3-3 ポートレート
キリの使う部屋というのは、村ではそりなりに大きな家の一室になる。
正確に言うと家自体はオズマも使用しており、中説司令部も兼ねている。なので、アルベルトも場所は知っている。
当然、玄関には銃を持った歩哨が立っている。
キリはそのまま、アルベルトは手だけ上げて敬礼の代わりとし、中に入る。
向かって左がキリ、右がオズマの部屋であり、正面にある大きなドアの向こうにあるのが中隊司令部、オズマの仕事場である。
兵士に後頭部を見られているような気がしながらも、アルベルトはキリの部屋へと向かう。
これまで何度か部屋に遊びに来ないかと誘われたものの、周りの者への気兼ねから遠慮していた。なので、キリの部屋を見るのは今回が初めてである。
部屋は、それほど変わったようなところはなかった。アルベルトの部屋に置いてあるベッドと同じものには、同じく白いシーツがしかれてある。ただそれだけだ。
早速キリはそこに腰掛け、手紙を読み始める。
ずいぶん殺風景に感じる。私物が全くないのだから。
物置として使われていた風でもないし、食卓があるわけでもない。窓に薄手のカーテンが引いてあるものの、カーテンに黒く影が落ちているのは窓が割れたため何かでふさいでいるからだろう。
床は板張りだ。油が塗ってあるようで光沢がある。
家の規模からすると裕福な家だったはずだが、年季は入っている。歩く場所によって、ギシギシ音を立てるのは仕方ないところだろう。
しかし、物がないというだけなのだろうか、この生活感のなさというものは。
もちろん、飯は別の場所で食べるしキリは服を着替えない。多分、普通の『着替え』とは少し違った概念だと思う。そういう意味では、ここは単に寝る場所という位置づけなのだろう。
人間、どこかに住めばそこを勝手に汚していくものだ。にもかかわらず、この白いシーツのベッドだけが清潔で、浮いて見えるというのはどういうことだろう。
それはそれとして。
「アル。返事書くから準備して」
おもむろにそう言ったキリに、部屋を見回していたアルベルトの目が行く。
読み始めて、一分もかかっていないはずだ。
「何が書いてあったんだ?」
「アルも気になるの? そうよね。人の手紙って気になるものよね」
「言いたくなければいい」
アルベルトは慌てて付け加える。つい先ほど、自分は答えなかったことを思い出したからだ。
「まめな人なの、ハズルさんって。あたしが元気だろうとどうだろうと、大したことじゃないのにね」
「その手紙にはそんなことが書いているのか?」
「そんなことって何よ? せっかく話してあげたのに!」
キリは腕を組み、唇を結んでアルベルトをにらみつける。
「すまない。ハズル氏からのものだ。
てっきり何かの連絡事項だろうと思ったから、意外だと思ったんでな」
「意外と思った、か。
あの人はプーマに入ってから、ずっとあたしの面倒を見てくれたの。あたしにとって、顔も知らない親なんかより大事な人よ」
アルベルトの言い訳を素直に受け入れたらしい。腕をほどいて膝の上に置く。
笑みの戻ったキリの顔を見て、キリにとってハズルがただの指導者ではないということが分かる。
それとも、キリを純粋に切り札として心配しているということなのだろうか。
「あとは、ずっとあたしのことを支援してくれるって。荷物は送ってくれたみたいだけど。どこでひっかかってるのかしら?」
と、小首をかしげた後。
「アル。準備してって言ったでしょ!」
言われ、アルベルトはペンを取り出す。立ったままというのではあまりにも書きにくいが、イスはない。
「なあ、キリ。ベッドに座らせてもらっていいか?」
「どうぞ」
許可をもらってから腰を下ろす。便せんを横に置いて、一枚だけ膝の上に乗せた。
「いいぞ」
と、アルベルトはペンを取り出して便せんの左上に持って行く。
キリは、ポツポツと語り始めた。だが、それは全く軍事的なことではない。しばらく戦闘が無かったため、当然といえば当然なのだが。
考えながら話しているためなのか、それともアルベルトが書きやすいように気を遣っているのか。非常にゆっくりとキリの言葉は進む。
自分が健康であること、食事は毎日取っていること、紅茶に関してはプーマの方がいい香りがしたなど、ごくごく普通のこと。
アルベルトが両親への返信に書こうと思った、無難なことと同じようなレベルだ。
刺激的なことなどがそうそうあるわけでなし、書くとなればこれぐらいのことが限界だろう。
「ところで、アルという軍人と出会いました」
さすがに、『アル』はきちんとしたファーストネームに書き換えておく。
後は、気兼ねなく話せる相手であるとか、助け合える仲間だとか、そういう修飾語のようなものが後ろに続いた。そういう賛美のようなものは、自分で書くだけにくすぐったくなる。
そして、ハズルも元気でという言葉でキリは口を閉じた。
「ちゃんと書けた?」
「ああ。できた」
言いながら、最後に差出人と誰が代筆したかということを書く。
一カ所、ペン先がズボンを突いてしまい穴を開けてしまったが、アルベルトは黙っておいた。インクが乾いたであろう頃に、裏から指でこすって穴をごまかし、封筒に入るように三つに折る。
「じゃあ、あともう一枚頼める?」
「誰にだ?」
次の便せんを膝に置き、ペンを走らせる準備をする。
「ガロンによ」
「あいつに?」
確認のためにキリを見上げるが、キリははっきりとうなずいた。
「あいつに何の用がある?」
「それを今から言うの」
それもそうだと思いながら、ガロンへの宛名を書く。
「今度は、あたしが口にすることを、後からまとめて書いてくれない?」
「どういうことだ?」
「ハズルさんが手紙を託したってことは、信頼できる人だっていうことを知らせてくれたのよ。だから、頼み事をするの。その内容を整理したいから」
「なるほど。そういうことか。だが、俺に話して大丈夫なのか?」
「信用してるから」
「ありがとう」
キリの笑顔を見、アルベルトは内ポケットから手帳を取り出した。
「そうね。まずは。モブロフ軍にいる、フィリップ=ザハロフという人物について調べて欲しいというのが一つ」
「誰だ、そいつは?」
手帳に人名をメモしながら、アルベルトは訊ねる。
「そうね。今は三十五歳ぐらいかしら。モブロフであたしを研究していた博士よ」
「三十代の研究者と。そんなぐらいで分かるのか?」
「分からないはずがないわ。彼は軍で研究してるけど、軍需産業にも雇われていてAWVの開発もやっている有名人よ。彼があたしを狙わせているの」
「そのことなんだが」
と、アルベルトはペンを止める。
「前に、モブロフが軍を動かしてお前を狙っていると言ってたよな? その差し金が、このフィリップって奴なのか?」
「そうよ。彼が動かしたはずよ」
「はず? たかだか博士一人の意見で紛争を起こすなんて考えられないんだが。しかも、目的がお前一人ってのも怪しい」
「でも、事実よ」
アルベルトはキリの目をみつめる。キリはじっと見つめ返し、
ウソはついていない。アルベルトはそう感じた。
確かに、あのAWV部隊の投入され方は常識から考えるとおかしく、キリを狙ってきたと考える方が論理的には正しく思える。しかし。
「どうにも解せないな。
確かにお前は妙な能力を持っている。俺たちバジルスタン軍にとって脅威だったし、プーマにとっては強力な武器だったろう。
今はプーマとのこともあるし、お前に俺たちが手を出すことはないが……。賞金はかけたが、身柄を確保しようなんて考えてもいなかったようだ。
なぜモブロフは戦争を起こしてまでお前を欲しいと思ったんだ?」
「まず……。
バジルスタンは凡人ぞろいだったってことじゃない?」
「なんだと?」
「ごめん!
……冗談よ。そうムキにならないで」
中腰になったアルベルトの膝にキリは手を置き、止めようとする。
しかし、アルベルトは士官学校で国家への忠誠というものを丹念にたたき込まれている。国のトップがそろいもそろって優秀だなどとは思っていはしないが、キリの発言は民族性を馬鹿にしたとも受け取れる。
「バジルスタンは普通の国よ。良くも悪くも、一般的な科学水準でのことしかできないわ。
でもね。彼、フィリップは違うの。何十年も先から迷い込んできたような逸材なのよ。悔しいことにね!」
と、荒く息を出す。アルベルトはキリの持っているなにがしかの遺恨を感じ、矛を収めることにする。咳払いをして座り直し、
「で、その博士がお前を手に入れたらどうなるんだ?」
「研究を続けるでしょうね。あたしがモブロフにいたときと同様に。あたしの物質具現化能力をより一層、自分の研究に取り込むために。例えば、AWVの関節の連動制御法とかね」
「AWVの、関節の連動制御法?」
そのまま口に出してみて、アルベルトは首をひねる。コンドルを普段動かしてはいるものの、そんな単語を聞いたことなどない。
どちらかと言えば、整備の人間が知っていそうな言葉ではある。
「あんまり考えたことないでしょうけど。アル、ちょっと立ってみてくれる?」
「どうした、急に」
「いいから!」
手のひらを上にして上下に動かし急かすキリに、仕方なくアルベルトは付き合う。
「じゃあ、両手を左右に広げてみてくれる? いい感じ。それから、片足で立ってみて。バランス取りながら。ありがとう、アル。もういいわ。座って」
「キリ。お前、俺に何をさせたいんだ?」
手を一回叩いたキリに、眉を寄せて抗議するようなような視線を送ってからアルベルトは腰を下ろす。
「アルは今の動作中、何を考えてた?」
「このふざけた体操に何の意味があるかだ」
語尾を跳ね上げ、怒りの度合いを示してみる。だが、キリはまるで意に介さない。
「そうよね。腕を上げるときにどこの筋肉を動かしてとか、左右にどれだけ重心を移すかとか。そんなこと、いちいち考えなくてもできるでしょう? AWVにも似たような制御法が使われているの。似たような、というよりほぼそのままなんだけど。それがあたしの力の応用よ」
「何を言ってる。それはコンピュータが自動でやってることだろう? 俺たちパイロットが意識してないだけで」
「コンピュータはそこまで賢くないって聞いたわ。AWVを不整地で歩かせるだけで、処理能力も超えるらしいの。
それを解決したのが彼の研究」
断言されるが、アルベルトは腕を組み考える。一応、簡単な整備はできるようにAWVの構造は頭に入っている。その図面を頭で再確認してみたものの。
「俺は細かいところまでは知らないが、背中に組み込まれてるコンピュータでやってるんだろう。
そこから手足の人工筋肉に制御用のコードが伸びていて……」
「いいえ。それは筋肉に始動と終了の信号を伝えるだけ。
AWVに、関節制御のコンピュータなんてついてないの」
「ついてない? じゃあ、AWVはどうやって動いてるって言うんだ?」
鼻で息をふき出すアルベルトに、キリは信じないでしょうけど、と前置きしてから、
「操縦者の脳みそを使っているのよ」
「何を言ってるんだ」
アルベルトは首を左右に振る。よりによって脳を使っているとは。
アルベルトは今まで操縦桿を握ることはあっても、脳にプラグを埋め込んだり電極のようなものを貼り付けた記憶はない。
ヘルメットにしても服にしても、変わったところはないように感じる。実際、この前にキリと共同でモブロフのAWVに対処したとき、普通の歩兵用の迷彩服とヘルメットで戦った。そんな変なことがあるはずはない。
「ねえ、アル。士官学校でAWVの操縦訓練をした人ってどれくらいいた?」
「十名、ぐらいだったが?」
同期のクラス編成を思い出し、そう言う。
「じゃあ、その中で実機を動かせたのってどれくらい?」
「それは……」
アルベルトは言いよどむ。全員が成績も体力も問題なく、シミュレーター訓練も通り抜けた。ところが、訓練用のAWVをまともに立たせることが出来たのは、アルベルトを含めて半数の五名。
そして、歩くところまで移れたのはたったの二名。走行と射撃を同時に出来たのはアルベルトだけだった。
「AWVは、操縦者の無意識のうちの行動予測から情報を得ているの。ただハンドルを握ればいいだけの車と違うのはそこよ。
もちろん、ハンドルを動かさなきゃいけないのは同じ。でも、動かしながらAWVが実際にどう動くかを、自分の中のイメージで補う必要があるの。あたしの能力が使われたのは、脳から離れたところから脳内のイメージを読んで使うってことだって聞いたわ」
キリは目を細くしてぎらつかせ、先を続ける。
「AWVは人を選ぶ。自分の運動神経をどれだけAWVに反映できるかで動かせるかどうかが決まる。どれだけ能力を引き出せるかも」
アルベルトは無言だった。自分だけがAWVを動かせて戦えたのは、自分の操縦能力が優れているからだと、そう思っていた。しかし実際には、運動能力の反映などという技術以外のことであったとは。
「アル、なにをうなだれてるの? AWVを動かせるのは技術の問題だけじゃなかったってことが、そんなにショックだった?」
追い打ちをかけるかのようなキリの言葉に、アルベルトは口を固く結ぶ。
短くキリは息を吐き、
「AWVに乗れるかどうかは先天的なもの。それは事実だわ。
でも、そこから先は本人の技術の問題なの。しかも、アルは数に勝る敵にも勝ってる。それはアルがAWVの操縦者として優れているってことよ。特に戦闘時の動きに関しては、個人の操縦技術が大きな比重を占めてるの。
うまく動かせるかどうかは重要だけど、うまく戦えるかということとは切り離して考えた方がいいわね」
そう言われても、アルベルトはうまく割り切れなかった。これでは、転科を余儀なくされた同期の皆があまりにも不憫でならない。
だが、訓練自体を否定されたわけではない。幸運にもアルベルトには才能があり、訓練でつちかった高い技術力も生きている。
それが分かっただけでも、少しは救いになる。
「これで彼があたしを
「まあ、な」
アルベルトはきつく奥歯をかみしめる。
AWVの発展にキリの能力が役立っているが、その研究に博士の頭脳がどうしても必要だとしたら。博士サイドしかキリを狙う理由はない。
「それで、このフィリップを見つけたらどうするつもりだ?」
「もちろん殺す」
低い声で、確かにキリはそう言った。
あまりにも
「ハズルさんに今回の休戦話は聞いていたわ。
その時、あたしはバジルスタン軍に合流できるように頼んでって言ったの。
モブロフと戦うなら、彼を見つける機会はきっとある」
「そんな目的だったのか」
協力の裏には、互いに得できる何かがある。中途半端にごまかされるよりはよっぽどいい。
「あたしは、もう追われる人生なんて真っ平なのよ。彼の息の根を止めて、安心して寝られるようにすること。
これが、モブロフから逃げ出してからのあたしの願い。うまくバジルスタンとプーマが手を結んだ今が、最大の機会なの」
「なるほど」
アルベルトは手帳を閉じた。AWVの権威ということなら、人相や体つきまでも聞く必要はないだろう。
「そのフィリップの場所を探す、それでいいのか?」
「それから、あたし……フィレシェットが前線にいるということを、モブロフにも流して欲しいということ」
「わざわざ知らせてやるってのか?」
「そうそう」
と、キリは首を縦に振る。
「おびき寄せるのよ。彼はなんでも一人でやりたがるから、絶対前線近くまで出てくるわ。あたしがいることなんて、もう敵には筒抜けだとは思うけどね」
あれだけ目立つことをしていれば当然だと、アルベルトも思う。
「その二つでいいんだな?」
「ええ。フィリップの居場所は出来るだけ詳しくって強調しておいて」
「分かった」
アルベルトは再び手帳を広げ、キリの要求を書く。
問題は、あのガロンにフィリップの居場所を探せるかどうかだ。軍隊の配備状況は公開されないものだ。ましてや重要人物の居場所が、たかだか商人ごときに探り出せるものだろうか。
アルベルトはそんなことを心配しながらも、二通の文書を完成させた。封をして完成させる。
もう一度ガロンのところへ行くと、人だかりはすでになく荷物を荷台へと上げている最中だった。
二通の封筒をガロンに託す。規則上、こういう手段は許されていない。検閲が出来ないからだ。
キリのものなので問題ないのかもしれないが、ややこしい事態は避けたい。幸い、見とがめられることはなかった。
「ありがとう、アル。助かったわ」
キリは少し顔を下に向け、上目遣いにアルベルトを見る。それなりに感謝はしてくれているらしい。
それなら、とアルベルトは切り出す。
「お前に一つ頼みごとがあるんだが」
「何?」
「それは……」
と、アルベルトはキリに内容を告げる。返事は、当然肯定だった。
☆
三日後。
アルベルトは、自分の両親への手紙を書き終えていた。
我々は終始優勢で、この戦いには必ず勝つ、敵の弾は自分をよけて通ってくれるなど、どこの英雄だと笑い飛ばされるような陳腐な文章ができあがる。
だが、親には自分が息災であることさえ伝わればいい。そうアルベルトは考えていた。
あとは。
アルベルトは、一枚の写真を見つめる。
それはゴードンに撮ってもらったもの。食堂に使っている天幕をバックに、ベルト状につながる弾を巻き付けて機関銃を担ぐアルベルトと、その右腕に抱きつくキリ。キリは長い髪だが、迷彩服に狙撃銃を手にしているので、娼婦とは間違えられないだろう。
周りには冷やかすような視線を送る兵士たち。皆、笑顔である。自分には似合わないとアルベルトは思ってはいるが。
コンドルは見せられなくとも、中隊の雰囲気さえ感じてもらえれば。
そう思い、アルベルトは封筒に写真をしまうと、連隊の事務に渡すべく連隊本部へと向かった。
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