヒナの斬撃を受け止めた。
「くそっ……!」
「私は東日本連合……MG……私は……!」
ライフルの銃身と黒い刀が鍔迫り合いを繰り広げた直後、ヒナはアヤメを押し倒し、更に刀を押し付けた。鉛色のライフルの銃身がにわかに軋み、ゆっくりと刃が染み込む様にライフルを切断しようとする。
ヒナの赤い目がぐっとアヤメの顔を覗き込んだ。アヤメと変わらぬ色合いの瞳には、底知れない深さが佇んでいる。
不意に、ライフルにかけられていた刀の圧力が僅かに緩んだ。だがなおも気を抜けば、そのままライフルごと刀に切り捨てられかねない力である。しかしアヤメには、ヒナの瞳が一瞬光を取り戻したように見えた。
「……お母さん……?」
それは、今までの様な怨念と憎悪に塗れた声ではなかった。澄んだ鈴の様な、だがもの悲しい声で、ヒナは呟いた。
「あなたは……あなたは……お母さんだ……」
突如ヒナの目に涙が浮かぶ。そして共に、アヤメにの右腕にかかる力は増した。
「くぅっ……」
「お母さん……お母さんだよ……ね……あぁっ……。私は、私は東日本連合、MG……ヒナ……!」
ヒナの両目は見る見るうちに涙で溢れ、その滴がアヤメの頬にぽたりとこぼれる。同時に、ヒナの刀が更にアヤメのライフルを切り進めた。今や銃身の中程までが、黒い刀に侵されている。
「お母さん……お母さん!あああぁぁぁっ……。違う、私はMGヒナ、お母さんに触れさせない……!」
不完全な人格調整による記憶の混乱と、母のクローンであるアヤメを前にして、もはやヒナの思考回路は刀を突き付けること以外に答えを見出すことが出来なかった。
彼女の心は、理性とプログラムの狭間ですり潰されて粉々に破壊されていたのだ。
それでもなお、ヒナは母を呼んだ。
「ううぅぅっっ……あああっ……お母さん……」
ヒナの目から留処なく涙がこぼれる。アヤメの頬に伝い、暖かな軌跡を残す。
それはアヤメも同じだった。彼女もまた、気が付けば涙を浮かべていた。
「お母さん……!お母さん……!」
「――違う!アタシは……アタシは!」
アヤメは泣き叫ぶ。
アヤメは、このどうしようもない程に答えの出ない、滑稽な殺し合いを終わらせたかった。この場にいる誰もが幸せになれず、誰も正しい答えを見出してくれない冷淡な現実を終わらせたかった。
――今や自分の記憶は偽物で、自分と言う存在も誰かの複製品で。誰かの代わりとして生まれたのにそれになることが許されない、道化以外の何物でもない自分。
何故なら機械として、ただ眼前の敵を抹殺するためだけに『作られた』のだから。好きになった男の愛した女の体を借りて――
だからこの瞬間、アヤメは自分で自分を愛した。再生医学とクローン技術の先に生まれた自分の中に芽生えた気持ちを、これ以上偽物にしたくなかったからだ。それこそが、自分が自分たる存在意義だったからだ。
――おぞましい見た目だからなんだ。人殺しの兵器だからなんだ。化け物だからなんだ。
――そんな声なんかに、アタシの存在を否定させやしない。そんな声なんかに、アタシの思いを否定させやしない。
――もし本当に神が人を作ったとしても、人が生み出した
故に彼女は、彼女自身の欠落を愛してやったのだ。
自らの存在を証明するため、あらん限りの声で。
「――アタシは!アヤメだ!」
吹き飛んでいた左腕を医療用マニュピレーターに切り替え、ヒナの右腕に掴みかかる。直後、僅かに両者の体は離れた。
だが戦闘用に作られている訳ではないその腕では、ヒナの全身を乗せた圧力を完全に押し返すことが出来ない。
「アタシは……まだ死ねないんだ……!」
ヒナに告げるようにアヤメは叫ぶ。
しかし徐々に黒く光る刃がアヤメの右腕に食い込んできた。このままではいずれ、アヤメの左腕をへし折ってライフルを切り裂き、彼女の体をも両断するだろう。
その光景を、九重は苦悩と絶望の中で泣きながら見ていた。
しかし冷酷な現実は、もはや彼に躊躇する余裕など与えてはくれない。だから彼もまた、自分の中に宿った気持ちへと答えねばならなかった。
九重の足元には、切り飛ばされたアヤメの左腕が落ちている。血と錆とで汚れた刀剣が、コンソールの光に照らされて鈍く光った。
九重は立ち上がると、かつてアヤメが自分の刀を手渡した時の様に、その左腕を拾い上げる。そして、二人の元へと駆けだした。
走りながらアヤメの左腕を高く振りかざす。床に倒れ伏す二人の傍まで駈けた時、九重は何も言わず全てを終わらせた。
時間など、ただの一秒たりとも止まってなどくれなかった。
拍子抜けする位、振り下ろした刀は易々と少女の体を貫いたのだった。
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