#15-1 生離死別
後悔している事がある。
死ぬほど後悔している事がある。
一度死んで新しい生をもらっても後悔している事がある。
後悔の記憶は心の奥にいつまでもずっしりと居座り、決してその重みが消える事はない。
たとえ過去に戻れたところでアイツを救う手立てなんてないのだから、どんなに後悔したところで何の意味もない。
いっそのこと前世の記憶など引き継がなければ良かったのに。そうすれば、こんな想いをしなくてすんだだろう。前世とは違い、退鬼師と何ら関係のない一般家庭に生まれたのだから。
そんな考えは一人の少年と出会ったことで全て吹き飛んだ。
(……ああ、そうか。この為に俺は前世の記憶を引き継いだのか)
自然と納得していた。
胸に浮かぶのは再び出会えた事への喜び。そして、今度こそは守るという固い決意。
(もう二度と退鬼師どもに利用なんてさせない。今世では退鬼師も鬼も関係ない。一般人として幸せに過ごすことだって出来るはずだ。いや、過ごさせてみせる)
弱冠六歳の少年が抱いた決意。それが彼――星野大河の行動原理だった。
星野大河が決意を固めた数年後。
大河は偶然一人の少女と邂逅する。本当に偶然の出会いだった。
中学入ってすぐのオリエンテーションでやってきた山。その山で運の悪さに定評がある大河は、迷子になってしまったのだ。
どんなに見渡しても同じような景色ばかりで自分がどこから来たのかすら分からない。そもそも登山客用にある程度舗装された道ですらなかった。
獣道をひたすら突き進み、どうにか舗装された道に出ようと歩き回っていた大河の前に現れた一人の少女。
肩まで伸びた黄金色の髪。至高の宝石のように透き通った翡翠の瞳。とんでもなく美しい少女だった。
一目見て理解した。
(ああ、彼女は……)
それは少女も同様だったのだろう。目を大きく見開き、それから薄く笑う。昔と同じ笑みだ。その反応で分かる。彼女も自分と同じように記憶を持っているのだと。
姿形はあの頃とは違うけれど、魂の輝きはあの頃と同じ。だから、お互いにすぐに分かる。
何から話せばいいか分からずに互いに見つめあう。暫しの沈黙のあと、口を開いたのは少女だ。
「……こんなところで何をしてるの?」
当然と言えば当然すぎる疑問だ。大河は苦笑しながら、自分が此処にいる理由を口にした。
「オリエンテーションで来たんだけどな。いつの間にか逸れてさ。まあ、絶賛迷子中ってとこ?」
「相変わらずだね」
「お前こそ、どうしてこんな所に?」
小さく微笑む少女に大河も疑問を返す。彼女も自分と同じように迷ったのかと思ったが、どうやらそれは違うらしい。
「この山、訓練場所なの。結界を張ってるから一般人は、こっちに来れない。まあ、
「あー、なるほど。どうりで歩いても歩いても同じ道にでるわけだ。結界内だからか」
「出たいなら、案内する」
「頼む。このままじゃ、
生徒が一人いなくなったのだ。下手をしたら捜索隊が出されてしまう。それは大河にとっても望まない事態だった為、少女の提案を素直に受け入れた。
少女は無言で頷いた後、じっと大河の顔を見つめる。それから、僅かに安堵したような表情で言葉を紡ぐ。
「……学園には見つかってないみたいだね」
「学園?」
「瀧石嶺千里が建てた退鬼師を養成する瀧石嶺学園」
その言葉に大河は愕然とする。嫌な汗が流れ、口の中が乾く。カラカラに乾いた口を動かして、声を出した。
「その学園を運営してるのは?」
「瀧石嶺千里の子孫」
「……は、はは」
乾いた笑いが大河の口から零れる。あまりにも馬鹿馬鹿しい。瀧石嶺千里の子孫が運営している学園が存在している事が滑稽だった。
「瀧石嶺千里は英雄。それが退鬼師の常識」
「はは、あいつらはあの頃から民衆にそう思わせてたからな。けど、七百年経ったというのに未だにそんな嘘が
「前世の記憶を持った退鬼師は学園への入学が強制される。転生した退鬼師……転生組として」
「そんで都合の悪い記憶を持ってたら、消すってか? はっ、相変わらずだな」
少女は何も答えない。その沈黙が肯定だった。
忌々しそうに表情を歪める大河を少女は無表情で見つめる。
「私達は退鬼師の家系に生まれた。いずれ学園に入学することになる」
「私達?」
「うん、みんないる」
「……はぁ、そうか。なんでよりによって退鬼師の家系なのかね。また瀧石嶺家に利用されるだけじゃないか」
大きくため息をついて乱暴に頭を掻く大河。
退鬼師も鬼も関係なく過ごしているならば、みんなも彼に会いたいだろうと思ったのだが、事態はそう簡単にはいかないようだ。だが、彼が生まれ変わっていることを彼女に知らせないわけにはいかなかった。
「……アイツもいるぞ。記憶もなく、退鬼師となんの関係もない一般家庭に」
その言葉を聞いた瞬間、少女の目が大きく見開かれる。限界まで開かれた瞳から流れる滴。
「……そっか。よかった。……本当に良かった。
ぼろぼろと涙を流す少女に大河は困ったように眉を下げる。まさかここまで泣くと思わなかったのだろう。だが、自分も初めて会った時に情けなく泣いた事を思い出して、何も言わないことにした。
「会ってくか? 記憶はないからお前のことも覚えてないだろうけど」
ようやく泣き止んだ少女に大河はそう提案した。しかし、少女は小さく首を横に振る。
「会えない」
「なんで?」
「私達はあの頃のままだから」
その言葉で大河は理解する。一見して普通に見えるが彼女はとんでもない爆弾を抱えているのだと。
「神無君と会ったらみんなきっと抑えきれなくなる。そうしたら七百年前の繰り返しになる。それだけは出来ない。私達の願いはただ一つ。神無君の幸せだから」
「……分かった」
複雑な表情で大河は頷く。想いは同じ。それなのに彼女達の境遇がそれを許さない。
「
ふと少女が大河の前世の名を呼ぶ。それも愛称ではなく、本当の名前を。昔から彼女が愛称の『虎君』ではなく、『虎之介君』と呼ぶ時は彼女が真剣な頼みをする時だ。
それを知っていた大河は彼女の真剣さに答えるように真っ直ぐ彼女を見返す。予想通り、真剣な翡翠の双眸が大河を射抜いた。
「神無君を守って。私達は傍にいくことが出来ないから。私達の代わりに神無君を……」
「分かってる。神無は俺が守るよ。もっとも、落ちこぼれの俺がどこまでできるか分からないけどな」
「虎之介君は落ちこぼれなんかじゃない」
昔と全く同じことを言われたことに大河は目を丸くして、それから小さく笑う。
「ありがとな、
「うん、約束」
差し出された小指に少女も自らの小指を絡めた。その指が離れるより前に大河が思い出したように口を開く。
「けど、もし俺に何かあったらアイツのこと頼むな」
「……うん、任せて」
その約束が守られる日なんてこなければいい。そんな思いを抱きながら少女は頷いた。
どちらからともなく離された小指。
大河は妙な気恥しさを隠すように焦った様子で口を開く。
「そ、そういえば、俺のいまの名前は星野大河っていうんだ。お前は?」
「私は――――」
◇◆
突然現れた傷だらけの少年に嵐達も驚きの声を上げて、少年を見る。
明らかに怪我人と分かるのにとっさに声をかけることが出来なかったのは彼の姿が学園指定の制服ではなく、どこかの患者のような白い入院着を着ていたからだろう。
「大丈夫か?」
誰もが訝しげに少年を見る中、声を上げたのは嵐だった。
嵐に声を掛けられた少年は、焦点の定まらない視線を動かし、自らに声を掛けた人物を捜す。その途中、彼の視線が呆然と立ち尽くしている優斗の姿を捉え……優斗の姿を認めるなり大きく薄茶の双眸を見開いた。
「……かん……いや、ちが……ゆう、と……」
慣れ親しんだ声に名前を呼ばれて、呆然としていた優斗は我に返る。
「……大河? ほんとに本物の大河か?」
疑いたいわけではなかった。それでも死んだと思っていた親友がいきなり現れたら、その存在が本物か疑ってしまう。
だが、大河は優斗の問いに答えない。立っているのも限界だったのか、力を失ったように地面に膝をつく。全身の至るところに巻かれている白い包帯からは赤い染みが滲んでいた。
「大河!」
「駄目っ!」
思わず駆け寄ろうとした優斗を止めたのは花音だ。彼女は何故か優斗の手を掴んで、彼を引き留める。
大河は膝をついたまま、痛みに堪えるように頭を抱えている。そのただならぬ雰囲気に優斗も違和感を感じて様子を窺う。
緊迫した空気に状況が理解できない嵐達の視線が自然と優斗と大河に向かう。だが、優斗は彼等の視線に答える余裕などない。
「……あ、っ……お、俺は……なん、で……」
「大河? どうしたんだよ、なあ!」
大河は優斗の言葉に答えることはない。ただ、俯いたまま苦しそうに何度も頭を掻き回し、ぶつぶつと呟いている。
俯いている大河の表情を知ることなど優斗達には出来ない。だが、いくら彼がただならぬ雰囲気を放っていたとしても親友が苦しんでいるのに放っておくなど優斗には出来なかった。
「……ごめん」
「っ、優斗君!」
花音の手を振り払い、大河に駆け寄る優斗。
優斗を引き留めようと花音は再び手を伸ばすが、彼女の手は優斗を掴むことができずに虚空を掴む。
日宮花音はこの中で唯一真実を知っていた。だから、大河を危険だと理解していた。危険極まりない相手のもとに駆け寄る優斗を何としても止めなくてはいけないと分かっていたのだ。
彼女だけがこの場でただ一人知っている真実。
――本物の鬼がどうやって現れるのかを。
「大河! なあ、俺の声が聞こえてるか!?」
大河に駆け寄った優斗が彼の両肩を掴み、大きく揺する。体を揺すられる感覚に俯いていた大河は緩慢な動作で顔を上げた。その顔を見た瞬間、優斗は息を呑む。
泣いていた。薄茶の瞳から大粒の涙を流して、その滴が彼の頬を濡らす。だが、口元は醜く歪んだ弧を描いている。
あまりにも異様な表情だった。まるで大河の中に悲しみと喜び――いや、狂気に似た何かが渦巻いているようだ。
その表情に彼は本当に自分の知っている大河なのかと考えてしまう。そんな馬鹿な考えを振り払うように優斗は再び声を上げる。
「大河! 俺が分かるか?」
「いや、だ……おれは……俺は……今度こそ、優斗を……」
大河は優斗の言葉に反応しない。ただ涙を流し、口元には
「そう、優斗を……殺さないと……」
「え?」
「離れて!」
大河の言葉を理解できずに目を丸くさせた優斗に花音の鋭い声が響くのと眼前の大河が動くのは同時だった。
一瞬で優斗の首を挟んだ双剣。突然の事に固まる優斗の前で大河は二対の剣を交差させて優斗の首を挟む。だが、その双剣が優斗の首を切り落とすことはなかった。
ガタガタと体を揺らす大河。その振動で優斗の首を挟んでいる双剣も小刻みに震えていた。その様子は勝手に動く体を大河が必死で抑えているようにも見える。
「……大河?」
「……おれ、俺は……ちがう……俺はそんなこと……」
白銀に輝く双剣が小刻みに揺れながら、ゆっくり離れていく。
優斗の首から完全に双剣が離れた瞬間、花音の大剣が大河の双剣を弾いた。そして、大河から優斗を守るように間に割って入る。
翡翠の双眸は真っ直ぐ大河を見据えていた。
「なんかよく分かんないけど、お前……敵か?」
気付けば嵐や晴達も大河に敵意を向けて、戦闘態勢に入っていた。
状況は分からないが、たったいま仲間である優斗の命を狙った。それだけで彼等にとっては警戒するのに充分すぎる理由だ。
待ってくれと優斗が声をあげるより早く、花音の姿を認めた大河が再び頭を抱えながら膝をつき、声をあげた。
「……か、花音……お願いだ。逃げ、ろ……優斗を連れて……逃げて……」
大河と花音は知り合いなのか。そんな疑問は一瞬にして消えてなくなる。
ぶるぶると遠目からでも震えていると分かるほど、大河の体は揺れていた。そして、同時に彼の雰囲気が変わっていく。
禍々しく、猛々しく、雄々しく、獰猛な獣のソレに変わっていく。
「あ、ああ…………い、いやだ。お、俺は…………うぁあああああああああああああああああああああああ!」
絶叫。
空気を切り裂き、地面すら揺らす咆哮と呼ぶに相応しい絶叫だった。
同時に大河の全身から蒸気が噴き出し、その爆発的なエネルギーに優斗達は吹き飛ばされた。
ちょうど花音が優斗を庇うように前に立っていたので、花音と一緒に吹き飛ばされ、彼女のクッションになるように地面に転がった優斗。全身を襲う痛みに表情を歪めながらも優斗は花音の無事を確認する。
どうやらたいした怪我はないようで、花音は礼を告げて立ち上がった。優斗も花音を見習って立ち上がり、蒸気で遮られた視界で目を凝らす。
やがて、煙は晴れていき、大河が立っていた場所にいたのは――――。
「……たい、が?」
「っ……」
唇を強く噛みしめ、拳を強く握りしめる花音。あまりにも強く唇を噛みしめた為、唇が切れて血が流れたが花音は気にすることなく、眼前を睨みつけている。
優斗達と同じように吹き飛ばされ、それぞれ体勢を立て直した嵐達も大河が立っていた場所に広がる光景に目を見張り、信じられないとでも言いたげに立ち尽くしていた。
薄茶の剛毛に身を包んだ巨体。成人男性の腕二本分を足したところで足りないであろう太い手足。大きく歪んだ口から伸びる全てを噛み砕きそうな鋭い牙。
感情の読めない薄茶の瞳は真っ直ぐ優斗を捉えている。
──それは紛れもなく鬼と化した大河の姿だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます