第15話 Encounter In.......
重い鉄製の正面扉をこじ開け、研究所の中へと滑る様に入り込む。途端に、カビ臭い空気が僅かに彼らの鼻腔を通り過ぎた。
目の前に広がるエントランスは、光が差し込む吹き抜け状になっており、螺旋階段がエントランスを囲む様にぐるりと伸び上がっている。入り口付近の窓ガラスは殆どが割れており、薄暗いエントランス内には荒廃した空気が漂う。
床に整然と埋め込まれた小さな歩行補助用ランプが点滅し、まだ施設内に電力が供給されていることを示していた。
「電気、通ってるんだね」
「東日本の連中がこの辺りで活動している訳だからな。何かしら発電設備があるんだろう」
エントランスの奥は巨大な隔壁で仕切られており、その上にはMG保管所、と書かれたプレートが張られている。隔壁の中央は、人一人が入れる程度の穴が切り裂かれた様にこじ開けられており、何かがそこから這い出てきたことをうかがわせる。
「さっきの……黒いMGが出てきたのかな」
「わからん。用心する以外無いな」
九重は腰元の拳銃を抜き、いつでも撃てるように構える。薄暗いエントランスに、静寂と緊張感が充満していた。吹き抜けの上から差し込む光が、空中に舞う埃をちらりと浮かび上がらせる。
「アヤメ、さっきの黒いMGだが……お前はあれに見覚えはあったか?」
「ううん、無いよ。初めて見た。……なんでアタシを助けてくれたんだろう。母さん、って言っていたけど。アタシのことなのかな……」
「……俺はあのMGを見た時、お前と初めて会った時の様な感覚に襲われたんだ」
襲われた、と表現したのは、何故か無性に嫌な予感がしたからである。
東京に入ってからずっとそうだった。疑うことなく、アヤメの母親を探すためにここへやって来た。だが、今やその目的は、何か別の形に変わってしまったような気がしてならなかった。
「アタシと初めて会った時の?それってつまり……」
「お前と会った時の気持ちすら、俺は未だに良く分かっていないんだ。……俺はな、アヤメ。その気持ちを理解しなければと思ったことはあるが、理解したい、とは思わなかった。何故かそれに気付いてはいけないような気がしてな……」
アヤメは何故か胸が締め付けられるような気持ちになった。しかし、実際に胸が痛むことは無い。平常通り、ネクロメタルの骨格に覆われた機械まみれの心臓が脈打つだけである。
「アタシはさ。栄一郎と初めて会った時から、アタシの心に芽生えた気持ちを理解したいと思っていたんだよ。それが何かはアタシだって未だにわかっていない。でも、知らないと先に進めない気がするんだ。……もしかしたらだけどさ、アタシは、アタシの母さんのことを知ったら、自然とその気持ちも理解出来るんじゃないかなって思ってる」
「……俺もさ。さあ、中を探すぞ」
二人はゆっくりと歩き出した。
エントランスのある一階には、トイレと壊れた隔壁以外に目ぼしい部屋は見当たらず、階段を上って二階へと向かう。古く、脆くなった階段は足を乗せる度に軋んだ。
二階もまた、埃まみれの広い会議室が幾つかのパーテーションで仕切られてあるだけで何も見当たらなかった。資料の束や、パソコンの類すら見当たらない。精々が埃をかぶったデスクだけである。
「何にもないなぁ」
「もしかすると、盗まれたりでもしたんじゃないか。野盗連中だったら、こういう施設を放ってはおかんだろうし」
「それだと、すごく困るね」
「……そうだな」
「栄一郎、上に行こう」
「……ああ」
駆け出すアヤメとは対照的に、重い足取りで九重は階段を上った。
三階は廊下が一本奥へとまっすぐ伸びているだけだった。長い廊下を進み、突き当りの鉄扉に手をかける。扉には、今やかすれて読めない警告を告げるプレートが何枚も貼り付けられていた。その扉を開け、眼前に広がった光景を見た時、彼らは自分たちの目的がここにあると確信した。
目の前には、三階から五階までが一つの大きな空間として広がっており、壁際にそれぞれの階から見下ろせるようにスロープが取り付けられている。そのすぐ傍には、大きな爪のついたクレーンが等間隔に建っている。
そして彼らの立つ巨大な空間の一番下の階には、人一人が収まる大きさの巨大なガラスのカプセルが何十本も居並んでいた。
五階部分の天井からぶら下がるライトが弱弱しい光を階下に投げかけ、巨大な空間は足元がぼんやりと見える程度に明るい。薄明かりに照らされる巨大なカプセルは、その殆どが空か、あるいは割れていた。
「ここは……」
「MGの製造工場、って所だろう」
乱立するガラスカプセルの間を進みながら辺りを散策する。床に落ちたガラス片を踏むと、静かな空間に音が響いた。割れたカプセルの近くを通る度に、得体のしれない腐臭が彼らを襲う。
割れていないカプセルには幾つもの警告文や生物兵器を示すマークが所狭しと貼られている。その中に隠れる様に交じって小さな横書きのラベルが貼られていた。そこには製造年月日が書かれており、どれも二十年程前に作られた物ばかりだった。
奥へと進んでいく内に、ふと一つの空のガラスカプセルが九重の目に留まる。そのカプセルにも、沢山の警告文に交じって製造年月日を書いたラベルが貼り付けてある。だが九重の目を引いたのは、そこに書かれている日付だった。
「大体一年前に作られているな。それも去年の内戦が始まってから、数日後だ」
そのカプセルを境に、周りの空のカプセルに貼り付けられているラベルは全て一年前の物になっていた。
九重の脳裏に一年前の家族との思い出がふとよぎる。だが今は感傷に浸っている場合では無い、とかぶりを振るとその場から離れた。
九重の隣を歩きながら、不安げにアヤメが訊ねる。
「一年前?東日本軍が作ったのかな……」
「多分な。去年この辺りを支配してから作ったんだろうよ」
乱立するカプセルの合間を抜けて奥へと進んだ時、ふと五階部分のスロープの壁に大きな穴が開いているのを見つけた。先程、コノミが飛び降りてきた際に開けた穴だ。
スロープの手すりに引っかかるように、MGの死体が力なく崩れている。そこから視線を下ろし、三階部分に目を向けると、上の階から落ちてきたのだろう、引き裂かれた少女の死体が数体転がっていた。だがそれらのMGはどれも武装がとってつけた様な中途半端な作りだったり、そもそも武装が施されていなかったりと、随分と粗雑な作りだった。
「さっきの巨大なMG……コノミ、だっけか。あの子がやったんだろうね」
「だろうな。余程MGが憎かったんだろう」
「そう、なのかな」
アヤメの胸中には、まだコノミの死の間際の姿が残っていた。
MGを解放、つまりは殺害して幸福に導くと彼女は言っていた。ならば、自分達MGは死ぬことでしか幸福を得られないのか。戦闘兵器として生まれた自分達は、人として生きることが出来ないのか。
答えは得られそうにも無かった。
「……そんなの関係ないよ。アタシはアタシが生きたいように生きるだけだ」
「ん?何か言ったか?」
「ううん、何でもない」
やがてカプセル群を抜けた彼らの前に、一つの隔壁が現れた。その隔壁だけ誰にも触れられていないかのように固く扉を閉ざしており、傷の一つも見当たらない。
隔壁の横には、小さなカメラが据え付けられた端末がはめ込まれていた。
「なんだ、こりゃ……」
九重は端末へと近づく。カメラ以外に、パネルロックもカードの挿入口も見当たらない。
「これは……網膜スキャンで扉を開けるロックシステムか」
忌々しそうに九重は呟いた。この隔壁の向こうに何があるかは分からないが、隔壁を開けることが出来る人物はここに居ない。
かつてここで働いていた者が居れば開けることが出来たかもしれないが、二十年近くも放置されたこの場所には九重とアヤメ以外の気配は無かった。
「東日本の連中も……駄目か」
もし東日本軍の関係者が居ればと思ったが、それも当てになら無さそうだった。駄目と分かり切っていながら、試しに九重は自分の両目をカメラに近づけてみる。
赤いレーザー光がゆっくりと点滅したかと思うと、九重の両目をなぞる様に赤い光が横切る。
ものの数秒でスキャンは終了したが、低い電子音と共に「パターンが違います」とだけ合成音声が流れた。九重は苛立たしげにカメラを睨みつける。
「くそっ、やっぱり駄目か」
この扉を後回しにして、研究所内を再度探索すべきか。もしかすれば何か別の手段が見つかるかもしれないし、探しているデータが見つかるかもしれない。そう思い、九重は踵を返した。
「栄一郎、試しにアタシもやってみるよ」
後ろで見ていたアヤメは、九重が離れたところを見計らって網膜スキャン端末を覗き込んだ。九重はさして気にすることも無く「早く戻って来いよ」とだけ告げると、元来た道へ引き返そうとする。
「……あっ!」
不意にアヤメが声をあげた。同時に、端末から「認証完了」と合成音声が流れ、隔壁が俄かに軋む。重い駆動音を響かせながら、分厚い扉が揺れ動き始めた。
「お……おい、どういうことだ……!?」
九重は慌ててアヤメの傍へと駆け寄り、彼女の両肩を掴む。だがアヤメも困惑の色を浮かべながら、頭を横に振った。
「分かんない!アタシだって分かんないよ……!」
やがて隔壁から圧縮空気を吹き出す音がしたかと思うと、ゆっくりと扉が左右に開き始めた。隔壁の上に設置された赤い非常ランプがせわしなく点滅し、辺りを赤く照らす。
開いた扉から流れ出る冷気が二人の体を貫いた。どうやら隔壁の中は相当に温度が下げられているらしい。白い蒸気を噴出しながら、扉はいよいよ完全に開き切った。中は白い冷気に包まれており、様子を窺うことが出来ない。
「……入ってみるしかないな」
「うん……」
九重は再度拳銃を顔の傍に構え、隔壁の中へと進んだ。次いでアヤメも、左腕を刀に変形させながら九重についていく。
隔壁が開かれたためか徐々に中の冷気は外へと流れ出し、霞がかっていた視界は少しずつ見える様になって来た。目の前の様子が見えてくるにつれ、二人の緊張は否が応でも高まる。冷たい隔壁の中、反比例するかの様に九重の体は熱くなった。
やがて、完全に視界が開けた時、二人の前には沢山のコンソール端末と、それに囲まれるようにして鎮座する数本のガラスカプセルが映った。カプセルは緑色の液体で満たされており、そこに人影が浮かんでいる。
「なんだ……あれは……」
「作られているMG……かな?」
二人は慎重にガラスカプセルに近づく。明滅するランプやコンソールの画面の光に照らされ、カプセルの中の人影が薄暗い室内に浮かんだ。
それは全裸の幼い少女で、四肢の様子も人間と全く変わらないものであった。長く黒い髪の毛を充填された液体の中に揺らして、眠るように目をつぶっている。口には酸素供給用のマスクがはめられており、そこから時折吐き出される気泡が、彼女が生きていることを示していた。
浮かんでいる少女の顔を見つめた時、二人は息を呑んだ。
「嘘……」
アヤメがぽつりと呟き、倒れる様にガラスカプセルに寄りかかる。
中に浮かんでいる少女の顔は、アヤメと寸分の差も違わぬ、瓜二つの顔だったからだ。アヤメが寄りかかったカプセル以外にも、全てアヤメと同じ顔をしている少女が浮かんでいる。
九重は何も言わず、ガラスカプセルの前に設置されているコンソールを操作する。起動されたままで放置されていたのが幸いだった。
ちらつく画面を読み進めていく内、九重の心のざわめきはどんどんと大きくなる。早鐘の様に心臓が脈打ち、気づかぬ内に息遣いは荒くなっていた。そしてスライドした画面に表記されていた「クローンMG製造データ」、というファイルを見つけた時、彼は頭を鈍器で思い切り殴られたかの様な衝撃を受けた。
恐る恐る、震える手でファイルを開く。一瞬で画面上に、カプセルの中に浮かんでいるアヤメとそっくりの少女の写真が表示された。訳の分からぬ焦りで霞む視界をなんとかこらし、そこに書かれている情報に目を泳がせる。やがてその中に見覚えのある名前を見つけた時、九重の呼吸は一瞬止まった。
「アヤメ。お前……子供の頃学者になりたかったんだよな」
「……どうしたの急に」
「そうだよな」
「……うん」
「運動も得意だったな。色んな大会に出て、色んな記録を出して。学校の代表にもなって、全国大会にも出たはずだ」
「アタシ……その話は栄一郎にしてないよ……何で知ってるの……」
「さっき、東京湾を見た時、お前はこう言ったな。『昔ここに水があったんだ、見たことある』って」
「栄一郎、どうしたの……?なんだか変だよ……」
アヤメはただならぬ様相でまくしたてる九重に怯えた。だが、彼が一体何を聞こうとしているのか、何を知ろうとしているのか、薄々とは感じていた。
そして、それを知ることで九重が本当に変わってしまうのではないか――それだけが怖かった。
「ありえないんだよ。お前が生まれた頃には、とっくのとうに東京湾に水なんてなかったんだから」
「……嘘だ!嘘だよ!そんなこと、あるはずない!だってアタシ見たもん!」
子供の様に、アヤメは喚きだす。自分の中にある記憶と、今この状況とがぐちゃぐちゃに混ざり合って彼女の心は混沌としていた。
「確かお前、一五歳の時にMGになった、って言ってたよな。今お前は一八歳だ。東京湾から海が無くなったのは丁度二十年前。……見たことあるはずがないんだよ」
震える声で九重は言った。寒い室内にもかかわらず汗が額に滲む。吐き出す息は白く、暗く静かな室内に掻き消えていった。
「何で!何でそんなこと言うの!私は見た!海があって、そこに沢山人がいて……!とにかく、私は嘘なんて言ってない!」
「……そうだ。お前は嘘を言っているんじゃない。きっと本当に見たんだよ。……ただ――」
「何なのよ!?」
気付けばアヤメは涙で顔を濡らしていた。赤い瞳から留処なく大粒の涙が零れ落ち、床を叩く。これ以上九重が紡ぐ言葉を聞きたくなかった。
今目の前のカプセルに浮かんでいる自分と全く同じ顔の少女達。そして自分の記憶の矛盾。全てが、アヤメの心にひとつの真実を突き付けようとしていた。
「お前のその記憶は――俺の妻の……美奈の記憶を移植されたものなんだよ」
「……嘘、だよ」
嗚咽を漏らしながらアヤメは、小さく振り絞るように呟く。九重が嘘を言っている訳ではないと知りながらも、言わずにはいられなかった。嘘であって欲しかった。
「ここに、お前の製造記録データがある。『量産MGアヤメ』とな」
九重は震える手を意志の力で押さえ付けながら、コンソール画面をスライドさせる。
「お前の出自に関する情報もあった。……『MG研究所所属職員、天城美奈の10代中盤をベースとしたクローン体』。……天城って言うのは、俺の妻の旧姓だ……」
「そんな……そんな……嘘だよ……嘘だよそんなの……アタシはアヤメだよ……栄一郎、そんなのって……」
震える声で、縋るようにアヤメは九重の傍へと駆け寄る。
「あいつは……俺にも言わなかったんだな……MGの研究をしていることを。……自分をクローンの素材にしていることも」
九重は震える声で呟いた。
思い返せば、アヤメに対して不思議な感覚を覚えたのは何もおかしなことでは無かったのだ。彼女を見た時、心臓が爆発するように高鳴ったのもそうだ。アヤメが自分を助けてくれたのも、そういうことなのかもしれない。アヤメと共に過ごし、彼女の言動の端々にかつての妻の面影を見出したのもそうだ。
九重の脳裏に、数日前ユリが言っていた『運命』という単語が残響する。そう、きっと運命だったのだ。全ての違和感も、理解しがたい感情の湧き上がりも、そう思えば納得がいく。
自分はきっとアヤメと会ったその日から、どんな姿形であっても彼女に恋をしていたのだ。
――アヤメは自分の愛する妻のクローンだったのだから。
そしてそれは、アヤメも同じだった。
「栄一郎……アタシは……アタシは何なの……?」
アヤメはただただ泣いた。
――自分は作られたMGどころか、人の模倣品だった。自分のものではない記憶を持ち、自分のものではない母の面影を追いながら生きてきた。それが自分の唯一無二の、存在意義であると信じながら。もはや自分は、何者でもない――
現実を前にして全てを理解したアヤメは、一層心の中を混沌とさせていた。何もかもが訳の分からない、偽物の世界の上で生きてきたのだから。全てを知った彼女には、自分の存在の何が正しいのかまるで分からなかった。
ただ、アヤメの渦巻く心の中でただ一つ確かなものがあった。
――自分もまた、美奈の軌跡をなぞるように九重栄一郎と言う男を好きになってしまったんだ。
それを知ることが出来たのは、アヤメにとっての救いだった。今の自分にとって、どういう結末を迎えるにしろ嘘偽りのない正直な気持ちだったから。
「栄一郎……!栄一郎ぉ……!うあああぁぁぁぁっ……!」
アヤメは泣きながら、九重の胸元へと顔を埋める。九重にはどうすることも出来ず、ただ泣き叫ぶ彼女を黙って抱きしめるしかなかった。
薄暗く寒い室内に、悲壮なアヤメの泣き声だけが響く。抱きしめた彼女の体はすっかり冷え切っていたが、彼女の体に流れる血が僅かに温かみを九重に伝えた
「アヤメ……」
泣き続ける少女の体を一際強く抱きしめた、その時だった。
彼らが通って来たガラスカプセルの乱立する空間から、叫び声が轟いた。二人はゆっくりと声の聞こえる方へ顔を向ける。
徐々に怒りの入り混じった叫び声が近づくにつれ、九重は最悪の未来を脳裏に描いた。九重はアヤメから離れ、拳銃を構える。アヤメもまた、泣き腫らした顔のまま、それがやってくるじれったいほど長い一瞬を待った。
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