4-2 中立都市
警告無しの急停車に、アルベルトの体は前に押された。シートベルトが食い込み、止まる。だがその反動でシートに頭を打ち付けた。
いつ来るかと歯を食いしばって待っていたため、発進時ほどの衝撃ではなかった。
シートはちゃんと使えるというのは本当らしい。
「降りてくれる? 後は歩くから」
キリは自分で停車するタイミングも分かっているし、ハンドルを握って耐えることも出来る。ダメージはアルベルトほどには大きくはないだろう。
「常識以前に同乗者の安全を考えてもらおうか」
カゲロウのように揺らめき消えてゆく車体を後ろに見ながら、アルベルトは低い声で抗議する。
「ちゃんと考えてるわよ。あの速度なら狙撃されないし、地雷踏んだって大丈夫なように作ってあるわ」
「そういう危険じゃなくてだな……」
それからマルスまでの数キロ間、アルベルトはあの速度では道を外す危険性が高いことや、対向車が来たとき避けきれないことを散々に力説させられる羽目になった。
もっとも、キリは自らの華麗なドライビングテクで回避可能だと譲らなかった。
ようやくぶつかった大きな街道は、先ほどまでの山道とは違う。所々めくれ上がっているものの、アスファルトで舗装されている大きなものだ。そこを、数トン積載のトラックが二分に一台くらいの割合で行き違っている。
かなり割合は少ないが、馬で往来しようとする者も存在した。
今現在、十時五十分。さっきの道には四十分ぐらいいたことになるが、すれ違った者は一人もいない。軍のいるところには、特別な用事でもない限り行きたくないということだろう。
この街道は、ちょうどバジルスタンとモブロフの国境線の北部と中部を分ける線になっている。
今回、アルベルトたちが戦っているのは北部戦線である。
このマルスの他に、もう一つ中立都市がある。国境線の中部と南部を別けるところだ。これら二つの都市を結んだ線を中心線とした幅数キロの圏内に、『真の』中立地帯がもうけられている。
なぜかと言えば、この二都市で両国間の交通が途絶すればバジルスタンもモブロフも経済的に立ちゆかなくなってしまうからである。
また、実戦部隊ではないが中立国による停戦監視団が常駐している。
そのためこれまでの紛争は、常に二都市と二本の交通路を外した地区で行われており、全面衝突にはおちいっていない。
路肩に降り立つと、巨大なコンクリート製の壁が山と山の間に構築されているのが分かる。そして、道路を吸い込むように開くゲートには、モブロフ側からマルスへの入り口だと示す標識が見える。いつもならアルベルトたちが立っているこの場所は『モブロフ側』なのだ。
そこにはカーキ色の制服を着た兵士が立っている。マルスのタウンガードである。
入るトラックは止められ、通行税を徴収されている。
横には小さなゲートがあり、こちらでも荷物を積んだ馬で乗り入れようとする者から税金を取っているのがうかがえる。
もっとも、手荷物検査のようなものは行われていない。
この辺りは両国の権力の狭間である。危険な物はどちらかの国で差し止められる。ここは単に物資を流すだけでいいのだ。
キリについていく形で、アルベルトはゲートに向かった。だが、キリはゲート前で止まる。
「アル、先に行って」
その前には、こちらを睨むタウンガードがいる。身分がしっかりしているのはアルベルトの方だ。
アルベルトはタウンガードの前に進み出て、軍隊手帳を取り出した。受け取ったのは、二十代前半ぐらいの若者である。軍服も貴こなれているようには見えない。
「バジルスタン軍の者だ。こちらは連れの者。通行を許可していただきたい」
「入る前に一応警告しておく。このマルス市内において軍人同士のいさかいがあった場合、タウンガードが止めに入る場合がある。仮に死傷者が出たとしても、マルス市は責任を問われないことになっている」
「知っている」
両腕を上げ、ボディチェックを受けながらアルベルトはため息混じりに言う。これは軍でも言われたことであるし、マルスに入るたびに言われることでもある。軍人に対して、マルスは厳しいのである。
もっとも、危険なのは敵方の軍人だけではない。大通りから離れた市の外れに行くと、治安は非常に不安定だ。特に鉱物資源があるわけでもなく、産業もない。両国の交易頼りの市政を行っている限り、あぶれる人も少なからず現れる。
両国の国境紛争に巻き込まれ、難民化して入り込んだ者の生活はかなり厳しいと聞く。そこまではタウンガードの手も及んでいないという話だ。
「通行料は、二人だと……」
「あいつのボディチェックは勘弁してもらえないかな?」
と、アルベルトは指示された料金よりも多めの紙幣を手に握らせる。
「おい」
と、兵士はキリの方へ向かった同僚を呼び戻した。いくつか言葉を交わした後、行けと言う風に手で壁の内を差した。
アルベルトは頭を下げると、キリに声をかけ市内へと入った。
大通りの両側に立ち並ぶのは、トラック運転手に食品を提供する売店が主だ。
中には大きな倉庫を備えたビルも建っている。両国からの物資を集めて、それぞれの国籍の運転手に国境を越えさせないよう配慮している運送会社である。
この一等地に属する部分に沿っていけば、輸入品が国内価格よりも安く手に入るというメリットはある。
「で、目的地は?」
「こっち」
キリは迷うことなく一本目の路地を右に曲がり、わざわざ脇へと入っていく。
「ブラックマーケットでも回るつもりか?」
「図書館よ、行くのは」
「字は書けないが読めるんだったな」
「図書館は、ただの待ち合わせ場所!」
わざわざ振り返り、鼻先に指を突きつけ強い語調で言い放つ。
字のことはかなり気にしているらしい。人のことはからかう割に、現金なものだとアルベルトは思う。それとも、戦士として弱点をさらしたくないとでもいうのだろうか。
数ブロック進んだだけで、市街の様相は一変する。
立ち並ぶ建造物の階数が三階建ては皆無となり、平屋か二階建てとなる。
それらの中にも店はあるのだが、表通りに比べればこじんまりとしてくる。もっと治安のよく集客力のある通りへと、有望な店は行くのだろう。
出店にしても、仮設の屋根を作り、敷物の上に何かを並べてあるものがほとんどだ。
道も、馬すら通れるかどうか分からない程度にまで狭くなっている箇所すらある。
そんな通りをキリは歩き続ける。
「図書館っていうのは大通りにあるんじゃないのか?」
「裏手に回るには、表から行くよりこっちの方が早いの」
こう返されては仕方なく、アルベルトは周りを用心しながら歩く。
もっとも、戦闘能力においては素手のアルベルトよりもキリの方が高いだろうが。
ただ、この市場にも人はいないわけではない。指輪などの装飾品を見る限り、金持ちに見える客も一人や二人ではない。
売り物は食料品のように日持ちしない物ではなく、日用品や骨董品のような物がほとんどである。それらの中に掘り出し物があるということなのだろう。例えば、盗品のような物も。
実際、売り手は薄汚れた格好をしているものの、積極的に売り声を出すわけでない。むしろ顔を伏せて、黙って座っている。どうも人相を見られまいとしているようだ。
どのみち、関わりあいにならない方がいいだろう。
しばらく行くと、商人たちの姿もまばらになってきた。どうやら治安が維持されている地域、公共機関である図書館に近づいたようである。
遠くの方に、白塗りで四角く幅の広い塔のような物が見える。城のような外観を持つそれが図書館なのだろう。
周りにはブロック塀があるのが分かる。その上には、中がのぞける金属製のフェンスがある。もっとも、アルベルトたちが向かう方向には窓がないため、建物内部の様子までは分からなかったが。
「いた」
キリが短く声を発する。
アルベルトは目をこらすと、塀際に一人の男を発見する。お目当ての人物は彼らしい。アルベルトもよく知る、白いローブのあの男。
「ガロン!」
キリが呼んで手を振ると、ガロンもこちらに気づいたらしく手を上げて応える。
少し前に村に来た、あの商人である。
「ごめんなさい。少し待たせてしまったわね」
「なあに、かまいませんよ。予定の時間まではまだあります。で、同行者っていうのはやっぱり少尉さんでしたか」
鼻の下の髭を人差し指でこすりながら、丸い目を何度か瞬かせてみせる。
「邪魔か? 合流時間さえ言ってもらえれば、俺は別行動を取るが」
「いえいえ、ぜひ少尉さんも来てくださいよ。今回は私のおごりってことで」
気を利かせて言ったつもりだったが、ガロンはアルベルトとキリの手を交互に握ってから、こちらですと先導を始めた。
「お前のおごりじゃなかったんだな?」
「ええ。あたしはおごるって言ったけど、『あたしが』おごるとは言ってないわ」
言われ、アルベルトは少し考える。
主語を抜いた会話だったので、そういう解釈も成り立つのかもしれない。
「あ、それから」
思い出したように、キリ。
「アルが軍人だってことは隠しておいて。あたしも、名前を呼ぶときはレジーナって呼んで欲しいの。分かった?」
「どうして偽名なんて使う必要がある? たかだか飯を食うだけだろうに」
「あたしはここで面倒を起こしたくないだけよ。ガロンも、アルのことは少尉だなんて呼ばないように」
「アル、ですか?」
「アルベルトだ!」
「そうね。アルもそのままじゃ良くないわね。アルフォードと名乗りなさい」
「どうしてそうなる? キ、ええっと、レジーナ。さっきからお前、俺になんか隠してるだろ?」
一方的なセリフに、無駄だと思いながらも一応聞いてみる。
「別に。それから、とっさにしては上出来。その調子でお願いするわ」
さらりと目をそらしたので、キリが何を考えているのかアルベルトには判断がつきかねた。追求しても無駄なのはこれまでの経験則から分かっている。アルベルトはキリと並んでガロンの後に続いた。
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