第5話 信じること
私の家から出発して一週間がたった。
夏休みが始まって、今日から8月になる。
相変わらず暑いのは変わらないけど、滞在している旅館の窓から吹き込んでくる風が、湖の冷気を伴っていて、心地いい。
でも、心の中は複雑。
女性だからって理由で、私だけの部屋をとってもらってるけど、私と昴君の貯金だって、無限じゃない。これからが少し心配だな。
ラルスは、優輝君の貯金をおろすよ、って言ったけど、昴君はそれを止めさせた。
死人の金を下ろすのは、いろいろとまずいことになるって。
私は素直に感心した。そこまで頭の回る昴君はやっぱりすごい。
私の家でラルスの話を聞いたあとから、昴君は変わった気がする。
どこがどうって言うのはわからない。けど、顔つきが違ってきている。なんか大人っぽい。
その昴君は、ラルスと一緒に日持ちのいい食料と、戦うための武器を買いに行っている。
だから、私は旅館に一人きり。特にやることもないから、部屋でごろごろして、窓から湖を見ていることが多い。でも、それがけっこう綺麗で見ていて飽きない。
私たちは、富士山の麓にいる。
目の前には素晴らしい風景が広がっていて、旅行で来たならば、思わずハイテンションな気分になるだろう。
でも、私たちは地球を救うためにここに来ている。なんか信じられなくて、現実感がなさすぎる。けど、浮かぶダイヤと戦うと、そういう実感はでてくる。
私は、湖を見ながら、ここに来るきっかけになったラルスの話を思い返していた。
「一度は壊れちゃうよ」
ラルスの20億歳に驚いていた私は、その言葉で我に返った。
「えっ?壊れるって何が?」
「地球が。内側から崩壊する」
また信じられないことを。冗談かな?もしかして、20億歳っていうのも・・・
「詳しく教えてくれないか?」
真剣な顔で昴君が聞く。
「つまり、起動された機械は、地上を目指して地中から出てくる。そして、環境状況を確認してから行動を開始するんだ。ところが、隕石は、地球の核に近い部分にあるんだよね。そうなると、機械が作動した瞬間に、地球の核に深刻なダメージを与えつつ地中から出てくる。だから、一瞬でどか~ん!ってわけ」
・・・なるほど。その話には納得できた。
外側からの爆発よりも、内部からの爆発のほうが、効果が大きいものだから。
子供の頃。近所の男の子が、何回も見せてきたカエルの爆死があるけど、あれはお尻の穴に爆竹を入れて爆散させるものだった。それと同じような感じだろう。
でも、ラルスの話はそれよりはるかに規模が大きすぎる。
「残りのダイヤはそれを知ってるのか?」
「知ってるとは考えられない。俺は、地球の核になっているのを、君らから教えてもらったから。人間と関わりのないあいつらが知ってるはずがない。だから、あいつらを殺すか、スイッチを壊して、起動を阻止しないと地球もろとも一緒に死ぬことになる」
・・・状況はかなり切迫しているらしい。今、こうしている間にも、私の意識は消えてなくなるのかもしれないんから。
そう思うと、焦りを抑えられない。
「その起動スイッチを壊しに行かなくちゃ駄目じゃん!今すぐ、壊しにいけないの?私たちも早く行かないと、ダイヤが先にスイッチを押しちゃうよ!?」
「先に押される心配はない。スイッチのありかを知らないんだから。知っているのは隊長だけ。でも、その隊長もいないし」
なら、誰もスイッチがどこにあるか知らないじゃん。どうしようもないんじゃ・・・
けど、ラルスは全く慌てていない。
あっ。もしかして・・・
「ラルスは、場所を知ってるんだね?」
「そういうこと。人間に接続した隊長が教えてくれたんだ。もしかしたら、自分が殺されるのを感じていたのかもしれない」
「じゃあ、もう壊しに行こうよ。そうすれば、ラルスもファスに帰れるでしょ?」
でも、ラルスは首を横にふった。
「まず、ダイヤと戦うだけの準備が必要だよ。今も、俺を探しているだろうから、下手に動けない。特に俺はね。サハスに見つかったのは、今なら分かるけど、俺の生体反応が漏れ出すのを止め切れていなかったからさ。流れ出ていた反応を追って、あいつはお化け屋敷まで来た。
今はだいぶコントロールできているから、ほぼ流れ出ていない。けど、完璧には止めきれてないから、いずれ絶対に見つかってしまう。ここにいられるのも長くはないよ」
昴君が立ち上がった。
「だったら、少しでも早くここから移動してスイッチがあるところの近くまで行っておいた方がいいと思う。ここにいて動きを封じられるよりは、近くまで行ってるほうが、スイッチを壊せる確率は単純に高くなるからね。ラルス、どう思う?」
ラルスは、しばらく考えた後に頷いた。
「そうだね。ここにいても、スイッチまで距離があるから、壊そうにも壊せないし。
昴の言うとおり、明日にでも移動しよう」
昴君は、ラルスの言葉に頷いた後、顎に手を添えて何かを考え始めた。
「佐伯は、着替えを鞄に詰めておいてくれ。俺も、家に戻って準備してくるから。金も必要になるね。銀行でおろさないと」
「あっ。お金が必要なら、私も貯金おろすよ。あんまりないけど・・・」
本当に貯金は少ししかない。一学期に使いすぎたことを、後悔してしまった。
「そうか。それでも助かるよ」
「俺もおろそうか?」
昴君は首を横に振って、拒否した。
「お前は世間的には死んでるんだ。どういうことか分かるだろ?それに、優輝の貯金なんて当てにならないしね」
「じゃあ、俺はどうすればいい?」
「ここを動かないほうがいいよ。生体反応は完璧には止められてないんでしょ?」
「わかった。ここで待ってるよ」
「ラルスの着替えは、現地調達しかできないな。優輝ん家に行って、服とってくるわけにも行かないし。じゃ、佐伯さん。俺も準備したら、すぐここに戻ってくるからね。ラルス。それまで大人しくしてろよ」
・・・なんで戻ってくるんだろう?つまり、私ん家に昴君とラルスが泊まるってこと?
「あの・・・昴君?それって、私ん家に泊まるってことかな?」
昴君は、ラルスを指差した。
「ラルスをどうするのさ?俺ん家連れてったら、俺の両親が混乱しちゃうよ。ましてや、優輝ん家に帰したら、それこそ駄目でしょ。 と、なると一人暮らしの佐伯ん家しかないわけ。分かった?」
それは分かった。けど、まだ分からないことがある。
「昴君は、なんで私ん家に泊まるの?」
昴君は頭を抱えて、それは理解してよ~って呟いて、私とラルスを交互に指差した。
「一つ屋根の下に年頃の男と女」
「あっ・・・」
顔が赤くなるのを感じて、俯いてしまった。
「そういうこと。俺も準備したらすぐに戻ってくるから。ラルス、ここを動くなよ」
昴君は出て行こうとして、振り返った。
「起動スイッチって、どこにあるんだ?俺と佐伯の貯金で足りる場所なの? ってか、パスポートとか必要だとやばいよ。ラルスは日本から出れないし」
「日本。富士の樹海ってところだよ」
「そっか。日本国内で良かったよ。でも、すごいところにあるな。今まで見つからなかったのは人の手が入りきらなかったからかもな」
昴君は、今度こそ家に戻っていった。
玄関が閉まる音に緊張した。見た目は優輝君と・・・好きな人と二人っきり。
「佐伯さん?」
どきっ!として、慌ててしまう。
「す、昴君の言うとおり、こ、ここを動いちゃ駄目だからね。ぜぜっ、絶対だよ!」
自分の部屋への階段を駆け上った。
そこまで思い返して、湖を見ている私はくすっと笑ってしまった。
あの後、昴君はすぐに戻ってきてくれて、私を一階から呼んだ。
『佐伯~!どこにいんの?ラルスに何かした~!?』
何もしてないけど?って思いながら、階段を降りたら、昴君がお腹を抱えて笑っていた。
私もラルスを見て笑ってしまった。
ラルスは全く動いてなかったから。リビングから一歩も。目さえも動いてなかった。
なんで動かないの?
そう聞くと、ラルスは真剣に答えた。
『昴と佐伯さんに、ここを動くなって言われたから』
笑ってしまうのを我慢できなかった。
優輝君が死んだって聞かされてから、初めて心の底から笑った。なんか楽しかった。
とんとんっとドアを叩く音が響く。
「買出し終了~。お土産もあるよ」
ラルスだ。
「ほんとっ!?今、開けるね」
ドアを開けた。
「ひゃっ!?」
顔に冷たいものが押し付けられる感触。
「アイスだよ」
「びっくりさせないでよ。も~」
私はふくれてみせる。
「ごめんごめん」
ラルスはここ数日でさらに優輝君に似てきている。これが影響を受けるってことらしい。
口調もかなり似てきたし、今のアイスみたいに軽いふざけもするようになってきた。
でも、無表情なのは変わらない。これだけはどうにもならないな、って感じている。
ラルスと優輝君の決定的な違いだから。
「昴君は?」
「部屋で残金の確認と食料の仕分けと武器の手入れをしてるよ」
私のアイスをひょいっと取って、半分に折って食べ始めた。
「あーっ!私のアイス!」
「細かい事は気にしない。老けちゃうよ」
瞬間、胸が締め付けられる。
『今日は9のつく日じゃないよ?』
『細かい事は気にしない。老けるぞ』
優輝君と初めてクレープ屋に行った時のことを思い出してしまった。
ラルスは、無意識で口にしただけなんだろうけど、それでも込み上げてくるものがある。
「佐伯さん?」
ラルスが心配そうに声をかけてくる。なんとかして、動揺をごまかさないと。
「う~・・・アイス~」
・・・泣くもんか。次に泣くのは優輝君が帰ってくる時って決めてるから。
優輝君との思い出で泣いてしまったら、優輝君は帰ってこない。まだ、優輝君は死んでいないから、泣かない・・・泣くもんか。
「ごめん!でも、昴が、お金の無駄遣いって、一個しか買ってくれなかったからさ」
「ん~・・・仕方ない。半分あげよう!」
「やった!」
ラルスは素直に嬉しがっている。
私の心の葛藤なんて気づいてないみたいだ。って言うか気づいて欲しくない。
ラルスの袖を引っ張る。
「昴君のところに行こうよ」
残金が気になるし、どれくらい新しい武器を手に入れてきたのか知りたい。かなりの武器を買ったはずだ。
昨日、ダイヤとの戦闘があったから。
キラルってダイヤと戦った。
そのせいで、工事現場とかミリタリーショップで手に入れた武器の多くが、使い物にならなくなってしまった。
その戦いには、私と昴君も参加した。
怖かったけど、ラルスの圧倒的な戦いぶりに、驚かされたほうが大きかった。
でも、キラルはサハスほど強い奴じゃなかったらしい。その特殊能力もラルスと同じような変化形の能力で、人間の体があるだけ有利だよ、とラルスは言っていた。
そして、この戦いで分かったことがある。
私と昴君にとっては嬉しいこと。
特殊能力が使えなくなったダイヤモンドは人間でも対等に戦えることだった。
キラルの核を破壊したのは、昴君。ラルスの攻撃を避けているところに、不意をついて近距離からボウガンで打ち抜いた。
でも、死にかけたキラルからの突撃を防御するために、ボウガンは粉々に破壊されてしまった。他にも、空軍払い下げのヘルメットとか防弾チョッキとかも壊れてしまった。
「昴君、入るよ~」
「うん。いいよ」
入った部屋の構造は変わらない。けど、そこにあるものが私の部屋と大きく違う。
それを見た私はちょっと意外な気がした。
「ボウガンと防弾チョッキ?同じの買ってきたんだ?」
なんか感覚が少し狂ってきたな~って自分でも感じる。前の私なら、こういうのを見るだけでも怖かった。
なのに、今じゃ当たり前のように口に出すことが出来るようになってきてる。昨日は手に持って実際に撃ったし。こういう変化が良いことなのかは分からない。けど、優輝君が戻ってくるためなら、どうでもいいことだ。
「うん。昨日の戦いで有効性があるのが分かったからね。それに、俺達一般人が買える武器なんてこれぐらいで、あまり高いものも買えないから。何より目立ちすぎるものを買って怪しまれるのもまずいから、結局、これにしたんだ」
「あと、どれくらいお金残ってるの?」
昴君の貯金は驚くべき額だった。父親を通じて宝くじや株で稼いだらしい。タフな高校生だなって思う。クラスの人気者ってだけじゃないんだ。でも、それだって無限じゃない。
「これぐらいなら、まだまだ買えるよ。けど、早めにダイヤモンドと決着をつけないといけないな」
そして、昴君はラルスに視線を向ける。
決着をつける時期はいつ?それを知りたがってるみたいだった。
「もう少し・・・あと3日したら樹海に行こう。それまでにもう一体ぐらいは攻めてくるはずだから。そいつを殺して、追っ手の心配を少しでも無くそうよ」
ラルスはダイヤモンドたちの存在が大雑把ではあるけど判別できるようになったらしい。
ダイヤとしてのラルスが戻りつつあるってことにもなる。
昨日に殺したキラルってダイヤも、どこに潜んでいたか分かったらしい。町中で戦うのは人目につくから、わざとここまで追跡させて、湖近くの森で殺した。
「じゃあ、そのダイヤを殺してからスイッチを壊しに行こう。佐伯もいいよね?」
「うん・・・」
寂しい気持ちに襲われる。
この一週間は面白かったから。電車に乗ってここまで移動してきたことや、3人でご飯を食べたり・・・旅行みたいだった。
でも、地球と優輝君を助けるためには、ラルスとの別れも納得しなけれはならない。
あと3日・・・
ラルスとの別れも近づいてきている。
次の日の朝・・・
俺は、ラルスに起こされた。
『三体目の生体反応が掴めた。誰が来たかまでは掴みきれないけど、一定の距離をおいて様子を伺ってるよ』
寝起きの俺に、ラルスはそう告げた。
全く朝からご苦労なことで。軍人ってのはどこの世界でも立派だ。ダイヤには朝とか夜とかの区別はないらしい。
「佐伯には伝えたの?」
「いや、まだだよ。たぶん寝てるから」
時計は10時35分ぐらい。どっちかっていうと、もう昼に近い。
「もう起きてるよ。部屋に行ってみよう」
「でも・・・」
ラルスは言葉をきった。
「でも?なに?」
「佐伯さん、朝に弱いみたいだよね。しかも寝起きめちゃくちゃ機嫌悪いしさ。俺、もう痛い思いしたくないし。
だから、佐伯さんから来るの待たない?」
ラルスの言い分には、何の異義も無しに賛成する。一週間とはいえ一緒に行動してきて、部屋は違えど寝食を共にしてきた仲なのだ。
佐伯の寝起きの悪さに気づかされたのは、ここに来るまでの電車の中のこと。
下車駅が近づいてきたから、疲れて寝てしまった佐伯を、ラルスが起こしにかかった。
『あと10分くらいで着くよ!』
けど、佐伯は睨みつけるように少しだけ目を開けたあと、またすぐに首をかくんっとして二度寝に入ろうとした。さすがに荷物を持ちながら、寝たままの佐伯を背負えるだけの体力的余裕は無い。
ラルスがもう一度起こしにかかった。
『起きて!佐伯さん!』
『・・・う~!』
と唸り、膝に置いてあった本を下から上に、ちゃぶ台返しのように振り上げた。
運悪く、佐伯の肩をゆすっていたラルスの顔に直撃。あれは痛すぎる。しかも、佐伯はぶつけたことを覚えていなかった。
でも、佐伯の寝起きの恐怖をはっきりと知ったのは、この旅館に来て3日目の朝のこと。
この旅館は大きな食堂みたいなところで、食事をとることになっている。俺達はご飯の5分前には、部屋の前で合流してから一緒に行くことにしていた。
でも、その日の朝に限って、いつもなら俺たちより早く出ている佐伯がいなかった。
『あれぇ?おかしいね』
ラルスが考えなしに部屋のドアを叩いた。
『佐伯さん!佐伯さ~ん!』
と呼びながら、何度もドアをノックしているうちに、ゆっくりとドアが開いた。
『あっ。おはよう!朝ごふぁっ!?』
ラルスの腹に、佐伯の全体重をかけた枕が食い込んだ。
『眠い・・・無理』
そんな声とともにドアが閉まった。
残ったのは哀れに腹を押さえているラルスとその足元に転がった枕だけ。
それ以来、佐伯を起こさないと決めたのだ。
「そうだね。ラルスもこれ以上痛いのは、さすがにね。じゃあ、どうしようか?」
「・・・3体目を殺そう」
突然の意外な言葉に驚く。
「相手が動かないなら、夜まで待とうよ。昼間からじゃ、間違いなく誰かに見られる」
ラルスは首を横に振る。
「昴の言うことも一理あるけど、その心配は無いよ。キラルと同じで、3体目が隠れている場所は、人目につかない場所のはずだからね。あんな光る体じゃ自分から見つけてくださいって言ってるようなものさ。それに、こっちの気持ちのほうが強いんだけど・・・佐伯さんを戦いに連れて行きたくない。キラルの戦いで確信した。やっぱり佐伯さんは女の子だよ。昴と違って戦えない。連れて行くのは危険が大きすぎる。だから、殺しに行くなら、佐伯さんがまだ寝ている今のうちに行きたい」
そういうことか。確かにキラルってやつと戦ったとき、佐伯はボウガンを一発撃っただけで、それからは隠れて戦いを見ていた。
それに、ラルスが強くても、常に佐伯を護ってはいられない。3体目がどういう能力を持っているか分からない以上、戦闘時における危険は少しでも減らしておくべきだ。
「じゃあ、佐伯には携帯でメールを送っておくよ。それと、ドアの下から、置き手紙を入れておく。俺達が帰ってくるまで、ここから出るなよって。これでいいかな?」
ラルスは武器を鞄に詰めながら頷いた。
ボウガン、防弾チョッキ、軍用ナイフ、その他いろいろ。
こんなの持ってるのが見つかったら、補導決定だ。俺はともかく、この世にいないことになっている優輝はまずい。ラルスのことが世に知られてしまう。だから、3体目の場所まではどうやって行くかを考える必要がある。
今回は少し遠いらしいから、バスかタクシーを使うことに・・・いや、歩いていくか?
でも、あれだけの武器を持ちながら歩くのは、戦う前に体力が奪われてしまう。それに、重さに耐えられなくなった鞄が壊れでもしたら、中身が一般人に見られる。
となると、バスかタクシー・・・
タクシーも避けるべきか。
10代の男二人が大きな荷物を持って、特定個人と接触するのは危険だ。それでなくても、タクシーの運転手は客と話す人が多い。話の内容が鞄にいくと面倒だ。それに、降ろしてもらう所が人気の無い場所なのは間違いない。顔を覚えられるのは避ける必要がある。
高校生っぽい怪しげな2人組みが、人気の無いところで、大きな鞄を持って降りた。もしかして事件じゃないのか?そんなふうに警察に言われる可能性も0%じゃない。
ってことは、バスで近くまで行って、そこから歩くべきだな。
バスの運転手なら、数多くいる客にいちいち気を使ったり、干渉したりしない。印象さえ残さなければ、それでいい。
「ラルス。バスで3体目の近くまで行ってから、そこから歩こう。だいたいの場所って言っても、近くなればなるほど明確な位置が分かるんでしょ?」
「うん。分かるよ。じゃあ昴の言うとおりバスで行こう」
その言葉に、そういえば・・・と思い返す。
初めて会ったときから、ラルスは俺の言うことには反抗せず素直に聞いている。
クレープ屋、お化け屋敷、佐伯ん家。そして今も。俺に異議や文句を言ってきたことは、数少ない。もっとも、佐伯が命令するようなことは無かったから、俺だけの言うことを聞くとは限らないけど。
「ラルスはさ。なんで、いつも俺の言うことを聞くの?文句とかは無いの?」
「ん?だって、優輝がね、昴の言うことはいつも正しいし、間違いないから文句言っても仕方ない。俺は考えるとか苦手だから任せよう、って。昴に頼ろうってわけ」
怒りを覚えた。言いたいことはあるけど、言わないでおく。それは優輝に言うべきことだ。ラルスにじゃなくて、優輝に。
その思いは、胸に閉まっておくことにした。
「行こうか。佐伯の部屋に置手紙してさ」
フロントに鍵を預けて旅館を出る。
フロントのおじさんが『今日も大きな荷物持って何するんだろ?』って目をしていた。流石に限界が近いかもしれない。
そして、旅館のバス停から7つ目で降りた。
町外れって感じの場所で、昼間だから、観光客は名所にでも行っているらしく、このあたりは人がいない。
「あっちのほうだよ」
指さした先には、ちょっとした森がある。
「あの中から反応があるよ。たぶん、無人の建物でもあるんじゃないかな?」
「よし。反応は一体だけ?」
「うん。あとの2体はいない」
「ってことは、俺はキラルと同じように、特殊能力が切れた頃に参戦すればいいか?」
「うん。一人だと優輝の体がもたないから。それにこの頃、なんか変になってきてるんだ。ガタがきているって感じで。負担が溜まってきてるみたいだ。だから、今日も短期決戦で決めるよ」
俺は無言で頷いた。ラルスがそう言うからには、優輝の体が人間の限界を超える力に耐えられなくなってることは事実なんだろう。
あと、3体。
優輝の体を壊すわけにはいかない。
森へと向かう。しばらくすると、予想した通り、木に隠れるようにして建物があった。
二階建ての別荘のようだけど、何年も使われてないらしく、壁じゅうに蔦がからまり、木でできた玄関も凹んだり、穴が開いている。
窓ガラスが割れている場所があった。
たぶん、3体目が入り込んだ跡だろう。大きさもそれに見合うものだ。
その窓の下に近づく。別荘の裏側なので、人目につくことは、まずありえない。
横ではラルスが防弾チョッキを身につけ、ボウガンをチェックしている。さらに、肘、膝、二の腕といった体のいたるところに、可能な限りのナイフを装備して、体の自由が制限されていないことを確認している。
「3体目の特殊能力が切れたら、家の中から呼ぶから。ここで待ってて」
「ああ。気をつけて」
ラルスは無表情のまま、割れた窓ガラスから、手を突っ込んで錠を開け、部屋のドアも開けて、別荘の中そのドアも窓と同じ穴が開いている。
その背中を見送ってから、壁に背を預け、時計に目をやる。
11時50分。
キラルの特殊能力は30分ぐらいで切れた。
今回もそのぐらいだろうと判断して、時間が過ぎるのを待つことにした。
が、その30分はすぐに過ぎてしまい、不安が大きくなってきた。
・・・遅い。遅すぎる。
お化け屋敷のサハスと同じくらいの長さになりそうな気がした。
時計は2時を描きかけている。3体目との戦闘が始まって2時間がたつことになる。
それでも、別荘の中から物が壊れる音や、矢が突き刺さるような音が聞こえてくるから戦闘が終わったわけではない。
でも、優輝の体が心配だ。2時間も人間の限界を超えた力を引き出されている体への負担は、無視できるものではないはず。
音をたてないように腰を上げる。
ラルスからの合図はまだ無いが、優輝の事を考えると、俺も行ったほうが良いだろう。
ラルスと同じ順序で、物音をたてずに別荘に入る。戦闘音は頭上の床から響いてくる。
階段を上り、慎重に近づく。ドアが開いている右奥の部屋から、戦闘音が響いている。
不意打ちのために、ラルスを呼ぶことはせずにドアの真横でチャンスを伺う。
不意に物音が消えた。
顔だけで突き出して部屋を見回すと、ラルスが部屋の中心でボウガンを構えて、俺からは見えない部屋の隅を睨んでいる。
そっちに敵か。
心の中で呟き、次の瞬間で部屋へ飛び込む。
「えっ?」
思わず声が出てしまう。飛び込んだまま、ダイヤにボウガンを撃てないでいた。
敵が本物のダイヤみたいに、きらきらと光っている。ただ、その数がおかしすぎる。逆に狙いがつけられない。
「昴っ!?まだ呼んで無いのに!」
その声に我を取り戻して部屋の外に逃げる。
「敵は1体じゃなかったのか!?」
あれも能力なのか?ラルスが感知しきれなかった?気配を消せる特殊能力?
なんにしても飛び込んだのはまずかった。
1体ならともかく、あの数は、ただの人間が太刀打ちできる相手じゃない。これじゃ足手まといにしかならない。
と、ラルスが部屋を飛び出してきた。
「あれがクルスの特殊能力だよ。あれだけあっても、実体は一つだけ」
俺の手を引きながら、隣の部屋へ飛び込む。
「攪乱系の特殊能力である分身は、直接破壊系じゃないから、発動時間は、俺やサハスと同じかそれより長い」
部屋に飛び込んだラルスは、すぐにドアを閉め、近くにあったタンスやベットをそのドアの前に、バリケードがわりに倒した。
「これで時間稼ぎができるね。クルスにはドアをぶち破るだけの直接的な力はないから。
この間に、あいつの能力を説明するよ。
昴の存在がバレたからには、あいつだって馬鹿じゃない。昴を狙ってくる。まあ、ここに来てしまった以上、一緒に戦うしかないけどね。そのためにもクルスの能力を理解する必要がある」
体当たりが響く中で、ラルスが話し出した。
昴が飛び込んできたのには驚いたけど、昴が来たことで勝率が上がったのも事実だ。
お化け屋敷のサハスといい、このクルスといい特殊部隊には対少人数戦闘に真価を発揮する奴が多い。ファスでの対大多数戦争ではその強さが分からなかったわけだ。
「さっき言った通り、クルスの特殊能力は分身。日本の忍者みたいなものって考えてもらって問題はないよ。つまり、クルスの実体は一つだけ。クルス分身も攻撃はしてくるけど、その攻撃も実体ではないから当たらない。分身は、目くらましやダミーでしかないんだ。そして、クルス本体は、ダミーに怯んだ隙をついて攻撃してくる。ただ、その攻撃は重くない。よほど当たり所が悪くない限り、深刻なダメージは受けない。攻撃を見極め、本体を壊せば、俺達の勝ちってわけさ。ところがこれがなかなか難しい。 能力としてはサハスや、昴が止めを刺したキラルより弱いのに、だよ。さて、なんででしょう?」
俺の問いに昴は少し考えて答えた。
「さっき言ったように発動時間が長いから。それと単純に数が多すすぎる」
「その通り。物量攻撃が、長く続くほど手強いものはない。しかも、あいつはとりあえず50体まで分身することが出来る。さて、俺達の攻撃は何%の確率で本体に当たるでしょうか?」
「2%」
「そう。たったの2%だよ。つまり、普通に攻撃していたら倒せない相手さ。クルスも倒された分身をすぐに補充してくるから、2%は変わらない。奇跡でも信じてようか?そのうち攻撃が当たる。2%でも当たらないわけじゃないって。でも、そんな攻撃が当たるはずがないよ。数字は残酷なまでに数字に過ぎない。またここで問題。サイコロを1回だけ振って、1が出る確率は?」
「6分の1。約16%」
「じゃあ、6回ふれば、必ず1回は1が出るのかな?」
「・・・・・」
昴は黙っている。それは答えを言っているのと同じだった。
「そう。出るとは限らないよね。だから、クルスへの攻撃命中率2%は限りなく0%に近い。しかも、クルスには意思があるから、回避行動を取るし、戦略も考えられる。ただの物であるサイコロとは違いすぎる」
「でも、1が6回出るかもしれない」
「確かに数字上での話だから、そういうのもありえるよ。だから、俺達の攻撃も命中しないわけがない、と昴は言いたいんだよね? でも、俺達は攻撃の度に2%を繰り返すんだ。サイコロとはあまりにも違いすぎる」
昴は黙って俯いてしまう。
「でもさ、昴・・・昴が来てくれたから、勝率は上がったよ。俺達が背中をあわせて戦えば、相手にするのは25体ずつ。 命中確率は、2倍の4%さ。 でも、それでも確率としては低すぎるね。 そこで・・・だよ。工夫しよう」
頭をとんとんっと叩く。
「クルスにも意思があるように、人間には賢い頭頭があるじゃんか。これを使えば勝率はいくらでも100%に近づけられるよ。そこで、俺に提案があるんだ。一人じゃ出来なかったけどね。今は昴がいる。とりあえず聞くだけ聞いてみてよ」
昴は力強く頷いてくれた。
提案どおり、窓を背にしてドアに向けてボウガンを構える。
ラルスは、ドアの横でバリケードをどけるタイミングを計っていて、ドアの音は同間隔で響いてくる。キラルは、ほぼ同じ間隔で体当たりを繰り返してくれている。
ラルスの思惑通りの展開が続いている。
でも、この作戦は一度きりだ。そんな思いからか手には自然と力が入る。それとも、作戦があまりにも単純だからだろうか・・・
『体当たりを続けているクルスのタイミングを計って、バリケードをどけ、ドアを開けるよ。そこに勢いあまって突っ込んできたクルスにボウガンをくれてやろう。大丈夫!当たるって!体当たりをしているのは本体だから、真っ先に突っ込んでくるのは、クルス本体だよ。分身には体当たりできないから。そういうことだから、頑張ってくれ!』
・・・これだけ。でも、ただ単に4%の戦いを続けるより勝率が高いのは間違いない。
ラルスが小さく頷いてくる。それに俺も小さく頷き返した。
どんっ!・・・どんっ!・・・どんっ!
音は同間隔で響いている。
ラルスがバリケードをどかす。
まだ、ドアは開けない。ドアは激しく軋むがまだ耐えている。でも、そんなに耐えられないだろう。あと5回もてばいいほうだろう。
ラルスは、ノブに手をかけて、左手の指を3本立ててきた。
それに大きく頷くことで答える。3回目の体当たりの瞬間にドアが開かれる合図だ。
ドアが大きく軋む部分に狙いを定め直す。
どんっ!・・・どんっ!・・・
ドアが開く。ラルスはノブにしがみついたまま逆側に移動する。
そして、クルスが突っ込んできた。
「・・・なっ!?くそがっ!!」
が、突っ込んできた以外は予想外。
廊下にある分身の光が逆光になって狙いがつけづらく、しかも、クルス本体がその光に溶け込んでしまって判別がつきづらい。
「ちっ!」
無意識に舌打ちしながらも、なんとか撃つ。
がきっ!と当たる。でも、核には当たっていない。外殻を削っただけだ。
突っ込んできたダイヤを、横に飛んで避けながら、振り向きざまに2撃目を放とうとしたが、窓ガラスを割って外へと逃げていた。同時に廊下の光が消えて、分身も消えた。
「くそっ!分身の光が予想外だったね。でも、ダメージは与えられた。これで分身しても、体の欠けた奴が本体だって、見た瞬間に判断できる。ほんっとに昴が来てくれて助かったよ~」
ラルスの顔は、無表情だけど嬉しそうに輝いている。高鳴る鼓動を抑えながら答えた。
「分身がいなけりゃ、核を壊せてたのにさ。次こそは当ててみせるよ」
ちょっと興奮している。能力発動中の敵と対等に戦えたことがかなりの自信になった。
と、窓の向こうが光る。
欠けたダイヤモンドが浮いている。欠けている・・・ってことは、本体だ。
勝利を確信しながら、矢を放つ。
ダイヤのど真ん中を貫き、矢はそのままの勢いで森の中まで飛んでいった。
「・・・あれ?」
ラルスが間の抜けた声をあげる。
核を壊されたクルスがまだ浮いているからだ。おかしい。見事なまでに貫いたはずだ。間違いなく真ん中だった。
そこで気づく。矢は速度そのままに飛んでいったこと。破片が散らばらなかったこと。
・・・あれは分身!?
「危ない!昴!」
ほぼ同時に、横に吹っ飛ばされる。
壁に叩きつけながらも、なんとか目をあけて状況を確認すると、ラルスのわき腹にダイヤモンドが食い込み、そのまま吹っ飛んで、窓から落ちていった。
「くっ!ラルス!」
クルスに牽制の矢を放って、窓に駆け寄り、下を見るために顔を出そうとした。
「うわっ!」
ラルスがジャンプしてきて、そのまま窓から部屋に戻ってきた。
「ちょっとビビったぁ。防弾チョッキなかったら、かなりの怪我してたかも。 身体能力は人間の限界を引き出せても、人間としての防御力は変わらないからね」
ビビッたのは俺のほうだ。
・・・でも、作戦失敗か。
クルスは分身で数を増やしていて、そのどれもが同じ部分が欠けている。
ラルスが溜息をつく。
「ファスの戦争で、お前の能力をもっと知っとくべきだったね」
やれやれって感じで頭をかいている。やがて、俺と同じようにクルスを睨む。
「4%か・・・昴、体力持つ?」
正直、自信が無い。けど、ここは覚悟を決めてやるしかない。
「もちろん。夕飯までには終わらせたいけどね。俺ら昼飯も食ってないじゃん」
「だね。佐伯さんが羨ましい~!昼飯食ったんだろうな。俺達の分をとっといてくれれば、夕飯と一緒に食べるのに」
そして、お互いの背を合わせた。
ボウガンを置き、ナイフを両手に構える。
クルスの時間切れを待ちつつ、防御に徹しながら反撃するのに、大きなボウガンは不利になる。小回りの利くナイフの方が有利だ。
七色の光が、周囲を円状に取り囲む。
「いてててててて・・・」
動く右手で左手をさする。かなり痛い。戦いでの初負傷。内出血か、打撲か。
でも、普通の高校生がダイヤを相手にしてこれだけの怪我で済んだのは幸運だろう。とりあえず明日には動くまで回復してほしい。
ラルスは、ゆっくりと歩いていて、その顔は落ち始めた太陽で赤く染まっている。
俺と違って、見た目は無傷。
・・・見た目は。今までの戦いの中では一番長く力を使っていたから、内側にどれほどのダメージを蓄積しているか計り知れない。
結局、クルスとの決着は、特殊能力の時間切れまでかかった。幾度となくクルスへと攻撃を仕掛け、分身で空振り。そして、クルスからの攻撃を避ける。それの繰り返し。
それでも俺はクルスを避けきれず、10回以上は体当たりを食らった。左手だけで済んだのは、防弾チョッキと近距離では加速がない分だけ威力が低かったおかげだろう。
やがて、能力の切れたクルスが逃げようと窓から出たのを、ラルスが追いかけて殺した。
時間のわりにはあっけない最後だった。
空には星が出始めている。夜が近い。
そういえば・・・
佐伯のことを思い出して、携帯を鞄から取り出す。そこに着信やメールは無く、そのまま電話をかけるが、佐伯は応じない。
「佐伯さん、まだ出ないの?」
「まだ寝てたりしてな」
「まっさかぁ~。夕ご飯にでも行ってるんでしょ?そろそろ時間じゃない?」
「あっ。そうか」
電話を切り、携帯の液晶画面を確認する。
18時ちょい過ぎ。いつもなら夕飯を食べてる時間だけど・・・
佐伯が一人で食べてる?いつも待っていてくれるのに?それより、俺達も飯の心配もしなくては。正直、昼飯抜きの腹は限界だ。
「ラルス。早く帰らないとやばい。20時には片付けられるから、飯が無くなっちゃう」
「うわっ。それは嫌だよ。帰りもバス?」
「残念だけど、歩きだよ。ラルスの見た目は平気でも、俺がかなりひどい有様だから、あまり人目につきたくない。それに、部屋の鍵を受け取るときに、フロントのおじさんに何か聞かれるかも」
言い訳を考えておかないと面倒事を避けられない。相手が笑ってすませてくれて、気にも留めない言い訳。そんなの難しい。
大きな鞄。ところどころ切れた服。腫れた左手・・・無理だ。もういい!これしかないだろう。探検だ、探検。後はなるようになれ!
「え~!?じゃあ、そんなに時間ないじゃん!ご飯食べたいよ!食べたいっ!」
「そんなこと言っても間に合うか・・・」
「人目につかないければいいんだよね?」
「えっ?うん。まぁそうだけど。そんなこと聞いて・・・って!?うおっ!?」
体が浮く感覚に続いて、見ているものが森から空の星へと変わる。そして、左手が無意識にラルスの首へと回っていた。
その事実に、心で泣いた。
通称、お姫様抱っこ。
男の俺がこれをされるとは・・・
腕からずり落ちた鞄は、ラルスが歯で噛んでいるが、その目が血走っている。
その雰囲気に寒気を覚えた。キラルやクルスとの戦い、寝起きの佐伯より怖い。
「あのぉ・・・ラルスさん?」
けど、呼びかけは届いてないようで、鞄を噛んだまま前方の森を睨んでいる。
「ふぇしぃ!」
ふぇしぃ?・・・飯か?
「飯か?飯なのかぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
ぐんっと風を受けて、ラルスの首にしがみつく。森の中を疾走していると、迫りくる木にぶつかりそうで、目を開けていられない。
木がこんなに怖いなんて・・・!
やがて、どさっという音に目を開けると地面に鞄が落ちていた。
そして、顔を上げると、旅館があった。
「人に見られてないから平気だよ。ずっと森の中を走って、そのまま旅館裏の森から出てきたから。もちろん負担をかける走り方はしていないから。さぁ!ご飯食べよう!」
情けないことに腰が抜けてしまい、座り込んでしまったが、根性で立ち上がる。
フロントには誰もいなかった。これはチャンス。無断でフロントに入って、部屋の鍵を取る。あとで謝ればいいだろう。今は、この目立つ格好から着替えないといけない。
「着替えてからご飯にしよう。この格好じゃ食堂にも入れない」
「わかった。急ごう」
ラルスに鍵を渡すと、普通の人間の速さで走りながら、部屋に向かっていった。
その背中を早足で追い、佐伯の部屋を通り過ぎるとき、ドア下の隙間に視線を向ける。
光がない。そんな明るくない廊下だから部屋からの電気が漏れるはずなのに。他の部屋を見てみると、ドア下から光が漏れている。
・・・さすがに寝ているなんてありえない。
「佐伯。俺だ。昴だよ。ご飯は食べたのかな?もしかして、もう寝た?」
ドアを叩きながら中に話しかけるけど、電気も点かないし、返事も無い。
隣の部屋の扉が開いて、ラルスが出てきた。
「きっと食堂だよ。俺達が来るのを待ってるんだって。だから、昴も着替えよう!」
「・・・すぐ着替えてくるから待ってて」
着替えて廊下に出ると、フロントのおじさんがいた。おじさんが喋るより先に謝ると、軽く笑って許してくれた。
「謝んないでいいよ。フロントにいなかった俺も悪いんだからさ。鍵が無いから、ここにきたわけさ。どっちにしても聞きたいことがあるからね」
・・・何かばれたのか?警察を呼ぶのだけは勘弁して欲しい。俺が向けた視線に、ラルスは首をふっている。心当たりはないらしい。
じゃあ、おじさんは何を聞きたいんだ?
「聞きたいことって何でしょうか?」
出来るだけ低姿勢で尋ねる。
「それがな・・・お前らの連れの女の子が、今朝早く出かけてから帰ってきてないんだ。余計なお世話だけど、女の子が一人で夜まで出かけてるってのは、心配でさ。だから、君たちなら何か知ってるんじゃないかってね。連れの女の子はいつ頃帰ってくるの?」
捜索願を出そうか?
というおじさんの言葉に、心当たりがあるんで待ってください。と、頭を下げて部屋に戻ったけど・・・
もちろん嘘で心当たりなどあるはずがない。
鍵を貸してもらい、佐伯の部屋を確認する。コンセントに携帯の充電器だけがあった。だから、携帯は持っているはず。
けど、電話に出ない。メールの返信も無い。
・・・まさか出られないような状況に陥ってるんじゃないだろうな。
自分の部屋に戻り、分かるはずもない佐伯の行き先を考えを巡らす。
ラルスには、鍵を預けた佐伯に変わった様子が無かったかを聞いてもらっている。
本当は、自分で聞きに行きたかったけど、左腕の傷がある。病院にでも連れていかれて、傷からダイヤに関することが知られてしまったら、身動きがとれなくなる。病院に行くのは、全てが終わってからだ。
がちゃっ、と静かにドアが開いた。
「どうだった?なんか分かった?」
俺からの問いかけに、ラルスは向かい側のベットに腰掛けた。
「一つだけ理由らしきことがあったよ。鍵を預けるときに誰かと携帯で話してたって。しかも笑いながらね。その様子から、おじさんは俺らと話していたと思ってたらしい。でも、話していたのは俺達じゃない。じゃあ誰?って話だよ。けど、そいつに佐伯さんが呼び出されたのは間違いないね」
そう考えるしかないだろう。そいつに佐伯は呼び出された。
よほどの緊急事態か?身内の不幸?いや、佐伯は優輝と同じように両親が死んでいる。兄弟もいないから、それはありえない。
とにかく、かなり親しい相手であることは間違いない。でなければ、俺達に何も言わずに出て行くはずがない。相手を知っていて信頼している間柄だ。
それとも、約束を破った?
俺達は、ここに来てから1つの約束をした。
どこへ行くにも行き先は必ず告げる。トイレや風呂といった些細なものまでも、だ。
今朝だって、俺達がクルスを殺しに行くことは置手紙とメールで告げた。もっとも、その時点で佐伯はいなかったわけだけど。
いちいち行き先を伝え合うのは、ラルスがダイヤの場所を感知できるからといって、ここが絶対に安全なわけではないからだ。
今までの敵にはいなかったようだけど、自身の反応を消せる特殊能力を持つ奴がいるかもしれない。ラルスは、地球に来た奴らに、そんな能力を持つ奴はいないって言ったけど、用心にこしたことはない。いきなり敵が現れてしまっては、行動が遅れてしまう。ましてや俺と佐伯は、ラルスのように戦えない。
でも、今朝、佐伯からの連絡は無かった。
俺達が、ここにいる理由を考えなければならない。実感は湧かないけど、優輝を、そして地球を助けるために、ここに来ている。
だから、俺は親にも行き先を告げていない。
佐伯にはそんな親もいないけど、ここに来るまでの間、何回か携帯をいじっていた。
・・・それが相手か?でも、俺たちは、事実として、地球を救おうとしている。そんな状況に親しい友を巻き込むような真似はしないだろう。それに死んだはずの優輝が一緒にいるのに、知り合いを呼べるはずがない。
やはり、信頼を寄せる相手に密かに居場所を伝えた可能性が一番高い。
そして、その相手が佐伯をびっくりさせようとでもして、何の連絡もなしに近くまで来たののかもしれない。
それなら、佐伯が笑いながら俺達への連絡を忘れ、旅館を出て行ったのも理解できる。
もし、俺が佐伯の立場で、優輝が来たとしたら同じ行動をとるだろう。
佐伯と一番仲のいいのは・・・
クラスメイトを一人ずつ思い浮かべる。やがて、一人の女の子に思考が止まる。
佐藤由貴・・・か?
中学からの友達で今でもよく遊ぶんだ。
口数の少なかったときの佐伯に言われた覚えがある。その佐藤になら、行き先を伝えていても不思議はない。
・・・違う。こんなことを考えても意味がない。問題なのは、どこに行ったか?だ。早く見つけないと佐伯に危険が及ぶ可能性がある。部屋は、そのままだから遠くへは行ってないはず・・・どこだ?どこに行った?
ふと部屋の時計に目がとまる。
23時15分。半日も何やってるんだ。
ずっと黙っていたラルスが立ち上がる。
「旅館の周りを探してくるよ。なんかあったのかもしれない。待ってられないよ」
「・・・頼むよ」
頷いたラルスはドアへと向かう。
がちゃっ・・・
ラルスが開けるより早くドアが開いた。
反射的に視線を向けた先には、おじさんがいた。そして、その影に隠れるようにして小柄な人影があった。
「今、帰ってきたよ。君らも言いたいことあると思うけど、かなり疲れてるみたいだから、あんま怒らないでやってくれ。それと、なんか必要な物あったら言ってくれよ」
優しい笑みを残して、ドアを閉めて戻っていき、やがて足音も消えた。
「佐伯さんっ!どこ行ってたのさ!心配してたんだよ!」
けど、佐伯は答えずにラルスを睨んでいる。その目が泣いたように赤い。
・・・なんか様子が変だな。
それでも、佐伯を咎めなければならない。連絡がなかったのは、笑ってすませるものじゃない。最悪、死に繋がっていたから。
「なぜ、連絡をいれなかった?決めたルールだろ?今日、俺達は3体目を倒してきた。その間、どこで何をやっていた?答えてよ」
負傷した左腕を意識的に見せる。それでも、左腕を一瞥しただけで、視線をラルスに戻す。
さらに咎めようと口を開いたところに、ラルスが止めに入ってきた。
「まぁまぁ。いいじゃんか。無事に帰ってきたんだから。おかえり。佐伯さん」
その言葉を聞いても、一言も喋らない。間違いなくいつもと様子が違う。
「佐伯・・・さん?」
ラルスも、変化に気づいたようだ。
「ラルス。貴方に聞きたいことがあるの。答えてほしい」
ぞくっとした。知り合ってそんなに長いわけじゃない。まだ四ヶ月くらい。けど、こんな喋り方は初めてだ。いつもの透き通るような声の欠片もない。どこまでも冷たい声。
「えっ?う・・・うん」
「ありがとう。嘘はつかないでね。優輝君もいない地球なんて私にはどうでもいいものだから」
泣いた後のような目で睨んだまま、今まで聞いたことのない声色で続ける。
「優輝君は・・・本当に生きているんだよね?」
昴君やラルスには内緒で、ずっとメールで連絡を取り合ってる相手がいる。
佐藤由貴。
中学からの友達で、部活も同じで、今でもよく遊んだりしている。両親が死ぬ前から仲が良くて、死んだ後はより一層親密になった。
由貴は、電話に出なくても、メールを返さなくても、毎日欠かさず連絡をくれていた。
だから、私は一回だけって自分に言い聞かせてメールを送った。
『心配いらないよ。2学期までには帰るから。そしたらまた一緒に遊ぼうね』
でも、これで連絡しないと決めた。
自分がやろうとしていることを考えれば自然とそうなる。死んだと思われてる優輝君を助けるために地球を救う。そんなこと信じてもらえないだろうし、信じてもらったとしても、大切な人を巻き込みたくない。
寂しいけど我慢しよう。由貴にはごめんだけど、しばらく無視しよう。
でも、またメールをしてしまった。
だって、ラルスが負けたら、もう二度と由貴とは会えない。残りのダイヤに起動スイッチを押されたら、地球は終わりだから。
実感が湧かないけど、私達がやってるのはそういうこと。失敗して、由貴にもう会えないなんて寂しすぎる。
だから、メールをしてしまった。
『絶対に内緒だからね。今、富士山のふもとにいるんだ。絶対に言わないでよ』
なんでこんなメールを送ってしまったんだろう?意味なんてないのに。それとも、何か期待でもしてるんだろうか?
由貴にメールを送った後で、後悔した。
でも、由貴から『うん。約束する』と返信がきて安心した。由貴が絶対に約束を守ることは、中学からの付き合いで知っている。
そして、今日の朝・・・
メールがきた。内容だけ見てまた無視しようと、後ろ見たい気持ちでボタンを押した。
『今、富士山に近い駅まで来てるんだけど。ちょっとでいいから会えないかな?』
胸の奥に響くものがあった。やっぱり心のどこかで、由貴が会いにきてくれるのを期待していたんだろう。
急いで着替えて部屋を出る。鍵を閉め、フロントまで行きながら、電話をかけると、1コールも待たずにでてくれた。
「今すぐ行くよ!駅前に噴水あるでしょ?そこで待っててね」
『うん。待ってるよ~!』
久しぶりに聞く優しげな声音が心に染みる。
フロントにいるおじさんと目があって、思わず笑いかけてしまう。おじさんはぽか~んとした顔で鍵を受け取った。
旅館を出てバスに乗る。
本当はタクシーで行きたかったけど、昴君に武器の調達用として、多くのお金を預けているから、最低限しか持ち合わせてはいない。
頼めば貸してくれるかもしれないけど、由貴に会いに行くことを言えば、貸してくれないどころか行かせてもくれない。
優輝のことがバレる可能性があることは、なんであれ排除しなければならない。
昴君の口癖。私が、どんな理由であれ外部と連絡をとっていたことには違いない。昴君にしてみれば許せるものではないはずだ。
だから、連絡をいれないで旅館を出た。
昴君には怒られるだろうけど、それは後で心配しよう。今は由貴。久々に会うことになる時間を楽しみたい。
でも、昴君と一緒にいることや、どこの旅館にいるかは隠さないと・・・それだけは、いくら由貴でも教えるわけにはいかない。
駅前に着いて、お客さんが立ち上がる。
最後にバスを降りると、噴水の前で由貴らしき人が大きく手を振っていた。
何故だか由貴と断定できない。
あれって・・・由貴だよね?
「萌~!こっちこっち!」
良かった。由貴だ。声を聞いて安心した。
きっと久々に会ったから、ちょっと分からなかっただけだろう。
でも、そんなに大きな声出さなくても。
通行人の目線が恥ずかしい。そんな目線を無視して、手を振って応える。
由貴といる時間を楽しもう。
最後になるかもしれないから。
近くの喫茶店に入る。
「私はアイスコーヒーとトルコサンド。萌は?決まった?」
「う~。ちょっと待ってね」
メニューを手にしながら悩む。
レモンティーとチーズケーキかな。でも、紅茶とアップルパイも捨てがたいよね。それにお金の問題もあるし。う~ん・・・
「では、またお呼びください」
ウェイターが立ち去ろうとする。
「あっ!えっと・・・」
「まったく、もう萌は~。この子には紅茶とアップルパイでお願いします」
「かしこまりました」
振り返ったウェイターは、とびっきりの営業スマイルを残して去っていった。
「ありがとね。由貴」
由貴はやること全てを即決することが多い。
今の注文だって、メニューの一番上『当店の新メニュー!』のところから、席についた瞬間に注文していた。ウェイターが『ご注文はお決まりでしょうか?』を聞く前に。
そんなとこは素直にすごいと思う。
「でも、よく私が紅茶とアップルパイだって分かったね」
「ん~?だって、萌はこういう場所に来たら、紅茶とアップルパイ頼むじゃん。もしくは、チーズケーキと適当な飲み物って感じ。 まぁ由貴が覚えてる限りじゃ、萌はそうするよね」
そして、由貴は冷えている水を口にする。
・・・あれ?なんか変だな。前にもこんな感じが。しかも近頃。なんだっけ・・・
掴めそうで掴めない感じのひっかかりを何とかして掴もうとしたけど、無理だった。
まぁ・・・いっか。この時間を楽しもう。
「それより吹奏楽部はどんな感じ?私のあいたパートは誰が埋めてるの?っていうか、由貴がここにいるってことは、練習さぼってまで来てくれたの?」
由貴と私は吹奏楽部に所属している。私がトロンボーン。由貴がフルート。
クラスや部活の男子からは、2人のパート逆でしょ?って言われる。男勝りの由貴と引っ込み思案な私を見て、そう感じるのだろう。
でも、由貴は皆が思っている以上に細やかな配慮が出来る人だ。だから、私にしてみれば由貴がフルートでも違和感がない。
「夏の大会が近いから、猛練習中だって。 萌が辞退したパートは2年の三上美咲がやってるらしいよ」
だって。らしい。
まるで人から聞いたような言い方。それで、由貴がここに来れた理由が分かった。
「そうなんだ。でも、あの子なら問題なく私の代わりをこなしてくれるね。ところで由貴は?ちゃんと練習は行ってるの?」
「うん?行ってない。夏休み入ってから一度も行ってないよ」
由貴は悪びれず即答した。
やっぱりそうだった。私の代わりのことも、部活内の誰かから聞いたんだろう。
それより、部活に行ってないことに驚いた。
「一回も行ってないの!? 今年の夏が最後だ、って張り切ってたのに。どうして?誰かと喧嘩でもしたの?」
由貴は、ガラス張りの窓から広がる駅前を見ながら目を細めた。
「今の私には、もうどうでもいいことなのよ。だから行ってないだけ」
その言葉は、感情がこもってないように機械じみていた。
・・・今の私、ってどういうこと?
「由貴、何があったの?相談にのるから話してよ。それに今の私って・・・」
テーブルの横に人影ができて、香ばしい香りが運ばれてきた。さっきのウェイターが、さっきと同じ営業スマイルで立っている。
「お待たせしました。アイスコー・・・」
「はい。私です。どーもです」
最後まで聞かずに返事をする由貴。
・・・由貴、最後まで聞こうよ。この人だって、バイトなんだから。ウェイターの顔色を伺うと、由貴に遮られたことは気にしてないようだった。
「紅茶とアップルパイのお客様は?」
「あ。はい。私です」
私は最後まで聞いて返事をする。
「ごゆっくりどうぞ」
由貴が去っていく背中を見ながら喋りだす。
「紅茶とアップルパイのお客様は?だってさ。にこにこしちゃって。営業スマイル全開じゃん。行き先の決まってない注文が1つ。まだ注文がきてない可愛い少女が、目の前に1人。ということは、その注文は萌のでしょ。なんで分かりきってることを聞くかなぁ。無駄じゃない?萌もそう思うでしょ?」
どうでもいい内容に、私が聞こうとしてたことは聞けなくなってしまった。
「でも、あの人だってそれが仕事だから、しょうがないよ。言わないと仕事にならないんだろうし」
「ふ~ん・・・ところでさ、萌。あんた、なんで富士山に来てるの?」
・・・とうとうきた。いつかは聞かれると思ってたけど、このタイミングでくるのは、ちょっと意外だった。
「気分転換だよ。今年って、大学受験じゃん。勉強始める前に遊んどこうと思って」
バスの中で考えていた言い訳だ。生真面目な私の性格を知っている友達なら、これで納得してくれる。
「へ~。そっか。てっきり、地球を救うため!とか言うかと思ったのに」
「・・・なに言ってるのよ~。由貴ってば、変な冗談言わないでよ~」
「冗談じゃなかったりして」
「えっ?」
思わず凝視してしまう。やっぱりなんか変な気がする。
「それに誰と来てるの?まさか一人で?それとも、萌が私以外の人と旅行に・・・? あっ!はっは~ん・・・これだからモテる女はつらいね」
また別の意味で焦ってしまう。
「ななっ!?ち、違うよ!?別に彼氏とかじゃなくてっ!その、あれだって、あれ!」
混乱してしまって、支離滅裂なままで言い訳にもなっていない言い訳をしてしまう。
けど、混乱したのにも理由がある。
それは優輝君と初めてクレープ屋に行って、2週間たった授業のときだった。
『クラス内男子の佐伯萌株急上昇中!』
退屈な古文に眠りかけていたのに、由貴からのメールで、一瞬で目が覚めてしまった。
どうやら、喋るようになってから、人気が上がってきたらしい。男子がノートを借りにきたり、席の遠いのにわざわざ吹奏楽のことを聞きにきたり。
気づかなかった。だって、優輝君と遊ぶまで、男子との接点なんてなかったから。
もちろん、人気が上がってきてるってのは、素直に嬉しい。その中に優輝君が入っていたら、私は空だって飛べるだろう。
だから、我慢できずに聞いてしまった。
『優輝君はどう思ってるのかな?』
それ以来、由貴だけは、私が優輝君を好きなのを知っている。
「分かってるよ。彼氏じゃないってことは」
由貴の視線が鋭くなった。
「あんたが、そんな簡単に死んだかもしれない小浜を諦められるわけないからね」
その言葉に混乱していた頭が落ち着きを取り戻す。なぜなら、注文のときと同じ違和感に襲われたから。やっぱり、なんか変・・・
由貴の言葉を心の中で繰り返す。
それに気づいた瞬間、心臓が掴まれたような驚きが全身を駆け巡った。
・・・死んだかもしれない小浜?
私と昴君以外では、ありえない言葉だ。
とりあえず冷静になれ。まずは喋らないと、変に思われる。
「うん。そうだよね・・・」
私と昴君以外の人たちにとって、優輝君はもうこの世にはいない存在なのに・・・
なのに、なんだって?あれは『優輝君が生きている』とも解釈できる言い方。
これと同じようなことがあった。考えるより先に本能から訴えかけてくるものがある。
今すぐ、思い出さないといけない。
「そうよ。萌。あんたは・・・」
全てを貫きそうな眼。由貴が本気を出すときや怒るときの視線。
身を引いてしまう。今まで、由貴が私に対して、こういう目をしたことはない。
喉が張りついて喋ることができない。
「死んだ小浜を諦められるわけがない。だから、ここにいる。違う?」
寒気と眩暈が襲ってくる。
・・・誰なの?由貴は、面倒なことが嫌いなのに、遠まわしな言い方をしてくる。そして、私が隠していることを的確についてくる。
・・・座ってるのは、由貴だよね?
「・・・なんちゃって」
「・・・へっ?」
「びびった?萌ったら、なんか辛気臭い顔してんだも~ん。だから、ちょっとからかっちゃった。優輝君でからかったことは謝る! でも、今は夏休み真っ只中だよ?もっと楽しまないと損だよ!」
そして、最後の方でガッツポーズをした。
中学時代からの癖。周りを励ますとき、自分を励ますときにやるやつ。私もそのポーズと笑顔に何度励まされたことか。
でも、それで、やっと気づけた。
「う、うん!由貴の言うとおりだよ!」
楽しいはずの再会は、終わりを告げた。
由貴の冗談は、全て冗談ではなかった。
でも、もう致命的かもしれない。
もっと早く気づけたはずなのに。
噴水前で手を振った由貴。由貴が覚えてる限り、と言った由貴。今の私、と言った由貴。死んだかもしれない小浜、と言った由貴。そして、ガッツポーズの由貴。
・・・その全てが、無表情だった。
ここに来るんじゃなかった。とにかく早く昴君に連絡しないと・・・!
「ちょっと、トイレに行ってくるね」
動揺を見せるな。普通に歩け。震えるな。
「うん。ゆっくりどうぞ」
よかった。まだばれてない。
そっと胸を撫で下ろす。もしかしたら、今考えてることだって私の思い過ごしかもしれない。そう思うと少し足取りも軽くなった。
「・・・でも、からかうのも飽きたわね。萌ったら、やっと気づいたみたいだし。昴君に連絡しても無駄よ。今は、クルスと戦っている最中だから」
一握りの希望は、粉々に砕け散った。
「・・・そう」
驚きはなく、ただ観念した。でも、殺される前に一つだけ知りたいことがある。
由貴は死んじゃったのかな?
「それで、あんたの名前は?」
「自己紹介しないとね。この星のルールなんでしょ?由貴から判断できるわ。 はじめまして。グルスよ。クルスとは双子でね。ラルスから聞いてるだろうけど、地球に来てから、新しい隊長になったの。とりあえずよろしく。佐伯萌さん」
由貴が・・・いや、グルスが無表情で頭を下げてくるけど、無視して席に戻る。
そして、さっきの由貴に負けない気で睨む。
由貴に接続したお前を許さない。
「ウェイターさん!追加、お願いね。ジンジャーエールとサンドイッチ。で、この子にはチーズケーキとコーヒーで」
「かしこまりました」
ウェイターは営業スマイルで去っていく。
「お金の心配はないよ。全て私の奢りだからさ」
「その金は由貴のでしょ。あんたのじゃない。で、グルスだっけ?私を殺すの?」
死への恐怖がないと言えば嘘になる。死がどういうものかも理解できない。
でも、今は怒りのほうが勝っている。
「ありゃりゃ。いきなりそういうの聞く?これは手厳しいね。萌ってそんなだった?」
「さぁ?あなたに会ったのは、たった今だしね。そんなの知らないよ」
グルスは肩をすくめた。
「まぁ、由貴の記憶で萌のことは知ってるから、初めてってわけでもないんだけど。でも、やっぱりあなたと私は、初対面ってことになるのかな? とりあえず、人間と話してみたかったのよ。由貴は、貴方を大切に思ってるから。そんな存在と話してみれば人間がどんな生物なのか知れると思ったから、ここに来たのよ。もっとも、由貴がラルスまで通じてるとは思わなかったけど。偶然の産物ね」
「なんで、私が優輝君とラルスと一緒にいるのを知ってるの?」
「仲間からの情報よ。キラルの情報が決定的だったわね。覚えてる?湖近くの森で殺された奴なんだけど。そいつから送られてきた情報の中に人間が2人いた。由貴と照らし合わせたら、記憶の中にあるんだもの。驚きよ。知り合いで、佐伯萌と北条昴って分かったわ」
「由貴とは?」
「夏休み中の学校で。たぶん吹奏楽部に来たんだと思うよ。 屋上に来たところを殺したわ。言っておくけど、私にラルスのような考えはないわよ。どうせ機械を起動させたら、皆死んじゃうんだからね。 動かない由貴を見て思ったわ。
ラルスが、サハスを撃退できたのは、人間の力があるからかなって。サハスのほうが能力としては強いからね。負けたのは予想外。その要素は、人間にあるかも。そう考えた。 だから、接続した。心臓も息も止まってたけど、由貴の人間としての体があったから、記憶はあってもなくても別にどうでもよかった。接続を開始した瞬間には、私の意志で動けるようになってたからね」
学校に行ったとすれば、それは吹奏楽部の練習初日だ。それは同時に私達がここに着いた日でもあった。
ってことは、あの日からメールの相手はずっとグルスってこと。だから毎日メールが来たんだ。ラルスの居場所を聞きだそうとして。
つまり、私が、グルスをここに呼んだことになる。その責任は、死で償うことになるのかもしれない。
「お待たせしました」
「どうも。これ、私ね。これはこの子に」
「かしこまりました」
ウェイターは去っていく。
それに、衝撃的な事実を述べられた。
死んだ人間に接続できるということ。
ラルスは死んでない優輝君に接続した。前の隊長も死んでない人間に接続した。
だから、生きている人間でなければ接続できない。私はそう考えていた。
でも、グルスは死んだ由貴に接続した。しかも、すぐに動けるようになった。
ラルスとグルスの話が、ともに真実であるなら、その違いはこうなる。
接続の仕方が生きてるか生きてないか。そして、それは接続完了までの時間に関係する。
「グルスは由貴を本当に間違いなく殺したのよね?」
残酷な質問だと思う。こんなことを聞く自分がむかつく。でも、この答えが重要になる。
「心臓が止まってる。息が止まってる。この状態は、死んでるっていうんでしょ?」
嘘はついてないようだ。ってか嘘をついても意味ないか。その答えをもとに、ラルスが接続まで時間がかかった理由に考えを巡らす。
その答えに、目の前が真っ暗になる。
優輝君はもう死んでる?
ラルスが接続に時間がかかったのは、まだ生きていた優輝君を殺すためだ。接続された優輝君が、ラルスという異物に抵抗してた時間かもしれない。だって、グルスはすぐに由貴の体を動かせたから。つまり、由貴が死んでいたために抵抗されなかったことになる。
ラルスが私たちを騙してる?
いや、本人も生きてるか死んでるか分からないって言ってた。それが、嘘かも判断できない。ファス人が人間に接続した例が少ないから。このグルスで3例目。それに2例目の隊長は、こいつらに殺されてしまっている。
そういえば・・・殺された隊長さんが接続してた人はどうなったのかな?
「前の隊長さんを殺したとき、接続されてた人はどうなったのか知ってるかしら?」
「え?どうなったもなにも死んだわよ。ぴくりとも動いてなかったし。息も心臓もなかったしね。私たちは見てないけど、死体は運ばれたんじゃない?でも、おかしかったわ。いきなり隊長の接続が解除したんだもの。隊長自身も驚いていたみたいだから、予想外だったようね」
かなり重要なことを告げられた。
前隊長さんが接続してた人間が死んでいた、もしくは死んだ、ということ。どちらにしても生きてはいない。そして、いきなり接続がとけたこと。これは何を意味するのか?
接続は特殊能力みたいに時間切れがある、ということだろうか?
・・・いや。違うかな。
そしたら、前隊長より時間的に早く接続しているラルスは、もうとっくに接続が解けてるはず。人間の限界を超えた力を出すことに何か関係があるんだろうか?
「でも、この身体って不便ね。仲間と離れるにつれ通信が出来なくなるんだもの。
やっと、ピクスと通信できたら、サハスに続いてキラルが殺されたって言うじゃない。
それに今戦っているクルスも殺されでしょうね。1体で戦うなんて、どいつもこいつも欲には勝てないってことかしら。
私達に仇討ちなんて概念はないから、俺がサハスのために!なんて動機じゃないわ。もっと単純よ。裏切り者を殺すと昇進できるの。
でも、その欲のせいで、多くの仲間を失ったわ。残ったのは、私とピリスだけ。ピリスは一番遠くにいるから、ここにはいないけど、噴水前で待ってる時になんとか通信できたから、いずれここに到着するわ」
ここまで教えてくれるとは驚きだった。死ぬ人間への情けなのか?・・・それとも由貴の影響を受けているのだろうか?
ラルスは優輝君の影響を受けている。だから私たちに助けを求め、助けようとしてくれている。それと同じようにグルスにも由貴が影響を与えているのかもしれない。
「グルスは接続した由貴の影響を受けてるのかしら?由貴の考え方とか」
グルスは無表情のまま首を傾げた。
「そこまで受けるわけないじゃない。私は由貴を道具としてしか使ってないのよ。由貴が萌を大切に思っていても、私には関係ないわ。私は別に萌をなんとも思ってない。へぇ~そうなんだ。って程度よ」
グルスは影響を受けてない。
死んだ由貴と接続したことが関係してるのかも。死んだ人間は思考がとまってるから影響を与えられないのかもしれない。
だとすると、グルスが優輝君の影響を受けてるってのは本当かも。優輝君が接続されたのに抵抗しているうちに、ラルスも気づかないぐらいで何らかの作用を与えたんだ。
だから、グルスと違って接続時間まで時間がかかった。そして、その作用がゆっくりとラルスに浸透していき、内面までも優輝君にだんだん近づいて・・・
違う。意味がない。影響を受けてる受けてないって考えても、優輝君の生死に関係ない。
『影響を与えている』から『生きている』にはならない。それに、もう『影響を与え終わっている』こともありえる。今は薬の持続効果みたいなに作用しているだけかも。だから『死んでいる』とも考えられる。
つまり、優輝君の生死を決定できるだけの要素は、ラルスの言うように存在しない。
・・・中心のピースがないパズルみたい。いくら周りが埋まっても、何かは分からない。
・・・なんか揺らいじゃうな。
ラルスを信じてここまで来たけど、全部終わったら、本当に優輝君は戻っくるのかな。
信じるって難しい。
口で簡単に言えても心では信じきれてない。
・・・なんか、私やばいかも。
「・・・ちょ・・・も・・」
遠くから聞こえる声に、考えに耽っていた私は引き戻された。
「ちょっと!萌!聞いてるの?」
どうやら、グルスが喋っていたらしい。
「聞いてなかったの?私たちがこの星に来た理由を話してたのに。よし!もう一回話すから聞いててね」
「話さないでいいよ。もう聞いたから」
「そう。じゃあ別の話をしようかな?」
いらついてきた。グルスの目的が見えてこない。なんで私を呼び出した?
まさか、最初に言ったように『人間と話したかったから』じゃないはずだ。
ちょっと強く問い詰めることにした。
「グルス。目的はなに?私を殺すのに長々と話なんかしてさ。 まさか、これだけ話したんだから起動スイッチのありかを教えて、とでも言うの?それともラルスの居場所?それも絶対に言わない。敵に喋るような馬鹿な真似はしないよ」
「参ったわね。本当に萌に会いに来ただけなんだけど。今日は、ね。だから、そんなこと聞かれても困るわ」
「目的は?」
「・・・萌。あんた変わったね。なんか強くなったよ。由貴の情報と大違い。そんな萌を讃えて、ここに来た理由を教えてあげる」
グルスは由貴が本気をだすときの目をしているけど、もう怯まない。睨み返す。
「ラルスの居場所、もしくは起動スイッチのありかを聞いて、そのまま帰すつもりよ。 ここで萌を殺すとかはしないわ。機械を起動させてしまえば、どうせ死ぬんだから。だから、死ぬまでは見た目は好きな人と一緒にいさせてあげる。それが優しさ、情けってやつなんでしょ? でも、この様子じゃ何も教えてくれなさそうね。もともと期待はしてなかったけど。まぁ、私も由貴を殺しちゃったしね。人間として考えれば、すごく悪いことしたみたいだし。由貴は萌の大切な人なんでしょ? だから、その罪に反省して・・・」
グルスがテーブルの上に置いてある会計を手に取る。
「ここは退散するわね。ピクスがラルスの生体反応を追えば、いずれ起動スイッチの場所まで連れて行ってくれるし。
ということで、約束どおり会計は払うわ。 出ましょう。バス停まで送るから」
「・・・追跡とかしないでしょうね?」
「しないわよ。隠れ家まで戻って、ピクスと合流しないといけないからね」
グルスは席を立った。私もそれに続く。会計は、無理矢理に自分の分を払った。
店を出ると、夜になりかけていた。
私達がバスを待つ姿は、他人には仲良く映るだろう。それがひどく腹立たしい。
やがて、バスがやってきた。
「今度、萌と会ったら敵ね。でも、今日は楽しかったわ。人間を少しだけ知れた気がするし。地球に生命体がいて、どんな存在だったかを、母国に伝えないといけないのよ。それを私がやってあげる」
間違いなく喧嘩を売られた。
「ラルスに勝つ気?」
「私は隊長。ラルスはただの兵士。格が違うと思わないかしら」
無視してバスに乗り込む。グルスは約束どおりバスには乗らず、見送りだけ。
グルスから離れるために後ろの席に座る。
そこへグルスが近寄ってきて、窓ガラスを外から軽く叩く。叩く。何度も叩く。ジェスチャーで、開けて、を繰り返す。
・・・うるさいな。もう。
諦めて窓を開ける。
「まだ何かあるの?」
「ごめんね。一つ言い忘れてたわ」
バスのエンジンがかかる。
「萌は、優輝君が生きてるって思ってるみたいだけど・・・」
バスの出入り口が閉まる。
「彼、死んでるわ」
「えっ・・・?」
「それだけ。じゃあね」
手を振るグルスを残して、バスが駅前ロータリーを回って、道に入る。
見つめる先に浮かび上がる夜景が綺麗だ。
その夜景に呼び起こされる記憶がある。去年の夏休みもこんな感じの場所で吹奏楽部の強化合宿やったんだっけ。なんか懐かしいな。
しばらく由貴も優輝君も、何も考えずにいたけど、気づくと夜景が揺れている。
雨かな?外に視線を向ける。でも、見えたのは窓に反射した自分の顔だった。
その顔は頬が濡れている。
あっ。なんだ・・・
認識するともう止まらなかった。
バスの中は、幸いに私しか乗っていない。誰にも見られなくてすむ。
『萌~!こっち来て!ここから見える町の景色、すっごく綺麗だよ!』『うわっ!ほんとだ!よくこんな場所見つけたね。来年もここに来れたらいいな』 『花火ゲット!でも量少ないから二人でやろ?皆には内緒で』『うんっ!』『あっ!先輩、それ花火ですか?私達も混ぜてくださいよ~!』『ちっ!こいつらは・・・』『あわわ・・・由貴!買出し行こっ。買出し!皆でやろうよ。そのほうが絶対に楽しいからさ。ねっ?』『・・・萌がそう言うなら仕方ないわ。じゃ一緒に行こう』『うん。行こう!』
『今年の合宿も今日で終わりか』『だね。でも、由貴はうまくなったよ』『えっ?そうかな。じゃあ、3年生でレギュラーとれるかな』『とれるよ!私も頑張んないと。来年は2人でレギュラーだね!』『おう!』
・・・今年は合宿行けなかったね。合宿先は去年と同じなのに。それに花火だって今年はまだ・・・レギュラーもまだ・・・
由貴は優輝君と違う。
本当に、間違いなく死んだ。
たとえ2学期が始まっても、あの笑顔を見ることはない。ガッツポーズで励まされることもない。萌と呼ばれることもない。私が生きていく時間に由貴は存在しない。
もう記憶の中にしか存在しない。
「こんなの・・・嫌だよぉ・・・」
グルスの一言は、私が目を背けていた部分を的確に貫いた。
今まで、私はラルスの言葉を信じてきた。
生きてるかもしれない。
それだけを支えにしてここまで来た。そうすることしかできなかったから。
でも、ラルスを信じていたのは、その裏にある、死んでるかもしれない事実から、目を背けるためでもあった。
だからこそ、グルスの言葉は重い。
もちろんグルスの言葉にも根拠なんてないだろう。でも、私の決意は、あの一言で見事なまでに揺さぶられ、壊れかけている。
信じてきたラルスの言葉は、グルスと同じように根拠がないから。
・・・こんなのもう耐えられないよ!
これ以上、大切な人を失うなんて。
グルスが言ったことが真実なら、私は2度も優輝君を失うことになる。そして、今度こそ本当にラルスのまま優輝君は死ぬ。
それだけは絶対に嫌だ。
由貴が死んで、優輝君まで失うなんて嫌だ。
ラルスに答えてもらわないといけない。
お化け屋敷みたいに言い訳がましいのじゃなくて、現実的に信じられる根拠がほしい。
でも、今は・・・
今は、由貴のために泣こう。
「そうか。グルスも人間に接続していたのか。どおりで、なかなか反応が掴めないわけだね」
ラルスは納得した様子だけど、俺は佐藤由貴が死んだことがショックだった。不運としか言いようがない。あの小さな町で佐藤由貴が接続されるなんて考えてもいなかった。
でも、ラルスが優輝に接続してることを考えればありえないことではない。
それでも、佐伯は無事に帰ってきた。
「でも、佐伯が無事で良かった。グルスってのが、すんなり帰したのには驚きだけど」
佐伯は、話を終えると落ち着きを取り戻した。険しかった目も口調も元に戻っていたけど、ラルスからは目を逸らしている。
・・・佐伯の言葉が気になって仕方がない。
『優輝君は生きているの?』
恐れていた事態が起こった。佐伯がいずれこういうことを言うのは予測していた。
佐伯にとって地球を救うのと優輝を取り戻すことは同列な要素。どちらが欠けても意味がない。矛盾しているけど、優輝を救う気持ちのほうが強い。けど、そんな思いも、グルスの一言で、片翼を奪われてしまった。
ここにいるのは、佐伯の抜け殻。その存在は限りなく薄い。精神的にかなりやられてるのが、誰が見ても分かるほどだ。
『彼、死んでるわ』
そんなのグルスの嘘だから。佐伯をからかっただけかも。何より根拠がないじゃん。
俺がそんなこと言っても佐伯には届かない。
俺じゃなくてラルスから聞きたいはず。俺達に協力を求めてきたのは、ラルスだ。
ラルスに言ってもらわなければならない。
「ラルス。優輝は生きてるんだよな?」
「・・・たぶん」
「それじゃ答えになってない」
佐伯が信じられるだけの根拠が欲しい。
「グルスの話にあったね。前隊長が殺される時に接続がとけて、その人間は死んでいたって。優輝もいずれ同じようになるのか?」
「・・・俺も隊長の接続が解けた理由を考えてたんだけど何も分からない。接続が不完全だったのが原因かもしれない。同時に4体を相手にして、人間の限界を超えた力を出し続けたから体が駄目になって、強制排出されてしまったのかもしれない。接続解除そのものが人間の死の瞬間だったのかもしれない。
だから、同じように生きた状態で接続された優輝がどうなるかは・・・」
ラルスの言葉に重なるように、ふふっ、と佐伯の笑みが漏れた。
「かもしれない。分からない。ラルスってそればっかりだよね。それで私達に協力を頼んだんだ?そんな中途半端な言葉を信じてついてきたのが馬鹿なのかもしれない。もちろんラルスが地球を救おうとしてくれてるのは、疑いのない事実だよ。仲間だった奴らまで殺して、私たちを護りながらここまで来たんだもん。でも、それと優輝君の生死は関係ないよね。ラルスが優輝君の影響を受けていることが、優輝君が生きていることにはならないよ。だからもう一度聞きます。答えてください。優輝君は生きてるんだよね?」
俺と佐伯に同時に問いただされて、ラルスは黙ってしまう。
「・・・ごめん。分からないんだ」
その瞬間、佐伯が立ち上がった。微かに口元にだけ笑みが浮かんでいる。
「そう・・・ここまでだね。短い間だったけど優輝君のふりをしてくれて、ありがとう。死んだ優輝君が戻ってきてくれたようで嬉しかった。楽しかった。でも・・・これだけは覚えといて。私は、ラルスを恨んでるから。優輝君を殺したのは事実。絶対に忘れないで」
部屋のドアへと歩き出す。
「昴君。私がここにいる意味がなくなっちゃったから、帰るね。ラルスのことは心配しないでいいよ。私にはそんなことを伝える人は、一人も・・・いなくなったから」
・・・引き止めないと。
ラルスを殺そうとした俺を説得してくれたのは誰?ラルスを信じさせてくれたのは誰?
佐伯だ。グルスとかいう奴の根拠ない言葉に惑わされてほしくない。
「佐伯さ。覚えてる?お化け屋敷で、俺に言ったこと?」
「えっ?」
佐伯は足を止めて振り返る。
「私はラルスを信じるよ。あのときの佐伯は、本気で心からそう言ってた。あの言葉は嘘でもなんでもないよね? じゃあ、なんで今になって優輝が死んでるなんて言い出したの?」
「・・・あれは昴君を説得するのに精一杯だったから。どうにかして、昴君がラルスを殺すのを止めなきゃって思ったから」
「ってことは、信じるって言ったのは、俺を止めるための嘘だったんだ?」
「嘘じゃないよ!あのときは本当に信じてた。ラルスの言葉を信じてた。 でも・・・やっぱり根拠がないよ!信じてるはずなのに、こんなに気持ちが揺らいじゃってるのは、信じきれてなかったからだよ!根拠も理由もないのに信じる・・・ そんなの私には出来かったみたい」
佐伯は、きっと正しい。
理由がないのに信じろ。そんなのは気休めにしかならないのかもしれないけど・・・
「でも、グルスの言葉を信じるの?だったら、希望のあるラルスを信じるべきだよ」
「でも、信じて優輝君は帰ってくるの? 由貴は死んじゃった。もう会えない。ラルスを信じて優輝君が戻ってこなかったら?信じて戦って、やっぱり優輝君は死んでました。残念でした。昴君はそれでいいの?私は嫌だよ・・・2度も同じ人で悲しみたくない!」
目に涙をためて話す姿。それは、本心を語っているに違いない。
「でもさ。生きてるかもしれないんだよ。たとえ根拠がなくても信じられないかな。
厳しい言い方かもしれないけど、悲しむのは優輝が死んだことが分かってからでいい。
なのに、佐伯はまた悲しむって決めつてるの?そんな考え方していること自体が、優輝がもう死んでるってことなんじゃないか?」
佐伯から目を逸らさずに告げる。
「俺はラルスを信じる。優輝は生きてるってね。ここで何もしないまま、優輝も、地球も救えなかったら、絶対に後悔するから」
それだけ言うと佐伯の返事を待った。
「・・・帰るね」
佐伯は背を向けた。
「ごめんね。私はどうしても昴君みたいに考えなれないの。強くならなきゃ。次に進まなきゃ。そう思って頑張ってきたけど・・・表面だけだったみたい。そうやって自分を誤魔化して、嫌なことに目を瞑って傷つかないようにしてただけだったんだね。そんな私じゃ優輝君は救えないよ」
そんな佐伯に、初めて腹が立った。
「じゃあ、佐伯は優輝を殺すんだ? 優輝が生きてるか分かんないから、私は助けないで放っておきます、って。それで優輝が帰ってきても、佐伯は優輝と笑って話せる?またデートに誘える? 無理だよ。優輝を助けようとしないで殺したんだから」
「・・・ずるい。そんな言い方。そんな言い方されたら、信じるしかないじゃない。根拠もないのに信じろって?」
「信じようよ。俺達が信じなかったら、優輝は本当に帰ってこなくなるよ。信じる根拠がなくたっていい。きっと、こういうのは、心次第だよ。自分のためでも誰のためでもいい。信じれば、その思いは叶うと思う。甘い考えかもしれないけどね」
ラルスが一歩踏み出す。
「佐伯さん。俺を信じてくれ。優輝のために。俺も優輝は生きていると思うから。だからこそ、佐伯さんには信じていてほしい」
佐伯はしばらく黙っていた。
「・・・うん。信じるよ」
小さな、けれども、しっかりとした言葉。
佐伯の言葉が嬉しい。一学期のような学校生活を送れるためにも信じていてほしい。
「昴君」
「うん?」
佐伯が笑っている。
「信じるって難しいね」
「ああ。難しいな」
俺も笑い返す。
信じるのは難しい。けど、信じられなくなったら、そこで終わりだ。
でも、佐伯は大丈夫。まだ取り返しがきくところにいてくれた。
ラルスを信じてくれる。
優輝のために。そして佐伯自身のために。
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