#14  花火


 瀧石嶺照から瀧石嶺家の話を聞いた優斗達。その後、彼らの日常に特に大きな事件は起こらず、彼らは日々実力を磨きながら過ごしていた。


 そして季節は巡り、夏を迎える。

 瀧石嶺学園に入学してから初めて迎える夏だ。

 世間ではそろそろ夏休みに入るが、この学園にそんなものはあるのだろうか。


 疑問に思った優斗が教室にやってきた白に質問してみた。

 白は何を言っているんだこの落ちこぼれとでも言いたげに眉を寄せ、大きくため息をつく。


「そんなの落ちこぼれにあるわけないでしょ」

「うぇー!? 夏休みないのか?」


 白の言葉に抗議の声をあげたのは嵐だ。しかし、白は嵐の抗議など黙殺してしまう。


「夏休みだなんだって浮かれる暇があるなら、もっと実力を磨くことだね。九月からは一年生も実戦経験を積む事になるんだから」

「実戦経験?」

「そう。いままでの鬼は訓練用の鬼だったけど、九月からは一年生も鬼が出たらその場に向かい、鬼を退治してもらうことになる。一年生達には危険度の低い鬼を回すようになってるけど、それでも訓練用とは比べものにならない。油断してたら死ぬよ?」


 細められた真紅の双眸が優斗達を射抜く。その言葉の重みに誰もが息を呑む。

 そこで優斗はある疑問が思い浮かび、それを口にした。


「訓練用の鬼と実際の鬼って、どう違うんですか?」

「はぁ? そんなの決まってるでしょ。訓練用の鬼は、退鬼師が実際の鬼を真似て造っただけの人形偽物は────」

「妙菊さん」

「っと、なに?」


 突然名前を呼ばれて白が振り返ると、そこにいたのは燕尾服を身に纏った白髪の老人。その服装や佇まいから、優斗達はまるで執事のようだなんて感想を抱いた。

 もっともその感想は間違っていない。彼は瀧石嶺家に仕える執事なのだから。


「巫女様がお呼びです。なんでも至急来て欲しいとの事で」

「千里様が? 分かった。直ぐに向かう。……そういうわけだから、あとは自習でもしてて」


 千里が呼んでいると聞いた瞬間、白は口早にそう告げて、教室から出ていった。老執事も軽く一礼をして、その場から立ち去る。

 突然自習と言い渡された優斗達は、困惑した様子で互いに見合った。


「……ど、どうしよっか?」

「とりあえず、勉強する?」

「良いこと思いついた!」


 花音の提案は勢いよく立ち上がった嵐の大声によってかき消された。

 教室の一番前のど真ん中の席を陣取っていた嵐は振り返って、背後にいる優斗達をぐるりと見渡す。

 自然と皆の視線が嵐に向かう。


「良いことってなんだ?」

「どうせまた下らない事を抜かすつもりでしょう。聞く価値などありませんね」

「そんなこと言ってタローもほんとは聞きたいんだろ? 酢豚になれよ!」

「酢豚じゃなくて、素直だろ」

「そうとも言うな!」


 そうとしか言わないというツッコミを口にするのは野暮だろうか。優斗が困惑していると花音がいつもの無表情で口を開く。


「それで? 良いことってなに?」

「ふっふっふっ、よくぞ聞いてくれたひののん! みんなの進学を深める為に花火をやろう!」

「嵐よ。それを言うなら親睦である」


 冷静な晴のツッコミを聞いていないのか、嵐は何故か自慢げに頷いている。


「花火って、なんでまた?」

「な、夏、だから?」

「その通り! 春には花見する事はできなかっただろ? だから、夏の風雲児である花火を皆でやるんだ!」

「……風雲児? 風物詩、かな」


 相変わらず嵐の言葉間違いが気になり、内容が入って来にくい。だが、彼の言葉を要約すれば、親睦を深める為に皆で花火がやりたい。そういうことだ。


「それにシロセンセーが言うには夏休みがないんだろ? なら、夏らしいことをやりたいだろ! あ、もちろんみんな参加だからな。逃げようとしたって逃がさないぞタロー」

「嫌です」

「逃がさないぞタロー」

「お断りします」

「逃がさないぞタロー」

「ああ、鬱陶しいです! 徐々に近付いてこないでください。気持ち悪いです!」

「逃がさないぞタロー!」


 徐々に幸太郎と距離を詰める嵐。そして、そんな嵐から距離を取る幸太郎。

 二人の攻防を眺めた後、優斗は他の面々をみる。どうやら、幸太郎以外に反対の意見はないようだ。

 ふと二人に視線を戻せば、嵐が幸太郎を掴まえていた。あの様子ならば幸太郎も参加は決まったも同然だろう。


「ああもう! 離してください! マリリン以外に触れられるなんて嫌悪感しかありません! そもそも親睦を深めたいなら俺以外の人達で勝手にやってください」

「なに言ってんだ。タローも仲間なんだからいないと駄目だろ?」

「……それもお祖母さんとの約束ですか?」


 幸太郎としては嵐が肯定すると思っていたのだろう。嵐の行動原理は全てが祖母との約束だったのだから。だが嵐は目を丸くさせて幸太郎を見返す。


「いや、俺がそう思ってるからだけど?」


 以前の嵐なら決して口にすることはなかったであろう言葉。

 一見してなにも変わっていないようだが、嵐も嵐なりに変わってきているのだ。

 幸太郎は暫く嵐を見つめ、やがて諦めたようにため息をついた。


「……分かりましたよ。逃げませんので離してください。鬱陶しいです」


 幸太郎の言葉に嵐は素直に彼から離れた。解放された幸太郎は深くため息をつき、それから口を開く。


「それで? 具体的にはどうするんです?」

「は、花火なら購買に頼めば、取り寄せてくれるだろうけど……」


 学園から外出するのは大量の書類を書き、学園の許可を貰う必要がある為、多くの生徒は学園から出る事を面倒くさがる。そんな生徒達の日用品から嗜好品を用意してくれるのが瀧石嶺学園にある購買だ。

 頼めばわりと何でも取り寄せてくれるので、生徒達は面倒な学園の許可を貰って外に出るよりも購買で用を済ませる事が多い。


 聡の提案に反対する者はいない。時間と労力がかかる町よりも、身近な購買を選ぶのは当然の帰結といったところだろうか。


「問題は場所。……流石に寮の庭は怒られる」

「そうだな。前にバーベキューしてた人達いたけど、妙菊先生がすっ飛んできてたからな」


 以前見た光景を思い出して、苦笑する優斗。誰もが良い場所がないかと考え込む。

 ふと、晴が何かを思い出したように口を開いた。


「……そういえば、東の森を抜けた先に川を修行中に見かけた。あそこならば、平気ではないか?」

「東の森?」

「うむ。開けた場所だったから、バーベキューなどのキャンプも出来そうな場所だったな」


 何度か授業で森に入った事があるが、東の森には入った事がない優斗はそんな所があったのかと素直に感心する。

 晴がそう言うならば、場所はそこでも問題ないだろうと考えた優斗は晴の顔を見返した。


「それじゃあ、そこで良いんじゃないか? 晴、案内頼めるか?」

「承知した」

「それじゃあ、日程はどうする?」

「思い立ったが吉報!」

「吉日だ。けど、流石に今日は無理だろ。購買に取り寄せを頼まないとだし」

「それなら、花火が届き次第で良いと思う」


 花音の提案に嵐は少し不満そうだが、他の面々は特に反対はしなかった。

 早速購買に花火の取り寄せを頼めば、三日後には届くとのこと。ちょうど週末にあたる為、これ幸いとばかりに花火をやる事が決定したのだった。



 そして、三日後。

 大量の荷物を抱えて、晴の案内で優斗達は予定の場所に辿りついた。

 深く生い茂った森を進み、辿りついた場所は晴の言う通り、キャンプするのにふさわしい場所だ。


 穏やかに流れる川。大小さまざまな丸い石が敷き詰められた地面。抜ける前までは鬱蒼とした森だと思っていたが、いざ抜けて太陽の下で揺れる木々を見ると自然の豊かさを感じる。

 同じ瀧石嶺学園の敷地内の筈なのに見知らぬ場所に来たようで、少し興奮した。


 花火をやる筈の優斗達がまだ日も暮れていない昼間に来た理由は一つ。嵐がバーべーキューもやりたいと言い出したからだ。晴曰く、バーベキューも出来るとのことだったので、誰も反対しなかった。


 そして、早速バーベキューの準備をする為にそれぞれ役割分担を決めて働きだす。

 花音と聡が食材の準備。優斗と幸太郎はグリルなどの器具の準備。そして、晴と嵐は適宜他の面々のサポート。

 意外と不器用だった花音とこれまた意外過ぎるほど料理上手な晴が途中役割を交代するなどの小さなトラブルを起こしながらも準備は終わっていく。途中、嵐が川に潜って何匹か魚を捕まえてきたものも加えて、彼等のバーベキューは始まった。


「うまそー! オレ、肉もーらい!」

「させない」

「あー! ひののんが取った! ひでーよ! その肉はオレが狙ってたのにー!」

「落ち着けよ、嵐。まだいっぱいあるんだから」

「……聡よ。肉を食べて大きくなれ」

「は、晴。気持ちは嬉しいけど、流石に多すぎじゃないかな?」

「全く騒々しい。食事くらい静かに食べてくれませんかね」

「タロー君も結構食べてる」

「当然でしょう。目の前で勢いよく食べられると無性に腹が立ちますから」

「あー! タローまで、オレの肉ー!」

「野菜も食べような」


 そんな賑やかな食事を終えて、後片付けを終わらせた頃には、日も暮れて花火をするには丁度いい時間だ。

 購買で購入した大量の花火を用意して、バケツで川の水を汲む。今日は風もあまり吹いていないので、花火をやるには絶好の環境だった。


「持ち上げ花火やろうぜ! 持ち上げ花火!」

「打ち上げ花火だろ。というか、打ち上げ花火はないからな。そんなもの上げてみろ。妙菊先生がすっ飛んでくるぞ」

「うぇー、ツッキーのけちー」

「俺のせいじゃないだろ!?」


 何故ケチ呼ばわりされなければならないのかとでも言いたげな顔をした優斗に嵐は笑う。そして、彼は何本かの手持ち花火を持ち、火をつけてはしゃぎだす。

 色とりどりの火花が夜闇を照らす。初めての花火に嵐は大興奮しているようで、笑顔でぶんぶんと振り回している。


「ほらほら、見ろよタロー! すっごい綺麗だぞ!」

「この馬鹿! 人に花火を向けるなんて危ない真似しないでください!」

「あっはっはっはっ! とかいいつつ、タローはきちんと避けられるだろ?」

「当然でしょう。貴方程度の花火で俺に傷を負わせられると思わないでください」


 賑やかな会話を繰り広げる嵐と幸太郎。その一方で、晴と聡は完全に二人の世界に入っていた。


「……綺麗だね」

「聡が楽しそうで我も嬉しい」

「ぼ、ぼくも晴が楽しそうだから、楽しいんだよ!」

「そうか。それは良かった」


 嵐と幸太郎の喧嘩というよりもじゃれあいに入っていく勇気も良い雰囲気の聡と晴の中に割って入る勇気も優斗にはなかった。

 ふと優斗の視界にしゃがみ込んで花火をしている花音の姿が入る。

 優斗はゆっくりと近付き、声をかけた。


「花音は何をしてるんだ?」

「……線香花火」


 花音の手に握られているのは一本の線香花火。それが、パチパチと火花を散らしていた。

 優斗も花音の隣にしゃがみ込んで、じっと火花を見守る。

 線香花火の微かな明かりに照らされる花音の顔。彼女は真剣な表情で線香花火を見守っていた。

 その横顔があまりにも綺麗で、つい線香花火よりも花音の顔を見てしまう。


「あ」


 花音の小さな声に見つめている事がバレたかと肩を揺らす優斗だが、花音が声を上げたのは別の理由だった。

 優斗が視線を向ければ、線香花火の玉が地面に落下している。

 花音はそれを残念そうに見つめた後、新しい線香花火を持つ。そして、その一本を優斗に差し出してきた。


「優斗君もやる?」

「え? あ、ああ、そうだな」


 せっかくの好意を無碍にするわけにもいかず、優斗も素直に受け取る。


「どっちが長くもつかな?」

「勝負するか?」

「望むところ」


 負けず嫌いの花音の言葉に優斗は笑う。

 優斗としては冗談のつもりだったのだろうが、もう撤回することは出来なそうだ。二人同時に晴が出してくれた火の玉で火をつけて、勝負を始める。

 徐々に勢いを増して、パチパチと火花を散らし始める線香花火を二人して黙って見つめる。


「花音は線香花火が好きなのか?」


 先に口を開いたのは優斗だった。花音は一度優斗に視線を向けてから、再び花火に視線を戻す。


「そうだね。好き、かも?」


 疑問形ではあるが、線香花火から目を離さないところをみるとかなり好きなようだ。心なしか嬉しそうな顔もそう思う一因だ。

 穏やかな花音の笑みに見惚れて、自分の線香花火を見ることすら出来ず、優斗は彼女を見つめる。

 線香花火の微かな明かりに照らされる白い肌。真剣な翡翠の双眸。桜色の唇。見れば見る程、精巧な人形のように整った顔立ちの美少女だった。


(……思えば、花音との出会いは衝撃だったな)


 思い浮かぶのは急に降ってきた花音の姿。いきなり押しつぶされた事は忘れたくても忘れられない。だが、あの出会いがなければ花音と知り合ってなかったのかもしれない。そもそも、花音達に出会わなければ、振り分け試験の時点で優斗は命を落としていただろう。


 そう考えると彼女達との縁は不思議なものだと思えてくる。

 ボーっと花音の顔を見つめていた優斗だが、ふと脳裏に何かが過る。それは優斗が認識するよりも早く霧散してしまい、残ったのは気持ち悪い違和感。思い出したいのに思い出せない。そんな気持ち悪さだった。

 それを違和感を拭う為に優斗は脳裏を過った何かを思い出そうと顔を上げて――――気付いた。


 闇に呑まれかけた森の中。そこを誰かが覚束ない足取りで歩いてくることに。

 目を凝らして、その人物の顔を見ようとする。そして、優斗がその人物の顔を認識すると同時に彼の手から線香花火が音もなく落下した。


「優斗君?」


 突然線香花火を落とした優斗に隣にいた花音は不思議そうに視線を向けた。

 優斗は花音の声に反応することなく、ゆっくりと立ち上がり、目を見開いて森を凝視している。花音もその視線の追って、森へと視線を向けた。そして、彼女の手にした線香花火もその火花が落ちる前に落下した。


 森の中を覚束ない足取りで歩いてくる人影。鬱蒼とした森の中から月明りに照らされた河原に姿を見せたのは一人の少年。

 明るい茶髪に全身の至るところに包帯を巻き、白い入院着に身を包んだ少年。一目で酷い怪我をしていると分かるほど、彼の足取りは覚束なく、また全身が傷だらけだった。

 目を見開き、まるで幽霊でも見たような反応を示す優斗。そして、震える口からこぼれたのは……。


「…………た、いが……」


 かつて彼を庇い、死亡したはずの親友の名だった。

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