#06 七百年前の英雄
「まずは退鬼師なら誰でも知っている簡単な話からいこうか」
白がそう言うと同時に教室の中央にあるスクリーンが光を放ち、一人の少女が画面に映し出される。その顔は優斗も見覚えのあるものだ。
昨日の入学式でも見たこの瀧石嶺学園の学園長であり、退鬼師達の中でも特別な存在だという巫女──瀧石嶺千里。
「みんなも知っての通り、今代の『千里』を襲名した巫女。瀧石嶺千里様です。退鬼師にとっては英雄とも呼べる存在の千里様ですが、その理由を……月舘君、知ってますか?」
「え? ええと……」
突然の指名に優斗は目を丸くさせて、言いよどむ。
もちろん退鬼師のことを何も知らない優斗が知るわけがない。それでも彼は何か答えようと記憶を探る。そして、昨日花音から説明されたことを思い出して、それを口にした。
「確か、退鬼師としての素質の有無を確かめられる千里眼の持ち主だから?」
「その回答だと三十点ってところか。まあ、千里眼の力は『千里』を襲名する際に必須の条件だからソレを知ってただけ少し評価してあげるよ」
「あ、ありがとうございます」
上から目線の物言いに釈然としない気持ちを抱きながら、優斗はそういえばと考える。
(花音が理由は二つあるって言ってたっけ? 結局、もう一つの理由聞きそびれたんだよな)
優斗が右隣の席に座っている花音を見ても彼女はその視線に気付かないのか前を向いたまま。
「千里眼を持つ巫女は、過去、未来、現在。全てを見通す眼を持っている。普通の人間にはない力を持っているからこそ、巫女と敬い崇められる。けれど、理由はそれだけじゃない。巫女……瀧石嶺家は七百年前の英雄を受け継ぐ一族だから」
「七百年前の英雄?」
「……そういえば、キミはなにも知らないんだっけ? 自分の退鬼師としての属性も。鬼とは何なのかも」
「っ、は、はい!」
白の言葉に頷いた優斗に教室内がざわついた。
既に優斗が何も知らない一般人だと知っていた花音と嵐だけは驚くことはないが、知らなかった晴と聡は目を見開いて、優斗を見ている。しかし、騒がしかったのも一瞬だけ。
白が睥睨すれば、生徒達は黙り込む。
「それなら、まずは七百年前の話からだね。他のみんなは既に知ってると思うけど、復習だと思って聞いててよ」
「七百年前?」
「そう。今から約七百年前。世界が滅びかけたんだ」
七百年という言葉に眉を寄せていた優斗は白の言葉を聞いて、訝しげな視線を向ける。
優斗の反応はもっともだ。
七百年前に世界が滅びかけたなんて言われたところで、すぐに信じることができる人間なんてそう多くない。誰もが優斗と同じで白のことを詐欺師を見るような反応をしているだろう。
頭のおかしい人の世迷い言。あるいは厨二病的な発言かと思って、冷めた目か生温かい視線を向けるだけかもしれない。
「まあ信じられないのも無理ないかもね。ただ一つ言わせてもらうと、七百年前はいまと比べものにならないほど、鬼が蔓延っていたらしいよ」
「鬼が?」
「それもひとえに『
退治できない鬼。
確かにそんな存在がいるとすれば恐ろしいことこの上ない。
もし白の言うとおり、退治できない鬼と普通の人間には到底適わない鬼が大量に出没していたならば、それこそ地獄絵図だ。
優斗はその光景を想像して、背筋が寒くなるのを感じた。しかし、白の発言に気になるところがあって、素直に疑問を口にする。
「鬼達ってことは、真祖は一体じゃなかったんですか?」
「へえ、そこまで馬鹿ではないみたいだね。その通りだよ。真祖は全部で七体いた」
「七体!?」
せいぜい二体か三体くらいだろうと考えていた優斗はその数に驚く。同時に恐ろしく思う。
七体の退治できない鬼。想像だけでも御免だ。
「真祖は厄介なことに次々と鬼を増やしてくれちゃってね。世界は鬼に埋め尽くされるって時に現れた英雄が初代『千里』の瀧石嶺千里様だ」
現在の瀧石嶺学園の瀧石嶺千里は今代の『千里』であり、七百年前の瀧石嶺千里とは別人だ。けれども同姓同名の人物を出されて優斗は僅かに混乱する。
「初代千里様は当時の退鬼師達を結集させて、真祖退治に挑んだ。結果、千里様は七体の真祖を退治することは出来なくても封印させることに成功した。まさに滅び行く世界を救った英雄だね」
「なるほど」
「いまの瀧石嶺家はその英雄の血を受け継いだ一族ってわけ。だからこそ、退鬼師の中では別格で尊い絶対的な存在なんだ。理解できた?」
「なんとなく」
頷いた優斗に白は不満げに眉を寄せる。だが、とりあえずは納得したのだから良いだろうと考えなおすことにした。
優斗としては、正直なところ七百年前の昔話を盲信して千里を崇拝しきっている人達を異様だと思う。だが、退鬼師にしか分からない何かがあるのだろうと無理矢理納得することにしたのだ。
「なあなあ、シロセンセー! その真祖の封印っていまもあるのか?」
今まで黙って白の話もとい授業を聞いていた嵐は素直に疑問を口にした。
その質問に再度教室内がざわつく。
質問された白はといえば、見るものを凍り付かせるような絶対零度な眼差しを嵐に向けている。
「石動君。封印の有無を疑うのは瀧石嶺家を……いえ、千里様を疑うのと同罪だよ」
「ご、ごめんなさい」
「……次に同じことを口にしたら命はないと思いなよ。それから、封印は千里様がいまも厳重に守っている。それも千里様の重要な役目だからね」
迂闊な発言をした嵐に教室内の温度が一、二度下がったところでタイミング良くチャイムが鳴り響いた。
「じゃあ、十分休憩。次の授業は外でやるからジャージに着替えてグラウンドに集合ね。遅れたら相応の罰があるから遅れないように」
そう一方的に言い放って教室を出ていってしまう白。
暫くして花音や晴達の女子も着替える為に教室を出ていく。残された男子達は教室で着替えを開始する。
なんせ時間は十分しかないのだ。遅れたらどうなるかなんて想像するだけで恐ろしい。
手早く着替え始めながら、嵐は大きく息を吐き出した。
「ハァー。シロセンセー、チョーこえーな!」
「あ、当たり前だよ。妙菊先生って、今代の巫女様の付き人なんだよ。そ、それなのにそんな人にあんなこと言って……普通だったら極刑だよ」
「へ? そうなのか? サトルン、よく知ってるなー!」
「付き人なら、なんであの人が教師なんかやってるんだ?」
「……ぼ、ぼくもよく分からないけど、妙菊先生って史上最年少でこの学園に入学して首席で卒業したって話があるから、その腕を買われたんじゃないかと思う」
聡の言葉に納得しかけて、優斗はある事に気付く。
「史上最年少?」
「う、うん。ここって巫女様に認められる事が入学条件でしょ。本人の意思さえあれば何歳からだって入学できるんだ。けど、ある程度の学力や素質が必要だから、大体は十五、十六歳くらいから通うんだけど……」
至極当然の事のように告げられた言葉に優斗は衝撃を受ける。
優斗は知らなかったのだ。この学園が何歳からでも入学できるということを。そして、それは同時に同い年だと思っていたチームメイト達が年上や年下かもしれないという事実に他ならない。
「聡っていくつ?」
「ぼ、ぼくは十五だよ」
「誕生日は?」
「ろ、六月七日……」
いまはまだ四月。ということは誕生日を迎えていない聡は優斗と同い年という事になる。
とても高校生とは思えない、小学生でも充分通用する容貌の聡は年下かと思ったが予想外にも優斗と同い年であった。
「ちなみに嵐は?」
「ふっふっふっ! オレは四月一日生まれの十六才だ!」
どうやら嵐も優斗と同い年のようだ。しかし、十六才でこの馬鹿さはどうなのだろうと思いながらも優斗は着替えを続けるのだった。
学校指定の青のラインが引かれたジャージに着替えた優斗達は、次の授業に遅れないようにグラウンドに向かうことにする。
その途中、同じく着替え終わった花音達と合流して共に向かう。
話題は先程の年齢の話だ。
「へ? ひののんって年上なのか!?」
「晴は年下なのか……」
女子二人から年齢を聞いた優斗達は大層驚いた。
花音は優斗達の一つ年上であり、逆に晴は優斗達の一つ下。
失礼なことに晴は高校生には到底見えなかった為、勝手に年上だと思いこんでいた優斗だが、実際のところ年下だと知り、動揺を隠せない様子だ。
そんな男性陣の失礼な反応に花音達は気分を害した様子なく平然としていた。
「そういえばさ、サトルン」
「な、なに!?」
「今のミコサマの前のミコサマって、知ってる?」
唐突すぎる嵐からの質問に聡は目を丸くさせる。
質問の意図が分からないというよりは、何故そんな質問をするのか分からないようだった。
「……ぼ、ぼくも詳しくは知らないけど、今代の巫女様は数代ぶりの登場みたいだよ。先代の巫女様はもう何十年も前だって聞いたことがある」
「巫女っていうのは常にいるものじゃないのか?」
嵐と聡の会話が聞こえていたのか、優斗が会話に入ってくる。だが、彼の質問に答えたのは聡ではなく花音だった。
「『千里』の名を襲名できるのは千里眼の力を持った者のみ。だから、力を持った子が生まれなければ、その間巫女は不在となる」
「その場合は、瀧石嶺家の当主が巫女代わりとして退鬼師達のまとめ役になるようだ」
「なるほど」
花音と晴の二人からの説明を受けて優斗は納得する。
彼女達の回答を聞いていた嵐も感心したように声をあげた。
「へぇー。ひののんもはるるんもよく知ってるなぁ」
「あ、嵐くんが知らなすぎなだけだよ」
「だって、オレ、あんまり詳しく教えてもらわなかったしな。ばあちゃんが教えてくれたことは全部覚えてるけど!」
「……そういえば、真祖の封印って巫女が管理してるんだろ? それなのに何代も巫女がいなかった間、どうしてたんだろうな」
優斗としては素朴な疑問を口にしたつもりだった。けれど、それは先程白に向かって決して言ってはいけない発言をした嵐と同種のものだ。
幸いなことに此処には白はおらず、いるのは優斗のチームメイト達だけ。花音達は押し黙る。
唯一、嵐だけが軽い口調で優斗に同意した。
「ゆ、優斗くんも嵐くんもあんまり迂闊な発言しない方がいいと思うよ」
「そうだな。瀧石嶺家を敵に回すのは得策ではない。いまは我らだけだから構わないが、他の人に聞かれたら厄介な事になるぞ」
「……でも、優斗君達の意見はもっとも。次々と世代交代していたはずの巫女が徐々に生まれなくなり、今代の巫女は体が弱く、能力を満足に使えない」
「か、花音さん!? なにをっ!?」
無表情のまま淡々と言葉を紡ぐ花音に聡は目を見開き、慌てる。
先程までの優斗達の発言とは違う明らかに巫女を批判する言葉を口にした花音に聡が驚くのは当然の事。
退鬼師であるならば、七百年前の英雄の血を受け継ぐ瀧石嶺家を──巫女である瀧石嶺千里を批判することなど許されないのだから。
誰かに聞かれていないかと慌てる聡とは違い、花音は冷静に抑揚のない声で言葉を続ける。
「巫女が不在の間は瀧石嶺家が封印の管理に努めていた。だから、封印が弱まっていたり、あるいは既になくなっていたとしても不思議はない」
花音の発言に聡はそのまま倒れてしまいそうなほど、顔を青ざめさせて彼女を見ている。
聡が倒れないように晴がその体を支え、静かに花音を見た。
「お主、瀧石嶺家を疑っているのか?」
「…………」
花音は何も答えない。
肯定も否定もしない。ただ感情の読めない瞳で真っ直ぐ晴を見返している。その沈黙が答えだった。
「けどさ、ひののん。もう封印がないなら、今頃真祖が復活して鬼が溢れかえって七百年前の悪夢斉藤じゃないか?」
「斉藤? 再来の間違いか? でも、嵐の言うとおりだな」
七百年前に世界が滅びかけるほど鬼が溢れかえっていたというのならば、封印がない今、その兆候があるはずだ。
もっとも七百年前のことなど生まれてすらいなかった優斗が知るわけなどないので、優斗が想像している光景とは違うのかもしれない。
「もしかしたらその可能性もあるってだけ。普通に封印が維持されてる可能性だってある」
「そ、そうなのか。良かった」
花音の言葉に安堵の息をつく優斗。
それもそうだろう。そんなどこぞの漫画や小説のように七百年前の化け物の封印がとけて、現代に復活したなんて事が現実に起こってほしいわけがない。
封印されているならばその方が良い。
「ふーん。封印がない可能性も封印があるって可能性もあるのかー」
「あ、嵐くんも瀧石嶺家を疑うの?」
平然と瀧石嶺家を疑う発言をする花音達に恐怖を感じたのか、晴の背中に隠れてしまった聡が顔だけ覗かせて、そう尋ねた。
その質問に頭の後ろで腕を組みながら先頭を歩いていた嵐は振り返り、いつもと変わらない笑顔で告げた。
「だって、胡散臭いだろ?」
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