#13-2 未来視を持つ者


「そして、妙さんは石動家の手によって殺された。当然、そんな要求をしたのは瀧石嶺家だ。君には瀧石嶺家を怨む権利があると僕は思うね。……石動嵐君」


 初めて照が嵐の名を呼んだ。

 今までの話を黙って聞いていた嵐は俯いたままで、その表情を確認する事はできない。


「もし君が瀧石嶺家に復讐を望むと言うなら、僕も手を貸そう。当然、瀧石嶺家の一員である僕を殺したいというなら、それもいいだろう。僕は無抵抗で君に殺されると約束しよう。さあ、君はどうするのかね?」


 依然として嵐は俯いたまま。何も言わない。何も答えない。

 ただ静かに彼の右手が刀の柄に掛けられる。


「嵐! まっ──」


 嵐の動きを止めようとした優斗を制したのは照だ。

 動きだけで優斗を制した照は何も言わずに静かに嵐を見つめている。

 刀に手を掛けた嵐の手が小刻みに震えていた。その事実に気付いていたのに照は何も言わずに彼の意思を見守る事を選ぶ。


 息をすることすら躊躇うほどの沈黙が周囲を満たす。

 一分か、一秒か、時間の感覚が分からなくなるほど張りつめた空気の中、それを壊したのは嵐の深いため息だった。


 結局彼は刀を抜くことをしなかった。ゆっくりと手を離し、顔を上げる。

 その顔には様々な感情が入り交じった複雑なものだ。


「……止めておく。人を傷つけると自分が傷つくだけだって、ばあちゃんも言ってたからな」

「ならば、復讐はしないと?」

「瀧石嶺家の事は今でも信じられないし、許せない。けど、ばあちゃんがそれを望んで受け入れたなら俺が敵討ちするのもおかしな話だからな。……俺に出来るのは、理不尽に殺される人を助けることぐらいだ。大事な人を守る為……その為の力を、知恵を俺は教えてもらったんだから」


 まっすぐ照を見据える緑の双眸。その意思の強さに在りし日の妙の姿を思い出す。


「……なるほど。妙さんは実に良い孫をもったようだね。君を試すような事をしたのは素直に謝罪しよう。僕は君という人間を見誤っていたようだね」

「別に謝ってもらうことじゃない。あんたの提案に心が揺らいだのも間違いなく事実だからな」

「けれど、君は僕の提案を受け入れなかった。復讐という単純でいて強い動機に囚われないのは君が強く、そして優しくなければ出来ないことだからね」


 照の脳裏に浮かぶのは孫が優しい子だと話していた妙の姿。あの時は分からなかったが、いまならば彼女に同意できる。

(ああ、確かに彼は優しい子だ。それは彼の友人である弟子君も同じ。彼らのように澄んだ魂は退鬼師に向かないというのに)


「……どうかその高潔なる魂が闇に呑まれる事がないように……」


 誰にいう訳でもなく呟かれた言葉。

 その意味を理解できずに優斗と嵐は互いに視線を合わせて、首を傾げあう。

 そんな二人の様子に照は静かに笑みを零す。その視線が不意に中庭の茂みに向けられる。


「君達も、もう出てきてくれて構わないよ」

「え?」


 照が声をかけた茂みから現れるのは花音の姿。いや、花音だけではない。

 晴も聡も幸太郎までもが茂みから姿を現す。

 呆気にとられる優斗と嵐。見つかってしまった事にバツが悪そうに視線を逸らす花音達。

 仲の良いチームメイト達を見て、照は笑う。


「うんうん、素晴らしい友情だね! 妙さんの言う通り、君は素晴らしい仲間に出会えたようだね!」

「……私達がいるのにいつから気付いていたんです?」

「もちろん最初からだとも! だが、声を掛けなかった。君達も彼らのチームメイトだからね。知る権利があると判断したのだよ」

「え、えっと、それならぼく達を処分したりは?」


 先程まで照が話していたのは決して知られてはいけない瀧石嶺家の秘密だ。

 それを知ってしまった自分達を殺さないのかと聡は尋ねる。だが、聡の問いに照は笑顔のまま。


「何故そんな事をしなければいけないのかね? 君達は友人の過去を聞いただけではないのかね?」


 にっこりと笑う照の笑顔に優斗は彼が最初からこのつもりだったのだという事を悟る。


「はじめから俺達に教えるつもりだったんですね」

「それは買い被りというものだね弟子君。僕は君が過去を見なかったら話す気などなかった。君がその力を持つが故に話したんだ」

「あれは本当に俺の力なんですか?」

「そうだね。その内分かる時が来るだろうね。……一つだけ言っておこうかね。その力の事は決して学園に──いや、瀧石嶺家に知られてはいけないよ」


 その言葉で優斗は理解する。

 何故瀧石嶺家に知られてはいけないのか。

 何故照が優斗に瀧石嶺家の秘密を話したのか。


 答えは簡単だ。瀧石嶺家にとってその力は驚異に感じられるものだから。そして、瀧石嶺家に驚異を感じられたものの末路は嵐の祖母が示していた。

 二つの疑問の答えを理解した優斗は、小さく頷く。

 優斗が頷いたのを見ると照は嵐に視線を向ける。


「嵐君、君は素晴らしい仲間に出会えた。その絆は大切にしなければいけないよ」

「……分かってる。仲間は守るものだってばあちゃんが言ってたからな」

「ああ、なるほど。だから、妙さんは僕にあんな伝言を残したのか」

「え?」


 一人納得した様子で頷いた照に嵐が目を丸くさせて、彼を見る。

 嵐の反応に照は楽しそうに笑って、優斗達の顔を順番に見ていく。そして、最後に嵐に視線を戻して口を開いた。


「あーちゃんとは沢山の約束をしたけどねぇ、全部を律義に守る必要はないからね。もうあーちゃんは一人じゃない。私との約束に縋らなくても自分を見てくれる仲間がいるだろうから……だから、これからは自分の意思で自分の決断で物事を判断しなさい。石動嵐という一人の人間として生きていくこと。それが私との最後の約束だよ。…………以上が妙さんから君への伝言だ」


 石動嵐の行動原理は全てが祖母との約束だった。

 友達を守るのも。仲間と仲良くするのも。人を傷付けてはいけないのも。退鬼師になるということさえも。

 全部が全部祖母との約束によって形作られていた感情だったのだ。


 それは一種の呪いと言っても過言ではないだろう。祖母が孫の心を守る為に課した呪い。そして、彼女はもうその呪いは必要ないと判断した。彼女は見えていたのだ。

 嵐と照が出会う頃には彼の傍に彼の心配をしてくれる仲間がいたことを。だからこそ、あの時照に呪いを解くための伝言を残した。

 伝言を口にした照は最後の妙が最後に呟いていた言葉を思い出す。


『……私もあーちゃんのお友達に会ってみたかったねぇ。心残りがあるとすればそれぐらいだろうねぇ』


 誰にいうわけでもなく呟かれた言葉。だが、照は聞いていた。

 彼女は本当に孫を愛していたのだと照は知っていた。だからこそ、彼女の代わりに嵐達の様子を目に焼き付ける。


(今度、妙さんのお墓参りに行った時に報告してあげようかね)


 彼の心の声を知る者は此処にはいない。

 ただ彼は慈愛に満ちた眼差しで、涙を流す嵐を慰める仲間達を静かに見守っていたのだった。

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