第13話 Life
道をふさぐように広がる大きな物資倉庫の脇を通り、潰れたプラントを横切る。そこから少しばかり歩くと、壁面を抉り取られたようになった長大な防波堤が、崖の様に目の前に広がっていた。
その崖際には今まで見てきたどんな建造物より際立って大きなクレーンが建っていおり、その先端から吊り降ろされているワイヤーは崖の向こう側へと掻き消えている。
「随分でかいが……このクレーンは何だ?」
「ああ、そいつは多分、ネクロメタルの採掘設備だろう。東の連中が手直しして、採掘用に改造してるんだ」
大河峰は軽く解説してやると、クレーンからぶら下がるワイヤーの近くまで走り、「ほら、見てみろ」と崖の下を指さす。九重達は近寄って、崖を覗き込んだ。
崖の底はすり鉢状に広がっており、果てしなく深く掘られた巨大な穴がすり鉢の中央底部に黒々と空いていた。地球の底に飲み込まれる感覚すら覚える。その穴を中心にして、蟻地獄状に崖の斜面が削られており、そこへへばりつく様に点々と作業用の重機が置かれていた。
彼らが覗き込んでいる崖の底こそが、かつては豊かな水を湛えていた東京湾だ。
彼らのいる崖の向こう側、陽炎が立ち上り霞んで見える対岸には、巨大な水門がいくつも並んで東京湾を取り囲み、そのすぐ後ろにはかつての海底から伸びる巨大な鉄塔が何本も生えている。過去の行き過ぎた開発のなれの果てだ。
「こんな所に昔は水があっただって?信じられんな……」
「アタシは覚えているよ、栄一郎。昔、確かにここには水があったんだ。見たことある。すっごい大きくて広くて……青かった」
アヤメは事もなさげに言ったが、九重は何か妙な違和感を覚えた。だが、それを考えるよりも早く、アヤメが「さ、行こう」と歩き出してしまったので、違和感を胸の奥にしまい込んだ。
東京湾の周辺にも、先程と同じ様に惨殺された軍人やMGの死体がちらほらと転がっていた。そのどれもが傷口は新しく、恐ろしい捕食者がまだ近くにいることを物語っている。
やがて東京湾から離れ、また複雑に入り組んだ工業地帯に入り込んで少し進んだ頃、開けた敷地に立つ、5階建ての大きな白い建物が見えてきた。
「あれが、お前らお望みのMG研究所だぜ。これで俺の案内役も終わりだな」
重荷を肩から降ろしたかの様に肩をぐるぐると回し、大河峰は大きく息をついた。
「ここなんだね……やっと来たよ、栄一郎」
「ああ、遂に来たな」
周りの死んだ灰色の建造物とは違う、ただならぬ雰囲気を放つ建物だった。楕円状にした円筒を半分に切ったような造形は、周りの建物が立方体ばかりなものだから一際目についた。壁や窓ガラスは割れて砕けているものの、どこかまだ建物全体が生きている感覚を思わせる。
鳥とも人ともつかない、何体もの不可解な形をした銅像が研究所を崇めるように取り囲んでおり、不気味な儀式めいた様相を醸し出していた。
研究所を前にして、アヤメはごくりと唾を呑む。ここに自分が人として生きてきた過去と、記憶の水底に沈む母の行方を知る手がかりがあると思えば、居ても立っても居られない。それは、九重も同じだった。彼もまた、自分がアヤメと出会ったその日から抱いてきた奇妙な感情に一つの決着をつける時が来たのだと、そんな予感がしていた。
「よし、行くぞ」
いざ研究所へ向かおうと二人が敷地に足を踏み出そうとした、その時である。
「……待って! 通信トラップにさっきのMGの反応あり! データ解析……距離50メートル! 場所は……」
ユリは突然頭の中に流れ込んだ通信データを慌てて解析する。だが、その解析結果を全て伝える前に、研究所の最上階の壁が突如爆発音とともに吹き飛んだ。
壁面は粉々に砕け散り、土埃を巻き上げながら瓦礫が落下してゆく。
「我々は!栄光ある西日本軍である!私は!MGの解放を訴える者である!」
直後砕けた壁の向こう側から、怒鳴る様な女の声が響く。次の瞬間、壁の穴から、血まみれの少女の死体が降り注いできた。肉の潰れる音、骨の砕ける音がやけに鮮明に響く。研究所の白い外壁に血しぶきが上がり、壁を伝った。
次いで大きな影が穴から飛び出し、地面で潰れている少女たちの遺体の上へと降り立った。踏みつぶされた死体は、腐ったトマトの様にたちまち血をまき散らし、その影を濡らす。
「我々は!非人道的行為を決して許さない!立ち上がれ市民!我々は我々の子孫をいたずらに踏みにじって良いものではない!弱き者を、解放せねばならない!」
最初、その巨大な影は、血に濡れた銀色の鉄板の様に見えた。だがその鉄板がスライドする様に横へゆっくりと動くと、その影に隠れていた巨大な連装機関銃が顔を見せる。
「何……あれは……!?」
アヤメはそのどす黒い銃口が自分たちに向けられていると気付き、咄嗟に九重を引っ掴んでそばの倉庫の影に転がるように飛び込む。ユリもまた、大河峰と共に近くにあった廃棄されたコンテナの影へ身を潜めた。
巨大な鉄板の影から少女の姿がのぞく。ぼろぼろの青いシャツを着こんで灰色の髪を好き放題に伸ばしており、美しい顔に据えられた金色の瞳は虚ろなままである。
彼女は、四肢を肘の先から機械に換装されている紛うこと無きMGだった。アヤメと同じ様な装備をしている。
だが決定的に違うのは、その異様なまでに巨大な装備だ。彼女の体は、右腕の連装機関銃よりも、左腕の銀色の鉄板よりもずっと小さい。装備に体がすっかり隠れてしまっている。ともすれば、持ち上げることも立つこともままならぬのでは、と思う位に随分バランスの悪い不恰好な姿であった。
「我々は非道な行いを決して許さない!断じて、だ!未来ある少女たちを、戦場に送り出して殺すなどとは言語道断!私は、私の名誉にかけて、彼女らを幸福に導く!」
激昂した口上とは裏腹に、彼女の顔は無表情そのものだった。虚ろな瞳はどこを見ているか見当も付かないし、開けられた口の動きもぎこちない。何の感情も込められていないその異常な様子は、彼女が人格調整されていることを物語っていた。
「市民!そこに隠れているのは分かっている!私は西日本連合関東方面軍、MG解放第二中隊所属、コノミである!安心したまえ、市民!我々は市民に危害を加えない!速やかに出てきたまえ!応じない場合は、『武力をもって』諸君らの安全を確保する!」
コノミと名乗ったMGは壊れたスピーカーの様に叫び続けている。
「……あんなこと言っているが、俺たちを見逃してくれると思うか、アヤメ?」
「そりゃ無理だと思うよ。大体、MGを開放するって言ってるなら、アタシもユリもこの場でバラバラにされるだろうね。栄一郎と大河峰はおまけで」
「……そうだな。民主主義に則って、話し合いの余地を作ってくれると助かるんだが」
九重はため息をつきながら、腰に収めていた拳銃を手に取り、弾を込める。目の前のコノミと名乗る巨大なMGの銃と比べれば豆鉄砲も同然だったが、無いよりはマシだ。
「大河峰、お前は自分の銃を持っているな?」
すぐそばのコンテナに隠れている大河峰に呼びかける。彼は、無言でうなずいて返した。
「それじゃあもう一丁は、ユリに渡しておく。……アヤメにあいつを潰してもらう。俺たちは、その援護だ」
「イエス、ボス。やってみせるよ。私より胸が大きいし、やっつけてやる!」
九重はバックパックからもう一つ拳銃を取り出すと、地面を滑らせるようにユリの方へ投げ渡した。ユリは拳銃を受け取ると、フリル付の黒いスカートをたくし上げてショーツの太腿側に拳銃を押し入れる。
「やっぱり、そこに仕舞うんだな」
「ええ、そうよ。レディらしいじゃない?」
緊迫した状況にもかかわらず、ユリはふっと笑って見せた。思わず九重も笑って返した。死を間際にして笑みがこぼれるとは随分やけくそだな、と九重は心の中でまた笑う。
「市民! これ以上隠れる場合は、我々の規定に則り、実力行使の上で諸君らの安全を確保する! 五つ数える内に、速やかに私の前へ出ろ!」
コノミは巨大な機関銃を持ち上げた。彼女の肘や腰にはスラスターが取り付けられており、それを吹かしてその巨躯を無理やり動かしているようだった。
青白い炎がコノミの体のあちこちから吹き上がり、徐々に回頭しながら九重達の方へと前進を向ける。
「五! 四! 三! 二!」
完全に向き直ると、機関銃を構えた。全身から吹き上がっていたスラスターは少しずつ勢いを弱め、やがて白い蒸気を吐き出して動きを止める。
「一!」
「アヤメ! 跳べ!」
コノミのカウントダウンが終る直前、アヤメは建物の影から勢いよく飛び出し、乱立するビルへと跳ね上がった。コノミは一瞬遅れ、ビルへと飛び移るアヤメを補足する。
「零! 鎮圧開……!」
「撃て! 引きつけろ!」
機関銃が火を噴くその間際、物陰に隠れていた三人は九重の号令と共に銃弾の雨を叩きこんだ。アヤメに気を取られていたコノミの体には瞬く間に拳銃弾が食い込み、鮮血を吹きあげる。
「被弾状況確認! 損傷軽微! 防御行動優先! スラスター、起動!」
銃撃を受けたコノミは全身のスラスターから再度炎を吹かすと、左腕の巨大な鉄板を素早く動かし、自分の体を覆い隠す。矢継ぎ早に撃たれた拳銃弾は、全てはじき返されてしまった。
「攻撃準備良し! 攻撃プロトコル、起動!」
鉄板の脇から巨大な機関銃の銃口が九重の方に顔を出し、耳をつんざく轟音とマズルフラシュと共に重い鉛玉を吐き出した。まるで鳴りやまない雷撃の様だ。
幾重にも連なった銃口から打ち出された弾丸は、九重の隠れている建物の壁をみるみる内に削り取ってゆく。九重はたまらずその場から逃げる様に別の建物の影へと走り出す。
「うおおおおおおっっっっ!」
コノミはゆっくりと回頭しながら九重の後を追い、銃撃を繰り返す。無数の空薬莢が金属音を奏でながら足元に散らばる。九重の走った軌跡をなぞるように、圧倒的な銃弾の嵐がコンクリート壁やむき出しの鉄骨を打ち砕きながら追い回した。
九重の走った後には、砕け散ったコンクリートの欠片や瓦礫の破片が際限なく飛び散る。さながら、少女の体を借りたセントリーガンだ。
「畜生、とんでもない火力だ……!」
もはや拳銃を構えている余裕などない。今はただ、命を食い破ろうとする弾丸の嵐から逃げ回るのみである。
「くそっ、アヤメ! まだか!」
たまらず叫ぶ。今にも銃弾は九重の全身を貫きそうである。
「お待たせ! ……このバ火力野郎め、アタシが相手だーっ!」
コノミの後ろのビルの屋上に、アヤメが立っていた。コノミが丁度無防備な背中を晒した隙を逃さず、太陽を背にして勢いよく屋上から飛び降りる。
左腕の刀を展開させ、落下の勢いに乗って満身の力を込める。その勢いが頂点に達し、無防備なコノミの首筋を叩き切ろうとした、その瞬間――。
「私は! MGを! 解放するものである!」
銃撃を繰り返していたコノミは突如がなり立てると、腰のスラスターを吹かしながら上半身を180度素早く回転させ、左腕の鉄板をかざして斬撃を受け止めた。眩しい火花が二人の間に飛び散る。
「なっ……何その体……!」
「私は偉大なる西日本連合の誇る新型拠点制圧用兵器である! 弱き者には決して討たれない!」
アヤメの斬撃を受け止めた鉄板の縁は、鋭利に磨かれており刃同然になっていた。だがそれ以上にコノミを異常たらしめるのは、その体の向きである。
つい今まで真正面を向き、下半身もその方向へと向いていた。だが今、彼女は下半身を全く動かさず上半身だけを独楽の様に回転させて振り向いたのである。
「くっ……ヤバい!」
アヤメの腕力では、刃のついた鉄板を切り裂くことが出来なかった。二人が切り結んだ直後、コノミの左腕からスラスターが一際炎を強く吹き出し、アヤメの刀を押し返す。このままでは力比べをするまでも無く、刀ごと体を切り裂かれてしまうだろう。
一瞬で不利だと判断を下したアヤメは、咄嗟に体をコノミの脇へ滑り込ませ、素早く掬い上げる様にコノミの足元を切り払う。
しかし巨大な鉄板がすぐに地響きを鳴らしながら足元を覆い隠す。刀は鉄板に弾かれ、勢いよくアヤメの方へと跳ね返った。
「甘い!」
直後、コノミは上半身を再び回転させながら、右腕の機関銃でアヤメを殴りつける。遠心力とスラスターの加速が乗った銃本体は、すさまじい破壊力で持ってアヤメを吹き飛ばした。
「ぐぁっ……!」
吹き飛ばされ地面に転がったアヤメを、そのまま機関銃が狙いを定める。
アヤメは転がった体をすぐに起こし、屈んだ状態から一気に飛びあがると、すぐそばの壁を蹴りつけてコノミから離れた。勢いよく殴りつけられた体の節々が痛み、鋼鉄の脚すらも歪み、軋んでいる。
「今は距離を取らなきゃ……!」
建物の合間を飛ぶように逃げるアヤメの後姿を追って、過たず機関銃が狙いを定める。
「哀れなMGよ! その苛まれる責め苦から解放されよ!」
逃げるアヤメを打ち抜こうとしたその瞬間、コノミの体に何発かの拳銃弾が撃ち込まれた。コノミは腰のスラスターを三度吹かし、弾丸が飛んできた方向へぐるりと向き直る。
「今度は俺らが逃げる番みたいだぜ、ユリ!」
「わかってるわ!」
機関銃が二人を捉える前に、大河峰とユリは駆けだした。大河峰は足の怪我のせいで、思わず転びそうになる。だが歯を食いしばり、ユリに手を引かれながら走った。
「被弾箇所回復! 市民保護に向けた攻撃続行!」
コンテナから飛び出した二人に、容赦なく機関銃がうなり声をあげる。たちまち二人が隠れていたコンテナは穴だらけになり、見るも無残なスクラップと化した。
広い敷地に居並ぶ銅像を盾にしながら二人は駆ける。銅像のそばを走り抜ける度に、その頭や胴体がまるで飴細工の様に脆く吹き飛び、砂埃をあげた。
林立する銅像を抜け、目の前の倉庫に飛び込もうとした、その時である。大河峰の手を引くユリの足元に崩れ落ちた銅像の胴体が転がり、躓いた。
「あっ……!」
彼女の小さな体はいとも簡単に宙に放り出されたかと思うと、コンクリートの地面に叩きつけられた。
「ユリ!」
自分の手を引っ張って支えてくれていたユリが居なくなり、大河峰は思わず前のめる。倒れた銅像の胴体を挟んで、ユリは目の前でうずくまっている。
その隙を、無情にもコノミは逃さなかった。
「市民!安心せよ!」
激昂したコノミの声が響き渡る。だがその言葉とは裏腹に、機関銃はユリを見定めていた。直後、機関銃から鉛玉が発射される。
その瞬間を、大河峰は目の前の全てが止まったような感覚で見ていた。今、目の前で倒れているユリ。彼女を狙う無慈悲なコノミ。だが、彼女らの間を動く弾丸だけは、確かに今この瞬間に時間が流れていることを大河峰に告げた。
体の動かし方を忘れたような気分だった。足を怪我しているからではない。この一瞬だけ、体中の筋肉が凍えて、すくんでしまっていた。ただ、爆発しそうなほどに鳴り響く心臓の音だけは聞こえていた。
心臓以外の音が聞こえない空間で、不意に大河峰の脳裏にユリの小さな、僅かに温もりを帯びた手の感触だけがよぎる。
幼い少女の、人形の様な少女の、小さな手が。その温もりが。
何故だか分からなかった。
だが。
――俺の体よ、今はただ動け。動かなければ。彼女は。ユリは。
「――死なせるかよ!」
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