2-3 村での一夜

 大きな揺れに、アルベルトは目覚めた。目に差し込んだのは赤みがかった光だった。十七時を指す腕時計の文字が読める程度には明るい。

 振動は感じられない。どうやら停車したらしい。なにやら声が聞こえるが、内容までは分からない。


 前線についたのだろうか。

 相変わらず眠りの中にいるキリの頭を逆側に傾ける。手を離しても倒れないのを確認してから、荷台から降りる。前方を見たとたん、横にして道をふさぐように置かれた丸太が見える。ようやく状況が理解できた。検問に引っかかったのだ。


 トラック越しに翻る旗が見える。当然のことながら、白地の左上に赤い★を抜いたバジルスタンの国旗である。


 荷台から降りる。ブーツは乾いた黒い土を踏んだ。

 前の方へ回ると、ジャンと兵士たちとの間で口論になっているのが見えた。


「一体、何をもめている?」

「あ、ちょうどいいところに。少尉の口から言ってやってくださいよ」

 ジャンが疲れたような声を出す。どうも手帳を見せているところからすると、身分を疑われているということだろうか。


「少尉殿?」

 眉を寄せる上等兵の階級を付けた兵士に近づいていく。三名の兵士の中で一番階級が高い。それでも兵長のジャンよりは階級は下なのだが。


「第三騎兵連隊所属、第二中隊のアルベルト=バース少尉だ」

 迷彩服の胸ポケットに入れてあった手帳を出し、開いてみせる。そこにはスキンヘッドに限りなく近い、入隊当時の写真が貼ってある。もちろん、人相からアルベルト本人だと分かるはずだ。


「失礼いたしました。上官が荷物と一緒に乗っていると言うものですから」

 と、その上等兵は言うと、三人は一斉に敬礼する。

 もめていた理由はそんなことかと、アルベルトは頭に手をやる。だが、それも無理はない。普通、上官が運転を代わることはあっても、荷台に乗っているなどまず考えられないだろう。


「連隊司令部のあるジャボルという村を目指しているのだが、ここからどれくらいのところだ?」

「ここがジャボル村です。ですが、連隊長たちはつい数時間前に移動しました」

「移動した?」

「はい。ご存じではないのですか?」

「どうなんだ、ジャン?」

 視線を向けると、ジャンは目を泳がす。


「それが……ずっと連絡がとれないんで。向こうの声は聞こえるんですが、送信の方が故障したようで、あわただしく移動していたのは分かったんですが」

「どうしてそれを報告しなかった?」

「いえ、起こそうとしたんですが、よくお休みだったんで。お二人とも」


 アルベルトは舌打ちした。それほど深く寝入ってしまったということなのか、それともジャンが起こそうとしたことがウソなのか。なにぶん本人の自己申告であり、アルベルト自身が寝ていたために確かめようがない。


「二人? もう一方いらっしゃるのですか」

 上等兵は得心した風だった。もっとも、キリの身分をこの場で明かすのは避けるのが無難だろう。

「まずは司令部と連絡を取りたい。出来れば通信機の修理も頼みたいのだが。まず、ここを通してくれないか?」

「了解しました!」

 三人は一斉にかかとを打ち鳴らし、横に渡された丸太をどかし始めた。


 その後、通信機の置かれた場所にアルベルトは案内された。接収したらしい民家の一室である。電気は来ているらしく、豆球がともっていた。角張った緑の無線機は、重々しく机の上に鎮座している。通信兵に連隊本部を呼び出してもらった。ちょうどオズマが近くに居たらしく、すんなりつながった。


 通信そのものはオズマからの状況説明に終始した。

 モブロフ軍はあっさりと敗走してしまったらしい。キリの言葉通りなら、元々本格侵攻するつもりがなかったのかもしれない。いずれにせよ、現在は南北に走る非武装地域の中央にまで押し戻したとのこと。ただしこれらは北部でのことであり、中部と南部とでは全く軍事行動はなかったらしい。


 今回はモブロフの一方的先制攻撃であるため、理はバジルスタンにある。数時間後、一斉に夜襲を敢行し、できるだけ多くの地域を実行支配下に置く。そんなプランを上は持っているらしくてね、とオズマは苦笑していた。

 翌朝五時ごろに次の連絡を入れるという段取りになり、通信を終えた。


「お前ら、飯に行って来い」

 出発は翌朝以降になることを伝えた後、ジャンとキリに向けてアルベルトはそう言った。

 この小隊は、後方でのゲリラ活動……特に、バジルスタン革命軍によるものを警戒するために配置された部隊らしい。ここにしばらく居座るらしく、民家を接収して自活できるようにしたため、温かい食事を用意できるようだ。

「あたしはアルと行く」


 表情を変えずキリは言う。

「キリさん、俺とじゃ嫌なんですかい?」

「嫌だ。アルとがいい」

 アルベルトは首の後ろに手をやり、爪でゴリゴリとかく。


「自己主張もそのくらいにしておけ」

 脱力気味だが、いなすようにアルベルト。


「いくら友軍の警備下に入ったとは言っても、コンドルとトラックはうちが中隊の装備品だ。俺かジャン、どっちかが近くに居ないとまずい」

「なら、ジャンを残してあたしとアルが行ってもいいんじゃないの?」

 と、キリは口を尖らせる一方で、肩を落としているジャンの姿がある。

 その疑問ももっともだ。だが。


「考えてもみろ。ジャン一人をここに残して、もし敵襲があったらどうする?」

「少尉もはっきり言いますね」

 ジャンは苦笑交じりにそう言った。当然、ジャンも分かっているはずだ。自分がただの歩兵と同じ戦闘力しか持ち合わせていないことは。

 だから、本来ならアルベルトもジャンも車を離れられず、夕食はトラックに張り付いてレーションになっていたはずなのだ。それを思えば、今は恵まれている環境には違いない。


「わかったわよ。やっぱり堅苦しいわねっ!」

 言い捨てて、しぶしぶといった風に歩き出すキリを、ジャンはまあまあとなだめながら隣の青屋根の民家へ向かった。食堂があるのはそこである。

 それを見送ってからアルベルトは荷台の後ろに寄りかかり、念のために銃を横に立てかけて腕を組んだ。その間に工具を持った兵士がやってきて、無線機と格闘を始めた。


 二人が戻ってくるまで、それから五十分はかかった。すっかり日も落ち、露天駐車しているトラックの荷台に置いてあるランプの、ほのかな明かりの中にアルベルトはいた。


「遅かったな」

 と、アルベルトは車から背を離して荷台に銃を置いた。

「それがね、アル。ここの食事、とっても気前がいいの」

「気前がいい?」

 アルベルトは目を細める。


「そうです。おかわりしても良かったんですよ!

 パンもですよ?」

「それで頬がゆるみっぱなしなのか」

 アルベルトはヘルメットも荷台に置く。首を左右に素早く曲げると、肩から小気味よい音がする。重い物を頭に乗せていると、それだけで疲れるものだ。


「絞めたばっかりの鶏肉が使ってあってね。野菜も新鮮だったの」

 案外とキリとジャンが仲良くなっていたため、安心する。


「それはよかった。じゃあ、俺もいただいてくるからな」

「早く帰ってきてね」

 と手を振るキリに、

「俺も腹一杯食ってくる!」

 大人気もなくそう返すアルベルトだった。さすがにおかわりまでは頼まなかったが、二人が笑顔で帰ってきた理由の分かる食事だった。


 戻ってきたアルベルトは、即応態勢は取っておいた方が良いだろうと、二交代、さっきの食事と同じ組で睡眠をとることにした。キリは相変わらず文句を言うので、さっきと同じ説明をもう一度する羽目になる。


 ずっと運転し通しだったジャンには悪かろうと、アルベルトは自分の分を零時から朝までという長めに取るようなシフトにした。

 そうやって、アルベルトは先に寝ることになった。毛布に包まり荷台に体を横たえても、目がさえて睡眠に入るまで時間はかかった。今日はあまりにもいろいろあったので。

 それでも、軍隊において取れる時に睡眠をとるというのは重要なこと。体が温まっていくにつれ、アルベルトの意識は混濁していった。


 乱暴な重みが体にかかり、アルベルトの眠りは強引に妨げられた。起き上がろうとするも、腹筋に力が入らない。

「おはよう」

 そんな声をかけてくるキリの顔は、腹の上のほうにある。交代の時間だからと、エルボーを決めてきたようだった。気分は夕食の延長線上にあるのか、顔はにやついたままだ。


 この起こし方は体に悪い。それに、こんなことをするキリにどう反応していいか分からない。

 しばらく声を出せずに体を曲げてしまうアルベルトに、

「一緒に歩哨しよ、アル」

 そう話しかけてくる。

 アルベルトは感じた痛みを顔に出さないように立ちあがり、無言で幕をくぐって地面に降り立つ。

 もし相手が男か、階級が下であったのなら間違いなく鉄拳制裁ものだが、残念ながらキリはどちらの条件も満たしていない。もっとも、鉄拳制裁などしたことはないが。


「歩哨の何が面白いんだか」

 気づかれないように腹を押さえながら、アルベルトは小さくつぶやく。

 辺りはもう真っ暗であり、ランプの黄色い炎だけが光源である。

 アルベルトは車の前を確認した。ジャンは運転席で寝るらしい。無線機を修理していた兵士ももういない。これで朝には連絡を入れられる。

 そう安堵して振り返ったとき。あごの辺りに見上げるキリの顔があり、思わず後ずさりしそうになったが顔を引いただけで踏みとどまる。

「なんのつもりだ?」

「だから、アルと一緒に歩哨をするの」

 と、無防備な笑みを見せる。


 昼間は顔料で隠されていた地肌も、今は白く目の前にある。オレンジ色の光の中で、暖かみのあるようにアルベルトの目に映った。大きな青い目も、心臓の鼓動を高鳴らせるに十分だった。

 だが。

「邪魔だ」

 アルベルトは乱暴にキリの肩を払い、車後部へ向かった。


「ちょっと。待ってよ!」

「いいから寝てろ。あとは俺に任せてくれればいい」

「昼間寝たから大丈夫!」

 そう言って、キリはアルベルトの隣に立った。

 ため息をつきたい衝動を押さえる。最初レーションで釣ったときは、かなりとっつきにくいと思っていた。それが、ここまで馴れ馴れしくされるとは思ってもみなかった。


 もちろん、指揮下に組み込めという命令がある以上、仲がよいに越したことはない。

 それにしても。


 度が過ぎているとアルベルトは思う。戦闘後にも似た感想を抱いたものだが、この状態で仲間に顔を合わせることになると、余計な疑惑を抱かれかねない。


 あの一言もきっかけだとは思うが、それだけが理由とも思えない。

 だからこの際はっきりさせようと、アルベルトは息を吸いこんだ。


「お前、どうして俺にここまでつきまとう?」

「アルが他の軍人さんとは違うと思ったからよ」

 ある意味、抽象的な答えである。アルベルトは答えを絞り込もうとする。


「違うってどういう事なんだ?」

「バジルスタンの人は、プーマに対してそんなに優しくないわ。特に軍人はね。聞きたいことがあったら、高圧的な態度で来るか、銃で脅すとか。でも、あなたは正面から来た。シャーマン戦車に降伏を勧めたときも、フィレシェットのことを聞きに来たときも。真っ直ぐで、素直な人だって思ったの」


「真っ直ぐに、素直?」

 アルベルトはむずがゆくなり短い黒髪に指を突っ込んでかく。ほめ言葉として受け取ることもできるが、裏を返せば単純だと言っているようにも取れる。


「それに。なんて言えばいいのかな。例えば、一度エサをあげた犬には愛着がわくっていうのに似てない?」

「お前……」

 こめかみに強い血流を感じる。

 これは、幻影戦車ファントム・パンツァーでコンドルを助けたことを暗に言っているのだろう。


 やっぱり馬鹿にされている。他にも聞きたいことはあったのだが、こんな見方をされている今、話すことなど何もない。

 結局、にこにこしているキリとは対照的に、アルベルトは腕を組んで黙り込んでいた。


 うっすらと日の光が差してきて、小鳥が鳴き始めた頃。アルベルトはしばしば時計を確認するようになっていた。ランプを消したのは五時少し前だった。

 時間は厳守。予定に遅れることはどんな社会においても許されざることだが、軍隊では特に徹底される。秒単位での遅れが死につながることもあるのだから。


 五時。アルベルトは助手席側のドアを半開きにしたまま、無線機のスイッチを入れた。連隊本部宛てに呼びかけたが、オズマの名を出すと中継してもらえる運びになった。


「さすが少尉。律儀だね」

 向こうの声はいつもよりゆっくりである。寝起きか徹夜かどちらかだろう。


「戦況は?」

「それが、面白いぐらいに勝っちゃってさ。どっちもこっちも大勝利。幅五十キロ、距離で十キロ押し出したよ」

「十キロ、ですか?」

「そう。今回攻勢のあった北側の非武装地帯、全部取った」

 アルベルトは、まるで冗談でも聞いているかのような気分だった。


 バジルスタンとモブロフの国境紛争は根深い。双方の主張する国境線が違っており、ちょうど真中を通る線を暫定的に引いて国境線とし、その東西それぞれ十キロを帯状に非武装地帯とすることで火種を防ごうとしていた。


 ところが、いつの時代にも愛国者というものは両国に生まれるもの。非武装が形骸化し、小競り合いが起きるのもしばしばだった。それでも、国境線を越えての攻勢というのは非常にまれなことだ。その上、敵地を占領してしまったとは。


 下手をすれば、全面衝突にもつながりかねない。


「これ以上の前進はさすがにまずいから、ここで止まっているけどね。今度は逆襲に備えなきゃならない。だから僕たち、アルベルトとフィレシェットを心待ちにしてるってわけなんだ」


「あたしって、そんなに期待されてます?」

「おい、キリ!」

 ドアから頭を入れ、マイクに近づこうとするキリを手で制する。頬に触れた手に柔らかい感触が生まれる。


「すいません、少佐!」

「今のがフィレシェット? 女の子みたいだね」

「その通りです」

「それは楽しみだ。で、美人さん?」

 言われ、キリを見やった。キリは目を輝かせ、期待を込めたようにアルベルトを見ている。視線を無線に戻し一言。


「あと五年くらいすれば、あるいは」

「なによそれ! あたしはもう子どもじゃないのよ? それに、『あるいは』ってのは何なのよっ!?」


「それで、俺たちはどこへ向かえば?」

 わめくキリを完全に無視するように、左手で耳をふさぎながら確認する。


「カシフ、という村に連隊司令部が置かれている。そこから道沿いに進んだ、停戦地帯の中だね。

 まずはそこに来て欲しい。僕たちの中隊も一緒に駐留しているから。戦況とか詳しいことは現地で説明するよ」

「了解しました」

「もし昼頃になっても着かなかったら連絡入れてくれるかな? じゃ」


 プライベートな電話であるかのような気軽さで無線は終了する。ここまで型破りをやっていられるのは、新設された中隊だからというのもある。だが、レベジ将軍が後ろについてくれているというのが大きい。


 しかし、それにも限度がある。マイクをかけ直し、外に出てキリへと体を顔ごと向ける。


「キリ。少佐にあの口の聞き方はないだろう?」

「あたしには少佐とかそういうの、関係ないわ」

「関係ないとはなんだ? 軍に入れば上下関係ができる。俺は少尉で、中隊長は少佐なんだ」

「でも、あたしには階級はないの。どうやって上とか下とかの区別をするの?」

 唇をとがらせ、キリは言う。そう言われると、アルベルトには返す言葉はない。

 仕方なく下手に出てみる。


「頼むから、少しはこっちの方式にも合わせてくれないか?」

「嫌よ」

 答えるキリは、にべもない。

 拳を作りかけ、解く。やはりこういうことはアルベルトの趣味ではない。アルベルトは思いを押し込めるように、口を固く結んだ。


「どうしたの? なんにもしないの?」

「朝飯食ったら出発だ」

 からかうようなキリの言葉を無視して短く言う。キリから顔を背け、無線機の真横だったにも関わらず眠り込んでいるジャンを起こした。

 三人でレーションで朝食をとってから、トラックは出発した。


 荷台の上では、キリとの会話は成立しようがなかった。キリは座りこみ、すでに眠りに落ちていたのだから。

 呼びかけようが何しようが、キリは反応しない。今寝るから朝まで寝なかったのかと変に納得できた。


 どうやら、アルベルトには各段の信頼を置いてくれているようで。そういう言動は幾度となく目にはしていたものの。

 やれやれと首を振ると、また外の見えない振動だけの退屈な旅に身を預けた。

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