第9話

「動きにキレがない。殺すぞ」

 糸子の指導は鬼のようだった。ぶっちゃけダンスの善し悪しとかこの状況でどうでも良いと思うのだが、糸子は妥協を許さなかった。そんな糸子も可愛らしい。ただ、蓮華はぼろぼろ泣いていたし、武史の顔からは一切の表情が抜け落ち「ナマステ……ナマステ……」とぶつぶつ呟いているだけの絡繰り人形になってしまった。指導開始から三日後に俺は四時間かけて糸子を説得し、そこでダンスレッスンは終了となった。カバは『なんや根性ないんやなあ』と言っていた。お前が踊れ。

「そんなら俺やってきますよ! 見ててください! マジバリ本気っすから! あいちょりーっす! ちょりちょりーっす!」

「ええ、ナマステ」

 地獄のレッスンを終えた武史は嬉々として志奈溝町へと戻っていった。糸子の指示でしばらく家に帰れなかったのだ。無理もない。これから数日間、武史はひたすら志奈溝町の交友関係をあたってインドを広める手はずになっている。いや、あいつはホント声だけはでかいからな。適材適所ではあるだろう。

「糸子。映画の上映は通りそうなのか?」

「ええ、父は私の言いなりだから。なんとでもなるわ」

 ひどい言い草だが、都合は良い。

 人は、無料に弱い。タダより怖いものはないとも言うが、ともかくインドダンスを広めるためにはまず興味を持って貰わなければ話にならない。しかし、こちらからどれだけ働きかけたところで立ち止まってくれる人間は数少ないだろう。そこで無料映画だ。インド映画を無料で上映する。しかも一回や二回の騒ぎではない。一週間。そして二十四時間。滑丘駅前に新設された映画館のスクリーンを丸々借り切って、ぶっ続けで有名どころのインド映画を片っ端から上映する。いつでも好きな時間にタダで映画を観られるとなれば、大人も子供もがんがん釣れるに違いない。

『太っ腹やなあ。おっちゃんも驚きやね』

 お前の汗を売って儲けた金があるからな。

 さて、さらに俺たちがダンスレッスンをしていたのにも一応の理由がある。インド映画はとりあえず踊るものだというのは、志奈溝市民も理解できた。では実際に目の当たりにするとどういうものなのか。そこで俺たち滑丘ダンサーズの登場である。

「刮目なさい。これがインドよ」

 不遜なる挨拶から始まるダンス。なんといってもセンターが糸子なのだ。ビジュアルは申し分ないし、ダンス技術は言うまでもない。俺と蓮華の不甲斐なさを補っても余りあるくらいだ。

 しかし本場と圧倒的に違うのは、ダンサーの人数である。本当なら二桁は必要になるところ、たったの三人。しょぼさは否めない。仕方ないからサクラを使うことにした。糸子の町長パワー発動である。倉本さんに頼み込んでそこら辺で暇そうにしている町民を連れて来てもらった。うちの兄貴とか。

「すす、すごい。すごいぃいいガチすぎるぅうう、ここ、これは半端ないぃいいい」

 さすが元ニート。本番やアドリブに弱い。が、まぁサクラは兄貴だけじゃない。その他四人のサクラが十分に俺たちの踊りを盛り上げてくれた。後半はダンスを覚えてきたのか、糸子に睨まれながらも一緒に踊ってくれた。

『なんや、うまいことやっとるみたいやないか。噂はちょいちょい聞くで』

 上滑滝に戻ると、カバに褒められることも増えた。驚くなかれ、全体の指揮はカバが執っているのである。たとえカバの言葉だとしても、一生懸命やっている成果が見えるというのは、やはり嬉しい。

「お前いい奴だなカバ」

『そんなんおっちゃん自分でわかっとるがな』

「最初は殺そうと思ってたのにな。何が起こるかわからないものだ」

 同時並行でダンス大会の準備も進めなければならなかったため、なかなか忙しい日々を送ってはいたが、退屈しがちな夏休みを有意義に過ごせているようで、まぁ割かし悪くない毎日だった。初めは俺たち四人だけで行っていた準備も、次第に大人の協力を得られるようになった。

 カバに会えて良かったと、そんなことまで考えている自分に気付いて、軽く自己嫌悪に陥ったりもした。ゆうてカバだぞあいつ。

 そして、二週間後、大会の三日前。

 インドダンスはマジで流行った。

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