第10話 Envy

 夜も開けた頃、大宮の街を3人は出た。相も変わらず空は青く澄み渡ったままで、焼けつく様な太陽が鎮座している。

 うんざりする天気だ。最後に雨が降ったのはいつのことだったか、もはや覚えてすらいない。

 はるか遠くに陽炎が立ち上る中、ただひたすらに歩き続けた。だが、大宮に来るときよりも人数が増えたからか、随分賑やかな帰りだった。


「だーかーらー!アタシより子供みたいな格好しているくせに大人ぶるんじゃないっての!」

「うふふ、怖いわぁ。レディは常に見られてもいいように、正装で出歩くものよ?人は出会って数秒で印象が決まるっていうんだから」

 うやうやしくスカートの裾を持ち上げながら、ユリは微笑む。


「おいお前ら、喧嘩するなよな。あんまり騒いでいると、道中持たんぞ」

「はぁい、栄一郎さん」

「だから気安く栄一郎って呼ぶなーっ!」

「それじゃあ何て呼べばいいのかしら?」


 ユリはわざとらしく、猫なで声を上げる。九重はオールバックにした髪を押さえながらしばし思案した。

「九重、でいい」

「分かったわ、九重さん。それにしても、やっぱりハードボイルドな感じが良いわね」

「わああ!触れるなって言ってんでしょー!」


 ユリは隙あらば九重の体にぴたりとくっつこうとした。

 彼女の両腕は幼い少女のそれと変わらないものになっていた。昨夜、アヤメが施した手術で既に武装は取り除かれている。細く、柔らかな白い腕の中には、異形の凶器の痕跡は残っていない。

 べたべたと九重にくっつくユリを引き剥がそうと、アヤメはユリを突き飛ばす。しかしそれをひょいと避けると、反対側に移動して九重の体を挟んでアヤメと対峙した。


「大丈夫よ、別にアヤメちゃんから奪おうなんて思っていないから。昨日も言ったでしょ?」

「全然そういう風には見えないけどね!」


 少女同士の喧騒に挟まれる九重は、どこ吹く風、といった感じで歩き続ける。傍から見れば、賑やかな娘を二人抱える父親にしか見えなかった。

 昨晩の出来事からずいぶん打ち解けられたな、と九重は思う。


 あの戦闘の直後、騒ぎを聞きつけた街の野次馬たちが押し寄せてきた。

 彼らは口々に「MGがいるらしい」だの「人殺しの化け物がいる」だのと騒ぎ立てた。

 九重は咄嗟に自分のコートをアヤメに着せて手足や傷を隠したが、野次馬連中は彼女たちを訝しみ、今すぐここから出ていく様に罵った。


「え、栄一郎……」


 憎悪の束をぶつけられ、アヤメは泣きそうな声で九重に助けを求める。

 だがそんな時、ユリは毅然とした態度で、彼女らを嫌悪する視線に立ち向かった。


「私たちがMGですって?化け物ですって?馬鹿馬鹿しいわね、どこからどう見たって人間でしょう!」


 その一声に野次馬たちは一瞬怯む。だがユリはお構いなしに続けた。


「ここで起きたのはただの喧嘩。友達と喧嘩していただけ!それ以上でも以下でもないわ!あんたたちみたいなのにとやかく言われる筋合いはないのよ!」


 ぴしゃりと言い放つと、ユリは震えるアヤメの腕を掴み、にっこり笑った。


「行きましょう、アヤメちゃん」

「あ……うん……」


 小柄で気品あふれる少女は、胸を張って人々の間を通っていった。そんな姿が、アヤメにはなんだかとても眩しく見えた。

 ――自分には殺し合いしかできない。戦うためだけに作られた存在。きっと、世界が私を見る時の目は野次馬たちの様なんだろう。彼らの言う通り、私は化け物なのだろう。


 でもユリはそうじゃなくて、私を守ってくれた。

ついさっき殺し合いを繰り広げた相手が、今度は自分を襲う悪意を遮ってくれた。それも、友達だ、なんてまで言って。

 ――あんただってMGじゃない、とも思ったけど、嬉しかった。


「――それにあんた、好きになったって言っときながら栄一郎を殺そうとしてたじゃんか?」

「それなんだけどね、あれは私の惚れ癖と暗殺用プロトコルが変に噛み合っちゃってたみたいなの。だから走ってた暗殺プロトコルと機能は全部停止させたわ」

「……そんなこと出来るの?アタシは戦闘用プロトコルを止められないけど」

「伊達に電子戦が得意な訳じゃないわ。ある程度のプログラムや機能を改変する権限が認められているのよ、仕事が多い斥候型はね。アヤメちゃんみたいな戦闘馬鹿は、戦う意外にやることがないから消せないんでしょうけど」


 けらけらと笑いながら、ユリはおどけて見せる。アヤメはわなわなと震えると、ユリを追い掛け回した。きゃっきゃっと声を挙げながら追いかけっこをする二人は、じゃれ合う子猫の様である。


「あと私は、好きになった男を殺したことなんか無いのよ?今までに惚れたのは九重さんだけ。殺したのは、私を襲って貪ろうとする下品な方だけ」

「……そうか」


 九重の脳裏に、昨晩の出来事がよぎる。血の海で無邪気に笑うユリと、血まみれになっても必死に戦い続けるアヤメ。MGらしさと、人間らしさ。

 得るものが多いはずだ、とアヤメに言い聞かせたが、その実自分の方が考えてばかりいた。

 だがそうしていると決意が揺らぎそうになり、すぐに考えるのを止め、無心になって歩き続ける。どうせ考えても答えの出る話ではない、と自分に言い聞かせた。


 やがて日も傾きかけた頃、彼らの拠点にたどり着いた。昨日の昼間と変わらず、テントが張ってある。

 外のテーブルには大河峰が座っており、彼らを迎え入れた。一昨日ここに担ぎ込まれた時よりも、大分血色が良くなっている。


「よう、お帰り」

「なんだ、やっぱりちゃんと待っていてくれたんじゃないか。怪我の様子も随分調子よさそうだ。MGの手術キットはすごいよな、俺も良く分かる」

 九重は笑顔で話しかけた。大河峰は不貞腐れ、顔をそむけてしまう。


「ふん、ここを離れてもやることがねえから待っててやったんだよ、おっさん」

「そうかい」

「しっかし、しばらくぶりに太陽を拝んだ気がするぜ。そうそうあることじゃねえ、目に焼き付けておかねえとな」

「太陽がそんなに貴重なものかね?もう嫌って言うほど毎日照っているが」

「……俺は地下の住人だからな。それより……もう一人知らねえガキが増えてるじゃねえか」


 テーブルの上で腕を組み、ふんぞり返りながらユリを見た。

 自分のことだと気付いた彼女は、うやうやしくスカートの裾を持ち上げ、ぺこりと頭を下げる。一つ一つの仕草が、やけに大人びて見えた。


「初めまして、ごきげんよう。私はMGのユリと申します」

「MGだあ!?おい、どういうことだよおっさん、何でここにまたMGが……!」

 不遜な態度はどこへやら、驚き慌てた様子で大河峰は尋ねる。九重は努めて平然としながら煙草に火をつけ、「まあ色々とな」とだけ答えた。


「色々ってなんだよ!こいつも人格を取り戻したMGだっていうのか!?」

「ああそうだ」

「なんだそりゃ……!」


 MGに囲まれても平気な顔をしている九重に、大河峰はすっかり呆れた。

 無理もない。世間一般でいう所の殺戮兵器が、今こうして目の前にいるのにも関わらず、それが当然のように過ごしているのだから。

 ユリは大河峰の顔をしげしげと見つめると、小さくため息をついて呟いた。


「意外とあなた……カッコいい男ね……」

「はあ?」


 アヤメは素っ頓狂な声を上げると、横目でユリを見る。彼女は恍惚の表情を浮かべ、頬に手を当てながらてうっとりとしていた。


「若いのに戦渦に巻き込まれて影の道に走った……悪党だけど燃える様な想いがある……そんな雰囲気が伝わってくる!しびれるわ……!」

「あんた……男ならだれでもいいの?」

「そんなことないわ!でも、私の劣情を刺激するのはやっぱりハードボイルドな男か、痺れる様な影のある男なのよ!」


 ユリは力強く、随分と熱のこもった調子で雄弁を振るう。先程までのおしとやかな雰囲気はすっかり鳴りを潜めている。

 急にユリから好意を向けられた大河峰は、思わず九重の方へ助けを求める様に見た。だが彼はかぶりを振るだけだった。

 大河峰は呆れたように溜息をつくと、また腕を組んで踏ん反りかえる。


「ユリって言ったか。悪りぃがな、俺はMGに興味はねえんだ。ってかお前らみたいなのは薄気味悪いって思ってる位なんだわ」

「そんなつれないこと言わないでよ。生身の女には出来ないことが、私なら出来るわ」

「それにな、悪党なのは確かだが、別に燃える思いなんて持ってねえ。ついでにガキにも興味がねぇ。胸でもでかくして、大人になってから出直して来な」

「体に関しちゃ、俺もそう思う」


 九重は煙草を吹かしながら同意を示す。吐き出した紫煙が風に流され空に溶けていった。


「まあ酷いわ。女はいつだって女なのよ?年なんて関係ないわ」

「それはアタシも同感だね!」


 薄い胸をこれでもかと言わんばかりに突き出し、アヤメがずいと前へ進み出る。だが悲しいかな、僅かなふくらみ以外に何も突き出るものは無かった。

 ユリもまたそれにならい、アヤメ以上に自信満々に胸を突き出して見せる。だがアヤメと同じ位、胸元は平らなままだった。


「……まあでも、アタシたちは成長を止められているから胸が大きくなることは無いんだけどね。アタシは十五歳の時と変わらない体でずっと生きていくんだ……」


 しょんぼりとした様子で、アヤメは自分の薄い胸を撫でた。見事なまでに、ぺったんこである。


「まあその時は、小さなお胸が好きな方とくっつけばいいじゃない。私は可愛らしい胸だと思うけど?」

「あっ、ちょっ!勝手に胸を触るなー!」


 ユリはにやにやと笑いながらアヤメの胸に手を伸ばす。

 揉みしだこうとするが、薄い胸はこれっぽっちも指の合間にかからなかった。


「……やっぱり、ちっちゃいと掴めないわね」

「~~っ!あんただって同じだって言ってるでしょーがー!」

「いいえ、私の方が僅かに大きいと思うわよ?」

「嘘付け!まな板そのまんまだよ!」


 そんな様子を見て、九重は思わず吹き出す。


「二人とも大差ないじゃないか。ぺったんこのまんまだ」

「いくら栄一郎だって、胸の事馬鹿にしたら怒るよ!」

「ええ、そうですわ」


 二人の少女は示し合せたかのように九重を睨む。それが何故かやけに可笑しく、九重はいよいよ声を上げて笑ってしまった。


「はっはっは!すまんすまん。……さて、二人の仲が進展したところで、仕事の話に戻ろうか」

 九重はコートの袖からケーブルを取り出し、大河峰に繋ぐように促す。


「質の悪い通信は嫌なんじゃなかったのかよ?」

「四の五の言っていても仕方あるまい。ほら、繋ぐぞ」

 大河峰は振り向き、後頭部のケーブル接続口を見せた。

 闇医者に取り付けてもらったのであろうその接続口はすっかり緩み、今にも外れそうだった。しかし構わず、九重はケーブルを挿入する。


 直後、大河峰の脳内には血濡れで倒れる太田の亡骸の画像が映し出された。

 脂ぎった顔は砕け散り、醜く太った体には無数の弾痕がある。見るも無残な姿だ。唯一、胸につけていたバッジが、彼が東日本連合の人間であることを示していた。


「随分派手に死んでやがる。あんた結構、過激な殺し方をするんだな」

「殺したのは九重さんじゃないわ。私よ。」


 大河峰は思わずユリの方へ振り返る。

 このロリータファッションに身を包む人形の様な少女に、こんなに凄惨な死体を作れるのか、甚だ疑問だった。だが、彼女がMGであることを思い出すと、その考えを改めた。


「九重さん、きっちり写真は撮ってたのね」

「ああ。お前とあのホテルで話しているときに、こっそりな」

「まあ俺は、太田を潰してくれたら何も言わねえよ。さて、依頼はきっちり果たしてくれたな。……お望み通り、研究所まで案内してやるよ」

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