#18-1 逃亡


「おい、ユウト。この状況、どうする気だ?」

「…………」


 傲慢の真祖にそう問われても優斗は何も答えられなかった。

 神無の力を受け継いだといっても彼の力は、鬼相手にしか効果を発揮しない。この場を全員が無事に逃げ出せるほどの突破力を彼は持っていなかった。


 朔は背中を斬られ、次々と繰り出される攻撃を何とか凌いでいるという状況。それも数分ももたないだろう。

 皐月も息をつく間もなく攻撃を仕掛けられているせいで、防戦一方だ。

 優斗も優斗で彼が動こうとすると即座に矢が飛んでくるため、下手に動けない状態だった。

 傲慢の真祖は腕を組んだまま、状況を静観している。

 最悪の状況だった。この状況を回避する術が見つからなかった。


「……神無。大人しく真祖達を引き渡せ。いまなら、お前だけは助けてやろう」


 それは瀧石嶺千里からの恩情。それは優斗が……いや、瀧石嶺神無が彼の弟だから提案されたものだろう。

 神無の記憶を引き継いだ優斗は知っている。脳裏に過るのは過去の記憶。まだ優しかった兄の記憶。

 その記憶に一瞬だけ、優斗は泣きたくなった。だが、優斗は首を横に振って拒否を示す。


「俺は瀧石嶺神無じゃない。月舘優斗だ」

「同じことだ。お前も思い出したんだろう? その輝きは神無のものだ。その輝きを見間違えるわけがない」

「違う! 瀧石嶺神無はもういない! 俺は神無じゃないし、お前だって瀧石嶺千里じゃない! お前は田中……田中明彦だ!」


 強い口調で言い放つ優斗に千里の顔が不快そうに歪む。彼は、息を吐き出したあとに小さく首を振る。


「どうやら無駄のようだな。それなら、七百年前と変わらず、お前は私の敵だ。……全員殺せ」


 あまりにも冷徹な声が優斗達にとって最悪の言葉を放つ。

 千里の声に周囲の生徒達が一斉に動き出す。


「っ!」


 優斗も咄嗟に双剣を構えようとして――飛んできた弾丸に片方の剣が弾き飛ばされた。地面に落ちた剣に手を伸ばそうとして、動きを止めた。

 地面に落下した剣が凍り付いていたのだ。


 その現象を知っていた。

 水を氷に変化させる性質を持った弾丸を知っていた。

 それを武器に使う退鬼師を知っていた。

 優斗は目を見開いたまま顔を上げ、弾丸を放った人物の顔を見る。

 そこに立っていた白髪の少年の姿を認めて、茫然とその名を呟いた。


「……幸太郎」


 白髪の少年――雪野幸太郎は、感情の読めない冷え切った眼差しのまま、優斗を見つめていた。


「優斗君!」


 皐月の声に優斗は自らに迫る巨大な質量に気付いて、その場を離れる。次の瞬間、優斗が立っていた場所に赤い炎を纏った重量感のある一撃が襲った。

 大きく抉れた地面に立つ一人の赤髪の少女。その顔もまた優斗の良く知る人物であった。


「晴……」


 御堂晴は何も答えない。ただ唇を強く噛みしめ、優斗に向かってくる。


「晴!」


 優斗の声では晴は止まらない。晴を攻撃することなどできない優斗は必然的に彼女の拳を避けるしかない。


「……すまぬ」

「え?」


 紙一重で晴の拳を避けた優斗の耳に届いたのは小さな声で告げられた彼女の謝罪。

 晴の謝罪に優斗はその真意を問おうとするが、それよりも早く幸太郎の弾丸が撃ち込まれ、晴から距離を取ることになってしまう。


 幸太郎は何も言わない。晴も何も言わない。

 彼等は敵になったのだと優斗はようやく理解する。

 それは当然のことかもしれない。真祖優斗達が悪で、千里が正義。それが彼等の中にある歴史だ。だからこそ、晴達が千里側についても優斗は文句を言えない。どちらが正しいのかなんて優斗にも分からないのだから。


「おい、ユウト。お仲間に裏切られて落ち込んでる場合じゃねえぞ。……怠惰の奴、死ぬぞ?」

「っ、朔さん!?」


 傲慢の言葉に視線を動かせば、朔が膝をついている姿が飛び込んできた。その体からはおびただしいほどの血が流れている。そして、そんな彼にとどめを刺そうと綾乃が薙刀を振りかぶっていた。

 咄嗟に助けに入ろうとした優斗だが、そんな彼に迫るのは雷光の如く鋭い一本の矢。


「しまっ――」


 避けるのも切り払うのも間に合わない。

 せめて致命傷を避けようと体を捻った優斗だが、彼の耳に届いたのは鋭い風の音。そして、何かが地面に落ちる音。

 優斗が地面を見ると、そこには真っ二つになった矢が落ちていた。


「ツッキー! 無事か!?」


 聞こえてきた声に振り返れば、そこにいたのは緑髪の少年。彼は優斗に駆け寄ってくると無事を確かめるようにペタペタと優斗の体をさわる。


「嵐……なんで……」

「やれやれ、本当に無粋だね! たった三人を集団でいたぶるのは実に美しくないね!」


 響いたのはこの場にそぐわないほど明るい声。聞き覚えがありすぎる声に優斗が視線を動かすと、朔を庇うように立っていた瀧石嶺照の姿が見えた。

 嵐と照の二人は他の生徒達とは違い、優斗達を守るように立っている。そのことに千里は仏頂面のまま、口を開く。


「貴様ら、どういうつもりだ?」

「どうもこうも見た通りだと思うね! 僕達は彼等の味方をするってことだね!」

「……そいつらは人類の敵だぞ? 放置すれば、七百年前の再来となるぞ?」

「うんうん、確かにそれは大変だね! 伝え聞くようにそこら中に鬼が溢れたら、僕達でも手に負えないね。困ったことになってしまうね!」

「それなら、大人しく退くがいい」

「お断りだね」


 あっさりと千里の提案を断った照に千里は眉を吊り上げたまま、嵐に視線を移す。


「貴様も同じ考えか?」

「俺、難しい事は良く分かんねえけどさ……あんたの言う事には従えない」


 千里は溜息をつく。彼には分からなかった。何故、嵐達が真祖の味方をするのかが。

 優斗は分かる。だが、何故七百年前と何の関りもない彼等が真祖側につくのかが理解できなかった。全校生徒を、人類を、世界を敵に回しても真祖側に立つ理由が思いつかなかった。だからこそ、彼はその疑問を口にした。


「何故、真祖の味方をする?」


 千里の問いに嵐と照は、きょとんと目を丸くさせて、互いに視線を交わしあう。


「誤解してもらったら困るね。僕らは真祖の味方をしているわけじゃない。僕らは弟子君、朔君、皐月君の味方をしているだけだからね!」

「そうだな。仲間の味方をするのは当然だからな! けどまあ、他の理由もあるにはあるけど……なあ、テルテル!」

「うんうん、そうだね嵐君! ここは正直に伝えてあげようかね!」


 いつの間に仲が良くなったのか、二人は互いに頷きあい、それから同時に口を開いた。


「俺、お前嫌い」「僕は、君が嫌いだからね!」


 同時に告げられた言葉は口調は違えども、内容は全く同じものだった。

 思いもよらない理由で世界を敵に回した二人に千里が呆気に取られる。そんな彼の反応に二人は楽しそうに手を叩きあう。

 静まり返る周囲の中で、真っ先に口を開いたのは状況を静観するだけだった傲慢であった。


「ぎゃはははははっ! 嫌い! 嫌いって……そんな理由で世界を敵に回すとかお前ら馬鹿なのか? いや、馬鹿だろ!」


 よほど嵐達の返答が面白かったのか、何度も二人の背中を叩く傲慢。中身は違えどもその姿は花音のものな為、嵐が困惑したように眉を下げた。


「ひ、ひののん? なんか、キャラ違くないか?」

「あー? 細かい事は気にすんなよ、バカ。んなことより、良いぜ。気に入った。ここは俺様がてめえらを逃がしてやんよ」

「ちょ、ちょっと待て! その体は花音のものなんだぞ!」

「チッ、うっせーな。あんま、俺様のことなめんじゃねえぞ。俺様があんな雑魚共に後れをとると思ってんのかよ?」

「けど……」


 まだ言いよどむ優斗だったが、その腕を皐月に掴まれた。


「ここはアイツに任せましょう。このままじゃ、私達は全滅よ」

「うんうん、そうだね。朔君もかなりやばいからね! 退くのが最善だと僕も思うね!」


 二人に諭され、照が背負っている朔の姿を見て、優斗も渋々頷いた。


「んじゃ、とっとと行け! 道は作ってやるよ!」


 傲慢の言葉と同時に巨大な闇の塊が出現して、生徒達を殴り飛ばす。包囲の一角が崩れた隙に皐月達がこの場から離脱する為に走り出した。


「気をつけろよ」

「ハッ、誰に物言ってんだ。早く失せねえとてめえも巻き込むからな」


 傲慢に背中を押され、優斗も駆け出す。

 逃げ出した優斗達を追いかけようと何人かの生徒が走り出すが、巨大な闇の壁が彼等の行く手を阻む。


「千里様! 奴らが逃げます!」

「追わなくていい。それよりも傲慢を殺せ。完全覚醒してない今なら、殺せる」

「ハッ、あんまいきがんなよ小僧。てめえら程度、完全覚醒してなくても楽勝なんだよ」


 そう言って、傲慢の真祖は挑発的に笑ったのだった。

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