第12話

 しばらく呆けていたようだ。シナミゾシカの背中からずり落ちそうになったところを糸子に助けられた。

「ちょっと、どうしたのよ、城戸君」

「ナメオカマスが、志奈溝の子供たちに奪われたってよ」

「はあっ!?」

『あ~、こっちとおんなじ状況でちゅね~大変でちゅね~』

「……随分とわざとらしい物言いだな貴様」

 ナメオカマスが奪われた。しかも、志奈溝町の子供に。まるで俺たちのやっていることの鏡写しじゃないか。

 まさか、あぁ……鏡写し、鏡写しか。もし仮に、全てが鏡写しなのだとしたら。

 俺も糸子も勘は悪くない。おそらくは、段々と真相に気付きつつある。

「おいシナミゾシカ。カバに会うのをやめてここで止まるつもりはないか?」

『あるわけないでちゅ。馬鹿でちゅね~』

「じゃあちょっと質問に答えろ。カバのスペースシップはそのままで動くのか?」

『動かないでちゅ。バッテリーがないらしいでちゅからね』

「お前は壊れたスペースシップの残骸は持っているのか?」

『持ってまちゅよ~』

「それにバッテリーが残っているな?」

『残ってまちゅね~、ただの故障でちゅし。使う機会もなかったでちゅから』

「スペースシップの定員は? 何頭までだ?」

『あたちのと同型なら二頭くらいは余裕でちゅね~』

「……ホームシックを患っていたのは、お前だけじゃなかったんだな」

『いえちゅ。辿り着きまちたね~、愚民のくせによくやりまちた~、褒めてあげまちゅよ~』

 夏の夢は悪い夢だ。信じればこうして裏切られる。激しい虚無感に襲われ、再びシナミゾシカの背中からずり落ちそうになる。そして糸子に助けられた。

「ちょっと」

「悪いな、糸子。伝えることがある」

「結構よ。城戸君の質問を聞いてるだけで全て理解できた」

 マジ頭良いな。

「私は別に構わないわ。滑丘町はなめおかレッドなしでも何とかなるでしょう」

 あれだけ暴れておいてこれだ。末恐ろしい女子小学生である。思わず苦笑してしまう。

 ついに第一関所を飛び越える。シナミゾシカの体長と脚力があれば余裕なのだろう。着地の度に木々がざわめき、コウモリか何かの羽ばたきが聞こえる。地面を眺めてみると、行きに遭遇した猿が怯えた表情で逃げているのが見えた。

 やがて、俺たちが自転車を隠したトイレを通り過ぎ登山道を抜けた。位置的にはまだ町中よりは高台にいる。車道に出ると駅前の様子がよく見渡せた。満遍なく光が灯り、揺らめいている。ここからは遥か遠く耳に届く音はないが、それでも喧騒が聞こえてくるかのようだった。

「でも、城戸君は大丈夫かしら?」

「何の話だろうか」

 ふいにされた質問には脈絡がなかった。けれど、言わんとしていることはわかった。

『ちょっとショートカットしまちゅね~』

 脳みそを揺さぶられたかのようにぐいと高度が上がった。180度全てが夜空。シナミゾシカが跳んだのだ。そして長い長い落下の後に着地。一気に山の麓まで辿り着いた。見ればアスファルトにひびが入っている。ひび程度で済んで運が良いとも言える。

 再び走り出したシナミゾシカ。進行方向は駅前を向いている。

「おい道を間違えていないか。そっちは滑丘町じゃないぞ」

「ナマステーっ! 指摘しなくても良いでしょう!」

 ダンス大会を見物したかった糸子がお怒りの様子。

『合ってまちゅよ。集合場所はダンス大会会場でちゅから。わかりやちゅいでちょ』

「すまん、糸子。合ってるとさ」

 糸子は歓喜の声を上げた。良かったね。

 時折すれ違う志奈溝町民の表情が面白い。どいつもこいつも人前でしてはいけないような顔でこちらを見ている。あんぐりと口を開け、眼は飛びださんばかり、ある者はそのまま卒倒した。もしかしたらシナミゾシカの存在自体知らなかったのかもしれないな。滑丘町にもカバの存在を知らない町民はいる。気の毒に。

 身を震わすドラの音。祭特有の喧騒。安価なスピーカーから響く異国風の音楽。地面の揺れる音。思い出したかのように鳴る笛。様々な音が耳に騒がしい。

 ついに駅前へと辿り着く。駅前広場に設置された巨大なステージ上には、三桁はいるんじゃないかというくらいの人、人、人。それがみな馬鹿みたいに踊り狂っている。地上の人間もみな踊ってしまっており、ステージの見物などしていない。踊れればそれで良いらしい。ステージから商店街の端まではずらっと屋台が並んでいるのだが、その売り子らもみなリズムを取り歌いながら焼きそばやら唐揚げやらをさばいている。ダンスに染められた者共だ。率直に感想を申し上げると、無茶苦茶頭が悪そうである。

「下ろしなさい! ねえ! 今すぐ下ろしなさいシナミゾシカ!」

『……本当に愚かでちゅねえ』

 シナミゾシカが頭を下げると、落下とほとんど変わらないような角度で糸子が地上へ滑り降りていった。そしてそのまま人の海へと去って行く。さらば糸子よ。体には気を付けて。

 駅前にカバの姿はどこにもない。あの巨体でこちらから見えないということはないだろうから、まだ辿り着いていないのか。ここでただ待っているのは辛そうだよな、などと考えていたらシナミゾシカの姿が地上の人間に見つかった。まぁそりゃ見つかる。

「ぎいいやああああっ! な、なんだよあれええっ!」

「シナミゾシカが何で町中まで出てきてるんだ!」

「子供! 子供が乗ってるわ!」

「シナ会の連中連れてこい! 何やってんだよ! 管理体制どうなってんだ!」

「うっひゃひゃひゃすげえでけえカモシカ! さすがインド!」

「盛り上がってきたなあおいみんな踊ろうぜえ!」

「レッツパーリナイ!」

「ナマステぇええええええ!」

 地上は狂乱の様相を呈していた。ここにいるのはダンスに染められた者ばかり、そのまま踊り続けようとする人間が半数以上もいた。驚きである。あとナマステ便利すぎる。

「うぎゃああああああっ! あっちからカバ来るんだけどおおっ!」

 ……あぁ、到着したようだ。

「カバ! すげえでけえカバ! さすがインド!」

「主催マジ頑張ったな! なるほどあいつも踊るのか!」

「レッツパーリナイ!」

「ナマステぇええええええ!」

 カバがどすんどすんと歩く度に地上が揺れた。背中には一人の少女が乗っている。俺と同じように、あちらはシナミゾシカの指示を受けて動いていたのだろう。

『あかんあかん。おっちゃんも年やな。動くとすぐ腰にきよるわ。待たせてすまん』

『良いでちゅよ。さあ、さっさとスペースシップを出しなちゃい。帰りまちゅよ』

『せやな』

「おいカバこら」

『お、城戸くんやんけ。おおきに。カバやで』

 カバが大口を開けてよだれを垂らす。地上では叫び声が鳴り止まない。

「俺たちを騙してたのか」

『せやな。まぁ堪忍してや。わしらも必死やさかいに』

「どうして騙す必要があった」

『え? いや、こうでもせんと協力してくれへんやろ?』

 協力しない? 俺たちがお前に? そんな馬鹿な。

 そう言いたい気持ちはあった。けれどカバには俺の言葉は伝わらないだろうとも思った。

 だから俺はカバの質問には答えず、再び切り出した。

「……また会えるのか」

 俺が言うとカバは笑った。テレパシーは飛んでこなかったが、でかい口を震わせて鳴いていたので、なんとなく、こいつは笑っているんだな、とわかった。

『ないやろ。わしらは二度と地球には戻らん。また同じことになりかねんしな』

「何でだ。地球は居心地が悪かったのか」

『ナメ会の連中、ほんま気色悪かったしな。わかるやろ。もうごめんやで』

 考えてみれば、カバはナメ会に監禁され金を生む機械として利用されていたも同然なのだった。なるほど、気持ちはわからないでもない。

「だったら俺が滑丘町を住みやすい町にする。そうすれば、どうだ?」

『……したら、まぁ、ワンチャンあるかもしれへんな』

『ま、あたちも同上でちゅね~』

 見ればカバの背中に乗る少女も瞳に涙を溜めていた。鏡写しはここも同じだ。向こうから見た俺の顔もきっと同じように映っている。

『おべえええええええっ!』

「うわっ汚えな!」

 カバが何やら小型の機械を口から吐き出した。テレパシーで飛ばす必要なかっただろ今の擬音は。嫌がらせか。

 地上に落ちた瞬間、機械は数十倍にまで膨らむ。これがスペースシップか。カバやシナミゾシカよりもでかい。隣のビルを横に倒せばちょうど同じくらいのサイズだろう。地上の人間は興味深そうにスペースシップを眺めているが、なにぶんカバの口から出てきたものだ。気色悪くて誰も近寄ろうとしない。

 ふいにシナミゾシカの体が僅かに揺れ、

『愚民。おりてそれを付けなちゃい』

 という声。続いて、シナミゾシカが尻を落として体を斜めにしやがったので、俺は滑るように地上へと落下した。ふと横を見ると、フラッシュメモリのようなものが落ちている。シナミゾシカの言う『それ』とはこのフラッシュメモリのことだろう。

「いやこれどっから出したんだお前」

『あたちはうんこちまちぇんからね。安心すると良いでちゅ』

 ふざけるな殺すぞ。

 とは思ったものの、俺以外の人間にやらせるのも忍びない。覚悟して俺はフラッシュメモリを拾い上げるとスペースシップへと向かった。

「どこに差すんだ?」

『どこでもええで』

 カバの言葉を不思議に思ったが、とりあえずフラッシュメモリをスペースシップの側面に押しつけてみる。するとなるほど、フラッシュメモリはずぶりとスペースシップに飲み込まれた。

『ご苦労でちゅ』

『おおきにな』

 スペースシップの後部ががぱりと開き、そこへシナミゾシカが入っていく。ちょうどフェリーが車を積み込むのに似ている。シナミゾシカの後へカバも続く。いつの間にか背中の少女は地上へと降りていた。カバはしばらくの間、スペースシップの中からこちらへ尻を見せていたが、やがて積み込み口が閉じ、その姿も見えなくなった。

 駅前が光に充ちる。目を開けていられない。しばらく目蓋をぎゅっと閉じ、再び開くと、あれだけ巨大なスペースシップがどこにも見あたらなかった。空を見上げても、痕跡すら残っていない。夜空にあるのは星だけだった。

 ダンス大会の参加者たちはしばらく呆気にとられていたが、音楽がまだ続いていることに気付くと、再び体を動かし始めた。まるでカバとシナミゾシカがこの場に存在していたのが夢か何かのように思える。俺も仕方ないので踊り始めた。

「ナマステ」

 そう呟いてはみたものの、このナマステがどのナマステなのかは自分でも判然としなかった。

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