第8話 Blood Lolita2

 「聞こえるかアヤメ!?緊急事態だ!正体不明のMGに追われている!」


 暗い路地を何本か駆け抜けた頃、九重はアヤメへの通信回線を開く。幸いにも、すぐにアヤメは通信に応じた。


『了解!ずっと見てたから何となく状況は把握しているよ!私の指示に従って移動して!』

「分かった!」


 通信回線を開きっぱなしにしながら、九重は全力で駆ける。体が揺れ動くたびに、光学ウィンドウもまた上下左右に揺れた。

 道端に散らばるゴミをものともせずに踏みつけ、捨てられた家電を飛び越え、路地の奥へ奥へと走る。

 薄いコートは風になびき、まるでマントの様であった。風のような速さで駆ける九重を、路地裏の住民たちは虚ろな目で追いかける。ゴミを啜る鼠や虫は、疾走する九重を見つけるや否や一斉に道を開けた。


 『その先の突き当りを右に!』

 「了解!」


 路地を突き進み、突き当りを右に曲がる。目の前には、また似たようなスラムが広がっていた。

 ふと、駆け出そうとした九重の後方上空のビルに、黒い影が降り立つのが目に入る。だが九重は気にも留めずに、走り出した。

 『十字路、左!そこから真っ直ぐに進んで!』

 九重は返事もせず、勢いよく十字路を曲がる。角にいたホームレスを巻き込みかけ、怒鳴られたが、目もくれずひたすらに走る。


 『突き当りにさっきの広場につながる門があるから、そこを乗り越えて!』

 真っ直ぐな道の遥か向こう側に、小さな鉄の門があるのを認めると、九重は更に勢いをつけて走った。力強く地面を踏みしめる度に、体が沈んでいったかと思うと、次の瞬間には地面から射出される様な感覚にとらわれる。両腕を振りぬき、さらに速度を高める。

 門まであと僅かとなったその時、後方から重い銃声が鳴り響いた。一瞬遅れて、走り抜ける九重の耳を銃弾が掠め、焼ける様な刺激が走る。空気を切り裂く音が彼の心臓を凍らせた。


 「くそっ……!追いついてきやがった!」

 ユリがやってきたのだ。だがもはや、止まるという選択肢はない。九重はがむしゃらに門へと走る。

 「楽しいわね、愛を確かめる追いかけっこって!」

 ユリは舌なめずりをしながら、九重の後姿を見据えると、勢いよく駆けだした。普通の少女のそれと全く見た目は変わらない足にもかかわらず、すさまじい速度で九重との距離を縮めていく。

 二人の距離が近づくにつれ、今度は壁を蹴り、その勢いで反対側の壁に飛び移ったかと思うと、また壁を蹴って九重の背後に迫るのだった。


 九重は後ろを振り向くことは無かったが、敵が尋常ではない動きをしていることを耳で察知した。それが余計に彼の恐怖心を煽り、故に足はさらに前へ前へと進んでいく。

 遂に路地の突き当り、門が手の届く距離まできた時、九重は勢いよく飛び上がった。虚空にコートがはためく。

 ようやく門を乗り越えた、その瞬間――。


 「愛してるわ、ハードボイルド」


 艶めかしい嬌声と甘い吐息が九重のうなじをなぞる。

 ユリは無数の銃口を携えた右腕を、九重の頭へ追いすがる様に、張り詰めるほどに突き出していた。並べられた銃口から弾丸が飛び出し、今度こそ九重の命を食らおうとする。

 絶頂にも似た感覚を覚えながら、時間が止まった様な気分でその一瞬がやってくるのを眺めていた。

その時。


 「――栄一郎に触れるな、変態女が」


 凛と響く声と共に、人影が九重とユリの間に割って落ちてきた。ユリの放った弾丸は、その人影にすべて命中し、鮮血を鮮やかに散らす。

 「あら、あなたは」

 「アヤメだ!よっく覚えておけよ、この痴女痴女マンめ!」


 九重をかばい、銃弾を受けたアヤメはがなり立てる。白いカーディガンには無数の細かい穴があけられ、そこから血が染み出している。だがアヤメは気にすることなく、左腕のカーディガンの袖から巨大な刀を出現させると、ユリに飛びかかった。

 ユリは驚く様子も見せず、素早く体を屈める。袈裟切りに下ろされた鋭い刃が、薄皮一枚だけユリの頬を切った。


 アヤメの剣戟を最小限の動きで躱して見せたかと思うと、ユリもまた左手を瞬く間に変形させて見せる。鉄で組み上げられた手の平の先にある指は、全てナイフに置き換えられていた。


「失礼しちゃうわ。それにセンスのないあだ名ね」


 至って冷静に言い放つと、刀を振りぬいたアヤメの左脇腹目掛けて五本のナイフを突き立てようとする。だがアヤメは僅かに体を捻ると、右腕を思い切りユリの方へ突き出し、カーディガンに隠れていたライフルの銃身で彼女の頭を思いっきり突き飛ばした。

 その衝撃でユリはよろめき、後ずさる。


 「吹っ飛べ!」


 間髪入れず、アヤメはライフルから銃弾を放つ。肘の排炎口から火炎が吹き上がり、カーディガンはたちまち黒く焦げだす。


 「いったぁい!」


 ユリは怯んだ隙に放たれた弾丸を避けることも出来ず、まともに受けた。右の肩口に根深く食らいこんだ弾丸は、ユリの体内に留まり彼女の再生機構を阻害する。ぼたぼたと真っ赤な血がコンクリートに落ちた。


 「やってくれるじゃないの……」

 ユリの紫色の瞳が怪しく光る。アヤメは躊躇することなく再度突進し、刀を突き出した。しかしユリは左手のナイフ指でそれをいなし、刀を弾き飛ばす。

 すぐさまアヤメは刀を弾き飛ばされた勢いを生かし、そのまま一回転しながら切払いを繰り出した。白刃が月の光を返してきらめき、黒い長髪が円の軌跡を描く。


 だがユリはものともせずに身を屈めながら後ろに素早く飛び跳ね、剣戟を回避した。燃える様な赤い髪が数本、はらりと宙を舞う。


「でもとろ臭いのよ、お嬢ちゃん。まだまだ子供ね」

「あんただって、アタシと大して見た目変わらないでしょうに!」


売り言葉に買い言葉だ。

ユリは左手のナイフの内、人差し指にあたる部分を立てて、かちゃかちゃと揺らしながら、不敵に微笑む。


「ウフフッ、私はね、本物のレディなのよ。お子様とは訳が違うの」

「胸無いくせに、どこが!」

「あなただって無いでしょう」

「うっさい!」


 アヤメは激高し、右腕を突き出す。何発も弾丸を放ったが、ユリは壁を蹴り、身を屈め、あるいは空中に翻り、その全てを避けた。


 「私の目当てはあのハードボイルドよ。何でだか知らないけど、あなたみたいな駄犬が傍にいるのが不思議でならないわ」

 「誰が犬だって……!」

 「とにかく、あなたはお呼びではないの。あなたといると興が削がれちゃうわ。それじゃあ、バイバイ」


 怒りに任せて切りかかって来たアヤメを完全に無視し、ユリは路地を挟むビルとビルの壁を交互に蹴っては飛び上り、姿を消した。

 路地に一人残されたアヤメは、ユリが飛び去った方向を悔しげに見つめる。だが、ユリが蹴って壊した壁面の欠片がパラパラと零れ落ちてくるだけだった。


 「……そうだ、栄一郎!」

 アヤメは慌てて九重を逃がした方へ向き直り、鉄の門を飛び越える。

 九重は、広場の真ん中、噴水のすぐそばで仰向けに倒れていた。急いで駆け寄り、顔を覗き込む。


 「栄一郎!大丈夫!?怪我は無い!?」

 「ああ、何とかな……」

 全速力で走り続けたからだろう、ひどく乱れた呼吸を見せている。ユリの放った弾丸が掠めたのか、耳や頬、肩から出血している。しかし幸いにも目立って大きな怪我は見当たらなかった。


 「あの痴女痴女マンは追っ払ったよ。任務も達成したんだから、帰ろう」

 「いや、そういう訳にはいかないだろう……。あの痴女痴女……ユリは、すぐにでもまた俺を襲ってくるぞ。今夜を共に過ごそうとか何とか言っていたからな」

 九重は呼吸を落ち着かせようとしながらも、言葉をつなぐ。


 「栄一郎がホテルを見張っているときにジャミングの発信源を探っていたけど、あのホテルから強い反応があったよ。で、あの痴女痴女マンと交戦開始してから一切ジャミングが無くなった」

 「多分、電子戦と白兵戦を切り分けて戦うんだろう。ジャミングをしている時は、戦闘用にエネルギーを回せないだとうからな。戦闘自体も手数で攪乱するスタイルがメインのはずだ。お前みたいなタイプとは正反対だな」


 九重は震える手で、コートの内ポケットから煙草を取り出し、すっかり乾いた口にくわえた。

 だが、反対側の胸ポケットに入れていたライターが無くなっていることに気付き、煙草を元に戻す。しかし震える手ではうまく元に戻せず、くしゃりと煙草は折れ曲がった。


 「くそっ、逃げているときに落としたか。……あのMGには恐らくこっちの通信も全部筒抜けになっているはずだ。お前と通信する前は、ルートを滅茶苦茶にして走ってたが、通信回線を開いてから急にこっちを正確に追い詰めてきやがった。つまり俺たちの位置関係も、通信でバレてる。まあこうして直接話す分には問題ないんだろうが」

 九重は苛立たしげにレンガ張りの地面を叩いた。強張った握りこぶしから僅かに血がにじみ出る。


 「おまけに、あの痴女痴女マンは逃げちゃったから見つけられないしね。ジャミングを張られちゃ通信できないし、そうでなくても通信の内容は筒抜け。いやらしい女だなあ」

 アヤメは口を尖らせた。ユリに穿たれた銃創は、すっかり綺麗に塞がっている。斥候用のMGが使用する弱装弾であったことが幸いした。


 「嫉妬深い女なんだろう……。とはいえ、ここできっちり潰しておかないと、おちおち家にも帰れん。何とかしないと」

 「そういえば、あの女はどこかの軍属なのかな?」

 「……それなんだが、恐らくそうじゃなさそうだ。アヤメと同じで、部隊をはぐれて人格を取り戻していると思う」

 「えぇっ!……まあ言われてみれば、随分人間臭い喋り方をする奴だなぁとは思ったけど」

 「確かにな。さて、あのMGをとっちめる方法だが、あのすばしっこさだ、動きを止めねばならん。……一つ思いついたことがある。アヤメ、手伝ってくれるか?」


 横になっていた九重は、上半身をゆっくりと起こす。全力で走った体には、言いようのない寒気が走り、鉄臭さが口中に充満していたが、今はそれを気にしている場合ではない。

 「イエス、ボス。とっととやっつけて、家に戻ろう」

 アヤメは立ち上がると、左腕を医療用マニュピレーターに変形させ、九重の腕を引っ張った。

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