3-2 行商人
連隊司令部に着いてから数日が過ぎた。
戦線は膠着し、出番はまるでない。モブロフとは政治的な折衝も続けられているようだが、軍人であるアルベルトたちは完全に置き去りである。
前線での小競り合いは歩兵同士の散発的なもので、グレイゴースト中隊にお呼びはかからなかった。
懸案だった報告書も無事オズマに提出し、緊張感あふれる退屈な前線勤務が続いていた。
そんな中。
「アル。なんか暇」
昼食を終えた後。例によって例のごとく、ベッドに腰掛けるアルベルトの横にキリが立っている。相変わらず迷彩服だ。それ以外の服装をアルベルトは見たことがない。
ちなみに、今アルベルトは戦車兵と同じ黒いズボンと長靴を履いている。上だけはタンクトップで勘弁してもらっているが、本来は上も黒い制服を着用することになっている。AWVのパイロットが、戦車兵の延長扱いだということがここだけでもよく分かる。
どうにも困ったことに、アルベルトとは波長が合うのか何なのか。始終ついて回るのだ。
しかも、ここは個室ではなくブレストとの相部屋だ。さすがに珍しい光景でもなくなったのだが、まだからかわれるネタの一つではある。
その上、兵士からは嫉妬の目線で見られているらしいとジャンから聞かされている。
それはともかく。
アルベルトはため息をつき、膝の上にある折りたたんであった紙を伏せて首を横に向ける。
「頼むから、手紙読む間ぐらいは離れていてくれないか?」
「だって、あたしには手紙なんて来ないし」
「それはお前の都合だろ。俺にも、その、プライベートな時間は必要なんだ」
言いよどんだアルベルトに、背中を向けて寝そべっているブレストから吹き出すような声が聞こえる。
アルベルトは無視して話を続ける。
「前線の連中なんて地面に穴掘ってそこですごしている。いつ撃たれるか分からん中でな。
それに比べたらここはまだマシなところだろうが」
「あたしだってスナイパーなのよ? 命をかけてるときは、暇とかそんなことは頭に浮かばないの。
でも今は別。弾が飛んでこない所よ、ここ」
「なに贅沢を言ってるんだ。向こうの連中はお前を待ってるぞ」
立てた親指で窓の向こう、雑魚寝ですごす兵士たちのいる民家を示してみせる。だが。
「あそこは嫌。ずっと寝てるかトランプばっかりしてるんだもん」
「それだ。トランプに混じってきたらいいだろう?」
頭の後ろに両腕を組み、後ろに倒れ込んでアルベルトはあくび混じりに言う。
「ポーカーとか大富豪とかはやり方が分からないの。仕方ないからババ抜きやってたんだけど、みんなもう嫌だって言うし」
「そりゃ、ずっと同じのやってりゃ飽きるだろうよ。賭けもやりづらい。あいつらのためにルールぐらい覚えてやれよ」
言って、腹筋を使って体を戻す。
「部隊では協調性が大事だ。確かにお前は正規の部隊員ではないが、みんなはそうは思っていない。
混じる気がないなら強要はしないが、みんなの好意は無駄にするな」
それだけ言って、アルベルトは再び手紙を表向けて読み直す。
といっても、この手紙は一週間も前に届いたものだ。読み返した回数など、とうに忘れている。
「ねえ、それってなにが書いてあるの?」
「俺にも秘密の一つや二つぐらいあってもいいだろ? 俺なんかより、あいつらの相手をしてやれ」
あんまりキリをかまってばかりいても進歩がない。さっさと行くよう、手で追い払う仕草をしてみせる。
キリは仕方なさそうに、ドアの方へと歩いていった。
ただ、この手紙には本当に大したことなど書かれていない。
差出人は両親。自分たちが元気にしていること、庭で花が咲いたこと、新聞で戦闘が始まった事を知り不安だということ。そして、アルベルトが無事でいるかと心配しているということ。たったそれだけのことだ。
学生時代は読書を趣味にしていたが、軍に入ってからは読まなくなった。まとまった時間が取れなくなったからだ。代わりに何度も読んでいるのが、この手紙というわけだ。
これの返事を考えているのだが、いい言葉が思い浮かばない。
アルベルトがAWVに乗っていることを両親は知っている。だが、具体的な戦果やら今どこで何をしているのかを書いてしまうと、検閲に引っかかり、手紙は没収されてしまう。
結局のところ、当たり障りのない自分の健康状況や身の回りで起きたこと、命を賭して敵を倒すなどという空威張りな事ぐらいしか、したためることは出来ないのだ。
また、写真にしても重要な兵器が映っていればその場で破棄される。銃ぐらいなら問題はないが、AWVとなれば問題だ。
全くこれで何を書けばいいのかと、アルベルトは天井を見上げる。こういうとき、固っ苦しいというキリの言葉が身にしみて分かる。
そういう当たり障りの無いこと以外で、何か親に見せるべきものは。
少し考え、ふとアルベルトの頭に思い浮かんだことがある。キリとのツーショット写真を同封することだ。
これなら兵器でもないし、キリはフィレシェットとして顔を知られていない。それなら華のある絵を見せることが出来るのではないだろうか。
といっても見た目は子どもなのだが、そこは目をつぶろう。カメラは誰かから借りればいい。
そう思い立ち、兵士たちの宿舎に行こうとしたそのときだった。ドアを開け、キリが再び入ってきたのは。
「アル! ちょっと来て」
おもむろに近づいてきたかと思うと、アルベルトの腕をつかむ。
「なんだ、いきなり」
アルベルトは振りほどこうとしたが、意外とキリの握力は強く苦戦する。
「いいものが来てるの」
「いいもの?」
「そう。早く早く!」
「もしかして、ガロンの奴か?」
起き上がったブレストが後ろから聞いてくる。アルベルトにとっては初耳だ。
「名前は知らないけど、マルスの商人のトラックが来てるの」
「それを先に言え!」
アルベルトは横に手紙を置き、素早く立ち上がる。
マルスというのはここから一番近い中立都市で、交易路として、また両方の国境の軍に物資を売ることで発填している商人の町だ。
だが、よく考えるとどこにトラックが来ているのか分からない。動けないでいる間に、もうブレストは部屋から姿を消していた。
「案内してくれるか?」
話を振ると、キリはうれしそうにうなずいた。
アルベルトはさっそくベッドの下に置いてあった、金属製のトランクを引っ張り出して鍵を開け、中から財布を取り出した。これは中隊が移動時に持ってきてくれたアルベルトの私物だ。
手を引っ張られるという情けない格好で、アルベルトは宿舎を出る。
兵士の宿舎を越え、AWVの格納庫にしてある小屋を過ぎ、AWVを輸送するトラックが止まっているその更に先。広場になっているところに、そのトラックはあった。
タイヤは六輪あり、荷台には
荷台の上で白いローブのようなものを身につけた、口周りに髭を生やした男が、周りに集まった兵士たちになにやらがなり立てている。
ちょうど走ってきた兵士に負けじと、キリは人混みをかき分けて入り、アルベルトも引きづられて続く。前線では皆、定期的に訪れる商人を重宝しているのだ。
例えば、酒にタバコ、お菓子などの嗜好品や、拳銃に双眼鏡といった軍から支給されるものより高性能な物までそろえることが出来る。軍から支払われる給料は、前線待機中は賭博か送金か、こういった商人相手にしか使い道がないのだ。
「どうですどうです、このウォッカ。飲めば火を噴くロシア産。フランスにイタリアのワインもあるよ」
「ラム酒はあるか?」
「へい、もちろん」
そんなやり取りをしながら、紙幣と物資がものすごい早さで交換されてゆく。
荷台の上で呼び込みをやっているのがガロンなのだろう。他の似たような格好の二名は荷台から物を下ろしながら、値段の交渉をやっている。
補給班のジマー伍長が大量の肉を買い込んでいる。これは皆でカンパして集めた金だ。これで数日間は食事の肉の量が増えるだろう。自腹を切るというのも情けない話なのだが。
軍隊とは動く胃袋とはよく言ったものだ。その上、アルコールを燃料として動くひどく効率の悪い機械でもある。
アルベルトもなんとか最前列に出て物色する。
「このリンゴをくれないか?」
まだ青いが、形のいい品を一つ持って言う。いくらか値切り、硬貨で払う。
「食うか?」
キリに渡すと、ようやく手首が解放される。アルベルトは残った赤いあざをさする。一体どんな力で握っていたらこうなるのか。
だがアルベルトは頭を切り替え、コーヒー豆を探す。タンポポや黒豆といった代用コーヒーでは我慢ならないのだ。
「ちゃんとしたコーヒー豆はあるんだろうな?」
「多少値は張りますが……」
と、下の商人が値を告げる。
「一袋で? それは高すぎるだろう。向こうの基地に来た商人はその半額だったぞ?」
「こっちはこれからもっと危険な前線も回るんですよ。その分の危険手当も入ってるんですよ」
「それにしても倍はないだろう。二袋、いや、三袋買うからせめて……」
と、細かい値段の折衝を行い、なんとか満足する値でアルベルトは豆を手に入れることが出来た。
そういう喧噪の中で。
「あれ? どうしてこんなところに女の方がいらっしゃるんです?」
キリを目にしたらしいガロンが、アルベルトの頭越しに聞こえてくる。
「居て悪い?」
「いえいえ。悪いなんてことはないですよ。そうですね。あなたのようなお嬢様なら、この口紅とかいかがでしょう? ほら」
ガロンは口紅の先を出し、キリの手に塗ろうとした。色を見せようとしたのだろうが、手が引っ込められたため空振りに終わる。
「あたしはそういうのには興味ない」
「では、下着などはいかがです? サイズもいろいろ取りそろえておりますよ」
と、下に積まれた段ボールを取り出そうとする。男しかいないところに女性物を持ってきているのは、売春婦も商売相手にしているからだろう。たまに、そういう一団もやってくることがある。
だが、キリが服飾に興味を示すはずもないし、買うこともあり得ないだろう。なにせ、自前で作れるのだから。
「ガロン。こいつにそういうのは必要ないよ」
親切に言ったつもりだったが、ガロンは何を勘違いしたのか、
「まあ、そのサイズだと胸は必要ないかもしれませんが。
それを知っているって事は、少尉殿はそのお嬢さんと深いおつきあいをなさってるんで?」
「そういう意味じゃない!」
アルベルトは即座に否定するものの。
「でも、ここにいるって事は誰かの愛人って事でしょう?」
「違うわ。あたしは純然たる戦力としてここにいるの」
と、薄い胸をめいっぱいに張ってキリは言う。
「ですが、バジルスタン軍が女を取ったなんて話、初耳ですよ。第一、階級章がないでしょう?」
「あたしはバジルスタン軍に合流してはいるけど、プーマなの」
「え? じゃあ、もしかしてお嬢さんがあのフィレシェット!?」
「そう。あたしがキリ=フィレシェット」
「へえ。そうなんですか? この基地にいるとは聞いてましたが、まさかこんな可愛らしいお嬢さんだったとは」
「どう? 恐れ入った?」
キリはますますふんぞり返る。ここまで世辞の効かない相手というのも珍しいだろうと、アルベルトは黙って観察を続ける。
「フィレシェット様には、お預かり物があります。ちょっとお待ちください」
と、ガロンはダンボールをあさりだす。相手の顔も知らずに依頼を受けたとは、商人にしては抜けている。もっとも、ここに来ればキリの場所はすぐにしれるのだが。
やがてガロンが取り出したのは一通の封筒。
「ハズル氏からです」
「え?」
差し出された封筒に、キリは目を丸くする。プーマのトップからというのはさすがに予想外だったのだろう。
「今日、ここに来たのもこの手紙を渡すついでだったんですよ」
「ありがとう」
目を細め、ひったくるように受け取る。
「じゃあ、また後で」
食べ終えたりんごの芯をアルベルトに渡し、キリは人混みから抜け出した。
そこから何歩か離れた家の壁に背を預け、封を破った。その不用心な様子を見かね、アルベルトは側へ寄る。
「キリ、ここはまずいだろう。トップからの手紙だぞ。少しは周りの目も気にしろ」
「そう?」
のんきな返事に、アルベルトはため息をついた。
「大体、あんな商人にまでフィレシェットだっていうことが知れるなんて。
もうちょっと自分のことを考えたらどうだ?」
「どうして? バジルスタンはあたしを追わないんでしょう?」
「それはそうだが」
アルベルトは頬をかいた。
フィレシェットであることが公言されるとは、情勢も変わったものである。まだ
もしこのやりとりがほんの一週間も前に行われていたなら、キリは捕らえられ銃殺されていた可能性が高い。
それが、今や驚いているのが商人たち一行だけときている。中隊は完全にキリを受け入れていた。
「じゃあこの手紙、部屋で見るから。アルも来てくれる?」
「どうして俺が?」
「返事書くんだけど、あたし……」
そこまで言って、アルベルトの耳元に口を近づけささやく。
だが、聞かされたその内容は。
「何? スペルが分からない上に字が汚い?」
「もっと小さな声で!
読んだり話したりはできるんだけど、正確なスペルなんて覚えてないもの。前に書いて送ったとき、暗号かっていう文書付きで返されたわ」
と、キリは小さくため息をついた。
この国では、識字率は近隣諸国に比べてもそれほど低くはない。だが、経済的な問題や治安の安定しない地域では、学校にも満足に通えないと聞く。
プーマの居住地域では低くなっているし、モブロフでは孤児だったのだ。仕方ないところだろう。
「とりあえず、ペンと封筒と紙を買うから。アル、お金かして」
「お前、金も持たずに来たのか?」
「だってしょうがないじゃない。任務の最中に合流することになって、私物を持ってこなかったんだもん。仲間に運んでもらったアルはいいけど。お金、作ることも出来るけどそれって違法でしょ?」
「当たり前だ」
確かにキリの能力を使えば金も作り出せるのだろうが、ダメに決まっている。しかし……。
「紙の方を作ったらどうだ?」
「ダメ。届く前に消えるから」
さすがに、能力に底が無いわけではないようだ。
キリを連れてガロンのところにいったが、便せんも封筒も大きさは適当でいいらしい。ただ、二枚ずつ買うよう指示される。
ペンはアルベルトが使っている物を貸すことにする。まず、アルベルトは手にしたコーヒー豆の袋を自分の部屋に置いてから、キリの使う部屋へと向かった。
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