#15-3 生離死別


 決して豊かとはいえないその村に一人の少年がいた。

 その少年はその村唯一の退鬼師の家系であり、村を襲う鬼に対する唯一の対抗策であった。

 鬼から村人を守る為に村人は彼らの為に田畑を耕し、収穫した作物を彼らに献上する。その見返りに退鬼師は村人を守るのだ。


 だが、この少年は村人に歓迎されていない。退鬼師の家系でありながら、その能力はあまりにも弱く、武器を出すことも出来ない落ちこぼれ。

 家族からは落ちこぼれと蔑まれ、村人からは役立たずと罵られる。

 彼にとって幸運だったのは彼に兄がいたことだ。兄がいるお陰で、この村は鬼の襲撃から耐えられている。この村も少年自身も生きながらえる事ができているのだ。


「虎君」


 声を掛けられて、少年は振り返る。

 そこに立っていたのは藍白の小袖を身に纏った黒髪の少女。その顔を見て、少年──天童てんどう虎之介とらのすけは呆れた様子でため息をつく。


睦月むつきか。村の中で俺に声かけたら、他の連中に白い目で見られるぞ」

「今更だね」


 何がそんなに楽しいのか睦月は、くすくす笑う。退鬼師として落ちこぼれで、村人にとって役立たずの虎之介に話しかける奇特な村人は少女くらいだった。

 ころころ表情が変わる彼女は見ていて飽きないが、虎之介としても自分のせいで妹同然に思っている少女が村人から冷遇されるのは困りものだ。

 口で言ったところで睦月には無意味だと知っていた虎之介は村の外に行くことにする。睦月はニコニコ笑ってついてくる。


 村を出て、村の近くの丘に向かう。そこは村人に冷遇されている虎之介が一日の大半を過ごす場所だ。

 鬱蒼と生い茂る森を抜け、小高い丘にたどり着く。

 いつ来ても人っ子一人おらず、四季折々の花が咲き乱れているこの場所が虎之介のお気に入りだ。しかし、普段人っ子一人いないその丘に今日は先客がいたらしい。丘の上にある一本の桜の木。その木の根本で一人の少年が眠っていた。


 虎之介と睦月は互いに顔を見合わせる。睦月が小さく首を横に振る。虎之介も首を横に振る。

 お互いあの少年を見たことがないようだ。彼らの住む村のものではない。ならば、旅の者か。

 このご時世に一人で旅をするなどよほど酔狂なものか、ただの馬鹿か、それか退鬼師のいずれかだ。

 風に揺られて舞い散る桜の木の下で眠る少年はまるで人外の何かではないかと思えてくる。

 虎之介が戸惑っていると睦月がずんずんと少年に近寄って、彼の顔をのぞき込む。


「あの」


 よく分からない人にでも物怖じせずに話しかける事ができるのは彼女らしいと言えばらしいのだが、もっと状況を考えて欲しい。そんな虎之介の考えは彼女に伝わった試しがない。

 睦月の声に少年の瞼が揺れて、ゆっくりと開かれる。銀の双眸が睦月の姿を映して、不思議そうに彼女を見返した。


「……君は?」

「睦月です。あそこにいるのが虎く……天童虎之介君」


 よく分からない奴に名乗った上にご丁寧に虎之介の名前まで教えた睦月に虎之介は再びため息をついて近付く。

 相手に敵意がないと感じた為だろう。少年は、ぼんやりした様子で近付いてくる虎之介と睦月の顔を交互に見ている。そして、思い出したように口を開いた。


「ああ、そうか。名前を聞いたなら俺も名乗らないと。俺は瀧石嶺たきいし神無かんな。よろしく」

「よろしく。ところで、神無君はここで何を?」

「ここは君達の場所なのか?」

「いや、そうじゃないけど。今まで此処で人を見たことがなかったからな。不思議に思っただけだ」


 虎之介の言葉を聞きながら、神無は立ち上がる。臀部についた土を軽く払って、桜の木を見上げた。


「……そうか。あまりにもこの桜が綺麗だったから、休憩したくなったんだ。君達の逢瀬の邪魔をして悪かったな」

「お、逢瀬!? 違う違う!」

「そ、そんなんじゃないよ!」


 二人の声が同時に否定の言葉を告げる。それが照れによる否定ではなく、本心からのものであると感じ取った神無は自らの早とちりに素直に謝罪する。


「すまない。俺の勘違いだったか」

「全くだ。そりゃあ、睦月は良い奴だと思ってるけど、あくまでも妹みたいってだけだ」

「本当だよ。虎君は手の掛かる弟みたいなものだよ」


 またしても同時に言葉を発した。お互いに恋愛感情がないことは確かだが、お互いを年下だと思っているのも確かだった。

 二人が顔を見合う。


「いやいや、俺の方がお前の面倒見てるだろ」

「いやいや、私の方が虎君をお世話してるでしょ」

「面倒をかけられた覚えしかないけど!? いつもいつも面倒事ばっかり押しつけやがって!」

「虎君がいつもいつも無茶するからでしょ! だから、無茶できないようにしてあげてるのに!」


 何故か喧嘩を始めてしまった二人に神無は呆気に取られたように二人を見つめ……それから笑い出した。

 神無に笑われたことが恥ずかしかったのか二人はバツが悪そうに視線を逸らす。


「お前のせいで笑われただろ」

「虎君のせいでしょ」


 まだ小声で言い争いを続ける二人に神無は再び笑う。またしても笑われてしまった事に二人は今度こそ黙り込んだ。

 そんな二人の様子に神無は自分の行動が誤解を与えてしまったと気付いて、右手を軽く振った。


「ああ、笑ったのは決して君達を馬鹿にしたわけじゃないんだ。気を悪くしたらすまない」

「い、いえ、こちらこそ見苦しいものをお見せしました」

「そんなことないよ。君達の仲の良さが羨ましくなったくらいだ」


 そう言って彼は、ふわり、と擬音がつきそうなほど優しく笑った。

(……初めて見た。出会ったばかりの他人にここまで親しみを込めた笑みを向けられる人間)

 親しみどころではない。全てを許し、全てを包み込む慈愛に満ちた笑みだった。


「……あ、えっと、か、神無君は旅の人!?」


 神無の笑顔に見惚れてしまった事を隠すように睦月は慌てた様子で口を開く。あきらかに挙動不審だが、神無は彼女の反応を気に留めた様子はなく、頷いた。


「ああ。色んなところを回っているんだ」

「それって、あんたが退鬼師だからか?」

「ああ、虎之介。君もそうなんだろう? 属性の波動を感じるし、何よりこれから向かう村の退鬼師の苗字は『天童』だと聞いた」


 君の事だろう?

 そう言って柔らかく微笑む神無に虎之介は一瞬何も言えなくなった。属性の波動を感じられるなどそんな事ができる退鬼師のことなど聞いたことがなかった。

 それに彼は神無の苗字である『瀧石嶺』という名の退鬼師の家系を知らなかった。

 もちろん虎之介が全国にいる退鬼師の家系全ての名前を把握しているわけではないので、彼が知らないというだけで他では有名なのかもしれない。


「ああ、安心してくれ。瀧石嶺家はあまり有名ではないから。君が知らなくても無理はない」


 虎之介がよほど怪訝な顔をしていたのだろう。補足するように神無がそう続けた。


「あの、神無君。その瀧石嶺家の人って属性の波動が分かるの?」

「瀧石嶺の人間全員ではないよ。そもそもうちは小さな一族だから。属性の波動が分かるのも俺と兄上ぐらいだし」

「へぇ、お兄さんがいるんだ。虎君と一緒だね」

「そうなのか。一緒だな」


 親しみが込められた微笑みを向けられて、虎之介は少し面映ゆい気持ちになる。


「それじゃあ、お前の兄が村を守っているのか?」


 虎之介としては軽い気持ちで聞いただけであった。だが、その質問を口にした瞬間、親しみが込められていた微笑みが消える。彼の表情に浮かぶのは悲哀の表情。悲しみに満ちた表情で彼は静かに言葉を紡いだ。


「……俺の村は滅んだよ」

「え?」

「元々、貧しい村だったんだ。村には流行り病が蔓延して、皆の不安や恐怖、恨みが肥大化しすぎて……一人の鬼化を切っ掛けに連鎖的に村人が鬼になってな。もうどうにも出来なかった。何も出来なかったんだ」


 淡々と語られる内容に恐怖を感じた。いつ自分達の村がそうなるのかと不安になる。

 そんな彼等が抱いた恐怖に気付き、神無は再び柔らかな笑みを浮かべた。


「俺の村は様々な負の要因が重なり、手遅れになった。端的に言えば運がなかったんだ。君達の村もそうなるという可能性は低い」


 何の根拠もない言葉。それでも彼が言えば、自然と納得してしまう。そんな不思議な説得力が彼にはあった。

 二人が頷いた事を確認して、神無は安心したように笑う。瞬間、彼の表情が厳しいものに変わった。

 彼はここではないどこかを見つめるように虚空を見つめている。


「神無君?」


 どうかしたのという睦月の声は言葉にならなかった。急に神無が睦月と虎之介の手を掴んで走り出したから。


「な、なに!?」

「おい! 急にどうしたんだよ!?」

「君達の村が襲われている!」


 その言葉は二人に衝撃を与えるのには充分過ぎた。しかし、この丘から村は見えない。それなのに何故神無は村が襲われていると分かるのだろう。

 嘘をついているのかとも考えた。だが、嘘をつく理由などない。ましてや、柔らかな笑みを絶やさない彼がここまで切羽詰まった様子なのだ。

 虎之介はその言葉を信じて、自らの意思で村に向かって走り出す。

 森を抜けて、村に向かう。その途中で村から火の手が上がっているのが見えた。


「村が……」

「くそっ!」

「虎君!?」


 睦月の制止など聞かずに虎之介は速度をあげる。

 落ちこぼれだと分かっていた。自分が行ったところで何もできないと分かっていた。武器すら出すことができない自分には……。それでも、家族に蔑まれても村人に冷遇されてもあそこは自分が生まれ育った村なのだ。

 先に村の中に入ってしまった虎之介を追うように睦月も村の中に入ろうとしたが、それを神無に止められた。


「君は駄目だ」

「でも、虎君が! 村の皆が!」

「君は退鬼師でも何でもない普通の女の子だ。……鬼退治は昔から退鬼師の仕事だから」


 ぽん、と睦月の頭に軽く手を置いて、神無は笑う。


「大丈夫。ここを俺の村の二の舞にはさせない。その為に俺は旅をしてるんだから」

「神無君……」


 もう一度睦月に微笑みかけ、神無も村の中に入って行った。




 村の中には数体の鬼が好き勝手に暴れまわっていた。村人は恐怖で逃げ惑い、鬼によって殺されていく。


「ひっ! な、なんでだよ! なんで鬼が村の中までくるんだよ!」

「天童家は何やってんだ! こういう時の為の退鬼師だろ!」

「いやぁあああああ! やめて! 来ないで!」


 恐怖は伝染する。半狂乱状態になる村人は恐怖に耐えきれなくなる。鬼の発する負の感情に呑まれてしまう。

 結果、村人の一部がその身を鬼へと変化する。新たに鬼となった村人は獲物を求めて暴れ始める。

 そんな村の様子に虎之介は愕然とした。


「きゃあああああああああ!」


 悲鳴が聞こえた。振り返れば、村人の一人が鬼に襲われている。

 地面を蹴る。自属性の光を纏って鬼に体当たりをかます。たかが体当たりと侮ってはならぬ。属性によって強化された体が勢いを殺すことなくぶつかってくる衝撃波は鬼の巨体を吹き飛ばす。

 地面に着地して、背中で村人を庇う。


「逃げろ!」

「……え?」

「早くっ!」

「は、はい!」


 よろめきながら村人が逃げていくのを確認して、虎之介は吹き飛ばした鬼を見る。鬼は既に立ち上がって、爛々と輝く目で虎之介を睨みつけていた。

 鬼が跳躍する。鋭い爪が虎之介の喉元を狙う。寸での所でそれを躱す。躱した勢いを利用して、属性を纏った足で鬼の顎を蹴り上げる。


(浅いっ!)


 鬼も致命傷にならない程度に避けたのだと理解して、反撃に備えて距離を取る。しかし、鬼は虎之介の行動を予測していたようで、一瞬で距離を詰めてきた。


「っ!」


 とっさに属性を一点に集中して障壁を展開する。だが、障壁は鬼の攻撃を一度受けただけで粉々に消えてなくなった。

 もう身を守る手段はない。それでも致命傷を避けようと体を捻る。鬼の爪が間近に迫ってくるのを感じた。


「ふっ!」


 鬼の爪が虎之介を切り裂くより早く、鬼の体が真っ二つに切り裂かれた。

 突然の事に目を見張る虎之介の視界に飛び込んできたのは、力を失い地面に落下する鬼の体。そして、鬼の傍に立っていたのは光り輝く双剣を携えていた神無の姿だった。


「……かん、な……?」

「大丈夫か?」

「あ、ああ。ありがとう」

「無事ならいい。俺は他の村人達を助けに行く」

「え? お、おい!」


 虎之介が止める暇なく走り出してしまった神無。虎之介は一撃で鬼を倒した神無の強さに驚く。しかし、その驚きは更なる驚愕によって上書きされる。

 神無が切り裂いた鬼。蒸気を放っていた鬼の体はその煙が消えた時にはすでに

 正確には鬼が倒れていた筈の場所に男性が倒れていたのだ。


「え……?」


 思考が固まる。目の前の光景を受け入れられない。

 おそるおそる手を伸ばして、脈を確かめる。


(生きてる……)


 信じられない事だった。

 ありえない事だった。

 一度鬼に身を堕とした者は決して人間には戻れない。もう言葉を交わす事も、意思の疎通をする事も不可能だった。

 それなのに何故彼は人間の姿をしているのだ。そもそも鬼は切り裂かれた筈だった。何故生きているのか。

 何も分からなかった。


「っ!」


 堰を切ったように虎之介は走り出す。村の中を走り回って神無の姿を捜す。

 村の中は火の手があがり、家も畑も破壊されていたが、その至るところで村人が倒れていた。彼等も鬼と化していたのだろうか。そんな考えの答えは出なかった。

 虎之介は村の中心にある自分の実家――天童家の屋敷に向かい、そこで神無の姿を見つけた。


「かん……っ」


 名を呼ぶ事は出来なかった。

 虎之介が彼の名を呼ぶのと神無に向かって一体の鬼が突進するのは同時だったから。

 違ったのはその鬼が普通の鬼ではなく、属性を纏った鬼だという事だろう。鬼は光を纏った巨大な斧を振り回して、神無に襲い掛かる。


「……あに、うえ……?」


 その属性は見覚えがあった。

 その光は見覚えがあった。

 その武器は見覚えがあった。

 全てが全て彼の兄が持ち得ていたものであった。


 神無は鬼の攻撃を双剣で受け止め、いなし、隙を見つけて反撃している。だが、その顔に浮かぶ表情は焦り。

 元退鬼師の鬼ほど厄介なものはない。虎之介もそれを知っていた。しかし、彼は動けなかった。

 何故兄が鬼になってしまったのか、分からなかった。理解できなかった。信じたくなかった。


 鬼が咆哮を上げ、斧を振り回す。神無はそれを片方の剣で受け止め、もう片方の剣で鬼を一閃する。

 踏み込みが甘かったのか、浅く鬼の体を切り裂くだけだったが、それで良かった。一瞬でも鬼の気を逸らせれば良かったのだ。

 傷付けられた痛みに鬼が怒るより早く、神無の双剣が斧を弾き飛ばす。

 丸腰になった鬼に向かって先程よりも光を増した輝く双剣が鬼の体を切り裂いた。

 絶叫を上げて、蒸気と共に倒れていく鬼。蒸気が晴れるとそこに倒れていたのは虎之介の兄の姿だった。


「…………ふぅ」


 貯めていた呼吸を吐き出すように大きく息をつく神無。

 一度鬼となってしまった人間は決して人に戻る事は出来ない。それが世界の真理であったはずなのだ。それなのに彼は鬼となった人間を元の姿に戻した。それも生きたまま。

 ありえない事だった。

 何も言えずに虎之介はただ神無の後ろ姿を見つめる。

 神無はその視線に気付いたのか振り返り……声を発することなく倒れた。


「おいっ!?」


 慌てて駆け寄って抱き起こす。どうやら眠っているだけのようだ。そう気付いて安堵の息を漏らす虎之介。


「虎君ー!」


 神無に村に入るなと言われていたのに大人しく言う事がきけなかったのだろう睦月が駆け寄ってくるのを見て、虎之介は村を見渡す。

 火の手は既に治まっており、もう鬼の気配はない。全部終わったのだと理解した。


(……本当に何者なんだ。こいつ)


 死んでいるのではないかと思うほど血の気のない顔で静かに眠る銀髪の少年。

 その寝顔を見つめて、虎之介は小さくため息をついた。



 それが、彼――天童虎之介と瀧石嶺神無の出会いであった。

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