第5話
翌日、夜勤のあいつを町中で見かけてしばらく観察。後遺症のなさそうなことを確認すると、俺は上滑家へと向かった。例の言葉を糸子へ伝えるためだ。
まぁ一応は関係者なので蓮華にも声をかけたのだが、
『行きたいけど、蓮華がいても意味あるのかなあ』
『まぁ意味はないが、来たいなら来れば良い』
『糸子ちゃんをスタンガンでびりびりしちゃうかもしれないし……』
『じゃあ来るな』
ということになった。いやマジであいつ人を殺し損ねた経験から何も学んでいない。
なめおかレッドを売って儲けた金を考えなしにじゃぶじゃぶ使ったのか九龍城みたいになっている上滑家のチャイムを押す。十分ほど待つと、中から糸子が現れた。
「あら城戸君。ナマステ」
「あぁ、おはよう。悪いな、朝早くから」
「ナマステ」
「ごめんナマステ」
糸子のナマステ推しはこちらが応じるまで続く。早い内に折れておいた方が得策だ。経験から学んだ。
「城戸君が一人でうちに来るなんて珍しい。なにかご用?」
「あぁ少し伝言があってな、カバから」
「カバ? ナメオカマスのことかしら?」
「それだ。ナメオカマス。あいつ実は喋れるんだけどな。あいつからお前へ伝言だ」
「ストップ」
突然、糸子が踊り出した。インドダンスだ。美しい。動き自体は珍妙なのに所々でキレが良いのがこいつの踊りの特徴だ。そして最後に「ジュビドゥビババーン」と叫んで停止。
続けて一言。
「それ、どういうこと?」
「経緯は省略するがな、さすが宇宙生物、テレパシーを使えるらしい。あぁ、蓮華も証人になる。俺の言葉が信用できないなら、あいつにも確認を取ると良い」
糸子の踊りは気に留めず、俺は会話を繋げる。慣れたものだ。
「ともかく聞け。伝言は短い。『あれは青い汗』だそうだ」
言うと、糸子はあからさまに表情を変えた。目を丸く口を大きくする。
「……ナメオカマスが話せるって、どうやら本当のようね」
「今のでなんの話かわかったのか?」
「ええ。ナエオカマスの言葉が聞けるのはあなただけ?」
「俺と蓮華だけだな。今のところは」
「そう。なら少し待ってて」
糸子が家の中へ引っ込んでいく。俺への対応が乱暴じゃないかとも少し思ったが、俺は待つ男だ。それが好意を抱く相手ならいくらでも待つ。
しばらくして現れた糸子は背中にリュックを背負っていた。登山にでも使うような巨大なやつだ。
「これ、この前インドで買ってきたのよ」
リュックサックくらい日本でも売っているだろうとは口が裂けても言えなかった。
「じゃ、城戸君。悪いけど、一緒にナメオカマスのところまで付いてきて」
「お、おぉ。そ、そりゃあもちろん」
なんと。カバの言葉通りだ。これから俺は糸子と二人きりで行動できるらしいぞ。
――あいつもなかなかやるじゃないか。ひとまず殺すのは待ってやろう。俺にとって有益だからな。俺と糸子が結ばれるまでいいように使ってやる。
ちらと糸子へ視線を送る。
「……つまり……志奈溝の連中は……私たちと同じように……」
まぁ、あまりデートらしくは見えないが。この際よしとしようじゃないか。
糸子はそのままぶつぶつと呟きながら、ガレージの方へ去って行く。再び現れた糸子は自転車を引いていた。俺のママチャリとは形状からして違う。ロードだ。こいつはどこを目指しているんだろう。
俺も自転車のロックを外しサドルにまたがると、ふいに呟くのを止めた糸子がこちらを振り向いた。
「あぁ、忘れるといけないから先に言っておくわ」
「なんだ」
あまり感情の読めない表情で糸子は言う。
「城戸くん、ナマステ」
そのナマステはどのナマステなのか。判然としない。
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