#19-2 嫉妬


 解散命令を受け、一夜が明けた。

 熟睡できたとは到底言えないが、少しは体を休めることができた優斗は、全員が集合しているであろうリビングに向かう為に部屋を出た。すると、ちょうど隣の部屋の扉が開き、嵐が顔を覗かせた。

 嵐は優斗と目が合うなり、晴れやかな笑顔を浮かべる。


「お、ツッキー! はよーっす! よく眠れたか?」

「おはよう。それなりに休めたよ」


 普段通りに言葉を返した優斗だが、嵐は何故か優斗の顔をじっと見つめたている。

 凝視される理由が分からずに優斗は不思議そうな顔をするが、すぐにその理由を察して、顔を逸らした。


(泣いてたのバレたか?)


 別に泣いていたことを知られても問題はないのだけれど、気恥ずかしさから視線を逸らした優斗。

 そんな優斗の反応に嵐は何かを言う事はなく、優斗から視線を外した。


「そうだ! どうせだから、ひののんも起こしに行こうぜ!」


 それは嵐なりの気遣いだったのだろう。

 深く聞いてこない嵐の優しさに感謝しながら、優斗も頷いた。

 嵐は意気揚々と花音の部屋の前まで行き、扉を開けた。


「おーっす! ひののーん! 起きてるかー!」

「っ、嵐! ちょっとま――」


 ノックしてない事に気付いた優斗が慌てて嵐を止めようとしたが、それよりも早く開け放たれた扉。そして、彼等の視界に飛び込んできたのは、着替え中の花音の姿であった。

 薄桃色のキャミソール姿の花音は、制服を手にしたまま、固まっている。

 数秒とも、数分ともとれる沈黙の中、真っ先に動いたのは嵐であった。


「ご、ごめんなさい!」


 顔を真っ赤にして、慌てて扉を閉めた嵐。そして、彼は一歩二歩と後退して、壁にぶつかり、そのままずるずると崩れ落ちた。

 両手で顔を覆って、やってしまったと落ち込む嵐に優斗が声をかける前にガチャリと扉が開く。

 当然、出てきたのはしっかりと服を着ている花音だ。


「ひ、ひののん! ご、ごめんな! ほんとーに悪気はなかったんだ! 見てない! なんにも見てないから!」

「……本当に?」


 顔を赤くさせたまま、じろりと嵐と優斗を睨む花音。

 優斗は曖昧に笑ってから首を縦に振り、嵐は勢いよく頷いた。


「本当だ! ピンクの下着なんて見てないから!」


 盛大に自爆した嵐。

 数秒後、小気味良いくらいの張り手音がアジト内に響き渡ったのだった。





「あっはっはっはっ、それで二人とも立派な紅葉ができているんだね!」

「本当に反省してます。もう二度と許可なく扉を開けません。ごめんなさい」


 何故か頬を赤くさせていた優斗達から事情を聴くなり、盛大に笑う照。

 一方で容赦なく叩かれた頬に氷嚢をあてながら、嵐はぶつぶつと謝罪を繰り返していた。

 花音はむすっとした表情のまま皐月達が作った朝食を配膳しており、優斗と目が合うとぷいっと顔を逸らす。


「駄目よ。女の子の部屋に許可なく入ったら」

「うむ。むしろ平手だけですんで僥倖ではないか。吾輩ならば、息の根を止めておるぞ」

「反省しています」


 麗香と珠洲にも苦言を零されて、二人は体を縮こませる。

 そんな二人を庇うように声をあげたのは朔であった。


「まあまあ、とりあえずご飯食べようっす。せっかくアサちゃん達が作ってくれたんすから。温かいうちに食べないと」


 その言葉に他の面々も同意を示して、朝食を食べ始めた。

 和気藹々とまではいかなくとも、会話をしながら食べる中、ただ一人優斗だけが難しい表情のまま、朝食を見つめている。

 彼はご飯を数口食べて、卵焼きを一口食べただけだ。

 箸を持ったまま、固まっている優斗に気付いた皐月が不安そうに表情を曇らせた。


「どうしたの? 嫌いな物でもあった?」

「え? あ……」


 皐月に声をかけられて、優斗は顔を上げる。すると、他の面々も不思議そうに優斗を見ていたことに気付く。

 優斗は一瞬だけ表情を強張らせた後、心配いらないとばかりに笑った。


「いえ、大丈夫です。ただちょっと食欲がないだけなので」

「食欲がない……?」

「食欲なくても少しは食べたほうが良いわよ。これから厳しい戦いが続くだろうし、少しでも体力をつけないと」

「そう、ですね」


 麗香の言葉に優斗は小さく笑って、それから少しずつ朝食に手をつけ始める。

 そのことに他の面々も自らの食事を続ける。だが、結局優斗は半分も食べずに申し訳なさそうに眉を下げたのだった。




 朝食を食べ終わったいま、アジトの居間に集まっているのは白と千沙都を除く、八人であった。

 二人の姿がないのは未だに目を覚まさない白を千沙都が看病している為だ。


「それじゃあ、作戦会議を始めるわよ」


 皐月の号令に全員の視線が集まった。

 彼女の隣にあるどこから持ってきたのか、いつの間にか用意されていたホワイトボードには大きな字で作戦会議と書いてある。

 皐月はそのホワイトボードを叩きながら、口を開く。


「まず、現状を確認する。……明け方、嫉妬の完全覚醒を確認したわ」


 皐月は厳しい眼差しのまま、静かにそう告げた。

 その事実にとっくに気付いていたのか、驚く者はいない。


「アキ先輩……憤怒ももうすぐって感じっすね。時間はそう残されてないっすよ」

「そう。憤怒の気配も強くなってきてる。けれど、最優先は嫉妬ね」


 そこで皐月は、優斗に視線を移す。


「二人を助けるって方向で、良いのよね?」


 念を押すような言葉。その言葉に花音達の視線も優斗に向けられる。しかし、優斗は迷いなく頷く。


「勿論です」


 その言葉を予想していたのだろうけど、それでも複雑そうな顔をしたあと、皐月は頷く。


「分かった。優斗君の意思を尊重するわ」

「……私は、反対だわ」


 ぶすっとした様子で反対したのは麗香であった。彼女は不満そうに頬を膨らませ、膝を抱えていた。だが、それは不満を抱いているというよりは拗ねているといった方が正しいのかもしれない。

 そんな麗香の反応に優斗は困ったように視線を向ける。

 優斗に見られて、麗香は居心地が悪そうに視線を逸らして、膝に顔を埋めた。


「それは、助けられておいて何言ってんだって話かもしれないけど……けど、それでも私は嫌なのよ。もうあんなことは嫌よ」

「麗香……」

「レイ先輩」

「まあ、気持ちは分かるがの。吾輩だって納得はできておらぬ。だがの、麗香よ。肝心なのは優斗の気持ではないのか」


 麗香の気持ちが分かるのか言葉を失う皐月達とは違い、冷静にそう告げたのは珠洲であった。

 珠洲の言葉に麗香は静かに顔を上げて、優斗を見る。

 優斗は何も言わずに笑う。

 その顔に麗香は顔を赤くさせて、再び顔を膝に埋めた。


「っ、分かってるのよ! そんなこと!」

「全く、仕方のない子じゃ。ほれ、麗香のことは吾輩に任せて会議を続けると良い。どうせ吾輩達はもう戦力にならないからの」

「え?」


 珠洲の言葉は寝耳に水であった。優斗だけではなく、照も嵐も目を丸くさせて、珠洲を見ていた。

 珠洲は三人の反応に逆に驚いた仕草を見せ、それから自嘲の笑みを浮かべた。


「吾輩達は元々ただの人間であったからの。いままで退鬼師としての力を扱えていたのはひとえに真祖を身に宿していたからじゃ。だから、真祖がいないいま、吾輩達には何の力もないのだよ」


 驚くと同時に優斗は、そういえばと思い出す。

 七百年前も真祖を引き剥がした彼等は普通の村人に戻っていたことを。


「だが、退鬼師としての力がなくとも吾輩達にできることは何でもしよう。役立たずかもしれぬが其方の役に立ちたいのだ」

「役立たずなんかじゃない!」


 咄嗟に叫んだ優斗に珠洲は目を丸くさせた後、ふっと表情を和らげた。


「其方は優しいの。……ユウト、一つ忘れないでほしい。其方が吾輩達を守りたいように吾輩達も其方を守りたいのだということを」

「はい」


 優斗が頷くと珠洲も満足そうに笑い、それから膝を抱えている麗香の元に近寄る。

 それを見届けてから、皐月が気を取り直すように手を叩いて、会議を再開した。


「それじゃあ、続けるわね。私は、憤怒は無視して、嫉妬の元に向かう事を提案する。完全覚醒してないといくら優斗君でも真祖を引き剥がすことはできないからね」

「まあ、それしかないっすね。俺もアサちゃんに賛成っす」


 皐月の提案に反対するものはいない。

 皐月は全員の顔を見渡して、反対意見がないことを確認すると再び口を開く。


「それと、嫉妬の元にはおそらく瀧石嶺千里が来る。問題はいつのタイミングで来るかだけど……」

「真祖とこちらが油断した。もしくは、弱ったタイミングで来ると僕は思うね」

「うん、昨日もそのタイミングだったわね。どうせ漁夫の利を得ようとしてるのだろうけど……ほんと性格悪いわよね」


 苛立った様子で眉を吊り上げた皐月に同意するように珠洲達も頷く。彼女達の反応に苦笑していた優斗だが、とある懸念を思い出して、表情を曇らせた。


「どうしたの?」


 優斗の表情の変化に気付いた花音が訊ねてくるが、優斗は何も答えずに曖昧に笑うだけ。


「恐らく弟子君は、友達の事が心配なのではないかね? 瀧石嶺千里が現れるということは、再び彼等と敵対するということに他ならないからね」

「……照さんには、敵いませんね」


 小さく肩を竦めた優斗の態度は照の言い分を全面的に認めたのと同じであった。

 自分達の味方をしてくれたせいで、彼のいまの仲間達と敵対させることになってしまった事に皐月達は、何も声をかける事ができない。

 表情を曇らせた彼女達に気付いて、優斗が慌ててフォローを入れるより早く、嵐が口を開いた。


「んー、けど、はるるん達だって本心からアイツに従ってるわけじゃないぜ?」

「え?」


 嵐の言葉があまりにも意外過ぎるものであったから、全員が目を丸くさせて嵐を見る。

 彼等の反応に嵐は不思議そうな顔をしたあと、なんてことのないように言葉を続けた。


「だってさ、はるるん。オレに言ったんだ。ツッキー達を頼むって。まあ、タローは良く分かんないけど……あいつの事だし、なんか考えがあるんじゃねーの?」


 それは仲間の事を信頼していると分かるほど、まっすぐな言葉であった。

 嵐がそう言うならば、何か理由があるのではないか。そんな希望を抱いてしまうほど眩しい信頼であった。


「うーん、アイツのことだから、何か弱みでも握ってるのかもね」


 皐月の言葉に全員が考え込む。そこで、優斗は別れ際に血を流して倒れていたもう一人の仲間を思い浮かべる。


「聡……?」


 呟けば、彼の中でピースがぴったりと嵌った。

 確かに晴ならば、聡が人質として取られていたら、千里に逆らうことなどできない。

 優斗の呟きに花音も納得したように同意を示す。


「ふむ。調べてみる価値はあるだろうな。ならば、その役目は吾輩達に任せてもらおう」

「けど、危険ですよ」

「なに、もうどこにも安全な場所なんてなかろう。それに少しでも其方の力になりたいのだ。のう、麗香」

「……そうね。それがいまの私達にできること、か。うん、私達にやらせてほしい」


 それは彼女達の精一杯の懇願であった。

 力がないからと守られているのは嫌だ。自分も何か役に立ちたい。そんな気持ちが優斗も分かるからこそ、彼女達の願いを一蹴することなどできなかった。

 優斗は眉を下げて、困惑した様子を見せた後、小さく溜息をつく。そして、困ったように笑って頷く。


「分かりました。お願いします。けど、くれぐれも危ない事はしないでください」

「うむ、承知しておる」

「任せて、優斗君」


 パッと表情を明るくさせて頷いた二人に優斗も笑う。


「それじゃあ、調査は二人に任せて、分担を決めましょうか」

「分担って……。全員でシュウ先輩のとこ行くんじゃないっすか?」


 怪訝そうに首を傾げた朔に皐月は呆れた様子で彼を睨みつけた。


「あんたは留守番よ。馬鹿朔」

「なんでっすか?」

「当たり前でしょ。いくら治癒力が高くても、あんたはまだ絶対安静なんだから。そんな怪我人を完全覚醒した真祖の元に連れてって、真祖化されたら厄介でしょ」


 皐月の言い分は正しかった。

 それは朔自身も感じていたのか、彼は悔しそうに言葉を飲み込むだけで、反論しようとはしなかった。


「なら、誰が行くっすか?」

「当然、私と優斗君。花音、照、嵐君の五人よ」

「あの、待ってください」

「花音? どうしたの?」

「皐月さんは此処に残った方が良いと思います」


 花音の提案に皐月は目を見張り、僅かに剣呑さが宿る瞳で花音を睨みつけた。


「どういう意味?」

「私達が嫉妬の元に向かっている間に此処が襲撃されないとは限りません。此処には、怪我人と非戦闘員しかいません。もし襲われたら、危険です」

「うんうん、確かに。僕も花音君の意見に賛成だね。ならば、僕も此処に残ろうかね」

「ちょっと、あんたと私が行かなかったら優斗君達だけになるじゃない!」

「うんうん、そうだね。けど、彼等は同じチームで仲間として戦ってきた。いざという時は、彼等だけの方が、うまく連携できるんじゃないかね?」

「けど――」


 まだ反論しようとする皐月を制したのは優斗であった。

 彼は皐月を止めるように彼女の前に手を出して、いまにも照に掴みかかりそうだった彼女を止めた。


「大丈夫です。それでいきましょう」

「優斗君!?」

「俺は反対っす」

「反対だわ!」

「反対だな」


 優斗の言葉に反対の意を示したのは朔達であった。

 彼等の意見など予想していたのか優斗は困ったように笑いながら、それでもまっすぐ彼等を見返す。


「平気です。俺を信じてください」


 そう言われてしまえば、彼等が反対する事などできない。

 優斗の意思を尊重する彼等が、優斗が決めたことを本当の意味で否定する事など彼等にはできないのだ。

 優斗は何も言わなくなった皐月達から視線を外し、花音と嵐を見る。


「花音、嵐。いけるか?」

「勿論」

「どーんと任せろ!」


 こうして優斗と花音、嵐の三人で秀也の元に向かう事が決まったのだった。

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