第2話
何故に俺はカバを殺そうと志したのか。
そのことを語る前に、まずは俺の想い人の話をしよう。
彼女の名は、上滑糸子。6年2組所属、出席番号9番。町長の娘だ。俺が1組なので、クラスは隣。授業を共に受けられない。悲しい。
糸子のどこに惚れたのかと問われれば答えるのが難しいところだが、ただ、彼女がダンスを踊る姿は美しい。彼女はここのところインド映画にはまっているのだ。挨拶は全て「ナマステ」。朝会えばナマステ。別れの挨拶ナマステ。お礼を言うときナマステ。謝罪するときナマステ。ナマステ便利すぎるだろ。
糸子とは共通の友人が何人かいるので、接する機会は案外と多い。例えば、俺たちがカバを発見した時。あの時も俺と糸子は共通の友人を介して共に行動していた。名瀬蓮華と東郷武史というのだが、ひとまずあいつらのことは置いておこう。ともかく俺たちは上滑滝へ探検へ出かけ、そこでカバを発見したのだ。
話は変わるが、赤い水を飲んで失禁した人間がいた、というのを覚えているだろうか。
あれは俺だ。
巨大なカバ、そして赤い水を発見した俺たちは大層驚いた。そして興味をそそられたのだ。この赤い水は何味なのだろう、と。そうなればいてもたってもいられない。全力少年。俺たちはみな赤い水を飲んだ。そして感涙した。俺だけはさらにそこから失禁した。
想像できるか。好いた相手の前で失禁する男の気持ちが。違和感を覚えた時にはもう遅かった。ぽつぽつと短パンの裾から黄色い液体が垂れ始めていた。そこで我慢していれば良いものを、俺は動揺してしまって膀胱を制御するどころか解放へと誘ってしまった。噴射である。プシャーッ! 糸子の呟いた「ガンジス川」という言葉が一番辛かった。
頭の中が真っ白になり、気付けば俺は自宅でシャワーを浴びていた。そして、ようやく思考が働き始めた。俺の失態の原因はなんだ? 俺が糸子の前で失禁してしまったのは、何のせいだ? 決まっているだろう。あの赤い水を飲んだせいだ。しかしその時はまだ赤い水の正体を知らなかった。怒りをぶつける先がなかったのだ。
赤い水がカバの汗によるものだと知ったのは、それから一ヶ月が経った後のことだった。その頃にはもう『町内ナメオカマス保護の会』、通称・ナメ会によって上滑滝が封鎖されていた。
それでも俺は思いだした。怒りを。この身に受けた羞恥を。全てはカバの汗が原因だったのである。カバが汗を分泌したからこそ俺は失禁に至った。
カバを殺そう。俺は誓った。
しかし、事態は一筋縄にはいかなかった。
まず、ナメ会の連中がカバに会うのを妨害してくる。上滑滝へ向かうルートは三つほどあるのだが、どのルートにも途中に関所が置かれ、ナメ会の人間が常駐しているのだ。奴らの許可なしには通ることができない。関所を避けて通ろうとすれば必然と森の中を進むことになるのだが、こまめにトラップが仕掛けられており、引っかかるとガラガラ音が鳴りナメ会の連中が飛び出してくる。俺は五回捕まった。運良くトラップを回避しても、結局は森の中で方向感覚を失い、迷子になる。俺は三回保護された。カバに会うには、どうしてもナメ会の許可を得る必要があった。
もう一つの問題は、カバを仕留める方法である。ただでさえカバは強い。でかいし速い。ユーチューブで観た。無茶苦茶速かった。哺乳類で二番目に強いらしい。だというのに、しかも奴は通常のカバでなく、ナメオカマス。通常の3倍である。汗で赤いし。男子小学生ではまともにやったら勝てない。どうすれば奴を仕留めることができるのか? そう、バズーカが必要だった。
しかしバズーカは高かった。月額千円の小遣いでは買えるはずがなかった。あと購入経路もなかった。俺は代用品をたてることにした。ちょうど打ち上げ花火の筒の形状がバズーカに似ていることに気付いた。火力もある。これはいける。妙案だった。俺は打ち上げ花火の3号玉を購入した。筒は夏休みの自由研究で作った。
話を戻して、ナメ会の許可を得る方法についてだ。カバ殺害を誓ってから半年が経っても、俺は口実を思いつかなかった。そもそも俺はナメ会の連中にマークされている。面と向かっても言われた。「ナメオカマス殺したらお前も殺すよ」。割と目がマジだったのでびびった。
だから俺はプライドを捨てることにした。コネだ。コネを使うのだ。先ほど登場した糸子との共通の友人、名瀬蓮華。彼女の父親が町内会の副会長を務めており、ついでにナメ会の会長も務めている。これを利用しない手はない。正直、初めからそうしておけば良かった。
俺は蓮華に土下座して頼み込んだ。「お願いします。今後、卒業まで給食のデザートは全て蓮華さまに献上します。ナメ会の連中に泡を吹かせてやってください」。蓮華は答えた。「そんなのしなくてもいいよお……面を上げてよお……」。ちょろかった。
かくして俺は上滑滝へ向かう手段を手に入れた。武器も手に入れた。
あとは決行するだけである。
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