第12話 TOKYO Propaganda

 下って来た地下を、再度昇って行くのは中々に骨が折れる仕事だった。

 ただでさえ、崩れ落ち鉄骨や梁がむき出しになっている道を進むだけでも苦労するのに、東京の地表へと近づく度に異常な熱気が彼らを襲い、苦しめた。

 乾き切った熱は汗すらすぐに乾かしてしまう。その速度が速まる度に、彼らは死の土地へ向かっていることをひしひしと感じた。


 やがて、暗く、熱気がこもる地下鉄構内から青い空が見えるところまで到達した。彼らが地下に潜った時に見えた星や月はすっかりかき消されていた。


「もう……朝……かな?」


 アヤメはすっかり疲れ果て、息も絶え絶えに構内から空を見上げる。たまらず地下でもらったペットボトルの水を口含んだ。


「ぷはーっ!生き返るね!」


 一気に飲み干したくなる衝動に駆られるが、ぐっと堪えてペットボトルを九重のバックパックに返す。潤った唇は、もう既に渇きつつあり、それがまたアヤメの我慢をくすぐった。


「さあ、昇るぞ。東京に」

「イエス、ボス!」


 一行は地上へつながる階段を一気に駆け上る。もう目の前は東京だ。

 燦々と照り付ける太陽を、真っ白な階段が照り返す。鋭く跳ね返される陽光は、容赦なく昇る者を突き刺した。だが彼らは立ち止まることなく、先へ進む。


 やがて最後の一段を踏み越えた彼らを出迎えてくれたのは――無数の巨大なコンクリートビルの残骸だった。

 コンクリートの巨人達の死骸は、もはや誰にも触れられることなく風化している。焼き尽くされた灰の様に、ただ無色の肌を湛えたそれは、ここが死の領域であることを黙して語った。

 かつての異常なヒートアイランド現象が引き起こしたのだろう、足元のアスファルトは波打って固まり、それが人工物であったことを忘れてしまいそうになる。


「初めて見たが……すごいなこれは」


 九重は思わず口元を手で覆う。目の前の惨状に驚いたのもあるが、それ以上に、絶えず水分を奪おうとする熱風から体を守るためだった。

 それは、隣にいるアヤメもユリも同じだった。唯一、大河峰だけは熱風を受けてどこか清々しい顔をしている。


「これが……東京なのね。レディにはきつい場所ねぇ……」


 余りの暑さに、ユリは思わずスカートをはためかせようとする。だが、レディとしてそんなはしたないことは出来ないと思うと、すぐに止めた。


「別にスカートぱたぱたさせたっていいと思うけど?アタシは別に気にしないし」

「アヤメちゃんが気にしなくたって、私が気にするのよ。男の人の前で、そんな下品なこと出来ないわ」

「別に俺は気にしないぞ」


 二人の会話に九重が割って入った。いつの間にか、この地獄の様に暑い中で煙草に火を灯している。吐き出す紫煙すら、陽光に焼かれて炎になりそうである。


「あんた、暑いんでしょ?」

「……まあ控えめに言って、そうなるわね」

「じゃあ我慢しない方が良いよ。アタシもやるからさ」


 そう言うと、アヤメは自分の青いフレアスカートの裾を掴んで、上下にはためかせて見せた。ここに来るまでにぶつけて出来た傷や、先日のユリとの戦闘で所々が千切れている。

 だが彼女は楽しそうにスカートをはためかせ、鋼鉄の両脚を露出させた。すると、露わになった鉛色の脚が照り付ける陽光を反射し、ユリの顔にぶつける。


「きゃっ!ちょっと!眩しいじゃないの!」

「あはは、ごめーん」


 アヤメは屈託のない笑みを浮かべて、ユリに軽く謝った。ユリもまた、軽く頬を膨らませながらスカートの裾を上下にはためかせる。いささかぎこちない動きだが、裾の広いユリのスカートは十分に風を孕んだ。


「なんだ、ユリもやってくれたじゃん。どう?涼しい?」

「ねえ、アヤメちゃん……これって……」

「ん?」

「全然涼しくないんだけど」

「……だよねー。なんかスカートぱたぱたするのが楽しくなっちゃって」


 アヤメはけらけらと笑うと、波打つアスファルトの上を颯爽と駆け出す。彼女の足から鳴る硬質音が、誰もいない街の中に響き渡った。巨大なビルに挟まれた大きな幅の道路の真ん中まで走ると、不意に後ろへと振り向いた。


「昔東京に住んでいた時にはさ、沢山勉強して先生とか学者さんとか、そういうのになりたい、って思ってた。もう今は、叶えられない夢だけどね」


 そう言うと、アヤメは青空を仰ぎ見て感慨深く目を閉じた。熱風が彼女の黒く長い髪をなびかせる。僅かに彼女の目尻に浮かんだ涙は、アスファルトの上に飛ばされて、初めから無かったかのように吸い込まれて消えた。


「あー、俺も1人で東京に来ちまったな」


 九重もまた、青空を眺めながらポツリと呟いた。傍にいた大河峰とユリは、不思議そうに互いの顔を見合わせる。


「いや何、昔家族がまだいた頃、家族みんなで東京に行こう、って約束してたのに俺一人になってしまったと思ってな。ついセンチメンタルになっちまった」


 笑いながら、錆び付いた携帯灰皿に煙草を押し込む。まだ長く吸えそうだったが、この暑さの中で煙草を長々と吸う気にはなれなかった。


「さあ、先に進もう!」


 アヤメは改めて階段の前で立つ九重達へと向き直り、笑顔で叫んだ。彼らもそれに呼応するように、死の廃墟群へと、一歩足を踏み入れたのだった。


 東京の中を進む彼らを、容赦なく降り注ぐ陽光と、絶え間なく吹き荒れる風が体力を蝕む。乱立する高層ビルに張り付く様にはめられた窓ガラスからの反射光も、先へ進ませるのを拒む様に彼らに襲い掛かった。

 捨てられた街の中には、そこかしこにかつて人が住んでいたことをうかがわせる遺物が残されていた。

 崩壊した無数の信号機と、その下に放置された自動車。もはや文字の読めなくなったアーケード街の入り口に建てられたアーチ状の看板。そこから伸びる灰色の商店街。

 かつては街を行く人々の目に否応なしに映ったであろう、ビルの壁面に設置された大型スクリーンは粉々に砕け散っている。

 穴とヒビだらけになった昼間のスクランブル交差点は、今や人一人通ることは無い。


「昔は、こんなに大きな街で沢山の人が生活していたんだな……」


 九重は誰に言うでもなく、独り言ちる。

 目に映る物、全てが無だった。かつての栄華は見る影もない灰色の街を見ていると、彼の心の中に空虚な思いが募った。

 今、自分は死後の世界にいるのだと言われても、疑うことなく信じるだろう。

 彼らは大河峰の案内を頼りに巨大なビルの影に隠れて、太陽から逃げる様に先へと進んだ。


 東京に入ってからどれ程の時間が経っただろうか、陽が天高く昇り切った頃、彼らは巨大な球体やクレーンが見える一画へとたどり着いた。近づくにつれ、無数の建築物が所狭しと建ち並び、体から太く無機質な銀色のパイプを生やしている姿が良く見える。

 長く巨大な鉄柵で、東京の街とその一画は明確に仕切られていた。大河峰は、鉄柵を端から端まで一通り眺めると、怪訝な表情を浮かべる。


「この港湾エリアの中に、お目当ての研究所がある。……だが妙だな、東側の連中に会わないように街の中は道を選んで歩いてきたが、この辺りにもいないってのは変だ」

「どういうことだ?」

「さっき地下でも言ったが、この先の東京湾で東側の連中がネクロメタルの採掘を行っている。だから、この敷地に入る境界線を見張っていてもおかしくないんだが……誰もいない」


 確かに、人影は一つも見当たらない。それどころか、目の前の港湾エリアからは物音すら聞こえなかった。異様なまでの静寂が、辺りを包み込む。


「まあ、敵が居なくてラッキー、って思って先に進んだ方が良いと思うけどね、アタシは」


 アヤメはそう言うと、両脚に力を込め、鉄柵をひとっとびで越えて工業団地の敷地へと降り立った。大河峰は罠でも仕掛けられているのではないかと冷や汗をかいたが、アヤメが平気な顔をして先へ進む様子を見て、ほっと胸をなでおろす。


「俺も同感だな、いくぞ。入ってからの事は入ってから考える。あと、ユリ。さっきまでは余計なエネルギーを使わせなかったが、ここからお前の出番だ。中に入ったら敵の通信回線を張っておいてくれ」

「はぁい、栄一郎さん」


 九重とユリも、アヤメの後に続き、鉄柵を乗り越えようとする。だがユリは、鉄柵を越える前に一度大河峰の方にぱたぱたと駆け寄ると、彼の手を握って一緒に柵を乗り越えた。

 手を取る際、大河峰は顔を合わせようとしなかったが、ユリは気にせず手を握った。


「それじゃあ、トラップしかけるわね。システム、データスキャンモード」


 敷地内に入ったユリは自分のこめかみを手のひらで押さえ付けると、彼女だけに見える飛び交う電子の回廊に目を光らせる。彼女の宝石の様な紫色の瞳が、深く濃く光った。

 一行は港湾地帯の中を進んでいく。

 彼らの周りには、折れ曲がった電柱や、錆び付いて今にも折れそうな電波塔が居並んでいる。奥へと進むにつれ、一行の緊張は高まった。巨大な廃墟に気圧されたからではない。


「……やっぱりマズイ気がするね」


 先頭を歩いていたアヤメは歩みを止めて屈みこんだ。

 血にまみれ、恐怖と絶望の表情で凝り固まった男の頭が、すぐ足元に転がっている。

 彼女の目に映ったのは、おびただしい量の空薬莢と乾いた血痕、無残に引き裂かれた無数の人間の残骸だった。

 皆一様に迷彩柄の軍服に身を包んでおり、東日本軍を示す徽章を付けている。大きな空洞を胴体に開けられた物もあれば、手足を乱暴に切断された物もある。彼らの腹に綺麗に収まっていた臓物は、まるで下手なあやとりでもしたかのようにそれぞれが無造作に絡まり、塊となって腹からはみ出していた。

 灰色のコンクリートで塗り固められた地面には、変色して干からびた血が上塗りされており、鼻を突く異臭を放っている。


 その血肉と迷彩柄に紛れる様にして、ちらほらと少女達の残骸も散らばっていた。彼女らの体には、アヤメと同じ様に刀や銃器が四肢に取り付けられ、人としてあるべき形を崩している。

 それは東日本軍のMGだった。

 だが、もとより異形である彼女らが、必要以上に手足やをあちこちに吹き飛ばされている様子を見て、アヤメはただならぬ執念を感じた。


「俺たちを東京から追い出したクソ野郎共だが……ここまで惨い死に方をしているのもな……」

「ああ。酷い状況だな、これは……」


 九重は思わず目を背ける。ある程度は凄惨な死体や現場を見てきたつもりだったが、それとは比べ物にならないほどに酷い状況だったからだ。


「……九重さん、通信網に反応が一つあるわ。データ解析、オン。……MG特有の電波反応。目標、12時の方向、距離3500メートル」

「この現場を作った奴か?」

「恐らくはね」


 ユリは困ったように肩をすくめる。

 血みどろの殺戮現場を前にして、彼らの間には否応なしに緊張が走った。こんなにもおぞましい死体の山を作り上げる存在がすぐそばにいると思えば、自然な反応だった。


「MGの反応が一つ?他に反応はないのか?」


 大河峰は不安げな顔でユリを見る。ユリは再度、脳内に広がる通信網トラップを洗い出してみるが、引っかかるデータは一つだけだった。


「無いわ。つまり、こんなことをしたのはたった一人のMGだって事よ。で、これがそのMGの通信内容」


 ユリは九重の方へ振り返り、赤い髪をかき上げて隠れていた首筋を見せる。そこには通信用のケーブル接続口が取り付けられていた。九重はコートの袖からケーブルを伸ばし、ユリの白い首筋へと挿入する。


「……何だ?何言ってやがるんだこいつは?」


 九重は表情を曇らせる。


「ねえ、栄一郎、通信内容はなんなの?」

「『我々西日本軍は全モディファイ・ガールの解放を目指すものである!我々は、モディファイ・ガールの非人道的扱いを直ちに是正する!ただちに彼女達を指揮下から解放せよ!』……だとさ」

「はぁ!?」


 アヤメもまた、予想外の通信内容に思わず声を上げた。


「それにね」

 ユリは不可解な表情を浮かべ、首に挿入されていたケーブルを抜き取る。


「この通信、どこか特定の誰かに送っている物じゃないのよ。つまり、誰でも聞けるラジオみたいな通信。それでいてこの内容。……要はプロパガンダね。たった今、発信を止めちゃったみたいだけど」


 すっかり呆れてしまった九重は、不精髭を乱暴に撫で付けた。

 実に馬鹿げている。MGの解放を訴えている当の本人が、MGなのだから。これほど滑稽なプロパガンダも無いだろうな、と心の中で毒づく。


「西の連中は昔からMGの使用反対を訴えてたくせに、ここではMGを使ってやがる。おかしな話だ。おまけに連中の言う解放ってのは、要は殺すことらしい。わざわざ東京まで来てご苦労なことだ」


 そう言うと九重は血の海に沈んでいるMGたちを見つめる。年端もいかぬ少女たちは、皆虚ろな顔で死んでいた。

 彼女らの亡骸を見ていると、ふと娘の雛の顔を思い出し、胸が締め付けられるような焦燥感に駆られた。


「進むしかあるまい。行くぞ」

 彼らはその場を足早に去り、先へと進んだ。

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