#10-4 合同訓練



 数多くいる退鬼師の家系の中にも名門と呼ばれる家系が幾つかある。

 雷堂らいどう卯月うづき朝永あさなが。そして、石動いするぎ

 他にもいるのだが、多くの退鬼師達に退鬼師の名門と言えばと問いかけて、返ってくる答えは主にこの四家だろう。


 長い歴史の中、常に瀧石嶺家を支え、退鬼師の歴史に名を残す優秀な退鬼師達を輩出してきた家系。

 そんな名門と呼ばれる石動家の三男として、石動嵐は生まれてきた。

 もっとも、それはあまりにも望まれていない出生だったのだが。

 石動嵐は正妻の子供ではない。石動家の当主──嵐の父親と彼の愛人との間にできた子供であった。


 醜聞を嫌う父親は最初こそ嵐を認知しなかったたが、嵐の実の母親が彼を残して自殺してしまった事をきっかけに嵐を石動家へと招き入れた。

 表向きは正妻との間にできた子供ということにして。

 正妻は嵐を育てる事を拒否し、兄弟達も嵐を妾の子と蔑んだ。そんな嵐を育て、退鬼師としての知識を与え、親として愛情を注いでくれたのが彼の祖母だった。


 嫁入りしてきた祖母は石動家の血を引いていない。それどころか厄介な事情を抱え、一族から疎まれ、本邸に入る事すら許されずに離れに軟禁されていた。

 そんな祖母の元に嵐は追いやられた。厄介者同士で丁度良かったのだろう。だが、結果的に嵐にとってそれが一番良い選択だった。

 祖母の元で、実の子のようにたくさんの愛情を受けて育つ事が出来たのだから。


「あーちゃん、お友達は大切にしないと駄目よ」


 それが祖母の口癖だった。

 まるで彼女自身に言い聞かせるように彼女はいつもそれを口にしていた。

 長い間一族から迫害され、嵐が来るまで離れの部屋にただ一人だった彼女は一体何を思いながら、その言葉を口にしていたのかは幼い嵐には分からなかった。

 だから、嵐は祖母がそう言ったら、必ずこう返していたのだ。


「安心しろよ、ばーちゃん! ばーちゃんとの約束は絶対に守るから」


 祖母は嵐の言葉に嬉しそうに笑う。しわくちゃの顔に更に皺を増やしながら笑う。その顔が嵐は大好きだった。

 彼にとって祖母は絶対で、祖母との約束は何があっても守ると決めているのだ。例え、それが自分の命と引き替えにしても──。





「嵐!」

「嵐君!」


 名前を呼ばれ、誰かに体を支えられる感覚に石動嵐は意識を覚醒させた。

 ぼやける視界に映るのは焦った様子の優斗と心配そうに表情を歪ませた花音の姿。

 二人が何故そんな顔をしているのか分からず、嵐は普段のようにふざけようとして、全身を襲う痛みに何も言えなくなった。

 そして、思い出す。自分が何故こんな状況に陥っているのかを。

 支えてくれる二人に小さく謝罪して、上体を起こす。

 意識を失う前と同じ場所に小柄な死神は、先程と同じ酷薄な笑みを浮かべたまま、立っていた。


「あ、一瞬だけ気を失ってたみたいだけど、大丈夫? おにーさん」


 言葉だけは嵐を心配しているようだが、その声からも、その表情からも、嵐への情など一切読みとれない。

 予想以上だった。この場にいる誰よりも強いということは分かっていたが、想像以上に彼は強かった。

 この場にいる全員で一斉に襲いかかっても勝機があるかどうか。そんな圧倒的な強さだった。


「んー、でも、あの程度で一瞬とはいえ気絶しちゃうなんて……見込み違いだったかな」


 楽しげな笑みから一転。冷え切った眼差しを向けた空に嵐の体は動いていた。

 自らの属性である風で最大限まで強化した身体能力で、一足飛びに空の間合いに飛び込む。そのまま刀を振るう。

 タイミングも速さも完璧だった。避けられる筈がない。だが、確かにそこにいた筈の空の姿がない。


「おにーさん。隙ありすぎじゃない?」


 背後から聞こえた声に振り向き様に一閃したところで、虚空を斬るだけで何の手応えもない。


「あああああああっ!」


 嵐が外したと感じ、即座にその場を離れようとした瞬間、それを許さないとばかりに深々と鎖鎌が背中を貫いた。

 痛みに呻き、膝から崩れ落ちる嵐。


「駄目だよ、もっと周囲に気をつけないとさ。そうやって後ろからぐっさりやられちゃうよ」

「……っ、はぁ、はっ」

「もう見ておれぬ。嵐よ、いま助けに……」


 これ以上、仲間が傷付くのを見ている事が出来ず、助けに入ろうとした晴だが、彼女の足下に鎖鎌が飛んできた事で足を止めた。

 当然そんな事をしたのは空だ。彼は鋭い視線で晴を睨みつけている。


「邪魔しないでよ。次に邪魔しようとしたら一番弱い奴から殺してくよ?」


 空が視線を向けるのは優斗。そして、聡だ。


「っ、卑怯者め」


 全身から殺気を迸らせ、視線だけで人を殺せそうな強い怒りの瞳を向ける晴。だが、空はそんな視線など意に介した様子はない。


「さっきも言ったけど逃げようとしても殺すから。おにーさん達はそこで見てなよ。大切な仲間が無様に負ける姿をさ」


 このまま嵐が傷付いていくのを見ている事しか出来ないのか。そんな歯がゆさが彼等を襲う。だが、下手に動けば他の仲間を危険にさらしてしまう。

 誰もが何か手はないかと考え、何も思い浮かばず、動くことが出来なかった。そんな時だ。

 膝をついていた筈の嵐は、空が晴に気をとられている一瞬の隙をついて、斬り込んだ。


「なっ!?」


 当然、空は嵐の事も警戒していた。今までの嵐の動きなら、例え目を離した所で問題ないと確信していた。だが、隙をついて斬り込んできた嵐の速さは先程とは比べものにならない。

 避けるのが間に合わず、切っ先が空の腕を掠めた。


 舞い散る鮮血。その事に誰よりも驚いていたのは空自身だ。まさか格下相手に傷を付けられるなど想像すらしていなかったのだろう。

 驚く空にそのまま追撃を加えようとした嵐だが、空は即座に冷静さを取り戻し、刀を避けると同時に無防備な嵐の顔を真横から蹴り倒した。

 真横からの衝撃に嵐は地面へと倒れ込む。そして、空は嵐から距離を取った場所に降り立ち、ひどく楽しそうに笑った。


「腕を掠めただけとはいえ、まさか僕に一太刀浴びせるなんてね。正直驚いたよ。いやぁ、おにーさんの事を見くびってたかも。ごめんね」


 口では謝罪しているが、やはりその声からは反省の色は全く見えない。

 地面に倒れた嵐は、息も絶え絶えに全身を赤く染めながらもゆっくりと立ち上がる。


「うんうん、まだ立ち上がる元気はあるんだね。良かったよ。でもさ、この後にやることがあるから、おにーさんばかりに時間かけてられないんだよね。だからさ、おにーさん。もっと本気出してよ」

「……はぁ、はっ、充分本気、なんだけどな」

「あはは、そんな嘘言わなくていいよ。おにーさん、まだまだ手を隠してる。……でも、本気出したくないならそれでもいっか」


 空の顔から無邪気な笑みが消える。それは良くない合図だ。

 嫌な予感が全身を支配して、嵐は空が何かをする前に彼を止めようと、刀を振るって……。


「遅いよ」

「あああああああ!」


 右手を深々と斬り付けられ、刀を持っていられず地面に落とす。痛みに絶叫する嵐に追い打ちを掛けるように足を斬り付けられ、立っている事すら出来ずに地面に倒れ込む。


「あーあ、落としたら駄目じゃん。大切な武器なんだから、ちゃんと持ってないとさ。ほら、返すね」


 どこまでも酷薄な笑みのまま、空は嵐の日本刀を彼の掌に勢いよく突き立てた。


「あああああああっ!」


 嵐の絶叫が森に響き渡る。あまりにも惨いその所行に遂に我慢できなくなり、誰もが嵐を助ける為に駆けだした。


「来るなっ!」


 全員を止めたのは他の誰でもない嵐の絶叫だ。

 嵐はゆっくりと上体を起こすが、息も絶え絶えで、彼が動く度に地面に血が広がっていく。今にも倒れてしまいそうだ。

 嵐は自らの掌に突き立てられた刀の柄に左手を添える。その場にいた誰もがまさかと考えた。

 目を閉じ、何度か息を整えた後、彼は歯を食いしばり、一気に刀を引き抜いた。

 その光景に誰もが息を呑む。


「確かに、返して……もらった」

「……おにーさん、頭おかしいんじゃないの?」


 流石の空も嵐の行動は信じられなかったらしく、その顔に笑みはない。


「……ごめんな、ばーちゃん。人を傷付けたら駄目って約束守れそうにないや」

「は?」


 小さく呟かれた言葉は、すぐ近くにいた空ですらまともに聞き取る事は出来なかった。


「けど、友達を守るって約束を守る為だから、仕方ない……よな?」

「ちょっとさっきから何をぶつぶつ言ってる……っ!?」


 瞬間、空は嵐から離れるように後ろに跳んだ。

 彼の本能が危険を感じ、体が勝手に動いていた。空自身も何故自分が逃げるような真似をしたのかが分からない。だが、彼がその答えを知るより早く、突然背後に現れた嵐の一閃。

 避けるのは間に合わないと判断して、鎖鎌で受け止める。しかし、小柄な空は嵐の力を受け止めきれず、鎖鎌が吹き飛ばされる。


「しまっ……!」


 嵐の剣戟を防ぐ手段を失い、空は即座に嵐から距離を取ろうと跳んだ。ただ後ろに跳ぶのではない。嵐を飛び越えるように前方に跳んだのだ。


「……え?」


 驚く声は空のもの。嵐の上空を飛び越えようとしていた空の無防備な腹部に白銀が叩き込まれた。

 予期せぬ衝撃をまともにくらい、空は地面へと落下した。痛みに表情を歪めた空が立ち上がるより早く、嵐の持つ刀の切っ先が空の首に押し当てられる。

 空を見つめる緑の双眸は、ただただ無機質なものだった。

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