#13-1 未来視を持つ者


 その日は、やけに暑くていまにも干からびてしまいそうなほど、灼熱の太陽が地上を焦がす日だった。

 黙って立っているだけで汗が浮かび上がり、その滴が火照った肌を濡らし、その水滴のせいで服が張り付く感覚がやけに不快だ。

 近くでミンミンと騒ぐ蝉の声が暑さを増長させている気がして、滅入ってしまう。


 本来ならば、こんな暑い日はクーラーが効いた部屋で涼むか、北に逃げるかの二択である。しかし、瀧石嶺本家にはいたくない。だからといって、連絡も無しに一年近く国内を巡っていたせいで当分は遠くに出かける事も許されない。


「……やれやれ、彼らは一体何様なのだろうね」


 呟く声に答える者はいない。

 当然だろう。監視係を振り切って、ようやく一人になれたというのだから。


「黙っていても抑えきれぬ輝きを放つ僕に存在感を消させるなどという苦行をやらせたんだ。それ相応の対価はもらわないとね」


 誰かに対して言っているわけではない。あえて言うなら自分自身に言い聞かせるように瀧石嶺照はそう口にした。

 いつだって彼は瀧石嶺家から逃げようと家を飛び出しては見つかって連れ戻され、監視を振り切って家を出る。そして、また見つかって家に連れ戻される。


 まるでイタチごっこのようだ、と照は自嘲する。

 本来、監視を振り切った今の内に再び旅に出るのが得策だ。しかし、それをしないのはひとえに本家で聞いた気になる話があったからだ。


 瀧石嶺家の人間以外に未来視の力を持った人間がいる。そんな話だ。

 未来視を持つのは本来は巫女のみ。もっとも今代のお飾り巫女には千里眼はあるけれど未来視はできない。


 千里眼を持っているとはいえ、その力は弱く、また体も弱い今代の巫女は表向きは彼女が瀧石嶺家の当主だが実際は違う。

 瀧石嶺本家の中で彼女の発言力は無いに等しい。


 お飾りの巫女。そんな事を知っているのは瀧石嶺本家の人間のみ。実質、瀧石嶺家を牛耳っているのは彼女の母――瀧石嶺たきいし万里ばんりである。

 瀧石嶺照の出生をもみ消し、そして彼を瀧石嶺家に引き入れて決して逃がさないのは彼女の意志だ。


 瀧石嶺万里は貪欲な女性だった。

 退鬼師の頂点である瀧石嶺家に執着し、年々落ちぶれていく瀧石嶺家を再興させる為には手段を選ばない。だからこそ、瀧石嶺家以外の人間から現れた巫女としての力を持った人間を許容できない。


 未来視を持った人間――石動いするぎたえは瀧石嶺家に捕らえられ、身勝手な理由で命を奪われるだろう。

 照はそれが許せなかった。そんな理不尽を許してはいけなかった。だからこそ、彼は自分が逃げるチャンスを無碍にしてまでも石動妙に会いに行った。当然、忍び込むという形でだが。


 流石名門と呼ばれているだけあって、石動家の敷地は広大だ。

 この広大な敷地内から人に見つからないように石動妙を捜すのは困難だろう。どう足掻いたって目立ってしまう己がこんな時ばかりは恨めしくなる。


 とりあえず人気ひとけがないところに忍び込み、情報収集をしようと決めた照は本邸ではなく、離れにある別邸に向かう事にした。

 別邸に向かうと人の気配を感じ、茂みに隠れて様子を窺う。

 丁度一人の老婆が庭の花に水を上げているところだった。


 この家の使用人だろうか。そう考えた照は静かに老婆の様子を観察する。遠目からでも分かるほど彼女の魂は美しく澄んでいた。

 水やりを終えた老婆の新緑の双眸が不意に照が潜んでいた茂みに向けられる。


「そこにいるのは、どなたです?」


 しゃがれた……けれど、どこまでも慈愛を感じる優しく穏やかな声だった。

 見つかってしまって仕方がないと照は潔く茂みから姿を現す。

 老婆は照の姿を認めると、皺だらけの顔に更に皺を増やして、優しく笑う。


「いらっしゃい。よく来てくれたねぇ。何もない所だけど、上がっていきなさい」


 突然現れた不審者に対して、笑いながらそんな声をかけた老婆に照は怪訝な表情を浮かべる。

 老婆はそのまま縁側から部屋の中に入ってしまったので、仕方なく照も警戒しながら彼女の後についていく。


 居間として使われているであろう八畳の和室に足を踏み入れた照は、物珍しそうにキョロキョロと部屋の中を見渡す。

 子供向けの絵本に漢字や算数のドリル。そして、子供が遊ぶ為であろう玩具の数々が部屋の隅にきちんと整頓されている。


 此処は誰の為の屋敷なのだろうか。そんな事を考えていた照の元に老婆が戻ってくる。

 彼女の手にはお盆。その上にはお茶とお茶菓子が乗せられていた。

 ありがたくそれを頂いて、一息をついた所で照は眼前の老婆に話を切りだした。


「僕が此処に来ることを知っていたのかね?」

「そうさねぇ、知っていたよ。……瀧石嶺家が私を引き渡すように石動家に圧力をかけてきたこともよく知っているよ」


 その言葉に照は理解する。

 眼前に座る老婆こそが未来視を持った人間――石動妙であるということを。


「おやまあ、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているね。お捜しの人間がこんなおばあちゃんで驚いたのかい?」

「……そうだね。まさかこんなご年配の方とは思っていなかったね。貴方のその力は年老いてから得たものなのかね?」

「いいや、生まれつきだよ」


 ゆっくりと告げられた言葉は照に衝撃を与えるものだ。

 生まれつき未来視の力を持っていたというのに彼女は今までどうやって生きながらえてこれたのか。


 そんな疑問が脳裏を占める。

 照の困惑した表情が面白かったのか何故か妙は穏やかに笑って、それから照の疑問に対する答えを口にした。


「……私はね、一度死んだ事になっていたんだよ」

「っ!? それは、どういう事かね?」

「瀧石嶺家以外の家から生まれた巫女の力を持つ人間。当時は巫女が不在だったからねぇ。瀧石嶺本家でも私の扱いにかなり揉めたようだよ。けれど、私は未来視は出来ても千里眼を持っていない。未来だって自分の意志で見る事は出来ない。だからこそ、瀧石嶺家は私という存在を抹消しようとしたんだよ」

「で、では、何故貴方は生きているのかね?」

「……私が死んだ事にしてくれた人がいたんだよ。その人は私に新しい名前と経歴をくれた。そして、私を娶ってくれたのさ」


 昔を懐かしむように笑う妙の顔はどこまでも穏やかだ。


「それは貴方の?」

「そうさねぇ、私の旦那だよ」


 その言葉を聞いて、照は心から安堵する。

 彼女は幸せな人生を送ってこれたのだ。それなのに何故瀧石嶺家の身勝手な理由でそれを奪われなくてはいけないのだろう。

 照の表情が悲しげに歪んだのを見て、妙は優しく笑う。


「……分かっていたことだったんだよ。私がいずれ瀧石嶺家に見つかることも。そして、殺されることも。全部分かっていたのさ。……だから、そんな顔をするんじゃないよ。あんたは優しい子だねぇ」

「わ、分かっていたならば、何故逃げなかったのかね!? 貴方はこのままだと殺されてしまうのに」

「…………なんで私は本邸ではなく、こんな離れの別邸に住んでいるんだと思うかい?」

「え?」


 唐突すぎる質問に照は目を丸くさせた。


「そんなの瀧石嶺家から貴方を守る為──」


 そこまで口にしたところで照は気付く。自分も同じだから分かってしまった。

 彼女は逃げないのではない。逃げられないのだ。


「な、何故だね!? 貴方の旦那は貴方を守る為に貴方を娶ったのではないのかね?」

「あの人は関係ないのさ。あの人は石動家の人間にすら私の素性を隠していたのさ。けれど、あの人が亡くなって、私の素性を知られてしまった。石動家はそれはもう戦慄したさ。瀧石嶺家を騙していたことを知られたら自分達はおしまいだとね」

「だから、貴方を離れの別邸に軟禁したのかね」


 妙は何も答えない。ただ静かな笑みが肯定を示していた。

 結局は瀧石嶺家も石動家も同じという事だ。自分達の都合で他人を虐げ、自由を奪う。実に美しくない。


「僕はね、瀧石嶺家が嫌いなのだよ」


 退鬼師であるならば決して言ってはいけない言葉。それを口にした照に妙は驚くことなく、悲しげに笑みを返すだけ。


「だから、瀧石嶺家の思惑通りに貴方を殺させたくはない。僕が貴方を逃がしてあげよう」


 笑顔と共に差し出された手。

 自信に満ちた笑顔は彼に任せれば確実に逃がしてもらえるだろうと理由もなく納得してしまうほど、輝きに満ちていた。だが、妙がその手を取る事はない。

 彼女はゆっくり首を横に振り、拒否を示す。


「ありがたい申し出だけどねぇ。もういいんだよ。私は充分に生きたさ」

「何が良いものかね!? こんな風に軟禁されて、自由もなく、相手の都合だけで殺される……そんな馬鹿な話が許されてたまるものか! 貴方は幸せになるべきだ! 命を狙われ、名も経歴も変え、軟禁されたというのに貴方の魂はどこまでも澄んで美しい! 貴方は、こんなところで死ぬべきではないのだよ!」

「……本当に優しい子だねぇ。でもねぇ、一つ間違っているさ。私はねぇ、決して不幸な境遇じゃなかったさ」

「え?」

「私にはね、孫がいるのさ」

「孫?」


 そこで照は気付く。部屋の隅にきちんと整頓されている玩具の数々は、その孫のものなのだと。そして、その孫も彼女と一緒にこの別邸に住んでいるのだということを。


「息子が愛人との間に産んだ子でねぇ。石動家の体面の為に引き取ったけれど、本邸の人達からの扱いは酷いものでねぇ。私が引き取ったのさ」

「その子は今どこに?」

「今は本邸に呼ばれているよ。普段は本邸に入ることすら許されないんだけれど、今日は珍しく呼び出されたのさ」


 妙の言う通りならば、その孫も彼女と同じこの別邸に軟禁状態なのであろう。

 実の母だけではなく、実の子供すら世間体の為に閉じ込めるとは、石動家の当主はどこまでも醜い人間らしい。


「あの子はね、とても優しい子なんだ。実の親にまともに会うこともできず、他の兄弟達からは疎まれる。それでも決して人を恨まない。自分の境遇を恨まない。そんな優しい子なんだよ」


 慈愛に満ちた表情からは彼女から孫への愛情がひしひしと伝わってくる。


「ばあちゃん、ばあちゃんって慕ってくれるあの子が可愛くてねぇ。私はそれだけで幸せだったんだよ。あの子に会う為だけに三十年耐えたんだから、もう充分報われたさ」

「し、しかし、それならその孫も一緒に──」

「いいんだよ。あの子にはね、この先かけがえのない仲間ができるんだ。その為にはねぇ、この老婆が引っ込まないといけないんだよ」


 深い覚悟を決めた新緑の双眸。

 その瞳に込められた覚悟に照は決して彼女の決意を変える事はできないのだと悟る。


「私はねぇ、自分の人生が不幸だなんて思っちゃいないよ。私はねぇ、恵まれていたさ。愛してくれる人と出会えて、ばあちゃんと慕ってくれる孫と出会えた。とても幸せだったさ。だから、私の人生が不幸だと決めつけないでほしいねぇ」

「…………失礼をした。確かに僕は一方的に貴方を不幸な境遇だと認識していた。無礼を許してほしい」

「分かってくれればいいんだよ。あんたの気持ちも嬉しいがねぇ、私は本当にもう充分なのさ。三十年前からこの結末は分かっていたからねぇ」


 照はもう何も言わない。

 彼女の境遇に同情するのは彼女に対して失礼だと気付いたからだ。ただ何も出来ない自分が歯がゆくて堪らなかった。


「……一つ、頼まれてくれるかい?」

「何かね?」

「いつか孫と会うことがあったら、言伝を頼みたいのさ」


 おそらく彼女には見えているのだろう。

 数日後か、何ヶ月後か、何年後かに照と嵐が出会う光景が。だから、彼女は照に言伝を頼むのだ。

 その意味を理解した照は黙って頷く。


「ありがとうね。それじゃあ────」


 照は伝えられた言葉を静かに胸に刻む。そんな彼の反応に妙は満足そうに笑った。

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