第四章
4-1 外出許可
「アル。ちょっと付き合ってくれない?」
そうキリが部屋に入ってきたのは、アルベルトがランニング後にシャワーで汗を流し終えて、ベッドに倒れ込んでいたときだった。
キリは迷彩服ではなく、黄色いトレーナー地のフード付きジャンパーに、スリムなジーンズをはいている。同部屋のブレストが口笛を鳴らしたぐらいに珍しい。
アルベルトが腕時計を見ると、十時五分前。
「一体、今度は何の用だ?」
アルベルトは心持ち身構えて答える。キリが付き合ってくれと言うときは大抵、ろくでもない用事であることが多い。一番ひどいのは『信頼できるから』という理由で、キリが入浴中に風呂場の外で窓の下を警備すること。それも、ここに来てから毎日だ。
覗きに来る輩が多いというのも意外なものだが。
「ここから外出したいんだけど、一人じゃダメだって言われたの。だから、アルに来て欲しいと思って」
言いながら、アルベルトの寝ころんでいるベッドに無遠慮に腰掛ける。
「それは俺でなくても良いいだろう? 大体、前線にいる以上、外出許可ってのはすぐ下りるもんじゃない。一応、俺も待機中の身だ」
「それなら大丈夫。ほら」
と、キリは一枚の紙を取り出しヒラヒラとさせてみせる。
「貸せ!」
ひったくるように奪うと、中身に目を通す。
そこには、なぜかアルベルトの名が記されていた。
紛れもなく正規に発行されたアルベルトの外出許可証だった。時間は、本日午前十時から夕方六時まで。連隊長のシュトレーゼン大佐と直接の上官、オズマの署名もある。
「こんなもの、どうやったんだ? 第一、俺は申請なんてしてないぞ」
「オズマさんに頼んだの。目を見ながら手を握って『お願い』って言ったら、すぐに作ってくれたわよ?」
「あの人は」
アルベルトは額に手のひらを当てた。
オズマは中隊では珍しく妻帯者で、その割には女には節操がないことで有名だ。おそらく、中隊の中で外出回数が一番多いのはオズマではないだろうか。その分、性格的に親しみやすいというのはいいことなのだが。
「お前、少佐には気をつけた方がいいからな」
「大丈夫。ベッドで朝まで語り明かそうというお誘いは断ったから」
アルベルトは脱力し、肩を落とした。やはり行動はしていたのだなと。
「それじゃあ、早速行きましょうか。お昼はおごってあげるから。いいわよね?」
「ま、たまにはいいだろう。着替えるから、外で待っててくれないか?」
キリはアルベルトから外出許可証を取り上げると、
「分かった。早くしてよ」
ドアが閉じたのを見計らってから、アルベルトは腰を上げる。
「いいご身分だな。女同伴で外出なんて」
冷やかすブレストを後ろに聞きながら、アルベルトは久々に袖を通す服をトランクから取り出していた。
タンクトップを脱ぎ、シャツを着てから薄い黄色のカッターシャツに袖を通す。赤いネクタイを締めて、大きく横に張り出した襟のある黒い制服を着て、ボタンを上から下まで全部留める。ズボンは今はいている黒いもののままでいい。
ただ、ベルトは上着の上から締め直してバックルについている★のマークを見せなければならない。
黒い長靴に足を通し、紐を締める。あとはこれまた黒く、前から見ると盛り上がったようになっている帽子をかぶれば完了。
これでいっぱしのバジルスタンAWVパイロット、もとい戦車兵である。
「待たせたな」
と、アルベルトは部屋から出、ドア横の壁に背を預けているキリを向いて言った。アルベルトが正装をキリに見せるのは初めてのことである。
キリはあごに手を持って行く。アルベルトは帽子のつばをつかみ、ちゃんと正面に来ているか確認する。
キリはアルベルトの全身をざっと眺めて一言。
「似合わないわね」
「お前は本当に礼儀を知らない奴だな」
実際にそう思っていたとしても、口に出さないか世辞を言うか。普通ならどちらかを選択するだろう。
もっとも、それだけアルベルトを親しい間柄だと認識しているのかもしれないが。
「前の迷彩服の方が格好良かったわよ。第一、軍人だってことをそんなにアピールしてどうするの? 普通の服に着替えてきなさい」
と、アルベルトは部屋に押し戻されてしまい、鼻先でドアは閉められる。
「どうした? いきなり振られたか?」
「よく分からん」
そうぼやきながら、せっかく決めたネクタイから引っ張り崩してゆく。
次に手にしたのは、黒いパンツに濃い緑のシャツとジャンパー。これぐらいがアルベルトの持っている軍人でなさそうな服の限界である。
ドアから仏頂面で出てきたアルベルトに、
「ずいぶんマシになったじゃない」
それだけ言うと、キリは先に歩き出す。アルベルトは肩をすくめてから後に続く。
この村は、最初に来たときと違い陣地化が完了している。村の周囲には鉄条網が幾重にも張り巡らされ、内部には各所に機関銃と機関銃同士をつなぐ連絡壕、そして警備兵用の塹壕も作られている。そのため、四方どこから敵が来ても機関銃で十字砲火を浴びせられるようになっている。
そんな鉄条網の切れ目、木の棒が横倒しにされただけの簡素なゲート付近には歩兵が五名で警備についていた。
「外出を許可されたい」
アルベルトが言い、キリが許可証を見せる。兵士の一人が許可証を手に司令部へ電話をかける。やり取りは一分足らずで終わった。
「お通りください、バース少尉殿、それから……フィレシェット殿」
自分もこの兵士と同じ立場なら、キリにどう声をかけていいのか迷うだろう。そんなことを思いながら、アルベルトは鉄条網の外へ出た。
基地の近くには、中央と端に草の茂る道が、車が行き違いできるように二本、東西に延びている。物資の輸送と進軍には、これで事欠かない。
ここから左、つまりは東に一キロほど行ったところにギースという村がある。この基地のあるカシフ村から逃げた村人も多数いるらしい。
ガロンが持ってくるほど品質のいいものはないが、基地の食事よりましな食事が楽しめる。
また、女も買うことが出来るらしいのだが、キリにとってはまるきり関係のないことだろう。
ちなみにアルベルトたちが来たのは西の方からである。
キリは迷わずそちらへ向かう。
「おい、そっち行っても何もないだろう?」
「あれ? あたしがどこに行くかって言ってなかったっけ?」
「聞いてない」
「そう」
あっさり流したまま、キリはアルベルトを尻目に歩いていく。
「おい、言えよ!」
小走りで追いつき、キリの左肩をつかまえる。
キリは足を止め、首を左に向けアルベルトの目を見ると。
「マルスよ」
「マルス!?」
アルベルトの手を払い、キリは再び歩き出す。
マルスと言えば商業都市だ。規模はギースなどとは比べものにならないほど大きく、ガロンが来ているのもそこからだ。キリが行きたがるのも理解できる。だが。
「お前、マルスがどこにあるのか分かって言ってるのか?」
キリに早足で近づき、肩越しにアルベルトは問う。
この基地が設けられた場所からマルスまで、直線距離にして二十キロ、道なりに行けば三十キロはあるだろう。
徒歩で三十キロの移動など、特殊部隊の訓練でもそれほど頻繁には行われるものではない。しかもそれを往復とは、正気の沙汰ではない。
だが、キリにこのままついて行けばアルベルトも巻き込まれかねることになる。さすがにそれはまずい。
「ちょっと待ってろ。車を借りてくるから」
「足については心配しなくて良いわ」
キリが体ごと振り返ったところは、基地の端から数百メートルのところ。起伏を越えたところなので、基地を直視することはできない。
キリの後ろに、薄い緑の物体が現れ出す。
黒いタイヤに、緑に茶色が混じった迷彩パターンの車体。屋根はなく、右ハンドルの重厚そうな車だ。
ジープ。そういうタイプの四輪駆動車だということはアルベルトにも分かった。だが、バジルスタン軍で使われているタイプとは型が違う。右ハンドルというのも国際的には珍しいだろう。
「日本製のものは非常に重宝するわ。少なくとも、民生品のレベルではね。
中古の小型トラックに機関銃を据え付けたものが、軍の主力だっていう国もたくさんあるくらい。ここがそうでなくてよかったわね」
言って、キリは運転席に乗り込んだ。
「俺が運転しようか?」
アルベルトは助手席に乗り込む前にそう聞いたものの。
「ここについてるハンドルもギアもペダルも、全部ただの飾りよ。ミラーとシートぐらいはちゃんと使えるけど」
「じゃあ、どうやって動かすんだ?」
『
それならアルベルトに出来ることは何もない。アルベルトは素直に助手席に乗り込み、シートベルトを締めた。
「あら? 律儀なのね」
「ドライバーに不安があるからな」
「言ってくれるわね!」
キリが口を閉じ終えたとたん。車体は浮き上がって発進した。
見た目はミッション車なのに何の予備動作もなく急加速したため、アルベルトの首がシートに激しくぶつかる。
実際に何十キロの速度を出しているのかとアルベルトは速度計に目をやったが、二百を指しており声を失う。だが、この速度計も信じられたものではない。
帽子は被ってこなくて正解だったようだ。頭をなでつける風は尋常ではない。もちろん、飛ぶように過ぎてゆく景色も。
キリはと言えば、日を浴びて金に輝く前髪を左右にたなびかせながら、どうにも笑っているように見うけられる。
整備が行き届いていない車道のはずなのに、あまり振動を感じないのはショックアブソーバがいいためなのか。
移動方法の怪しさを抜きにすれば悪くない車だ。この分では、それほど時間もかからずマルスに着くだろう。
腕時計に目をやると、十時十一分。
アルベルトは何か話そうかとも思ったが、カーブを減速なしで突っ込むキリの集中力を無駄に削ぐと命に関わる。停車するまではと、口を開かないことにした。
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