#05-2 授業開始


「お先っ!」


 走り出した優斗達の中で真っ先に飛び出したのは嵐だった。彼はまさに風のような速さで駆けていってしまい、優斗達が声をかける間もなく遠ざかっていく。


「我らも先に失礼する」

「ご、ごめんね」


 みるみる遠ざかっていく嵐の背中を追いかけるように続いたのは晴と聡だ。いや、正確には屈強な肉体で驚くほどに俊敏な晴と彼女の背中にぶら下がっている聡だ。

 いくら聡が小柄とはいえ、男を一人背負っているはずの晴との距離はどんどん引き離されてしまう。


 優斗だってそこまで足が遅い方ではない。平均よりも少し速いくらいのタイムを持っていたはずなのに彼等は桁違いだった。

 もはや凄いと感心するしかできない優斗の隣を走るのは花音。

 相変わらず無表情の花音だが、ちらちらと優斗を見ていることから、わざわざ優斗のペースに合わせていてくれているようだ。


「花音も先に行っていいぞ?」

「このペースなら充分間に合うから」

「そっか。ありがとな」


 このまま置いて行かれるのではないかと考えていた優斗は花音の優しさが嬉しくなり、素直に感謝を告げる。

 花音は僅かに翡翠の双眸を見張り、けれどそれ以上言葉を紡ぐことはなかった。

 そんな彼女の頭に走っている花音から振り落とされないようにしがみついている猫がいる。その猫を見て、優斗は不意に思いついた疑問を口にした。


「そういえば、その猫。結局、名前どうするんだ?」


 もちろん花音が飼うといったわけではないが、それでもあんなに彼女に懐いているようだし、花音自身も嫌がっているようには見えない。

 飼うにせよ、別の飼い主を探すにせよ、名前は必要だろう。

(まあ、嵐のキャットなんとか三世じゃなければ、なんでもいいと思うけどな)

 自信満々に命名した嵐の顔を思い出しながら、優斗は小さく笑う。


「……ムツキ」

「え?」

「この子は、ムツキ。月舘く……優斗君のくれた名前を気に入ったみたいだから」


 花音の言葉に彼女の頭にしがみついている猫が同意するように鳴く。だが、優斗が気をとられたのは別のことだ。

 昨日から無表情以外の表情を見たことがなかった花音が小さく笑っていたのだ。

 それは優斗が初めて見る笑顔。

 一瞬ドキリとして、優斗が赤くなった顔を隠すように顔を逸らす頃には既に花音の表情もいつもの無表情へと戻っていたのだった。


 最後尾の優斗と花音が教室に駆け込むのと本鈴が鳴り終わるのは、ほぼ同時だった。

 教室にまだ教師の姿がないことに安堵して、そのままへたり込みたくなる優斗だが、一緒のスピードで走ってきた女の子の花音が平然としているのに男の優斗が情けなく座ることなど出来るわけがない。

 やはり体力をつけねばと肩で息を繰り返しながら、そう考えていた優斗に声をかけてきたのは誰よりも速く駆けていった嵐だ。


「おっ、ツッキーとひののんもやっと来たな! 二人ともおせーよ!」

「大丈夫か?」


 明らかに疲れている優斗を心配したように晴が水の入ったペットボトルを差し出してくる。

 優斗はありがたくそれを頂いて、ようやく落ち着いたようだ。


「ありがとう」

「気にするな」


 礼など不要だとばかりに背を向けてしまう晴の姿はとても様になっていた。

 格好いいとぼんやりと見つめてしまった優斗の背後から冷淡な声が掛けられる。


「もう本鈴なったんだけど? 早く席について」

「っ、た、妙菊白……」

「先生つけなよ。落ちこぼれ」


 鋭い真紅の瞳で睨まれて、優斗は小さく謝罪する。そして、慌てて席につこうとして気付く。

 教室内にいる生徒の数があまりにも少ないことに。

 花音や嵐、晴、聡といった優斗と同じチームの面々に加えて、二グループほどの人数しかいないのだ。

 昨日の時点では、一見して数え切れないほどの生徒がいたはずだ。


「ねえ、落ちこぼれは席に座るって簡単なことさえまともに出来ないの? ボクが座れって言ってるんだから、早く座ってよ」

「え? あ……えっと」

「なに? 質問があるなら早くして。ボクはキミと違って暇じゃないんだから」


 みるみる不機嫌になっていく白は優斗が質問しようと何でもないと答えようとどちらも嫌みを言われる結果になるのは同じだろう。だからこそ、優斗は思い切って疑問を口にしてみた。


「人数少なくないですか?」

「ああ、なんだそんなことか。少なくて当然でしょ。キミ達は落ちこぼれなんだから」


 至極当然のように言われた言葉に優斗は一瞬自分が何を言われたのか分からなかった。

 呆気にとられた優斗の顔が面白かったのか、白は僅かに口角をあげる。


「何その顔。気付いてなかったの? というより、キミ自覚ないとか有り得ないでしょ。女の子に庇われるだけの役立たずが落ちこぼれ以外の何だと思ってたわけ?」


 否定の言葉は出なかった。

 優斗だって分かっていたからだ。

 退鬼師のことも鬼のことも何も知らない優斗は庇われて生きながらえてきたのだから。

 親友の大河に。チームメイトの花音と嵐に。


 彼等がいなければ優斗はいま此処にいなかったという自覚はあった。だからこそ、優斗は白の言葉を否定できずに押し黙ることしか出来ない。

 黙り込んでしまった優斗に白は満足したように笑い、教室内の他の生徒に視線を移す。


「まあ、落ちこぼれはキミだけじゃないけどね。例えば、石動嵐」

「オレ?」

「キミは戦闘能力だけみれば、エース級だ。属性をうまく利用した身のこなしに武器の扱い方も天才といっても過言じゃない」

「なんかよく分からないけど、褒められたのか? へへっ、ひののん! オレ、シロセンセーに褒められた!」


 まるで飼い主に褒められた犬のように嬉しそうに笑って、花音にとびつつく嵐。だが、彼女に抱きついた瞬間、無表情の花音に投げ飛ばされる。

 そんな一連の様子を見た白は呆れた様子で溜息をつく。


「本来なら優等生チームに入ってもおかしくはないんだけどね。あまりにも馬鹿すぎて、昨日みたいに他の生徒の足を引っ張りかねない。だから、彼も落ちこぼれ集団の仲間入りだ」


 おそらく白の脳裏に浮かんでいるのは、花音に突っ込んでいった嵐の姿だろう。

 優斗もその光景を思い出して、弁護しようにも出来ない様子だ。


「それは日宮花音も同じさ。キミも能力値は平均的に高い。けど、それだけだ。積極性もなければ、意志もない。ただのお人形だよ。まあ、その意味でなら御堂晴も同じか」

「……我は聡を守ることが出来れば、それで良い」

「ふーん。まあ、それならそれでもいいけど。あとは……雨川聡だけど。これも言うまでもないよね? キミも月舘優斗と同じように女の背中に隠れてた卑怯者。まあ、自分の属性を把握している点では彼よりもマシだけどね」


 優斗達をあざ笑うようにそう吐き捨てた白に教室内は静まりかえる。

 白の辛辣な言葉に聡は泣きそうな顔で晴の背中に隠れてしまった。そんな聡を守るように晴は敵意の眼差しで白を睨みつける。


 その視線は優斗が見たらびびって腰を抜かしてしまいそうなほど、威圧的で他者を屈服させるには充分すぎる迫力を伴っていた。だが、白はそんなものにまるで動じた様子なく真っ向から晴を見返している。

 文句があるならどうぞご自由にとでも言いたげな余裕綽々な態度だった。


「ああ、そうそう。キミ達のチームメイトの雪野幸太郎だけど、来てないみたいだね」

「え?」


 白に言われて優斗は初めて幸太郎の姿が教室にないことに気付く。

 嵐達も気付いていなかったようで、不思議そうな顔をしていた。数人は幸太郎は別のクラスなのではないかと考えていたようだ。


「彼のサボりはキミ達の評価にも関わるからさ。これからも退鬼師として成長していきたいなら、縛ってでも連れてきた方が身のためじゃない?」


 連れてくることが出来るならね、と言外に言っているように優斗達を見下しきった視線を向けてくる白。しかし、その視線もすぐに興味がないとばかりに逸らされてしまう。


「まあ、どうでもいいか。ほら、無駄話はお終い。授業を始めるよ。三秒以内に席について」


 ここは素直に白の言葉に従った方がいいと考えたのだろう。

 優斗達は慌てて手近な席に着席した。その反応に白は満足そうに笑う。


「それじゃあ、改めて。ボクがキミ達落ちこぼれの面倒を見ることになったから、あんまり面倒かけさせないでよね」

「センセー! しつもーん!」

「……はぁ。なに?」


 教壇から見て、ど真ん中の一番前の席に座った嵐が勢いよく手をあげたことに白は明らかに面倒だとばかりに表情を歪め、重い溜息をつく。だが、生徒からの質問を無視するわけにもいかないのだろう。億劫そうに尋ね返した。


「オレ達が落ちこぼれクラスなら、他のクラスは誰が湛蔵なんだ?」

「湛蔵って誰? もしかして、担任って言いたかったの?」

「おお、それそれ!」


 指を鳴らして何度も頷く嵐に白は重い溜息をつく。嵐の相手は白にとってかなり苦痛のようだ。


「他の生徒達は昨日いたもう一人の教師と別の教師がそれぞれみるよ。昨日、勝手にBランクの鬼を使って試験したせいで、思った以上に犠牲者が出ちゃってね。千里様に怒られたんだよ。だから、ボクがやりたくない落ちこぼれクラスの担当になったってわけ」


 弱い奴らが悪いのに、とぶつぶつ文句を言っている白に優斗達は何も言えない。

 そんな空気を壊すように白が手を叩く。


「はい、質問終了。じゃあ、授業を始めるよ」


 そうして、優斗達新入生にとって瀧石嶺学園での初めての授業が始まった。

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