実習期間中 第3週 17日目
平成○○年 6月20日(水曜日)
彼女が抱いていた不安とは裏腹に、順調に実習が進み
朝のどんよりとした天気から、チラホラと、雨が降り出した放課後。
彼女は
いつものように、『山田先生』と職員室で、作業をしていると
山田先生から
「私の代わりに、校内の見回りをお願いできませんか?
もう下校時間ですので、生徒が校内に残って居たら帰宅するよう伝えて下さい。」と頼まれて
彼女は
「分かりました。」と答えて、すぐに、校内の見回りへ行った。
すると
2年3組の教室で、【大瀧河君】が、自分の席に座って、いつものように独り、
スケッチブックに向かい、何かを描いていた。
彼女は
一瞬悩み考えるが、すぐさま廊下から、教室に居る彼へと呼び掛けたが、彼からは
何の反応もなかった。
『もしかしたら、絵を描く事に集中し過ぎて、気づいてないのかもしれない。』と
考えて、彼の元へと歩み寄り近づいていくが、相変わらず黙々と、絵を描き続けて
いるままだったので、何だか段々と、彼の描いてる絵が気になってきて、後ろから
さり気なく絵を見ようと試みるが。
「あんさぁ、さっきから何なん?
アンタって確か、教育実習生として、ウチに来たんやろ。
俺に、何か用でもあんの?」
どうやら彼は、最初から彼女の事には気づいてたらしく、彼女の行動を不審がり
怪訝な表情をしながら訊いてきた。
彼が急に振り返って、話しかけてきたのに驚き
「わぁ、もう、ビックリした!
最初から気づいてたなら、返事をしてほしいなぁ。
えっと、ごめんなさい。
山田先生から、校内の見回りをするように言われて、校内に残ってる生徒さんに、
もう下校時間だから、帰るよう声を掛けて回ってるんだけど。
そしたら
大瀧河君が、教室に残って絵を描いてて、声を掛けても返事がないから、集中して『一体何の絵を描いてるのかな?』とか、どうしても気になっちゃって、つい覗き
込んでしまいました。
ごめんなさい。
でももう下校時間だから、ね。」
驚いた顔から申し訳なさそうな顔をして、一先ず謝ってから、彼に帰宅を促すと
「あぁ、そうなん。
そっか、もうそんな時間かぁ。
わかった、ならもう帰るわ。」
彼は素っ気ない声と表情で答えた。
「外まだ雨降ってるから、帰り道に気を付けて、下校してね。」と笑顔で言いつつ
彼女は彼に、【絵の話】をした後、ふと『養老先生からの忠告』を思い出して、『あれ、そう言えばしまった。確か彼には、絵の話をしちゃいけなかった。』と、
彼の機嫌を損ねる前に、その場を少し急ぎ足で、離れようとしたら
「そういやアンタ、俺が描いとる絵、見たかったんやろ。
なら、少しだけ見したろか?」と、彼から不意に呼び止められて
彼女は驚いた表情をして、すぐさま彼の方へと振り返り
気まぐれだったのか、何のかは分からないが、それでも彼の絵に興味があったので
「あっ、うん、はい、えっ?見て、いいの?」
話しかけられた事にも、絵を見せてくれる事にも、どちらにも驚きを隠せずに居て
彼からの意外過ぎる反応と返答に、思わず言葉が詰まってしまった。
「何ビビッとるん?
アンタが、自分から見たいって言ったんやろが、俺の絵見たかったんやろ?
せやから見てもえぇって、ただそうゆうてるだけやん。
なぁ、俺もう帰るが、帰り支度しとる間の少しだけやったら、見したるけど。
別にイヤやったんならえぇし、すぐ帰るで。」
何だか、少し不満そうな表情に見えたが、本当に、そのまま帰ろうとしていたので
「あっ、待って!
えっ、本当に見せてくれるの?
ちょっとビックリしちゃって、ごめんなさい。
ありがとうっ、どんな絵を描いてるのか、見たいですっ!」
人とは一線を引き、距離を置いていた筈の彼女が、思わず彼を引きとめていた。
「大瀧河君は、あんまり私に興味ないだろうけど
学生時代はずっと絵を描いてて、絵は描くのも見るのもどっちも好きだったから、
大瀧河君が、どんな絵を描いてるのか、実は凄く気になってたの。
最近はもう忙しくなってきて、しばらく絵とかは描けてないけど。
でも、その代わり、なのかな?
今は気になったら、写真を撮る事が多くって、絵でも写真でも、とにかく私の目に【映っている世界】を残そうと思ったから、今見ている光景を、記憶だけじゃなく
写真とかにも撮って、思い出として『そばにちゃんと形を残して置こう。』とかさ、
そんな事考えてるんだから、まぁ私って変だよね。」と、彼女は気恥ずかしそうに
笑っていたけれど
彼は話を聴いては居たが、変わらず素っ気ない態度で
「ふ~ん、そうなん。
まぁ、別にえぇんやないの。そんなんさぁ。
俺は別に、そんなん深い意味とかねーし、何となく昔からの習慣っつーか。
まぁ、約束みたいなもんもあって、ただ描いとるだけやから。
とにかく、普段は描いた絵、誰にも見せんのやけど、アンタならえぇよ。
特別に見したるから、少し見たらすぐ返してや。
俺は、アンタが見とる間に、チャっチャっと帰り支度すっから。」とそう言って、
彼女に自分のスケッチブックを、差し出すと
「あっ、はい。
ありがとう!
すぐに見て返すね。」
彼女は彼からスケッチブックを、受け取った。
彼女は
『スケッチブックの中の絵』を見て
彼が普段見ている、【彼の目に映っている世界】を、垣間見る。
そこに広がるのは、
全て鉛筆で描かれたような、『風景画や動物など』の写生ばかりだった。
デッサンや構図にこだわった絵が多くて、人物画だけの絵はなかったが、風景画に
紛れてならば、はっきりとはしないが、人の姿はあった。
どれも緻密で繊細な描写の上、正確に【世界】が描かれていた。
『そこはかとなく、何処か心惹かれるような、魅力溢れる凄い絵だ。』と、彼女は
一目見ただけでも、直感した。
その絵からは、『温かみ』や『優しさ』と同時に『さみしさ』も感じて、何故か
絵を見ているだけで、彼女の心が、揺さぶられた。
「とっても綺麗な絵だね。」と色々な想いを込めて、絵を見ながらそっと呟いた。
彼の絵は、『きれい』だった。
彼は
帰り支度をしながら、何も答えずに、ずっと無言だった。
しばらくすると
帰り支度を終え、ずっと黙ってスケッチブックの絵を見ている彼女に声を掛けるが
「あぁっ、そういやアンタってさ、色が……。」
そこまで言って、彼は話すのを途中で止めた。
教室の中には
彼女がページを捲る度に聞えてくる、紙の擦れる『シュッ』という摩擦音だけで
後は
外から聞こえてくる微かな音だけだと、ふと気づいた。
教室の中には2人だけで、静かな世界に包まれていた。
彼女は
静かに、ただじっとその場に立ち尽くしたまま、彼の絵を見ているだけだったので
彼は
スケッチブックの絵を見ている彼女の姿を、しばらくジッと見ていて……………
それから再び彼女に声を掛けた。
何度か彼に呼ばれていてが、絵を見る事に集中していて、聴こえないのだろうか
暫く彼女からの返事はなかったが、ようやく彼の声が、彼女の耳に届いたようで、『ハッ』としたように、スケッチブックから顔を上げ、彼を見て
「えっ、あっ、はい?
絵に集中しちゃって、ごめんね。
何だった?
もう帰る準備できた?
それなら、スケッチブック返すね。
絵を見せてくれて、ありがとう!」
慌ててスケッチブックを、手渡して返すと
彼女からスケッチブックを受け取りながら、彼は彼女の事を、まっすぐに見て
「まぁ帰り支度はできたんやけど、その前に、アンタに訊きたい事があってな。
アンタさぁ、確か【色覚異常】とかで、色が見え辛いんやろ?」
彼女も彼の事を、まっすぐに見ながら
「うん、そうなの。
だからごめんね。
色によっては、その通りには見え辛くって。」と答えていたら
彼は
机の上に置いたスクールバッグの上で、腕組みをしてから、更にその上へ顔を置き
「あぁ、そんなん別に、気にせんでえぇから。
まぁ俺は、どうせ絵に色塗らへんし、鉛筆描きのスケッチしか描かへんから。
俺には【世界が色褪せてミエル】から【自分の目に映る世界】しか描けへんし。」
気怠そうで、退屈そうにしながら言った。
彼の言葉に対して、彼女は一瞬反応に困ったが、返答に戸惑い躊躇いながらも、
優しく穏やかな表情で、彼を気遣いながらも、諭すように話した。
「そっかぁそうなんだねぇ。
うんっ、ミエナイ世界を描こうとしても、描けないのなら
その瞬間その瞬間に【大瀧河君の目に映っている、確かなセカイ】を大切にして
そのままを、自由に描いたらいいんだよ。きっと。」
彼女の言葉が、予想外だったかのように、思わず顔を上げ、驚いたような表情で
「えぇ? あぁ、うん、、、、、ありがと。」と、彼は素直な反応を見せた。
その後も彼女は
優しく穏やかな表情のまま、『初めて魅せた』、素直な彼の姿を見ながら
「うんっ、やっぱり結局は、自分の描きたいように描くのが、1番いいんだよ!
そうだよ、うんっ……………。」と、しばらく何やら、感慨に浸っていたが
「私からも、一つ訊いてもいいかな?
スケッチブックの絵を見てて、気になった事があったの。」
疑問に思っていた事を、思い切って、彼へと一歩踏み込んで、直接訊いてみた。
「えっ、あぁ、うん。何なん?」と、彼は少しボーっとしていたようで、ふと我に
返り少し慌てた様子で、彼女の方を見てから、訊き返した。
「あっうん、あのね?
スケッチブックの中の絵を見せてもらって、気になったんだけど。
絵の端にね、マークとかコメントがカイテあるのは、これって何かな?」と、
絵を見ながら、ずっと気になっていた、『絵の隙間にカイテある、綺麗な文字や
可愛らしい絵』を指差して
何かを一瞬考えながら、いつものようにぶっきらぼうな態度で、そのまま話す。
「あぁ、それは別に気にせんでえぇから、合図とか会話の一部みたいもんやし。」
多少の疑問はまだ残っていたが、不思議そうに感じながらも
「あっ、そっか、そうなんだね、うんっ、そっかぁ。
わかった、教えてくれてありがとう!
そうだよね、個人的な事を訊いちゃってたから、ごめんね。」と、答えてくれた
彼に感謝しつつ、彼女は思っていた事を、そのまま思わず、続けて口にしていた。
『そっかぁ~それでもさ。
私はやっぱり、せっかくこんなに描けるのに、勿体ないと思うな。
こんなにも綺麗で、凄い絵が描けるのに、誰にも見せないのは、勿体ないよ。』
すると
彼女の言葉を聴いて、彼は少し険しい表情となり、半ば投げやりのように答える。
「あんなぁ~。
たとえ絵をうまく描けようが、それがそのまま周囲から評価されるんと限らんのやで
それにアンタは、俺の絵を綺麗やって褒めるが、こんなん綺麗でも何でもないし、そもそも俺には、世界なんて、そのままに、ミエンのやから。
絵を描いとる俺自身がそうなら、どうしようもないやんか、、、。」
彼女は彼の若干の変化に気づき、少し驚きながらも、彼の事が気掛かりになって
「そっかぁ~。うん。そうだねぇ。
でも、それでも私はね。
案外セカイは、思っているよりも、色鮮やかで、綺麗にミエルと思うんだ。」
少しさみしそうに、それでいて彼の考えを受け入れながら、温かく包み込むような
優しい顔と口調で、語りかけた。
だが
彼女の話を聴き終えた途端、彼の表情と態度が、更に険しくなって
「そりゃアンタがまだ、【この世界の残酷だって面】を知らんだけや。
俺とアンタらとでは、元々、【ミエテル セカイ】が、違うんやから。
だから、分からへんのや。分かる筈ないやろ?」
明らかにイライラとした表情で、激しく貧乏揺すりをするので、机が小刻みに揺れ
先程までとは、雰囲気がガラリと変わり、【怒りの感情】を顕わにしながら、急に
椅子を引いて、立ち上がると
彼は
激昂して、右手で机を、思い切り『ドンっ』と叩き
「アンタに、俺の何が分かんだよ!なぁ?」と叫び
彼女は
その教室内に響いた、大きな音と声に『ビクッ』と反応して、驚いていたら
彼は
バッグを持ってから、自分の机を蹴り上げ、周りにあった机や椅子を吹き飛ばして、
教室の扉を『バンっ』と勢いよく閉めると、そのまま教室を出ていった。
騒動に気付いて、一体何事かと駆けつけた先生や生徒は
教室に1人取り残されて居た彼女を見て
「冴香先生大丈夫?」
「何かされんかった?」
「川凛先生、怪我はないか?」
「何があった?」
「だから注意したでしょう。」
口々に声をかけて心配していたが
彼女は
「大丈夫です。
大変お騒がせしてしまい、申し訳ございません。」と謝りながら
深々と頭を下げていた。
その後
駆けつけて下さった先生と生徒に手伝って頂き、倒れた机や椅子を元通りにしたら
彼女は『校長先生』に
「校長室へ来るよう。」言われていたので、校長室の前で一呼吸して扉をノックし
「川凛冴香です。」と緊張した声で言うと
「はい。どうぞ、お入り下さい。」と、部屋の中から校長先生の声が聴こえてきて
彼女は促されるままに
「はい、失礼します。」と答えてから、扉を開けて静かに入室すると
そこには
『校長先生』と『教頭先生』に、そして 教育実習中の指導を担当して下さっている『山田先生』が待っていらして
彼女は
更に緊張したが、何とか目の前に居る先生方に
先程の【騒動の経緯】を、一通り全て説明した。
彼女の話を聞き終えてから
まず最初に口を開いたのが、険しい表情をした『教頭先生』だった。
「これだから私は、教育実習生を受け入れるのは反対だったんです!
水元校長や山田先生に、他の先生方が『受け入れましょう。』と仰って
山田先生は
【あの生徒】が居るクラス担任でありながら、実習生を指導すると仰るから。
川凛先生!
分っているとは思いますが、貴女は本来この学校に【関係のない人】なのですから、あまり生徒を刺激しないでくれますか?
それに問題を起こして困るのは、貴女の方なんですよ!」
彼女が
厳しく叱責を受けていると
『水元校長先生』が
すかさず間に割って入り
「まぁまぁ、教頭先生。
少し落ち着いて話しましょう。
それに生徒の事を悪くいう事は、教育者として見逃せません。」
険しい表情をして言うと
『教頭先生』は
申し訳なさそうな表情をしながら
「そうですね。
申し訳ありませんでした、水元校長。」
自らの非を認めた。
「はい。
分かってくださればいいのですよ。」
『水元校長先生』は
少しギクシャクしてしまった雰囲気を変えようと
いつもの優しく穏やかな表情に戻って
「川凛先生。
私たちはこれまで、一緒に学校で過ごしてきて
川凛先生の仕事ぶりに、他の先生方や生徒との接し方を見ていたからこそ
川凛先生は非常に真面目で礼儀正しく、教員としての能力も十分におありのようで、優秀な方だとは皆が思っていて、応援しているのですよ。
川凛先生の事を大いに期待しているからこそ
だからこうして、厳しい事も言います。
確かに教頭先生が仰る通りで、貴女が今この学校で接しているのは、普段貴女の
周りに居るような友人とは違い、思春期を迎えた多感な年頃の子ども達なのです。
ですからこの事をいつも忘れずに、普段から心して十分な配慮を持って、生徒とは
接して下さいますようお願いします。
でなければ
貴女が教員として、教鞭を取る事は叶わないでしょう。
今後二度と、このような事が起こらないように、以後気を付けて下さい。
もしまた問題が起こりましたら
生徒の為にも学校の為にも、貴女の実習は取り止めさせて頂きますので、
くれぐれもこの事を忘れず、残り僅かな実習をこれまで以上に頑張って下さい。」と、厳しくも優しい言葉を掛けてから
「このあとの事は、担当の山田先生にお任せしますから、宜しくお願いします。」
『水元校長先生』は
その後の対応を『山田先生』に任せた。
『山田先生』は
「はい、水元校長。
わかりました。
冴香先生とは、この後2人で話しますので。」
険しく真剣な表情で話しつつ、彼女の方をチラリと見た。
『水元校長先生』は
一度頷いて
「はい、そうですね。お願いします。
ではこの話はこれにてもう終わりとしますが、教頭先生よろしいですか。」
と、教頭先生の方を見た。
すると
しばらく黙っていた『教頭先生』が
「水元校長と山田先生がそう仰るのならば、もうこれ以上は何もありませんので、
川凛先生は下がってください。
山田先生とは少し話がありますので、この後お時間よろしいでしょうか?」と、
まだ多少腑に落ちないような表情で言い
『山田先生』が
「はい、大丈夫ですよ。
分かりました。
冴香先生は先に職員室へ戻って、残っている作業の続きをして待ってて下さい。」
少しだけ彼女に微笑みかけた。
「申し訳ありませんでした。
失礼します。」
深々と一度頭を下げてから、彼女は1人で校長室を出て、その場をあとにした。
1人で校長室を出てからは
職員室で作業をしながら、『山田先生』の指示通りに、待機して待って居た。
彼女は
実習前に『山田先生が話していた事』を思い出して、【彼の事】を考えていた。
『あっそうか。
きっと山田先生が、実習前に話して下さった、「色覚異常」を抱える生徒の事は、
彼だったんだ。彼が、私と似てる子なんだ。確かに、そうかもしれない。
私が「色覚異常を抱えてる事」を、皆に話したから、彼はもしかしたら、自分と
似てる私なら、「何かを」察して、気づいてくれるんじゃないかと、そう考えてたのかもしれない。
だからきっと
普段は人に見せない「スケッチブックの絵」を、私にだけ見せてくれたんだろうな。
それなのに
私は、「彼の思い」に、ちゃんと気づいてあげる事が、できなかったんだ。
普段の私なら、もしかしたら、気づいてあげられたかもしれないけど。
自分では、自覚がなかったけれど、教育実習が始まってから、だいぶ時が経って
慣れてきた事による気の緩みなのか。
それとも
まだ緊張していて、普段以上に、周りとの距離を置き、いつも以上に周りを意識し
過ぎたからこそ、段々と心に余裕がなくなっていたのかもしれない。
そんな所に
彼の方から、少しでも心を開いて絵を魅せてくれたのが、話しかけてくれたのが、
彼の心と触れ合えたのが、自分が思う以上に、嬉しかったのかもしれない。
その為
ついつい人の気持ちを深く考える事も、人の想いを汲み取って察する事もできず、
人の心へと踏み込み過ぎてしまい、人の想いに対して、あまりにも鈍感で、配慮が
足らなかった。』と、深く深く後悔した。
彼女は
自らの無自覚な行いを改め、更に、教育実習の終わりに向け、気を引き締め直して
彼には、申し訳ない事をしたと思い、翌日会った際、直接謝罪の言葉を伝えようと
したけれど………。
しばらくすると
山田先生が、職員室へ戻り
「冴香先生、お待たせしました。
ここではあれですから、2年3組の教室に行きましょうか。」と、促されるまま
職員室から2年3組の教室へと、移動した。
2年3組の教室に着いてから
山田先生が、重い空気の中、険しい表情をしながら、閉ざしていた口を開いた。
「あのね、冴香先生。
水元校長と教頭先生から指示があって、実習が終わるまで、【大瀧河君】には、
もう関わらないようにしてほしいの。
彼の事を、これ以上刺激しないでほしいのよ。
周りの生徒の事もあるから。
だからね、彼には、極力関わらないようにして下さい。」
山田先生は
険しかった表情を変えて、今度はいつもの優しく穏やかな顔で、話を続けた。
「それでも、今回の事については、私の落ち度でもありますから。
冴香先生は、あまり気を落とし過ぎずに、心配しなくてもいいですからね。
私はね。
彼と貴女が出会って、直接話してみた事は、良かったと思ってるんですよ。
それはね。
毎日つまらなそうに、段々と抜け殻になりつつあった彼が、貴女と出会った事で
自らの中にある、『何か』を感じたらしく、少しずつでも変わろうとしてるのかも
しれないって、そう感じる事ができたから。
彼が感情を顕わにしたのは、本当に久し振りで、それに私以外に絵を見せたのは
初めてだったから、これは『何かの変化の兆し』かもしれないと思ったの。
でもだからこそ
貴女には、きちんと彼の事を、説明しておくべきでしたね。
まぁ今となってしまっては、もう遅いのだけれど。
あとは
校長先生が先程仰ったように、残り少しの実習ではありますが、頑張って下さい。
明日からも、今まで通りに、宜しくお願いしますね。
私も最後までちゃんと、貴女の事を、責任持ってフォローしていきますから。」
ただただ静かに、彼女はじっと、山田先生の話に、耳を傾け聴いてから
「はい。
本当に、大変なご迷惑をお掛けしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。」と
頭を深々と下げてから、顔を上げて
「有難う御座います。
今後ともより一生懸命に、多くを学ばせて頂きながら、精進して参りますので、
残り僅かではありますが、改めまして、宜しくお願い致します。」と、涙声ながら
山田先生へ、心からの謝罪と感謝を込めた思いを伝え、更に深く長く頭を下げた。
彼女の足元には、頬を伝って床へと、何粒もの涙が、零れ落ちていた。
そして
『山田先生には、ただでさえ実習生としてご迷惑とご負担をかけてしまってるのに、これ以上はもう生徒や先生の期待を、気持ちを、裏切るような事はできない。』と
強く思い、今まで以上に、自らをより一層、厳しく戒める事とした。
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