#10-3 合同訓練


 燦々さんさんと輝く太陽の光を幾重にも重なった木々が遮るせいか、森の中は昼間だというのに薄暗い。しかし、そんな薄暗さや視界の悪さをものともせず、木から木へと飛び移っていく一人の少年。

 気の強そうな金の瞳は前だけを見つめ、迷いなく森の中へと進んでいく。


 少年──霧谷空は森に入るなり、真っ先に森の奥へと進んでいた。

 チームメイトの誰に相談するでもなく、自分だけの判断で単独行動を取ったのだ。

 彼にとってはチームメイトは仲間でも何でもない。優斗達と同じく蹴落とすべき敵。

 普段の授業は教師に見張られている為、おいそれと手が出せないが、今日は違う。

 教師の目がないこの訓練は彼にとって絶好のチャンスだったのだ。仲間面をする目障りな奴等を始末するには……。


 小柄な体躯で忍者さながら森を進んでいた空だが、不意に足を止めた。

 彼の視界が捉えたのは一体の鬼。その距離はまだ遠く、鬼も空の存在には気付いていないようだ。

 腕に付けたカウンターを見る。ちょうどカウントダウンが始まっている所だった。

 ディスプレイに映った文字が減っていくのを静かに見つめる。そして、残り五秒を切った時、彼は動いた。


 音もなく静寂に、目を疑う程一瞬で、鬼の真上に彼はいた。

 その気配に鬼が気付いて、仰いだ時にはもう遅い。空のカウンターから響く訓練開始の合図。


「さあ、狩りの始まりだよ」


 到底子供が浮かべられるとは思えない凶悪な笑みで空はそう告げた。



◇◆



 森の中に入った優斗達は、まず入口から離れた。もし、開始の合図と共に襲いかかれては堪らない。そう考えたからだ。

 しかし、そんな優斗達の心配は杞憂だったと言わざるを得ないだろう。

 何故なら、彼等のカウンターが開始の合図を告げたと同時にディスプレイに表示されたのは『0ー4』という文字。

 その文字が示すのは、壱伽達が開始の合図と共に一人一体ずつ鬼を倒したという事実。


 一分も経たない間に四点も差を付けられてしまった事に優斗達は息を呑む。だが、優斗は弱気を振り払うように首を振って、聡を見た。

 聡の前に浮かぶ水に映るのは森の景色。聡は水で鏡を作り出し、そこに森の風景が映るようにしていたのだ。

 次々と水面に映る景色が切り替わっていく。聡の力で森全体を探っているのだ。


 皆に見守られる中、やがて聡はふらりと体を揺らした。そんな聡を支えたのは晴だ。

 晴に支えられた聡は嬉しそうに笑い、晴も聡を労るように笑みを返した。


「それで、分かったんですか?」

「う、うん。このエリア内にいる鬼の数は五十体……ううん、もう四体は退治済みだから、正確には四十六体だね」

「多いな」

「けど、数が多いなら私達にも勝機はある。……聡君、一番近い場所は?」

「こ、ここから南に二キロ進んだ先に五体の鬼がいるみたいだよ」

「よーし! 南だな! みなみ、みなみ……南ってどこだ!?」


 意気揚々と歩きだそうとした嵐だが、すぐに動きを止めて振り返るなり、そんな事を告げた。

 いつも通りの嵐の発言に幸太郎は心底呆れたように深い溜息をついた後、南に向かって歩き出す。


「……ハァ。馬鹿は黙って付いてきてください」

「あっはっはっ、タローは凄いな」

「馬鹿にしてるんですか?」


 口では文句を言いながらも足を止める事がない幸太郎。初めて会った時の彼からは考えられない行動だ。

 その事に優斗は知らず知らずに口元を緩める。


「どうかした?」

「っ、い、いや、何でもない。幸太郎の気が変わらない内に俺達も行こう」


 不思議そうに訊ねてきた花音にそう返して、優斗は歩き出す。花音もそ以上は追及せずについていくのだった。



 聡が提案した作戦は至極単純なもの。

 鬼が固まっている所に奇襲を掛け、一気に叩く。ただそれだけの事だ。しかし、口でいうのは簡単だが、それを実行するのはかなりの手間だ。

 一体でも厄介な鬼が複数いる所に奇襲を掛けるなど自殺行為にも等しい。けれど、聡は信じた。

 このチームならそれが出来ると。そんな聡の提案を優斗達は信じた。そして、その作戦は見事に成功した。


 聡が索敵した情報通りの場所にいた五体の鬼。その鬼達は花音達の奇襲によって呆気なく退治された。

 非戦闘員である優斗と聡は邪魔にならないよう茂みに隠れて見ているだけだったが、そんな優斗でも気付いた。

 たった今、花音達が退治した鬼が今まで見たどの鬼よりも弱かったという事に。


「おー、ほんとにサトルンが言ってた通りだな。全然歯ごたえがなかったな!」

「歯ごたえじゃなくて、手応え。……でも、確かに」

「Cランク程度でしたね。本来なら、入学式の試験で出される筈の。まあ、これだけの数の鬼を用意するなら、Cランクぐらいが丁度いいのかもしれませんね」

「質より量というわけだな。……もしや、この訓練。鬼を退治するというよりも森という特殊な状況下で、いかにチームメイトと連携して鬼を素早く見つけ、退治できるかという点を問われているのかもしれぬな」


 その場にいた鬼は五体とも退治した。だから、彼等の気が緩んでしまうのは仕方ない事だったのかもしれない。


「み、みんなお疲れ様」

「怪我はないか?」


 茂みに隠れていた二人が花音達に駆け寄っていく。その時の事だ。

 突如、響いたのは金属音。

 その場にいた全員が突然の音に驚き、目を見張る。そして、彼等が目にしたのは、何時から其処にいたのか全く分からない程、気配というものを一切感じさせない空だった。

 彼の手にしている鎖鎌は嵐の日本刀によって防がれている。そこで漸く誰もが気が付いた。


 空と嵐が対峙しているのは優斗の真後ろである事に。その場にいた誰にも気付かれず、空は優斗を殺そうとしていた事に。そして、それを防いだのは嵐だったという事に。

 もっとも優斗を庇った嵐自身も空の存在に、自らの刀に圧し掛かる重みに目を見張っていた。


 彼も――石動嵐も他の皆と同じように霧谷空の襲撃に気付いていなかった。ただ嵐自身も気付いていなかったが、彼の体は空が放った僅かな殺気に敏感に反応し、反射的に動いていたのだ。


「へぇ、まさか防がれるとは思わなかったな。しかも、おにーさん。一番遠い所にいたのにあの距離を無意識に一瞬で……」


 奇襲を防がれた事に驚いた様子だった空の表情が心底楽しそうなものへと変わる。年相応の子供らしい無邪気な笑みへと。

 同時に空の全身から風が吹き荒れる。いや、風なんて可愛らしいものではない。どこまでも暴虐で近付く者を全て吹き飛ばす台風だ。

 至近距離からの暴風に体が耐え切れず、誰もが吹き飛ばされる。


 受け身すらまともにとれず、木にぶつかるか。みっともなく地面を転がるか。

 そんな優斗達の無様な姿を嘲笑うようにクスクスと笑う空。暴風は和らいだとはいえ、むやみに近付けば二の舞になるのは確実だろう。


「あは、情けないなぁ。あの程度の風に飛ばされるなんてぶっざまー!」

「くっ、何があの程度、ですか……」

「あの程度、だよ? 少なくともあの仲間面する忌々しい奴らなら、そよ風程度でしょ。ほらほら、早く立って。せっかく面白そうなのに会えたんだ。あんまりがっかりさせないでよ?」


 無邪気な顔から一転。見る者全てを見下すような、いや、存在そのものを否定する冷酷な瞳。

 その瞳を向けられているのは嵐だ。

 誰もが気付かなかった優斗への襲撃。それに無意識とはいえ、唯一気付いて防いだ嵐を空は評価していた。


 空にとって優斗達への襲撃などただの準備運動に過ぎない。この後に控えている優等生壱伽達への奇襲に備えただけのものだった。

 それなのに思った以上に手応えがありそうで、それが空の心を躍らせた。


「な、なんで、俺達を襲うんだ?」

「は? あのさ、おにーさん。僕、せっかく楽しくなってきたんだからさ。あんまりテンション下がる事言わないでくれる? あんまりうるさいとおにーさんから殺すよ?」


 鋭い視線で射抜かれる。たったそれだけの事で、優斗は動けなくなる。

 あまりにも冷たい視線に恐怖すら感じる。それは、空の瞳が嘘を言っていなかったから。

 ハッタリでもなんでもなく、彼は優斗を殺せるだろう。一切の躊躇も容赦もなく、人の命を奪う事が出来る。まだ十歳かそこらの年齢で出来るとは思えない人殺しの目。

 鬼のような異形の化け物とは違う恐怖が優斗を襲う。


「下がってな、ツッキー。どうやら、オレをご指名のようだしな」

「嵐!?」

「嵐君、駄目!」


 ただ一人立ち上がり、優斗を庇うように前に進み出た嵐。そんな彼を引き留めるように立ち上がり、駆け寄ろうとした花音を止めたのは嵐自身だった。

 彼は振り返る事なく、右手を伸ばす。その行動だけで来るなと言われたのが分かったのか、花音は動きを止める。


「はっはっはっ、安心しろ。ひののん」


 嵐は振り返らない。振り返らないから彼がどんな顔をしているのかは優斗達には分からない。ただ、声だけは普段通りの嵐だった。

 誰もが理解していた。先程のやり取りだけで空がこの場にいる誰よりも実力があるという事に。そんな相手にたった一人で挑むのはあまりにも無謀というものだ。


「別にいいんだよ? みんなで一斉にかかってきてもさ。雑魚が何人束になろうと問題ないからさ」

「っ、言わせておけば……」

「あっはっはっ、タローは意外に怒りんぼだよな」

「はぁ!? 誰のせいだと思ってるんですか!?」

「けどさ、悪いけど堪えてくれないか。アイツの相手はオレがする」


 相変わらず嵐は振り返らない。声は普段通り。雰囲気だって変わらない。


「け、けど、嵐くん……この前の怪我だって治ったばかりなのに……」

「そうだ。此処は一度退くのが正解だと思うぞ」

「退くなんて情けない真似したら、背中を向けた奴から殺すからね」


 彼の武器であろう鎖鎌をお手玉のように放り投げながらも酷薄な笑みで告げる空。その姿はまるで死神のようだ。


「だそうだ。それに例え退く事が出来ても悪いけど、オレは退けないな」

「お、おい、嵐?」


 嵐は振り返らない。声も変わらない。雰囲気だっていつもと同じ。……いや、同じ筈がなかったのだ。

 いつだって言葉を発する度、間違いを口にしていた筈の嵐が一度も間違いを口にしていないのだから。


 嵐が振り返らない限り、優斗達は嵐の表情は分からない。ただ一人、嵐と真正面から対峙している空以外、嵐の表情は分からない。

 空は笑う。ひどく楽しそうに笑う。まるで新しい玩具を見つけた子供のように無邪気な笑みで笑う。


「あは、おにーさん。そんなに大事な仲間が狙われたのがムカつくの?」

「……そうだな。一つ言っておく。仲間は守るものだってばあちゃんが言ってたし、オレはもう二度と大切な人を失いたくないんだ。だから、仲間に手を出した奴は許せないし、殺そうとするならオレの全身全霊を賭けて、お前を止める」


 瞬間、嵐の全身から吹き荒れる風。その風は先程の空と同じように周囲の全てを吹き飛ばす程の激しさを持っている。

 だが、その風が優斗達を吹き飛ばす事はない。むしろ、彼等を守るように優しく包みこむ。


「へぇ、そうこなくちゃ面白くないよね。精々僕を楽しませてね。おにーさん」


 どこまでも酷薄な空の声が暴風に吹き荒れる森の中に響き渡った。

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