#19-1 嫉妬


 その少女は退鬼師の名門と呼ばれるほど高名な家系の娘であった。

 家柄も容姿も頭脳も何一つ申し分ない優秀な少女。

 ただ彼女には重大な欠点があった。

 退鬼師に必須の属性を彼女は持っていなかったのだ。


 属性を宿さない人間は退鬼師にはなれない。退鬼師になれない少女は退鬼師の家系にとっては不要な存在でしかない。

 当時、時の将軍に認められるほどの退鬼師の家系であったのならば、なおさら彼女は不要であり、家にとっても恥でしかなかった。だからこそ、彼女はずっと屋敷に軟禁され続けていた。


 退鬼師になれずとも彼女は優秀な娘であったからこそ、その様な扱いを受けたのだ。

 属性を持っているだけで何の才も持たなかった一族の人間が彼女の存在を恐れたのだ。


 少女が成長するととある退鬼師の青年が彼女を是非嫁にと申し出た。

 少女を恐れていた一族はこれ幸いとばかりに彼女を嫁にだす。それが彼等一族の悲劇の始まりとは気付かずに。


 少女は迎え入れた退鬼師の青年の彼女に対する扱いは酷いものであった。

 彼女は粗末な小屋で生活を強いられ、彼女の夫が呼んだ時のみ、彼の屋敷に足を踏み入れる事を許された。

 何故、彼女を望んで婚姻を申し込んだくせにそのような扱いをするのか。


 答えは簡単であった。

 彼は彼女の持つ血が目当てなだけだったからだ。

 いくら彼女自身が属性を持っておらずとも、彼女に流れる血は何人もの優秀な退鬼師を輩出してきた名門のもの。それならば、彼女の子が優秀な退鬼師となる可能性だってある。

 彼の一族は、名門の血を一族の中に取り入れたかっただけなのだ。だからこそ、彼女の扱いは最悪で、彼女は子を成す為だけの道具であった。


 彼女は何もかも持っていた。

 高名な家柄と類まれない美しい容姿。そして、優秀な頭脳。

 退鬼師なんて関係ない家に生まれてさえいれば、彼女の人生は180度変わっていただろう。だが、そうはならなかった。ただ属性を持っていなかっただけで、退鬼師になれないというだけで、彼女は不遇な日々を送るしかなかったのだ。


 彼女は恨んだ。

 こんな世界を。こんな理不尽を許す世界を。

 彼女は憎んだ。

 彼女をこんな目に合わせたすべての人々を。

 彼女は嫉妬した。

 自分よりも遥かに劣るのに属性を持っているというだけで、退鬼師になれた人達に。


 嫉妬した。嫉妬した。嫉妬した。

 憎しみや恨みも当然抱いた。だが、それよりも深く抱いたのは嫉妬であった。

 それは彼女が優秀であるが故のプライドからくるものだった。

 自分よりも劣るはずなのに、自分の方が優秀な筈なのに、何故こんな目にあわなくてはいけないのか。

 強い嫉妬の炎が彼女の身を焼き尽くす。そして、彼女は真祖の手を取ってしまう。

 それが後に世界を破滅に導くとは知らずに――。


◇◆


 如月秀也は目を覚ます。

 思い出したくもない過去の記憶を思い出してしまい、気分は最悪だった。

 彼は起き上がろうとして、体が動かないことに気付く。


「……ちっ」


 舌打ちしながら、自分の体の主導権を奪おうとしている真祖に意識を向ける。

 内側から溢れてくる怨嗟の声。

 前世の記憶を思い出した直後にこの声はキツイものがあった。前世の強い負の感情に支配されそうになる。だが、彼は前世と違い、現世では男性として生まれてきた。

 その為、他の面々よりは過去の自分と現在の自分を切り離すことができていた。

 それでも最早真祖化は止められないだろう。いまこうして自我を保っていられるのは幸運なことであった。


「……せめて、体が動けば……」


 自殺することも出来たのに。そんな言葉を続けることはしなかった。

 秀也は自嘲の笑みを浮かべる。

 彼に取り憑いている真祖が簡単に自殺を許すわけないのだけれど、それでも指を加えて真祖化するのを待っているわけにはいかない。


 秀也はいま森の中にいた。

 周辺は既に真祖の気配が色濃くなっており、迂闊に近付けば、嫉妬の欲望に呑まれるだろう。

 木に体を預けて横たわりながら、秀也は木々の隙間から見える明星を眺める。

 その光景に何も知らずに幸せに過ごしてほしかった少年の姿を思い出す。

 前世と比べて、ひどく人間らしく、感情が豊かだった。あの頃と違い、頼りなく、弱く、すぐに死んでしまいそうなほどひ弱な少年。けれど優しい心はあの頃と同じ。


「神無さん……」


 ぽつりと呟かれたのは彼にとって恩人の名前。

 優斗が神無の力を受け継いだのは分かっていた。

 神無に恨みを抱く真祖がひどく反応したことと、彼自身も神無の力の片鱗を感じたからだ。

 間違えることはない。あの優しく、温かい光は神無のもの。

 嬉しくなると同時に悲しくなる。自分達は結局守る事ができないのだと。

 神無の力を感じると同時に真祖の影響が強くなったのは気付いていた。同時に色欲と暴食の気配が消えたことに。

 それが意味するのは一つだけ。


(……お願いだから、来ないでください……)


 自分の事はいい。助けなくていい。これ以上、前のように真祖を身に宿そうとしなくていい。

 せめて彼に見つからないように遠くへ逃げたかった。だが、もうそれも叶わない。

 それならばせめて、彼がここへ来ない事を祈って、如月秀也は目を閉じた。

 その願いが叶わないと知りながら、彼の知っている神無優斗ならば必ずここに来ると分かっていながらも、彼はただそれだけを願っていた。

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