#16-2 七百年前の真実


「ど、どういう事ですか?」


 声が震えた。

 今すぐ冗談だと笑い飛ばしてほしかった。だが、その真実を告げた朔の顔は真剣で、とても冗談を言っているようには思えない。

 それに何故だか優斗自身も驚くほどその真実を納得していたのだ。まるでその事を知っていたようにしっくりときてしまう。


「言葉通りの意味だよ。俺達が七百年前に世界を破滅に導いた存在……『真祖』だ。正確にはその生まれ変わりだけど」

「…………俺、達?」


 自然と視線が珠洲と皐月に向かう。

 優斗の視線が向けられると彼女達は肯定するように頷いてみせる。


「スズちゃんとアサちゃんだけじゃない。シュウ先輩達……七隊の他のメンバーもだよ」


 その言葉に優斗は更に息を呑む。

 七隊の他の面々といえば、優斗が初めて鬼と遭遇した時に助けてくれた秀也、彰人、麗香の三人も彼等と同じ真祖だという事だ。そして、何よりも優斗に属性のいろはを教えてくれた師匠とも呼ぶべき存在――瀧石嶺照もその一人という事になる。

 顔を青ざめさせた優斗の心情を察したのか、ふと朔が補足するように言葉を続けた。


「あ、テルテルは違うから。テルテルは全くの無関係。俺達の事も七百年前の事も何も知らない」

「そ、そうなんですか」

「でも、ユウ君にとってはテルテルが真祖だった方がマシだったのかもね」

「え?」


 朔の言葉の意味が分からずに優斗は首を傾げた。

 そこで優斗はある事実に気付く。

 意識を失う前に田中……いや、瀧石嶺千里が言っていた言葉を思い出す。

 彼は何と言っていた?

 花音の事を何と呼んでいた?

 なんで花音を捕らえようとしていた?

 あの時は分からなかったが冷静になって、今の状況を鑑みながら考えてみれば答えは一つしかなかった。


「……ま、まさか……花音が……?」


 震える声での問いに朔は少し悲しげに笑った後、頷いた。


「そう、カノちゃんも真祖の一人。七百年前、一番最初に真祖に取り憑かれた子の生まれ変わりだよ」


 その言葉を耳にした瞬間、優斗は泣いていた。

 何故泣いているのかなんて自分でも分からなかった。ただどうしようもなく悲しくて、どうしようもなく苦しくて、どうしようもなく嬉しかった。

 自分の感情の筈なのに自分以外の誰かの感情を受け取っているかのようだった。


 どんなに拭っても止まる気配のない涙を乱暴に拭い続ける優斗に珠洲がハンカチを差し出す。

 最初は戸惑っていた優斗だったが、このままでは制服が水浸しになりそうだと考えて、ありがたくそれを受け取って涙を拭う。

 暫くの間、涙が止まらなかったがようやく落ち着いてきた頃に優斗の前にお茶が置かれた。

 顔を上げれば、心配そうな顔をした皐月と目が合う。


「……ありがとう、ございます」


 礼を言った優斗に皐月は目を丸くさせた後、優しく笑って優斗の頭を撫でた。

 子供扱いされている気分になって複雑な気持ちを抱いた優斗だが、皐月があまりにも優しく笑っていたから何も言えずに黙り込んだ。


「話を続けても大丈夫?」

「あ、は、はい!」


 朔に声を掛けられて、優斗は慌てて頷いた。

 女の子に頭を撫でられていたという状況に気恥ずかしさを覚えて、それを誤魔化すように声をあげたのだ。


「テルテルを除いた七隊の全員とカノちゃんが真祖。ここまではいい?」

「はい」

「それじゃあ、次はユウ君の親友――星野大河君の事だ」

「大河!?」


 勢いよく前のめりになった優斗に朔は、一瞬目を丸くさせた後、頷いた。


「彼が転生組って事は知ってるんだよね? シュウ先輩達が話したって言ってたし」

「……はい」

「彼もね、七百年前のあの時代を生きた退鬼師の生まれ変わりだ。俺達以外では、唯一真実を知っている退鬼師といってもいい」

「大河が?」

「そう、彼の前世名は天童虎之介。小さな村の退鬼師の家系に生まれたごく普通の退鬼師だった」


 その名前を優斗は知っていた。

 あの時、大河を止めようとした時に脳裏に流れた映像の中にいた少年の名前だった。

 彼が大河の前世の姿。そういわれてみれば、確かに彼と大河は良く似ていた気がする。姿形がではない。魂が、その在り方が良く似ていたのだ。


「トラ君はね、親友を守ろうと一人で頑張ってたんだ。俺達にも頼れずにただ一人きりで鬼を狩り続けていた。けど、ある日それも限界が訪れた。その理由はユウ君なら分かるよね?」


 灰の双眸が優斗を見据える。

 答えなど決まっていた。あの日の事を忘れた日など一日たりともないのだから。

 優斗の日常が壊れたあの日の事を――。

 優斗が頷くと朔は何かを思い出すように目を細めた。


「あの時、トラ君は危なかった。スズちゃんがいたおかげで、なんとか一命は取り留めた。けど、トラ君が生きているという事をユウ君に知られるわけにはいかなかった」

「……どうして、ですか?」


 何故もっと早くに教えてくれなかったのだ。教えてくれたならば、大河があんな事になる前に何とか出来たのではないか。そう言いたい気持ちを抑えて、優斗は朔の言葉を待った。


「一度死にかけた人間はね、鬼になりやすいんだ。死の恐怖を知ってるからかな。だから、ユウ君に会わせるわけにはいかなかった。トラ君自身も絶対に内緒にしてほしいと言ったからね」

「…………」

「トラ君はね、此処とは別の俺達の隠れ家にずっと隠れてた。それがこの間、ユウ君達がいた東の森の近くにある隠れ家だった。…………先に謝らせてもらう。本当にごめん。俺達がいながらトラ君を守れなかった」


 急に朔が頭を下げて、謝罪した。

 突然の謝罪に優斗は慌てて顔を上げてもらうように告げる。だが、朔は顔を上げない。

 優斗は助けを求めるように珠洲達に視線を移して……彼女達も頭を下げているのを目撃した。


「…………何があったんですか?」


 意を決して、あの日なにがあったのかを訊ねる。

 優斗と大河が再会する前、彼の身に何があったのかを。

 朔はゆっくり顔を上げて、静かに口を開いた。


「あの日、隠れ家にはレイ先輩とトラ君がいた。そこに彼が来たんだ」

「彼?」

「瀧石嶺千里だよ」


 思い浮かぶのは田中の顔。

 初代瀧石嶺千里の生まれ変わりだという旧友の顔だった。


「瀧石嶺千里はさ、真祖とある人を捜す為にやってきた。そして、レイ先輩とトラ君を見つけて気付いたんだ。彼等を使えば、簡単に見つける事が出来るってね」


 その言葉が何故かひどく恐ろしいものに感じた。


「瀧石嶺千里はね、レイ先輩とトラ君に刺激を与えた。人が鬼に変わる欲望を注入したんだ」

「っ!」

「レイ先輩はトラ君を逃がした。なんとしてでも彼だけは守ろうとしたんだ。けど、あの日はタイミング悪く、ユウ君達があの森にいた。結果は、ユウ君が見た通りだよ」


 つまり、あの日大河が鬼となった原因は瀧石嶺千里にあって、彼は真祖を見つける為だけに友人であったはずの大河を捨て駒として利用したのだ。

 訳が分からなかった。意味が分からなかった。どうしてこうなったのかと嘆きたくなった。

 それでも起こってしまった過去は変えられない。どんなに後悔したところで後の祭りだ。


 もう田中は優斗の知っている田中明彦ではないのだろうか。

 彼は七百年前の英雄の瀧石嶺千里なのだろうか。

 優斗は強く唇を噛みしめた。

 真実を知らなければいけないと改めて感じた。何も知らないからこそ、無知だからこそ起こってしまった悲劇。それをこれ以上繰り返さない為にも優斗は知る必要があった。

 七百年前に何があったのかという事を。


「……次の話をお願いします」


 優斗の言葉に朔は目を見張る。それから、心配したように眉を下げたが優斗の強い視線に負けたのか肩を竦めて話し始めた。


「それなら次は、七百年前に何が起こったか、だ。なんで俺達が世界を壊そうとしたのか。なんで俺達が真祖と呼ばれるように至ったのか」


 低くなった声に優斗は自然と姿勢を正す。

 優斗の真剣な表情に朔は小さく頷いてから、一度息を吐きだしてから静かな声で告げる。


「……俺達はね、普通の人間だったんだ。退鬼師の家系でも何でもない。属性も持ってない普通の村人だったんだよ」

「え?」

「そんな俺達にね、ある日鬼が宿ったんだ。それが真祖と呼ばれる鬼。鬼はね、俺達の欲望に目をつけたんだ」


 意味が分からなかった。

 退鬼師とは何の関係もない一般人に真祖と呼ばれる鬼が宿ったとはどういう事なのか。

 優斗の困惑は当然だろう。

 優斗の表情を見た朔は悲しげに微笑んでから言葉を続けた。


「俺の場合はね、『怠惰』の鬼だった。昔の俺はさ、人の評判ばかり気にする外面だけは立派な小心者だったんだ。皆に嫌われたくなくて、一人になりたくなくて、良い顔ばっかりして面倒事ばかり引き受けてた。……でもね、そんなのはやっぱり疲れるんだ。もう何もかも面倒になって全てを捨てたくなった俺に鬼が宿ったんだ」


 一瞬、朔の表情がひどく恐ろしいものに見えた。

 この世に生きとし生ける全てのものに何の関心も抱いていない無関心さを宿した表情。それは本当に一瞬の事で、優斗は気のせいかと考える。


「鬼は俺の意思をものの見事に封じてね。俺の体を勝手に使ってだらけ放題。それだけなら、俺だけだし問題はなかったんだけどさ、真祖の鬼には影響力があったんだ」

「影響力?」

「そう、俺の鬼なら『怠惰』。俺の周囲にいる人間全てが怠惰になるんだよ。働かない、動かない、生きる事すら面倒になって、やがては死に至る。どんなことにも関心を抱かず、俺を退治しようと意気揚々とやってきた人もその目的に関心を失い、息絶えていく。……真祖の鬼っていうのはそういう厄介な存在なんだ」


 ゾッとした。

 全ての人間が生きる事に関心を失い、どんな事にも面倒になってしまうならそれは最早生きているとは言わない。ただの生ける屍だ。

 だが、その光景を優斗は知っている気がした。


「真祖は人の欲望を好んだ。それぞれの欲望を強く抱いた人間に宿ったんだ。その欲望が七つ。俺の『怠惰』。そして、アサちゃんの『強欲』。スズちゃんの『暴食』。シュウ先輩の『嫉妬』。アキ先輩の『憤怒』。レイ先輩の『色欲』。カノちゃんの『傲慢』。どれも人間にとっては切り離せない感情だ。でも、この七つの欲望に支配された人間がどんな末路を辿るかなんてちょっと考えれば分かるよね?」


 確かにどれもがどんな人間でも当たり前のように抱く感情であり、欲望だった。

 どんな人間だって、怠けたい時があるだろう。

 どんな人間だって、もっと上へと望む時があるだろう。

 どんな人間だって、お腹一杯に食べたい時があるだろう。

 どんな人間だって、他人を妬む時があるだろう。

 どんな人間だって、怒りたくなる時があるだろう。

 どんな人間だって、愛欲に駆られる時があるだろう。

 どんな人間だって、思い上がる時があるだろう。

 全部が当てはまらなくたって、一つぐらいは当てはまる人がいるだろう。


 それは人間が人間であるがゆえに切り離せない感情なのだから当然だ。しかし、その人間らしい感情も強く抱けば、自分や周囲を破滅に巻き込む事がある。

 そして、七百年前に世界を破滅に追いやったのは人間が人間であるがゆえに切り離せない感情の結果だということだ。

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