Ⅱ 大佐

 僕たちをひきいる大佐は老剣豪で、最も危険なところへ突進しようとする命知らずなことで有名だった。


 大佐は落とし穴を掘る作戦を始めた。油断した敵兵が落ちると、鉄条網てつじょうもうからめ取られて不名誉な死をげるのだ。

 工兵たちは一晩中堀り続け、落とし穴を強化した。そして朝にはその方角から、喧騒けんそうと何者かが言い争うような声が聞こえてきた。


「そらきた!」

 僕たちの恐るべき大佐がテントから飛び出した。


「お前ら、始まったぞ! さあ連中に突撃だ。私に続け、勇敢な獅子ししたちよ!」

 獅子ししたちは叫ぶ。

万歳ウラー!」


 僕たちは大佐に続いて走り出した。それは敵を押し返そうとしている最前列の兵士たちの勇気を爆発的に高めた。

 前方からは恐ろしい悲鳴やうめき声が聞こえ、それが僕たちの気分を更に高揚こうようさせた。


 数分後、落とし穴の側まで駆けつけたとき、高まった僕たちの興奮に冷水が浴びせられた。穴の底では多くの味方の兵士たちが、もがき、悪態をついていたのだから。


「敵はどこだ?」

 サーベルを振り上げ、周りを見回して恐るべき大佐がたずねた。

「敵ってなんのことです?」

 穴から顔を出した、傷だらけの人物が驚いた様子で言った。敵なんてどこにも居なかったのだ。


「なら、この騒ぎは何だ? なぜ騒いでいた?」

「仲間の工兵が一人、穴に落ちたんです。それから、俺たちにあんたらの無茶苦茶な突撃が始まったんです。後ろに立っていた奴らに押されて、穴の近くの俺達が落ちたんだ」


 これが僕たちにとって初めての流血事件だった。

 もちろん似たような事件もいくつか判明したのだけど、ただ軍が勇敢過ぎる事が原因で起きたことなので、誰も特に嘆いたりはしていなかった。


 二つ目の事件は本当の戦闘だった。砲撃し、突撃し、白兵戦が起きた。

 偵察兵から、こちらから約四キロのところに塹壕ざんごうで守られた砲兵陣地が築かれたと報告があったのだ。


「勇敢なわしたちよ!」

 即座に剣豪大佐が叫ぶ。

「私に続け! 奴らが準備を整える前に疾風はやてのように襲撃する!」


 その勇敢な大佐は、最も臆病おくびょう物静ものしずかな兵士たちの勇気さえも呼び起こすことの出来る男だ。

 「万歳ウラー!」という叫び声とともに、全員が彼の後に続いて駆け出し、彼はまさに死の化身となって何か非常に英雄的な叫び声を発する。


 実際、敵に飛びかかった僕たちは奇襲に成功した。

 砲火に支援された僕たちは、塹壕ざんごうを超えて砲兵陣地へと斬り込んだ。そして敵守備隊との血みどろの白兵戦が始まった。けど、十分後に僕たちは気付いた。この砲兵陣地は味方のもので、大砲も、もちろん兵士たちも味方だったということに。


 兵士たちのどよめきの声は、中々なかなか静まることはなかった。

 大佐は兵士たちの死に、少しの涙すら見せることは無かった。


 ただこんなセリフが僕の耳には聞こえてきた。

「こんな素晴らしい戦いが無駄になってしまった」

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