川凛 冴香 回想編

 実習期間中 回想 【川凛 冴香】





      私が【この目に映るセカイから、色をウシナッタ】のは

         まだ4歳の幼稚園児だった、とある夏の日











        日傘を差したお母さんと共に、夏の日差しが強く

         青空が広がる、カラッと晴れた炎天下を

           いつものように、右手を繋いで

         一緒に楽しくおしゃべりをして、笑い合う


          そんな何気ない、幼稚園からの帰り道









           その頃の私は、自宅の近くにある

          『私立幼稚園』に、歩いて通っていて


             毎日の送り迎えの時間は

         いつもは忙しいお母さんと、2人きりで


          ちゃんと私の話を、聴いてくれるから

         大好きなお母さんと、沢山話ができるから


            この時間が、1番好きだった。












                 その日は

       いつもと変わらない、平穏な日となる筈だったのに。


           いつもとは違う、結果を迎えて


                  その後

         【大切なモノを、沢山ウシナウ事】となった。















             自分から、周りの人へ

          【自分の抱える問題】を、話すのには

             勇気がいる事だった。


             それは、今までの人生で

            周りからの、『偏見の目』が

            少なからず、あったから。


                 だから

             学校関係者やごく一部の

          近しい人にだけしか、話しておらず


              それ以外の人には

         【色覚異常】を含めて、『自分の事』を

            ずっと話さずに、生きてきた。























 けれど過去に彼女は

自らの口で、誰かに【自分の過去】を語った事があった。




『私ね、小さい頃にさ、お母さんと一緒に、幼稚園から、並んで歩いて帰る途中

【スマホを見ながらわき見運転をした自動車】に、轢かれたらしいの。

交通事故に遭った時の事は、小さかった事もあって、それとも事故のショックか、その時の事は殆ど憶えてないんだけど、それでも結構大きな事故だったみたいで、

当時はテレビのニュースにも、流れてたんだって。


 事故直後の私は生命の危機に瀕していたらしくって、病院に緊急搬送されると、すぐに手術を行い、暫く昏睡状態にはなったけど、何とか一命だけはとりとめて。

 今もまだその時に何針も縫った痕が、頭や身体に少し残ってるけど。見る??













 事故について私が憶えてたのは

目覚めたら何故か、【病院のベッドに居た】 その事だけなんだけど。



 私が目覚めると、様子を見に来ていた看護師さんが驚いた顔で

「何週間もずっと昏睡状態だったから、みんな凄く心配したのよ!」と言ってから

凄くホッとした表情に変わり、慌ただしくしながらも、色々と話していたけれど


 目覚めた私が、真っ先にそばに居た看護師さんへ訊いたのは

「ねぇ、ここはどこ?

 ママは?パパは?ねぇ、どこにいるの?」

何もかもが分からない事だらけで、頭の中が混乱していた。




 看護師さんは

「ちょっと待っててね。」と言って、すぐに何処かへ連絡してから


 ずっと私のそばに居て、私の片手を優しく『ギュッ』と握り締めながら

「お父さんにも連絡したから、もう大丈夫だからね。

 きっと、すぐにお父さんが来てくれるから。

 あともうチョットだけ、待っててね。」


 そうして私は、お父さんが来るまでの間

医師の先生と看護師さんに囲まれ、色々訊かれたり、検査や診察を受けたりして
















 暫くすると

お父さんが慌てた様子で病室に駆け込んで来て、いきなり私の事を『ギュッ』と

チカラいっぱい抱きしめるから


 私が「イタイよ!パパっ?」って言っても

それでもお父さんは、私の事をチカラいっぱい抱きしめるんだけど


 抱きしめられてる時は

とても温かく安心できて、何だか凄く懐かしいような、不思議な感覚に包まれるも「ねぇ?パパ!ママはっ?ママはどこ?どうしていないの?」って訊いたら


 お父さんは

「ごめん。ごめんな。」と何度も繰り返し言いながら、私を強く抱きしめるだけで、その時のお父さんの身体は、小刻みに震えて、どうやら泣いているようだった。




 初めて泣いているお父さんを、そばで感じて

幼かったその頃の私は、最初はうまく状況が理解出来ずに、少だけ戸惑ったけれど


 それでも私は

段々と、抱きしめているお父さんの方が心配になってきて、頭を優しく撫でながら

「なかないでよ、ねぇパパ?」ってお父さんの頭を、そのまま優しく撫で続けると、お父さんはより一層激しく泣いちゃって、私はずっとお父さんの頭を撫でてたの。




















 その後

落ち着いたお父さんから、【お母さんが居亡くなった事】を、知らされた。



 お母さんは交通事故に遭った時、咄嗟の行動で、私を庇った際の打ち所が悪く、出血が酷かったらしくて、救急車が到着した際は、既にお母さんの応答は曖昧で、その場ではもう殆ど、どうしようもない位の状態だったらしいんだけど、それでも

お母さんは、たとえ意識が朦朧としていても、私の事を、ずっと『ギュッ』と強く

抱き死めててくれたみたいで


 薄れゆく意識の中

そばで誰かの声が聴こえていたような、そんな気がして


「もう大丈夫ですよ!

 すぐに病院へいきますからね。

 娘さんも大丈夫ですから!

 私たちが助けますから、お母さんも意識をしっかりと保って下さい!」

 救急隊員の方が

懸命に処置をしながら、私とお母さんへ話し掛けていて


 そんな一刻を争う状況の最中

お母さんの最期の言葉が、囁くような、とてもか細い声で

「そう……ですかぁ、良かっ……たぁ。

 せめて、娘を、サエを、どうか……あの子だけ……でもお願い………します。」

そう言い残して、激痛で苦しい筈の中、穏やかで安らかな優しい表情をしながら、搬送されている救急車の中で、息を引き取ったらしい。




 私は救急車へ搬送されるまでの間ずっと、段々と冷たくなるお母さんの温もりに

包まれて守られながら、意識を失ってたんだって。







 だから

私が目覚めた後の世界に、お母さんは何処にも居なくて、気付いた時には既にもう『居亡くなった』とありのままの事実だけを聴かされ、【最愛の人】を喪った。



















 私が昏睡状態で眠っている間に、お母さんの葬式はしめやかに行われたらしく、最期を看取れず、送り出す事も別れを告げる事も何もできずに、忽然と姿を消して、自分が置かれている状況を、理解もできず気持ちの整理もつかず、分からないまま

目覚めてからの世界は、私の事なんかを待ってはくれず


 目まぐるしく次々から次へと人が来て、心休まる事なく慌ただしく病室で誰かと

話したり、病院内では何かの診察や検査を受けたりする日々で


 見た目に関して

頭の包帯以外は、特に大きな変化は無く身体も動いたから、平気そうだったけれど、それでもどうやら頭の後ろを激しく強打し、何針も縫う怪我をしていたらしくて、

でもそれ以外は、脳とか他の所も異常はないそうで、ただ事故の記憶が曖昧だから

暫くは念の為に入院して、精密検査を受ける事になった。



















 そんな長い入院生活の日々が全て終わり

ようやく落ち着き、事故後に初めてお母さんと再会したのは、自宅へと帰ってから

お父さんに案内されて連れられた、仏壇の前で


 お父さんがお母さんの写真を見ながら

「今はもう、この箱の中で安らかに眠ってるんだよ。」と四角い箱をさして言われ

言われるがままよく分かりもせず実感もなく、『お母さんが居る。』と教えられた【遺影と箱】に向かい合って、手を合わせた時だった。




 その場で初めて

お母さんが本当に【居亡くなった現実】と直面したけど、幼い私は何も出来ずに、

ただ目の前の現実を受け止めるしかなくて、私は事故の事を何一つ憶えてないから

お母さんが居亡くなったという事実を感じられず


 お母さんとの最期の瞬間だった

あの日も一緒に歩いて、隣でずっと見てた筈の、いつもの優しくて穏やかな横顔を

思い出す事もできず、「お母さんが居ない。」という現実を、突如突きつけられて

その事実と向き合うしか、どうしようもなかった。






















 それと私には

目覚めてからずっと違和感があって、この身に起きた異変に気づいていたけれど、中々言えず、容態が落ち着きひと段落して、父親が病室を去った後




 どうしても訊かずにはいられない

『疑問に感じる違和感』があったので、近くに居た看護師さんに訊いたら


「なんで このびょういんは、『しろ と くろ』だけなの?」


 私が発したこの一言に

看護師さんの表情や部屋の『空気・雰囲気』が、一瞬で強張ってピリつき


 どうやら私の目は【白と黒以外の色】が、色として認識できなくてなってしまい

他の色が見えなくなってしまったようだった。








 私は自分の命と引き換えに、お母さんだけでなく、色も失ってしまったらしくて

遺されたのは、『この命』と心の中にぽっかりと空いた『喪失感』だけとなり


 幾ら詳しく病院で検査をしても、色が正常にミエナイ理由は分からずじまいで、

私は【自分の目に映るセカイ】から、『白黒以外の色』を失い


 まだまだこの世界の中には、未だかつて見た事もないような色が沢山あるのに

それを認識する事は出来なくて、【私のセカイ】には知らない色が溢れていた。






 目の前で確かに見ていて、見えてはいるのに、それでも本来の色を認識できない

もどかしさやモヤモヤといった複雑な心情を抱えながら、これからずっとこうして

生きるしかないのかと考えてしまい


 【私の目に映るセカイ】は、【濃淡のある白と黒の2色だけ】になり


 当時はまだ

記憶の中にぼんやりと色は残っていたから、見えていた頃の色を記憶から辿れば、

多少は思い出して理解する事も出来たが、それでももう目に映る色を認識できず、

色の認識は、自分の中に残された色を辿る『情報と確認』の作業を繰り返すだけで

それにもやはり限界はあり、日に日に色を忘れ思い出せず、いつからか色を徐々に

うしなっていき、記憶の中に残されていた色は、少しずつ確実に私の記憶の中から

時の流れと共に消えていき、今ではもう完全に忘れて


 私が理解できる色は、本当に【白と黒の2色だけ】となってしまった。






















 後日、改めて来院したお父さんは

病院の先生から、私の容体を含め【診断・検査の結果】を一緒に聴き


 まず担当医の先生から

『私の命に別状はない。』と言われ、お父さんは、ホッとひと安心をしていたけど


 続けて先生は

『非常にお伝えしにくいのですが…………………。』と険しく難しい顔をしながら

その口から【衝撃の事実】を伝える。








「冴香さんは、とりあえず一命を取り留めまして、命に別状はないようですし、

今の所は体調も安定しています。


 それと、幸か不幸な事なのでしょうか

冴香さんは事故当時の事を、あまり覚えていらっしゃらないご様子で、自分に何が

起きたのかを含め、事故前後の記憶だけ多少曖昧となっておりまして、特に脳への

異常は見受けられず問題なく、意識もハッキリとしていますので、ご安心下さい。



 ただし一つだけ

どうして気になる点が御座いまして、お父様には、非常にお伝えしにくいのですが

冴香さんの見た目にも、特に何ら大きな異常は見受けられませんでしたが


 冴香さん曰く

【色の識別・判別】に支障があるご様子で、色が見えないらしいんです。


 どうやら事故の後遺症だと思われるのですが、全てが『白と黒』にしかミエズ

【色覚異常】のようでして、まだこちらでは、その原因が解り兼ねるのが現状で、

大変申し訳御座いません。」




 そう言って

私の目は『色の認識ができなくなっている。』【色覚異常】だと伝えられ




「もしかしましたら

単に一時的な現象という可能性もありますから。


 ただ

今の現状をそのまま素直にお伝えすると、正直な所ですが先程もお伝えしたように

ハッキリとした原因が解らず、治る見込みにつきましては、まだ何とも言えず。」







 お父さんは困惑した表情で、椅子に座っていたのをバっと立ち上がり

「えっ?そんな?なんで?どうしてですか?

 どうして、妻と娘が、美冬とこの子なんですか?


 美冬が命がけで、この子の命を護ったっていうのに。

 どうして………、私ら家族がこんな目にあわなきゃならないんですか?

 どうして…………?


 これじゃこの子があんまりにも、不憫でならないですよ。

 母親を喪い、それにこの子の世界から、大切な『色』まで失うなんて。」

 立ち上がったまま、茫然とただその場に立ちつくしてしまい







 担当医の先生は、終始ずっと真剣な表情で

「はい、心中はお察し致します。

 一先ずは落ち着いて、どうか椅子にお座り下さい。」と言い、お父さんに椅子へ座るよう促してから


 そのまま話を続けた。

「ですから。

 私どもが最善の策を講じ、これから解決策を考えて参りますので、どうかお気を確かにして、希望を持ってください。


 まだ一時的な現象かもしれませんので、一緒にこれから経過を見守りましょう。

 私達がついて居ますから。



 それと今後の事なのですが。

これからまだ他にも異常はないか、再び検査や診察をしてみないといけませんのでそうなりますと入念に精密検査を受けて頂きますから、まだ暫く入院して頂く事に

なりますけれど、よろしいでしょうか?」







 お父さんは苦悶に満ちた顔で

「あぁ、そうなんですか。

 それでも、もう…………、なんで?どうして…………、なんでだよ。



 はい、とにかく分かりました。


 そういう事でしたら、吹田先生。

 娘を、この子の事を、どうか宜しくお願いします。」と深々と頭を下げた。







 『吹田先生』は、私たちをじっと見つめて言った。

「はい、我々も最善を尽させて頂きますので。

 これからゆっくり冴香さんの経過を、共に見守っていきましょう。」





















 病院を退院後も

定期的に症状の経過を見守る為、病院へと通っていたけれど




 通院していた病院の担当医『吹田先生』からは、大体いつも

「あれから暫く経ち、色々と検査や診察を重ね、経過を見守っていますが……。


 う~ん、そうですね。

 大変申し上げにくい事ではありますが

こちらでも色々と手を尽くしてはおりますが、何分と原因が全く解りませんから、

とにかく色々と情報収集し模索している状態でして、いつ治るかに関しましては、現状ではまだ何とも言えませんね。


 取りあえずは

今後も焦らず一緒に時間をかけて、このまま様子を見ていきましょう。」と言われ




 これは、本当に辛かった。


『今まで見えていたのに、これから先は一生ずっとこのままなんじゃないか?』と

まるで毎回そう言われているかのように感じてきて、凄く不安になったから。














 私さぁ、生まれた時からずっと

 事故に遭うまでは、絵を描く事が大好きだったんだけど

 事故に遭ってから、人前では絵を描かないようになったの。


 それは自分がミエナイ事を自覚させられて、辛い事実を突きつけられるからと、

事故に遭ってから、自分の描いた絵を『何それ、変なの。可笑しいよ。』とかって

周りの子に言われた事があったんだ。






 小さい頃はね

私の事をよく知らない子とか周りの人は、面白半分でからかってなのか、悪気なく

ただ正直なだけだったのか、どっちか知らないけど


 この頃に

【言葉が時に刃物みたく、鋭く心に突き刺さるキョウキとなる事】を初めて知って


 大抵の子どもは素直だからさ

大人から教わった事が全てだとそう思うから、そこから少しでも逸れて外れたら、

間違いだってされちゃうんだよ?





 だから

私の【目に映って見えるセカイ】を、周りは誰も信じてくれず、否定されるだけで、私の心は深く傷ついていくばかりだった。



 ねぇ。

 周りと同じように見えないからって、何がいけないの?

 周りの子とは、【ミエテいる世界】が違うからって


 それは そんなにおかしな事なの?  そんなにも間違っている事なの?








 それからかなぁ。

段々と人付き合いも苦手になっていって、なんか私独りだけがタイムスリップして【全くの別世界にいるような】疎外感が、いつも心の何処かにあったんだけど



 そう言えばさぁ、昔って【白黒テレビ】ってのが、あったらしいじゃん?

 私が見ている世界は、まさしくそのもので

 【白黒の画面越しに世界を観ているような、あの世界に取り残されたような】

そんな感じだよ。


 こうやって私は

小さな子どもながらに、『世界はあまりにも優しくない。』と知っていき

周りに馴染めない事を、周りと違うという事を、身を持って痛感していった。




 世界には色が溢れているから、色のミエナイ私に『世界は優しくなかった。』

誰かのチカラを借りなければ、人はひとの中では生きられない事を、幼いながらに自覚して、周りからもその現実を教えられ、突き付けられて


 【色覚異常】って言っても

私の場合は、白黒以外の色を『色として認識できなくてミエナイ』から




だから生きている内に

 少しずつ好きな事が楽しめなくなってきて

  オシャレを楽しめなくなって

   食事をしていても楽しくなくなって

    テレビや映画がモノクロ映像にしか観えなくなって

     絵を描くのも見るのも好きだったのに楽しめなくなって

    誰かと同じ光景を見ていても、同じように感動する事ができなくなって


  徐々に周りとは違うという事で

 出来ない事や楽しめない事やウシナウものばかり増えて、人生の楽しみの殆どを奪われてしまい


 受け入れられない・受け入れたくない現実が幾つも重なり、当時の小さな身体で到底抱えきれない程の『事実と重荷』を背負わされたから、私は私が壊れないよう【自分】というのを保つだけで精一杯で


 私の心の中にある

感情も光景もセカイの全て、色褪せて色がなくなり【モノクロ】だった。






 だからこの頃の私は

世界に対しても、誰に対しても、あらゆるもの全てに、何度か絶望をしたけれど



















             今はもう覚悟を決めてから

              色々な本当の姿を知り

                 私の心は

         周りの人に傷付けられる事もあったけれど

              それでも諦められずに

              もがいてあがく日々から

           小学校の恩師『似顔絵先生』と出逢い

                更にその後も

          父親との分かれや、巣立ちと出逢いを経て

         また中学・高校時代には、新たな恩師と出逢い

            私の人生は、多くの人に支えられ



              まだ幼かった頃の私は

            とにかくいつも気を張り詰めて

            心の中は不安ばかりだったけど

           少しずつ成長し、年齢を重ねる毎に

             『向き合うこと』の意味を

          きちんと理解する事が出来るようになり



               その後の経験から

            ちゃんと見てほしい相手には

            自分の存在をアピールしないと

             認識してもらえないんだと

           ようやく気付く事ができたんだよね。』







 その後も

彼女の話は、少し続いたけれど


 相手は

彼女の話を、ずっと静かに聴いていた。



















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